ロワとの別れ
「ディースは……オレがお前に救われた命だという未来を忘れている。お前が、あのとき追求するのを良しとしなかったから、オレは生きていた。お前の空っぽの信念が引き起こした、オレにとっての奇跡なんだ。恩を返したい、と思った。絵本を読んで、お前が記憶を繰り越すのに苦しみ続けて、記憶を繰り越す選択肢に後悔しているのだと知った」
ロワは、涙を袖で拭ってから、オレにしがみつく。
「でもオレはお前に、人間らしい判断をさせてやりたい。お前はどの時空でも、人間以上であることを求められ続けていた。お前は、ヨダカの運命からか〝綺麗な存在〟であるべきだと。人間ならば挫折だって味わう、リカオンは挫折を味わい続けたが、あいつには理想がある。若葉にも、強者になりたいって理想がある。だから人間なのだし、立ち続けられた。お前には、理想がない。お前は理想がないまま、自己犠牲し続けてきた。理想の無い世界で、生き続けるのは疲れるに決まっている。こうして話して判った、お前には中身がない。中身がない、からっぽの人形のまま、王子様になろうと足掻いた。それは理想じゃない、真似したいという化粧だ。王子様という化粧を、お前はしていて、素顔になるのが怖いんだ。全部、本心からの返答じゃない、そう答えたほうが綺麗になれるし模範的からだ。そんなのは誠意とも本心とも呼ばぬ」
本心じゃないなら、何なんだ――驚いてまじまじ見つめていると、ロワは静かに呟いた。
「そんなの着せ替え人形と同じだ。お前の意思で着る服でも、家具でもない。今のお前は、持ち主の言うとおりに何でも動く……あの少女の言うとおりに」
静かな声だと思ったら、今度は少しだけ元気な声へ戻るロワ。
「だから、お前は一度失って挫折するといい。誰かが『なんて汚いんだ』と罵声を浴びせても揺るがない理想を見つけろ。挫折をしても、本心を見つけて立ち直れる強さを持てば、お前とて中身のある人間になる――大切な誰かを作れ」
「何でそんなに優しいんだ……お前を見殺しにするって言ってるんだぞ?!」
注意にカッとしたわけじゃない。自分を置いて、オレの身を真剣に心配するこいつを理解できなくて、なんて強い子なんだと茫然とした。
ばっかじゃねぇの、と怒鳴りながらロワを振りほどく。怒鳴ってるのに何も反応しないロワに安心するってどこまでロワに頼るつもりだよ、なっさけねぇ。
――情けない話だけどよ、壊死していた心が脈打っているんだ。
新たに始まる、オレの知らない物語が見えるんだって、ドキドキしてんだよ。
ずっと「明日」が来ないかって、待っていたんだ。
待っていたけど無理だから諦めていた、でも今また期待している。
ロワはオレを心から理解してくれているんだって嬉しさを肌で感じ取り、鳥肌が一気に総毛立つ。
言葉にならない嬉しさや感謝が、警戒心と一緒に顔を出して、ロワへ怒鳴ってしまっていた。
悔しい。悔しがって良い立場じゃないけれど、自分をあっさりと手放すロワが悔しい。
オレみたいな奴を許すなよ、オレみたいに投げだそうとする奴には怒鳴り返せよ。
自己犠牲へ勝手に投じながら、勝手に疲れたって諦めだしたんだぜ?
何でそんな、象みてぇに優しい眼差しなんだよ……。
お前はもっとお前を大事にしろよ、自分よりオレを選ぶなよ!
お前は、もっとこの世界に必要な存在だろ! オレなんかと違う、本物の正義であるはずだ。お前とリカオンの行いは、心からの正義だ、皆を救うと一本気である。
――お前は、そういえば、ずっとディースを一番にしてきた。
オレが、そうさせたのか。オレはまた自分自身で気づかない間に、呪いをかけたのか。
リカオンが王子様に取り憑かれたように、お前はオレに取り憑かれたのか?
もう、この屋敷にいる奴ら、全てオレに取り憑かれている。
オレのしてきた行い、全部オレや皆に返ってきてる、それだけオレの言葉の力が強いんだって。
そんな強さだけ主役級で、マジびびるよ。
もう、逃げて良いんだ。オレから離れていいんだ、だからロワ、お前もオレなんか放っておけよ。
(オレこそが、この屋敷の諸悪の原因である、ウルドという過去だというのに――!)
ロワは、まだ涙が引かないのか、泣きながら木漏れ日を見つめる眼差しで、オレを見上げる。
やめろ、そんな眼をするな。オレはお前から、暖かな眼差しを受ける権利を捨てた身だ。
「オレは望んでいる、頼が一番に救われること。……ディースを、大事な友達を助けたい。これはお前には関係ない、誰にも渡したくないオレ自身の為だけにある願いだ。お前の所為だと思うのは烏滸がましい。リカオンもそうだ、お前の意思など関係ないし他者の気持ちも考えない己の為の願望だ。お前の祈りを無視してでも、お前を助けたいんだ」
オレがずっと気にしている物を言い当てられて、言葉さえ失っていると、ロワは笑いかけてきた。
「ずっと、ずっとな。若いお前は言わなかったんだ、辛いって誰にも。誰にもお前の辛さを、お前は愚痴らなかった。誰が嫌いだの、誰が好きだのも言わなかった。そんなお前が、だ。疲れたとオレに頼ってくれた――涙を見せてくれた。これほどの幸せがあるだろうか。オレは、初めてお前の理解者となれたのだ、ディース。初めて、力になれたのだと実感できた」
ロワはぎゅ、とオレの衣服を掴んで、手が震えていた。
犠牲になるのが怖くないというわけではないのは、伝わってくるからこそ、ロワの優しさが辛くてまたオレ自身が情けなくて……。
なのに、ロワはもっと情けなくなれ、と請うてくる。
「可哀想に」
ロワはまた一言呟いて、静かにぽろろと涙を零す。
やめろ、やめろ、やめてくれ。オレの弱さを認めるな、オレの情けなさを笑って許すな。
――お前が優しくすればするほど、自分の行いが酷いのだと、思い出してしまう。
「もっと、辛いって叫んで良い。もっと、嫌だって言って良い。信念が曲がったって、それもお前のうちの一つなのだから、それでもいいのだ、それがお前の本心であるというのなら。自分自身に正直になれ。嘘をつき続けなくて良い。一世紀以上、一見して信念が曲がらなかったのは、人間として優秀ではないのか? その間ずっと、疲れたとお前は言わなかった……リカオンに助けを求めたけれど、それも理由を自分の中でだけ閉じ込めた」
「……ロワ……」
ロワがオレの両手を持つ。ロワが握るオレの手の感触が少し変わってくる――水でも掴んでいる、滝の流れに手を突っ込んでいる感覚だ。ロワがまるで、水みたいに、存在するのに存在しない存在になりつつある。よくよく見れば半透明で、ロワの覚悟に何も言えなくなる。ロワの瞳は、真っ直ぐとオレを見守っていた。
ロワは、「お別れだ」と最後にオレへ言葉を投げた。
「ずっとお前と家族になりたかった。知ってるか? 物を一緒に食べる行為は、敵の前じゃできないんだ。ディースだった頃は、オレ達は一緒に食事していた……。オレは、オレはお前が祖父のようで、嬉しかった……今まで有難う、さようなら」
「ロワ、……オレは……」
「さようなら、だ。言えるだろう、それくらい」
「――……ロワ」
「言えよ、肝心な所で勇気がない奴だな」
それを言えば、ロワは消えるんだろう? ロワは、オレの代わりに犠牲になるんだろう?
さようならを口にする勇気や気概が、沸いてこない。
オレの疲労が徐々に現実感を覚えていく。現実感を覚えていく程に、ロワの言葉の有難みが判って……。




