それからバッドエンド
『クリームを御塗り下さい』
何かの出し物がでるような垂れ書きで、書かれていた。
先にはクリーム。
描かれている文字で思い出す、嗚呼ここは注文の多い料理店なんだって。
確かに物凄い注文を数々見てきた、酷い出来事ばかりだった。
振り返りたくはないけれど、否とするのは駄目だ。
振り返らないと、シンはいないからだ。私達の心にシンは住んでいる。
クリームをどうすればいいのか……私は、ずっとずっと考えていた。
この質問がきたらどうしてやるのか、実家で本を読んでいた時に。
クリームを……思い切り屋敷に塗ってやるのさ!
お前が食べられろ!! そんな怒りを込めて塗ってやる、食べる行為ができたらいいんだろう? それなら、頼から貰ったカトラリーがあるから食ってやるさ!
べったりと傍にあったブラシで、クリームを床にぐりぐりと塗ってやる。
たとえ食べられなくても、このフォークやナイフを突き刺してやりたい怒りに駆られていた。
実際、用意されてあるクリームを塗ってから突き刺してやると、扉の鍵が開く音が聞こえた。扉を開けると、屋敷の外へ出られた……。
外は薄暗く、幼い頃に見たような黒い森。
いや、冬だから吹雪が酷くて、外はある意味真っ白だ。
轟々と吹雪く雪は一気に寒くなって身を縮めたが、私は思いっきりはしゃいで走った。
頼、やったよ! 出られるんだ!
「ねぇ、頼――!」
嬉しさで胸が一杯だった――興奮していた。冷静じゃあなかったんだ。
頼へと振り返った――私は、忘れちゃいけない物をまた忘れていた。
「リカオン、次は……ちゃんと逃げろよ」
頼が笑う。
儚笑を浮かべたかと思うと、子供のようにあどけないさっぱりとした表情を浮かべた。
頼のそんな顔を見るのは、何年ぶりだろうと感じ取る。
「さよなら」
どうしてこの屋敷の人達は私を責めないんだろう?
琥珀さん以外私を責めてくれない。死ぬ間際の人達は、決して私を責めないんだ。
何で忘れていたんだ、私は……「この人」はもう屋敷に残るほうが幸せなのかもしれないと、考えていたのかもしれない。
「この人」は、私を全部判っていてくれたのに――私は何も分かっていなかった。
ロワの「お前は願いを忘れるだろう」という言葉を、ふいに思い出した。
頼の腹部には、真っ赤な流血が――頼の背後には、若葉が。
私は、……私は……その場でしゃがみこみそうになるのを堪えて、震える膝で突っ立っていた。
「アシュリーを返せ。屋敷から外には出させないよ!」
「……若葉……」
どうして、どうして。どうして君を忘れていた? どうして、私は頼だけを助けようとしていた?
この屋敷の人、全員を救うのが本当の「主人公」であるべきなのに。私は、頼とシンの絵だけを外へ逃がそうとしていたんだ……。
君を、責める言葉が、思いつかない。
君はだって確かに宣言してた、出口では邪魔をすると――忘れていた私のミスだ。
これか、これがもしかして「脇役の持つ定め」というものなのだろうか。
肝心なときに、忘れ去られる脇役の――私は、若葉を脇役だと思っていないと心底考えていると思い込んでいながらも、本当は若葉を脇役だと認めていたのだ……。
主人公の性分じゃない、そんなの。特別なんかじゃない。主人公であるのならば、そんな屋敷のルール、ぶっ壊すはずだ。
――ルールを意識して守ろうとした瞬間から、負けは決まっていたの?
ここから何か抗えないか、何かもっと他にできることはないか。
真の主役なら、ここで大逆転をする筈なんだ――現実はそれでも、若葉が頼へ……。
悲しみが、迷子だ。悲しむ余裕なんてない。暇も無い。考えなければ。助かる方法を考えなければ。
これ以上。これ以上、醜い自分を自覚する前に。
――私は心から理解した。主役というのは、主人公というのは、助けるから主人公や主役なのではなくて、ただ一人真っ当に生き残る確定要素からそういう名称がつくのだと。
時計の音が聞こえる、屋敷で聞いた覚えのある、鐘。
ごぉおおんと世界を振動させるような震える音で、私達を威嚇するんだ。威嚇して、警告するように鳴り響くんだ。
笑い声にも聞こえる、お前はとんでもないミスをしたな、と嘲笑う時計の鐘。
時計の音が聞こえたと思ったら、世界が灰色になっていた。
私だけが動ける――ということはつまり……嗚呼、やっぱり君か。
ロワが私の後ろからひょっこり顔を出して、他の二人を覗き込む。
眼差しは苦痛に満ちていた。




