水中の青い薔薇
扉を開け元の部屋に戻り、部屋がすっかり様変わりしている。ロワがどうして、早く助けに行けと焦っていたか、すぐに判った。
頼が大きな水槽の中でずっと捕らわれて眠っていた。水槽の下に、青薔薇が沢山沈んでいて、青い水槽に見える。
スリーピングビューティー、眠れる森の美女。男だって言うのに、眠る姿は見事に色めきだっている。あの物語を思い出させるように、不思議と荘厳な光景。
頼の体に絡む鎖が、薔薇の茨のようで、痛々しくも美しい。
顔色はビスクドールみたいに血の気が引いていって、頼の浮き世離れが際だっている。こんな状況だというのに絶美で、私は言葉を飲み込んだ。
こうしていると、やっぱり頼は私の理想だったんだって思い出す。
――だが物語の血が混じっているからといって、水槽の水にずっと浸っていて寒くないわけがない。
寒さに体温が奪われて死んでしまうかもしれない。
どうするか――考え込んだ時、ふと水槽の近くにシンがいる事実に気づいた。
「頼様! 頼様!」
水槽をどんどんと叩いて、涙していた。
私に気づくと、シンは私に飛びつくように抱きついて、わんわんと泣き叫んだ。
「お願い、助けてあげて! あたくしは紙だから触れられないの! 絵の具が溶けて消えるわ!」
自身の涙では絵の具は溶けない様子だが、既に助けようとしていた痕があって、指先の部分はぼやけていた。
「シンちゃん……」
「記憶を取り戻したんでしょう?! 許せない、あの方を巻き込んだ事実は。でも、今は貴女じゃなきゃあの方を助けられないの! あの方が助かるなら、屋敷の外にあの方が行っても良い、あたくし一人で屋敷に残っても宜しいわ! だからお願い!」
シンの切実な泣き声は騒々しく、上品なシンにしては珍しいお願いの仕方だった。
シンは我が儘だと思っていたけれど、ふと気づいた物がある。
女の子らしい、女の子なんだ。誰よりも女性らしい子なんだ。
だから、王子様のピンチに涙して、本気で悲しんで助けを求めるんだ。お姫様は助けられない悲しみを味わうしかないんだ。いつか助けがくるんだって期待して待っているしかない。
私は王子様の理想を思い出せて良かったと思う、泣き出すこの女性を助けてあげられるし、頼も助ける行為ができるだろうから。
私はヒロインじゃない。ロワは言っていた。ヒーローは助けるのが仕事だから、自然に助けられるし、物語として認めるべき行為だ。
この部屋でもきっと正解になるだろう行為だ。
「シンちゃん、待ってて」
私はシンちゃんに背を向けてから、悲しむ女性に何か声をかけるべきだと思って振り返った。
先ほど物語を与えた時とは違う意味で、シンちゃんに提案してみる。
「――ねぇ、シンちゃんだけ屋敷に残ったらそれでどうするの? 一人のまま? シンちゃんが一人でいるのは嫌だよ、シンちゃんの絵を持ち出せないかな? そしたら一緒に外へ出られるよ」
シンは目を丸くして、混乱しているようだった。
「……絵を? そんな……一切考えた覚えがありませんでしたわ。……あたくしも一緒に行けるの? 皆と一緒に行けるの? ……じゃあ連れて行って。お願い、連れて行って……あたくしも外に行きたいの!!」
シンは目を大きく見開いてから口元を抑えて、動揺を静かに。
この世で奇跡を目の前で目にした、そんな瞳で、嬉しそうな動揺を見せてくれた。
私の両手を握って、ぼろぼろと涙を零して、潤んだ瞳を細めて微笑みかけてくれた。
「あたくしも頼様も自由になれるのね? 本当に? 信じても宜しいの?」
美人は泣く姿も美しいものだ、と思っていたが、どんどん泣き方が子供になっていきそうだったので、早く泣き止ませないと。
「絶対に連れて行く! 待ってて、頼を助けてくる!」
私はシンちゃんの手を強く握り返してから頭を撫でてみた、シンちゃんはこくんと静かに清らかな乙女らしい頷き方をしたので、私は水槽に向き直った。
私はよく無計画だと言われるがこんな時つくづく感じるよ、私は何も考えずに水槽に飛び込んで、鎖を外そうとしてみる。
頼は起きる気配がない。シンちゃんが必死に「頼様」って叫んで気づかせようとしている。
頼の唇は紫色になっていて、肌も物凄く冷たい――だって浸かってる水自体がとても冷たくて、氷水のようだもの。真冬の海ってこんな温度じゃないかな。
真冬の人が、氷そのものになった――そんな言葉を言われても頷いてしまいそうな。
頼、女の子を泣かせるなんて酷いな。王子様らしからぬ――いや、それはそれで王子様としては合格なのかい?
お姫様を待たせる王子様――ああ、なんだやっぱり君はちゃんと王子様だな。
ねぇ、もっと私に王子様らしい振る舞いを教えてよ。もっともっと私はらしくなりたいんだ。私は理想に向かいたいんだ。
一度、無くした大事な理想。若葉のお陰で取り戻した物だから、きちんと大事にしたい。
若葉は私が王子様でいてほしいって願ってくれたんだ、あの時、お姫様にもできたはずなのに。
若葉は確かに強者へと道を踏み外したよ。私や頼を綺麗すぎるって恐れて怯えていたよ。
それでも若葉は――私に道を与えてくれた。
――何だ、王子様が三人いるじゃないか。若葉、私を助けてくれたんだね。
君も。君も此処から出たいと願ってくれれば、今にも迎えに行くのに。
私は頼へと手を伸ばす。




