若葉の弱さ
『――若葉』
若葉を呼び止めるのは、若葉の兄だった。若葉の兄が、偽物だと思われる私の首を絞めて、若葉に話しかけていた。
『お前が選べ、お前が助かるか、この女を助けるか。お前の本心で、選べ』
『に、兄ちゃん……! あ、あ……』
若葉、可哀想に可哀想に! がくがく震えている。
でも若葉はこの屋敷の在り方を思い出したのか、偽物だと悟り、兄と偽物の私を離そうとする。
『リカオンちゃんには何もしないでよ、そういう約束だろ!?』
『本心でリカオンを選ぶのか?』
『そうだよ』
『……嘘をついたな、若葉。裏切ったな? お前は自分に嘘を吐いた、お前に物語なんてない』
若葉の兄が真っ黒い陰になって、口だけが白く光り、チェシャ猫みたいに笑っている。
若葉は動揺して、大慌てできょろきょろと部屋を見回す。
部屋はぐるぐると七色に光っていて、目まぐるしく、うざったい色だ。
『何でだよ! オレ、ちゃんと裏切ってない言葉吐いたよ、正解なんだろ、これが!』
『正解かどうかで、言葉を選ぶのが間違っている。本能や、自主性のない、嘘ばかりの言葉だ。模範的に見える回答を選ぶだけで、心から願っていない』
『――何でそんなこと言えるんだ?』
『お前、家族を殴らせない条件で、リカオンの写真をオレに貢いで、ご機嫌取りしてたくせに。あの女もよく気づかないもんだ、幸せな勘違いしてる、お前がか弱いだなんて。お前は、最初からリカオンを裏切っている。なのに、お前はリカオンに助けて欲しいと願う! 立派な裏切りだ、オレへも、リカオンにも、自分にも!』
黒い陰の言葉に、若葉は動きを停止して、細切れに呼吸し、ばっと黒い陰から離れる。
若葉は今にも泣きそうな顔で怯えて、黒い影を見つめて指をさす。
『……な。……何で、何で、そんなこと……本物の兄ちゃん、なの?』
『いいや〝私〟だよ』
陰が消えて、偽物の私が残る。偽物の私は、いつもの私みたいに無邪気で脳天気な明るい笑顔を若葉に向けていた。この場には不釣り合いだ。
それだけ私が、無邪気で愚かなのだと判る。若葉に対して、いつも悩んでいる時に、こんな馬鹿みたいに明るい笑顔を向けてきていたんだと。
若葉は、苛つかなかったのだろうか、今まで。悩みなんて一切合切無い笑顔で、私は暗い気持ちのときにこの笑みを見たら、きっと落ち込む。
もしくは、こんな笑みを浮かべられる人はきっと苦労なんて知らないんだと、憎くなる。自分の持つ苦労や不運を一切知らない、前向きという考え以外持たない奴なんだ、と。
『可哀想で、悲しいお姫様。いや、お姫様にもなれない弱者。君の選んだ回答は、裏切りだ――私を、裏切っていたんだね、若葉』
『リカオンちゃん――ッ!! 待って、待って、違うんだ、待ってよ』
『何が違うの?』
『……――俺は……俺は……俺は、君がいなきゃ――! だから、いなくならないで!』
『兄がいなくなったら、次は私に依存するの? 君にとって寂しさを埋めるなら、誰でも良いんでしょう? 若葉にとって私は道具なんだから』
『違う!!』
『嘘よ――こんな時でさえ、嘘を吐く弱者。裏切り者なんて、要らない』
映像はそこで止まって消えた。
……――私は衝撃だったが、若葉に対して憎しみなんて浮かばなかった。
苛立って怒りが抑えられないのは、若葉の兄や家族に対してだった。
若葉をそこまで追い詰めたのは、あいつらだ。若葉は、そうせざるを得なかった。
裏切りなんかじゃない、君は君の大事な物を守る為に必死だったそれだけだ!
最初から裏切らないと決めていたから、そう見える回答を選んだ、それだけでさえ間違いなのかい? そんなのおかしいよ、心から自分の本心を見つけてる人なんて少ない。
心から自分の願いを自覚している人なんて、滅多にいない。
そんな人口的人数でさえ、押しつけて、正解を求めるのか? この屋敷は。
心から自分を理解して、物語性を選ばないと出られないのか?
だとしたら、若葉はずっと自分の今までの辛い人生を振り返るばかりで、きりきり胸が痛む。見たくない本心や、気づきたくない願いあってあるんだ、人には。
裏切った、と自覚するのはどれ程辛かったか。弱者と偽物の私に言われた後に、愚かな部屋での私を見てどう思ったか想像するだけで、自分自身の行動に苛つく。
「これでも助けたいか?」
全てを知っているロワに、つい弱音を向けたくなってしまった。
でも大丈夫だよ、って風体も装いたくて、口端をつり上げる。
私はロワへと視線を向けて、笑顔を見せようと、必死に笑いかけようとする。
「私、何もできなかったよ。考える行為もできなかった。若葉に、何もできなかった」
「……もう放っておけばいい。そいつは物語を持たないんだ、主役にはなれないんだ。最初から助からない奴だ。お前がどうにもできなかったら、誰にもどうにもできない。これはお前の意思による〝物語〟だ」
「でも……私は若葉を助けたい。うわべだけの友人はもう嫌なんだ、心から助けたいって思うんだよ。それでも君は止めるかい?」
私は、思い出す――闇を這うような悪寒を見せつけた、あの瞳。
優しかった瞳が、無になって、最終的には狂いだした嫌な色。それから、硝煙の香りと――嗚呼、色んな出来事がいっぺんに起きて整理がつかない。
銃声が耳に取り憑いて離れてくれない。まだ鳴り響いてるような感覚。ずだぁんずだぁんと脳内で巡り巡る。
ぐるぐる渦巻く、色んな思い、色んな人々。
あの部屋はどこから試していたんだ? 琥珀さんの存在は罠だったのか? それとも本物?
あの人が本当に私を恨んでいたとしても、私にわざわざ頼を思い出させるのだろうか?
あの人は自ら悪役になろうとしていたのでは――それ以上の思考は、うまく纏まらない。
……今は、今は若葉の存在をちゃんと考えよう。
ロワは、ゆっくりと瞬きをしてから、私の腰へぽんと撫でるように叩いた。
本当は頭を撫でたいのだが背が届かなくて不満だ、と表情に明らかに現れて、撫でた後難しい顔をしているのが少し笑えた。




