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裏切ったのは……

 目をそっと開くと、琥珀さんの手が血まみれだった。

 琥珀さんは信じられないものでも見るような瞳で、銃を鳴らした主を睨む、若葉を――痛みを大声で絶叫する。

 若葉は茫然としていた、咄嗟に銃を撃っていた、そんな言葉が似合う。

 私を守ろうとしてくれていたんだ、私は若葉の顔を見やる。

 若葉は茫然としていたと思ったら、顔色に血の気が戻り、何も瞳には映さなかった。震えていた手が、確かに落ち着きを徐々に取り戻していく。

 無機質な瞳が琥珀さんを映す、硝煙の上る銃口で琥珀さんを狙い続けたまま――。


「もういい、何もしなくていい若葉!」


 頼が慌てたような大声を出した、若葉ははっとして、銃を持った手を見つめる。


「もう何もするな!」


 頼は何かを恐れていた、これから何かが起こるような怯えを滲ませていた、表情に。

 頼の言葉に若葉は――睨み付けた。




「どうして?」


 声は酷く鋭くて侵入者を拒む茨のようで。

 小さく笑う姿は、この部屋を掌握する皇帝みたいに色香が漂う。

 とても嫌な予感がするけれど、私じゃ止められないって本能が告げていた。ロワが言っていた難関はこれなのだとすぐさま判明した。


「俺が……俺が、全てを握ってる。今、この場で強いのは俺だ……悪者が倒せるんだ……」

「若葉……」

「ねぇ、リカオンちゃん。人ってさ、簡単に」



 若葉はかちりと指先を動かして、琥珀さんにもう一発撃ち込む。


 私は思わず目をつぶって耳を塞いだが、きーんとする……硝煙と血の臭いが混ざり合って気持ち悪い。

 それ以上に若葉の表情が気持ち悪かった。一瞬にして私は「若葉は危険だ」と察知した。


「簡単に倒れるんだね」


 若葉がけらけらと笑う、私は首を左右に振って「嫌だ」と呟く。

 そんな笑い方しないで、そんな不気味な「支配者たる」笑い方。いつもの優しい若葉に戻って欲しかった。

 若葉はそれなのに、とても面白い漫才でも見たように無邪気にきゃらきゃらと楽しそうに笑う。



「若葉、もうやめて」

「どうして? 俺がこの人を倒せば、それで終わりになるんでしょう? この素敵な武器で。俺は強くなれるんでしょう? アシュリー、今が強くなれる切っ掛けなんだよ。蟻じゃなくなれる、ライオンになれる。君の目指していた、悪者をやっつける王子様だ」


 誰かを殺し命令するのを好むのがライオンなら、そんな君は嫌だよ。

 ライオンになんてならなくていい、元の君に戻って欲しい。


「嗚呼、なんて素敵な気持ちだろう。強い人ってこんなに気持ちよかったんだ……人が倒れる姿の無様さ! 見てよ、あれ! 俺はあんな情けない姿を晒し続けていたんだ。兄ちゃんが俺を殴るのも判るよ」


 若葉はうっとりとした表情で、自分の持つ銃をじっと見つめる。


「強い人の立場ってこんなに魅力的だなんて知らなかった、弱者ってぇのは馬鹿だったんだ。弱者のままで何もいい出来事なんてない、強い人はこんなにも何でも〝持っている〟んだ!」


 若葉は銃に何を見いだしたんだろう? 今までの劣等感とか?

 人は生きてる限り劣等感と戦い続けるけれど、それが解消できる程の希望が銃に宿ってるのか?

 ――銃は恐ろしい、誰もが恐れ戦く。

 ただの無力な子供でも、一瞬で銃弾が当たれば殺人者になれる。

 若葉が見ている「何でも持っている」は酷く繊細な思いのような気がした。

 弱者でいい出来事なんてなかった、て言うけれど、君は弱者でも今まで私と一緒に笑っていたじゃないか。

 その全てを嘘にしてしまおうというのかい? 私と笑っている時間は、嫌いだったのかい?

 君が見ている「何でも」持つ強さは、陽炎のように掴めないゆらゆらとした粗末な物体に見えた。


「琥珀様を殺してもこの屋敷から逃げられなくてよ。だって、本来の店主であるはずの頼様がいらっしゃいますもの。どうします?」


 このタイミングで告げる言葉じゃない!

 シンちゃん、判っているの!? そんな言葉今のタイミングで言っちゃったら、若葉は――。

 若葉は、少し考えるような素振りを見せてから、琥珀さんに歩み寄って足で顔面を蹴ってみせる。微かにゼヒューゼヒューと肺が破れているような呼吸音を漏らす琥珀さんを見て、若葉はとても面白い芸でも見たかのように大笑いする。いやこれは――嘲笑だ。


「しぶとく生きるんだね、この人。俺、逃げなくていいや、ここで暮らそうよ。ねェ、それがいい、そうしよう。琥珀なんてさ、弱者なんだから俺には勝てないよ。生かさず殺さずってすればいい。そうすれば人の肉なんて食わなくても、屋敷で暮らしていけるでしょう?」

「――若葉……おかしな話しないでよ、一緒に逃げようって……!」

「戻ったって居場所がないんだよ! 俺には君の側しか居場所がない! そんなのは嫌だ……必要とされなくなった瞬間、終わるじゃん。君が要らないって思ったら、終わる。一瞬で居場所がなくなるよ……そんなの。君を信じたいよ、アシュリー。君を信じれば、幸せになれるんだろうって判っている……」

「じゃあ……! 若葉、その銃を捨て……」

「でも、俺はきっと逃げられない、だってさっき君たちを『裏切った』――」


 裏切りの部屋で、裏切ったのは若葉――先に手を離したのは若葉だった。

 何が裏切りで何が正解か、あの場では判らなかったのに、今この緊迫した空気の中で明確に告げている。

 若葉が本物の裏切り者なんだって。

 あの部屋の行為なら気にしなくても良いって言おうとしてやめた、だって君が問題視しているのはそういう話じゃないんだ。

 そんな自分を許せない、そういう話だろ?

 自分を責めているんだ、若葉は。私が気にしないで、って言えば言うほど君は気にしてしまう未来が目に見える。

 若葉がこの空間を圧迫していた――この部屋の支配者は間違いなく、若葉だった。

 元から皇帝たる毅然とした態度で、若葉は琥珀さんの蟀谷に銃口を置いた。


「君たちも俺に従え」



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