店の正体
どうすればいい? 人肉を食べたくもないし、食べられたくもない。
あの夫婦が食べられたのなら、私達だって食べられる可能性はあるんだ!
琥珀さんの目つきを思いだし、ぞっと吐きそうになる。あの人は何もかも知っていて、あんな態度だったのか。
人を食べるだろう私達、食べられるだろう私達。そんな私達を見て、にこにことしていたなんて悪魔のような人。
同じ人間だとは思えないくらい、おぞましい人だ……戦慄して、俯く。
私は焦る思考で必死に考える、泣きそうになって両頬を両手で押さえる。
叫びたくなるよ、「嗚呼、神様!」って――。
……静かすぎる。急に自分の呼吸がより鮮明になった気がした。
若葉の息づかいも聞こえない、はっとして顔をあげると、灰色の空間になっていた。
若葉は静止している、少し離れた先にロワがいた。ロワは私が気づくと、ちらりと此方を見てから、手元にある懐中時計の盤面をじっと見つめた。
「今度こそタイミングはいいだろ、休憩の時だ」
ロワの出現に驚くどころではない、今はそれよりも聞かなければならない。
ロワは鼻をひくひくさせていた。
「ロワ、君には判っていたのか?」
「お前は見ないふりをしていたがな、ワイルドキャットハウス、お前にはとても覚えのある名前だと思っている。俺の知るお前であるなら」
白銀の髪を揺らして、ロワは自分だけは平和だと信じてる笑みを浮かべた。
自分だけは絶対に安全だと物語っている、この場にそぐわない笑み。
私は、思い出したものに、まさかと呟き、ロワを指さす。
指をさされたロワは考え込むように、顎に手をあててかくんと小首傾げる。
どこか見目と仕草がちぐはぐな印象だ。ロワは綺麗な顔のままだった。
「言ってみろ。あってるかどうか答えてやる」
「……注文の多い料理店の、店の名前」
「正解だ、やっぱりお前は俺の知るお前だ」
ロワは両手を広げ、おめでとうと声が冷たく広がった。
何がいったいどうなっている――って叫びたくなるのに、心から怖いと人間、わぁあああってしか叫べないんだ。
叫んだ後、無力さに打ちひしがれて、号泣しかできない。
怖いんだって判って、無力だって思い知って、先にあるものは何?
私はどうすればいいの、って必死に考える。
そうさ、どうしたら助かるのか瞬時に考え出さないと、この場ではまずいんだ。
だけども今の私は混乱が先にきていて、冷静になれない。冷静になった途端に、屋敷の狂気を思い知りそうで、冷静になりたくないんだ。
冷静になった人っていつだって可哀想で損な役目なんだ。
周りは、どうして、なんでって叫んで悲しめるのに、冷静な人だけは喚く暇もなく次の手を考え出して皆を先導するしかないんだ。
冷静な人はいつだって、悲しむ暇がない。私は冷静な人にこのままなっていいのだろうか。
王子様になりたいのならば答は決まっているのに、中々YESというボタンを押せないでうろうろしている。
そんなんだから、本物の王子様に負けるんだ。理想そのもののあの人に。
そうだ、あの人なら――あの人ならどうするんだろう。
ロワはガラス玉のような瞳で、じっと私を観察して、瞳を瞬いた。
「ヨダカ、お前の中では答えは出ている。ただちょっとお前には勇気が足りないみたいでな、その意志を固めるまでに時間がかかるんだ。その為に休憩できる時間を作った。ほんの一瞬だけど、何も無いよりマシだと思ってな」
「君は判っていたなら、止めてくれればよかったのに! どうして黙っていたんだ!」
私はロワに叫ぶ――得体の知れない少年。この少年は何者かは判らないが、こうなるのが判っていたのなら、止めてくれていたっていいはずだ。
休憩するだなんて気遣えるなら、止めるって選択肢もあったはずなんだ。
どうして止めてくれなかった?!
八つ当たりだって判ってるよ、八つ当たりでも誰かにこの衝撃を伝えたかったんだ。
だってきっと私は「冷静にならなくちゃいけない人」だろうからだ。
ロワは、きっとこうなる私が見えていたんだ、だからこんな時間の隙間を作ったんだ。
ほら、ロワはこうなるって知ってた様子で、無機質な瞳を細めて、一瞬黙り込んだ。
現実で時計が進むならば数秒単位の感覚で、ロワは黙り込んで、ふんと鼻を鳴らした。
「お前は何度でも泣くんだな、どうして、って」
ロワは達観した瞳で呟いてから、私の部屋のベッドに腰掛けて息をつく。
表情は浮かないもので、何か目に見えない力と闘っているみたいな、疲労の表情。
「どの俺も、一回は止めてきたらしい。でもお前はこの屋敷に来たときから、『登場人物』の一人になってしまっているから、止めても注意しても何をしてもこうなるんだと聞いた。今回、止めなかったらどうなるか観察してみた。結果は、やっぱりお前は『どうして』と泣くんだな」
ロワは足を組んで、何かを考え込んでから、私に向き直る。
まっすぐな瞳には曇りが一つもなくて、何かから私を護りたいという意志が見えた。
一回は止めてきたってどういうこと? 私は此処へ来るのは初めてだというのに。
心のどこかで、ああそうだったのか有難うと言ってしまいそうな自分がいた。
「お前、注文の多い料理店で食われそうな、登場人物の二人を救ったのが何だったか覚えているか? 犬だ、犬がいるんだ。今のお前に判りやすく言うなら。犬はお前に忠実だ」
「またそれも教えてくれないのか? 誰だか教えてくれよ!」
私はロワをこれでもかというくらい睨み付けた、もうこれ以上混乱させないでくれと願いながらも、助けを願う。矛盾しているが、助けを求めて睨み付けた。
「――お前は教えずとも、いつか答に辿り着く。お前は大きな決断をできる女だ、俺の知る女という生き物の中で、一番気高く強い女だ。お前はこれからどうするか決めているんだろ? お前が決めていなければ、犬の存在とて教えるつもりはなかったのだ。だがお前は決めている、眼差しが言っている。此処から逃げる、と」
ロワは「何回目の注意だろう」と数えてるような遠い瞳を一瞬してから、また私をじっと見上げた。
ベッドから下りて、とことこと近づいてきて、じーっと私を見つめる。
無表情だというのに、好感の持てる優しい瞳だと思った。
「だんだんそのツラに愛着が沸いてくる、不思議だな。なぁ、お前はもうちょっと自信をもっていい。泣く顔は見飽きた、笑え。お前はもっと笑っていい。――今の状況では笑えぬか。ではまたの機会に会おう」
「ロワ、待ってくれ、時間を動かさないでくれ」
「――無理だ、俺と時間は対立している。俺とて敵がいるのだよ、ヨダカ。俺の敵は、誰もが知っている、『時間』だ。そいつは誰よりも手強い。この店よりもな。俺の同胞と約束したんだ、勝つと。それでは、また会おうヨダカ」
ロワはしゅたっと片手をあげると、背中を向けた。
ロワ、と叫んだら、目の前の光景が色づく。鮮やかな色合いに戻って、若葉の怯える息づかいも聞こえて。
若葉は、私の叫びにびくっとして、私を見やる。
「何……どしたの」
「……ロワが……」
このままロワとの話を若葉に伝える意欲は出なかった。
今は説明よりも行動するほうが早いし、そっちのほうが先決だ。
冷静になれる奴が可哀想だって? そんなの間違いだ、冷静になれる奴はいつだってかっこいい。人を助けられるんだ、導けるんだ、私は誰よりも冷静になって若葉を助けたい!
若葉の力になりたい!
私は若葉に、睨み付けるように強い意志を言いつける。
「逃げるよ、若葉」
店側に注文させる隙も与えずにな――。