「理想」との出会い
「時間だね」
気づけば時間は夕飯の頃合いで、若葉に言われて私は本を閉じる。
本を閉じて棚に戻し、私と若葉は部屋の明かりを消して書庫から出て行く。
中々にイイ暇つぶしだった、私にとっては。何せ、老舗の古本屋にありそうな本もあって色々と面白かったんだ。
江戸時代の本みたいなものも飾られていて、保存方法が気になるところだった。
……一瞬。部屋から出るために扉を開けた、その一瞬。セピア色に見えた気がしたけれど、気のせいだった。
私と若葉は伸びをしながら、屋敷の通路を歩いていた、普通に何気ない日常会話を他愛もなく繰り広げていた。
日常が、非日常になる瞬間ってきっとそんなに特別じゃない。
旅先では結構、見かけるものなんだと思う。
たとえば若葉の、私と出会うより前の昆虫採り物語を知っていく、とかね。
でもそんなのとは比べようにならない、非日常が起きた。
歩いていて若葉が立ち止まり、私も立ち止まる。目の前に――驚いた。
〝私〟がいる。
〝私〟が手帳のような大きさの絵本を読みながら歩いていた。
赤茶の髪に青い瞳――そこまでは、ま、まぁよしとしよう。
特別見かけない容姿ではないんだ、ただ……いつも語る、理想の私そのものだったんだ。
いつも、参考にするヴィジョンの理想の私!
男の子だったら着ていたであろう学ラン! 若干鋭い瞳は、私も睨めばきっと同じ瞳になる。背丈は高くて、どこかミステリアスな雰囲気に、香る幽玄さ――。
色気もたっぷりで何もかもが煌めいて見える、男の人――王子様風情。
「誰だ君は」
私は思わず口にしていた、〝私〟にそっくりな男の人は私に気づくと少し考え事をするように黙り込んだ。
黙り込んでから、私たちを見つめてこちらの胸が痛くなるような優しすぎる微苦笑を浮かべた。
「おかえり」
「……? 会ったことはないぞ、私と君は。ここは家じゃないし」
私の言葉に、相手は傷ついた顔つきを見せたので、何だか罪悪感を覚える。
すぐにそんな顔つきは消えて、能面みたいに感情が読めない顔になった。
「ああ……そうだな。じゃあ、初めまして。田鎖 頼です」
丁寧な口調なのに、めんどくさそうな懐かしむような態度で頼は名乗った。
頼。小さく呟くと、口に馴染む名前。
頼はそれを聞き取ったのか、にこ、と愛想良く笑ってくれた。だけど、何故かその笑みは私には「嘘くさい」と思ってしまった。
ああ、あの瞳は凍てついてる、冬のようだ。あの瞳は、冬そのものだ。
何もかも雪で覆い隠して、極寒以外何も見せようとしない真冬の眼だ。
冬は寒さと雪によって、人々を凍てつかせる。決して近寄らせようとしない。遠のかせようとする。でもその姿は見ようによっては、暖かみに気づかせて火という物の有難み感じるための優しさにも見える。火がないと生きていけないんだぞ、って。
冷たいことで、守るような。
頼はポケットに手を突っ込んだまま、私と若葉に問いかける。
「食事?」
「そうだ、君も客なら夕飯の時間だろう、一緒に来るといい」
「ああ――後で行く。二人とも、この島の肉は最高に旨い、ちゃんと食っておけよ。忘れずにな。絶対食っておけよ」
頼は一瞬だけ、ほんの一瞬だけ獣と対峙してかのような鋭い眼光を見せてから私たちに背中を向けて去っていく。凍てついても優しい瞳だったのに、剣呑な雰囲気が少し怖かった。
若葉は物の怪でも見た目つきで、私に視線を向けた。怯えの中に興奮が入り交じっている視線、きっと私の瞳も同じ感情が宿っているだろう。
「あれじゃまるで、食うなよって言ってるよね――絶対に食べるなって。リカオンちゃんそっくりだったね。漢字ってことは、日本人なのかな。でもリカオンちゃんにも夢子って名前があるし……なんかさ、あれみたいだよね」
若葉の次の言葉に私は、一気に背筋が凍った。
「ドッペルゲンガー」
窓が急にばたんと開いて、目が眩むような寒さと、若葉の言葉を否定できない悪寒が私の背筋をぞろりぞろりと這いだした。
ああ、何故冬だと忘れていたのだろう。私は、あの何もかも拒む凍てついた瞳を見て、そういえば冬だったのだと思い出した。
大晦日だというのに、この屋敷は季節さえも忘れさせたのだ。
寒さに慣れたのか? 屋敷に慣れたのか? 慣れるには早すぎないか?
人間の適応力や順応って、そんなに早いものだっただろうかと私は些か嫌な予感がした。
外は雲行きが怪しくて、びゅうびゅうと寒風が強かった。