本というものは
私は書庫で本を読みながら、本について考えていた。
本を理解しないとヨダカを救えない? いったいどういうわけだ?
老夫婦は真実を言っている、だからこそもう「会えない」のだと思った。
屋敷に泊まっているなら会える筈なのに、もう会えないんだって思った。
若葉はずっと老夫婦を「不気味だ」と繰り返していた、普通は若葉のリアクションが正しいのだろう。
本は読む物だ、何度でも読む物だ。読む物以外何がある? 追尾体験? それとも参考資料? 私はずっと考え続けていた、本というものについて。
「若葉、君の好きな本は何?」
「好きな本は無いけど、嫌いな登場人物ならあるよ――」
「何?」
「魔法使いが大嫌いだった」
変わった価値観を持っているんだな、と、若葉を振り返る。
若葉は書庫で世界から集められたうちの、昆虫図鑑のページを捲りながら話を続けた。
「だってさ魔法使いって、結局何もなんないじゃん。人の幸せを見て〝よかったね幸せになれて〟ってそれでおしまい? 自分が幸せになるための魔法を使わないなんて嫌だ。自分の為だけの魔法を使うとなると、物語で名前なんて無くてもいい存在じゃん。そんなの悪者として登場する魔女っていう別物だし。魔法使いなんて登場してもただのお助けアイテムで、人間味なんて誰も興味がない。誰かの引き立て役! そんなの嫌だ」
――若葉の心境を悟る。若葉は、目に見える幸せが欲しいのではないだろうか。
目の前に「これぞ幸せ」というものがあったら、それに憧れるんじゃないかなって。
だって、若葉は「幸せじゃないもの」を沢山知っているから。私の知らない不幸をきっと沢山沢山知っている。
若葉は、家族と闘っている――家族の一人から繰り広げられる攻撃に耐えている。
いつだったか歯が抜けた状態で学校にやってきた時もあった。あの時、先生は不良と喧嘩したのだろうって注意して、若葉はすみませんって笑ってたけど。
あの時は、本当は――お兄さんの暴力だったんじゃないかなって思うよ。
それ以外にも重体で入院して、理由を誰にも言ってくれなかった時もあったね。
テディベアに、レース編み、すべて判りやすいくらい金持ちのお嬢様ができそうな趣味の古いイメージ。
一般人は、金持ちのお嬢様って幸せに限りなく近い生き物なんじゃないかって連想すると思うんだ。
その人達に近づけば自分も幸せになれるんじゃないかという願いのように、その趣味は上達していくけれど、若葉はまだ幸せじゃない。
「ずっと幸せになれないし、自分の願いを殺し続けるんだ、本に出る魔法使いってのは。個性を殺していく生き物なんだよ」
ただの一言が、場を制するように、しぃんと響く。
虫でも見た時の侮蔑の表情――嗚呼、切ないなぁ。
魔法使いを嫌う若葉は、自分を嫌う若葉に見える。
でもね、若葉、人の幸せを願う幸せもあるんだと思うよ。
「若葉が魔法使いだったらどうする?」
「お姫様を口説くよ。王子様なんかより自分を選べって。幸せにするからってお花なんかあげちゃったりしてさ。ピンクのふんわりとした薔薇とかだとロマンチックだよね。白いレースのリボンで結んで、そうだなリボンにラメとかもつけたい。包装紙は勿論、レース付き。リボンにレースのほうがいいかな……それで自分が王子様やお姫様なんかより目立って、主役の座を射止めるとかかっこよくない?」
君の華のチョイスがまた、少女趣味なのが少し私は笑ってしまう。お嬢様の幸せへの憧れとは、違う趣味だよねそれ。
「いやいやここは敢えて、王子様を見続けるだろ、王子様はそれほどに乙女には憧れの存在なんだよ!」
「ええーなんかぁそれって、勝ち目なしで尚更嫌だなー。……それでもさ、不思議だよね。絵本って、なんか最初から読みたくなる。王子様が靴を持ってうろついてるところから読もうと思えない」
「……最初から」
本を途中から読んでも、そういえばもう一度読むときは最初に戻る。
途中から始めに読む回数って、思ったより少ないかもしれない。
本は繰り返す物、何度でも繰り返す人生のようなものかもしれない。ああ、そうか私たちは本で人生を追尾体験するんだ、だからきっと本が好きなんだ。何度でも人生を謳歌できるから。
「そういや、世界で一番古い物語って全部神様関連だよね。面白いね、それだけ神様が身近なんだよ。中には運命を司る姉妹とかあるんだって」
――若葉の話を聞いて、ふいと脳裏に、自分によく似た顔がよぎった。
その顔が泣いている姿。両手で眼を覆い、何も見たくないのだと慟哭する姿。
何だか、何度も見ている気がして不思議だったのだが、読んでいる本が鏡を題材にした登場人物の話だったから、その所為かな。
――ずっと幸せになれないし、自分の願いを殺し続けるんだ、本に出る魔法使いってのは。
若葉の先ほど呟いた言葉が、脳裏でじんわりと根付いて離れない。
鏡に映った、数学のテストを手にした自分でも想像したんだろうと、流した。