そして最初へ繋がっていく(改)
少女は逃げる。
今まで、楽しんできたのに、今まで、愉快だったのに!
予定外だ、あんなの想像つくものか、と少女は誰かになじりたかった。
どの時空も、未来が変わっていく、絵合わせみたいにピースが当てはまっていき、どんどん自分の好きな時間が消えていく。
この時空は、初めてロワと出会った時空だ――同じ女神の名前を持つことで物語に呪われた存在がいるのだと、歓喜した時空。
何がどうしてあんな子兎に付きまとってしまうのか、少女自身にも判らなかった。
本能的な物が、あの子兎に構えと、喚いているから構う。それだけだ。それだけの所為で、破滅に向かうなんて!
あの子兎と少女に、「スクルド」であるという因果以外何かあるのだろうか?
何もかも盤面がひっくり返っている中で、これだけは、と子兎に拘った。
子兎にちょっかいを出せるなら、何でもしてやると、女神にしては浅ましい人間のような思いを持ってしまった。
それが最初の過ち。
震えて逃げる少女を追いかける者は誰もいない。
全ての記憶を時計の形にして閉じ込めた、これなら誰もこの時空に入ってこられない。
それが二つ目の過ち。
暗がりで、少女はほっと息をついた――、そんな一連の流れを見ていた兎の紳士が少女に笑いかける。
追いかける人は、いない――追いかけてはいないけれど、ただ存在していた。
――好機を窺っている者は、追いかけているわけではなく、ずっと待つ性質というものだ。
少女が逃げ回る様を見つめ続けた。
少女は激怒をそのままに、乱暴に騒ぐ。
「ホワイトラビット! ちょっと、貴方がずるをしたから――」
「その白兎っていうの、嫌いなんですよ、君の下僕みたいで。ちょっとね、欲しい時計があるんです。息子へ是非にプレゼントしたい」
――ざしゅり。
兎の紳士は、宝石で出来た時計を奪い取るとうっとり見つめる。
「――私の息子にぴったりだ。お古なのが気に入りませんが」
「どう、して……貴方に私が殺せ、るの……? 私は……強い、……女神」
「貴方に物語性がなくなった、貴方は息子に固執するあまり、ただの女になったから。そんなの女神ではなく、端役以下。名無し以下ですね。今の貴方に価値はない。……本当に全て救われるのなら、私の願いも叶う。本物のアリスが戻ってくる……」
スクルドがやってきてアリスを名乗った所為で、隅へ追いやられて失踪した本物。
ずっとずっと望んでいた――妻が戻ってくることを。
「呪ってやる……貴方、を、呪って、付きまとって……やるわ! 貴方の大事な物、を、一番、不幸に……してやる……!」
「ああ、だから君はロワのストーカーなんだね。そうだった、たとえ偽物でもアリスは白兎を追いかけるんだったね」
――これがあの子兎との因縁なのか、と少女は納得して絶命した。
この少女が消えても、スクルドは世界的な女神。それも本物のスクルドだ。呪いによるスクルドという名だけの存在ではない。
他の時空を救おうとする千歳がいるように、何もかも嫌悪し妬み恨み呪うスクルドがすぐにこの時空へ千歳を邪魔しに現れるだろう。
ハッピーエンドになる結末さえ、全て塗り替えて。
千歳が勝つか、スクルドが勝つか――未来の塗りつぶし合いだ。
いつか千歳が勝つ為に、このループが続くように、真っ赤な親兎にできるのは、スクルドから時間や記憶を掌握する時計を殺して奪うだけ。
未来と過去と現在が、繋がった瞬間。
プラチナブロンドの乙女が、赤い兎の近くへ舞い降りる――本物のアリスだ。赤い兎は、スクルドの死体を踏み、破顔した。
乙女の姿は朧気で、まだアリスとして存在するには、スクルドの存在が強すぎる意味を持っている。
また、千歳がこの選択を選び続けて、スクルドに勝たなければアリスに戻れない。
乙女は、僅かな力を振り絞って赤い兎に小さな小さな動物である子兎を託す。
この子兎は、アリスに残された魂の欠片だ。
振り絞って出した、世界を変えるための布石だ。
赤い兎は、子兎に宝石の時計を見せると、子兎は鼻をひくひくさせた。
世界を掌握したのは、千歳でも、スクルドでもない――真っ赤に染まった兎の紳士だった。
真っ赤な月夜に、嗤う親兎。月に向かって、宝石の時計をぺかぺか磨いた。
いつの日か、息子にあげるために。
この時計を手にする意味は、未来を書き換えられる行いに繋がる。
まだこの時計に閉じ込められて残っている、不幸な時空を良い方向に変えるチャンスがあるのだと。
この不幸な残りの時空をどうするかは、子兎を含めた五人の選択肢次第だ。
頼が悲劇を繰り返す選択肢を選ばない、もしくは子兎が全て救いたいと願わなければ、今いる「未来」という世界は消えて無くなるだろう。
この世界の均衡は、「過去」「現在と少しさきの未来」「未来」で出来ている。
それぞれが全く異質の世界であるのに、繋がっているのだ。
頼が老人になる程年を取る選択をした「過去」、五人が屋敷に苦しむ「現在」、ロワが産まれてディースと出会う「未来」――それぞれが繋がっているのに、まるで違う異空間だ。
だから、だ。だからこそこの世界は、過去が消えれば、消えてしまう脆い世界。
本来ならスクルドなどいないほうがいい、だから消えてしまうほうがいい。
子兎が望むのならば……消えていいのだと思えてきた親兎。何より、この未来が無くなるという意味がもたらすものは、本物のアリスが戻ってくる意味でもあるから。
だからこそ、少しずつ不幸な時空を減らしていく子兎達の選択肢を待って、スクルドを殺して、それから先にまた子兎を送り出す役目を親兎は選んだ。
リトルはイレギュラーだと言っていたが、親兎にとっては何度目かの選択だ。
ほわほわの毛並みの小さな可愛らしい子兎に、時計の中身を見せてみる。
「見てごらん、君の大活躍が見える。君が救おうとしていた、君の宝物だ」
時計の盤面には、リカオンが笑っている姿や、頼がリカオンを小突いて呆れてる姿。若葉がそれに大笑いし、シンが冷めた目で皆を見つめている姿が映し出される。
その全てを見れば、昔、頼が得た記憶なんかよりもっと多くの「出会い」を覚えるだろう。
「でも、今は」
今は君は生まれたばかり――だから、今はこの記憶を封じなければ。
そうでなきゃ、君は大きな決断をし続ける一人前になれないだろうから。
すんすんと鼻を懐中時計にすり寄せる子兎を見つめて、真っ赤な親兎は思わず綻ぶ。
「今は、何もかも忘れて。お願いだから、ただの平凡な私の息子でいて」
そうすれば、誰よりも君を愛せる権利を貰えるから――。
子兎は、返り血で真っ赤な親兎を無垢な瞳に映し出すと、ただただその鮮烈な「赤」に親しみを覚えるのだった――。
頼と、リカオンの髪色でもある、赤を――。
幼い頃から親しんでいた赤――だから、あの兄妹に関わりたいと思ったのだろう。
遠くで、大きな古時計の鐘が叫ぶ。頼の未来である一瞬で年老いたディースが、現れたのだろう。
それが、全ての始まりよりもっと以前の出来事であり、最後に残る終わりの出来事でもあった。
これで子兎が人の形を取って、時計を手にしてディースと出会えば、何もかも最初に戻るのだろう。
戻る、とは少し違うだろうか。希望ある未来に、きっと子兎が変えていくのだろうから。
スクルド――運命なんかに、負けない自慢の息子が何もかも良い方向に変えてくれる筈だから。
ただ、今は見守ろう。
数ヶ月後、子兎は旧アリスによく似た面影の人の姿になり、ディースと出会う。
メビウスリングのような捻れた形で、過去と未来が繋がった――。
――だが、繋がり方が、いつもと違った。
ディースが、見当たらない上に、久しぶりに出会う人物に注視する兎。
プラチナブロンドの乙女が、赤い兎の近くへ舞い降りる――本物のアリスだ。赤い兎は、スクルドの死体を踏み破顔した。
乙女の姿ははっきりとしていて、以前だったら考えられないくらいの存在感だった。
赤い兎は、驚いて、子兎をそっと地面に下ろす、下ろされた子兎は何処かへ駆けていった。
「アリス――また、貴方をそう呼べる頃合いになった? あの偽物じゃなくて、貴方が本物のアリスに戻った?」
「ええ。もう、今回はこれで最後。私と貴方の子が、時間に勝ったの……気が遠くなるくらいに時空を繰り返して、どの時空も全てハッピーエンドを迎えさせて……私が戻れるようになった」
「……アリス――、もう消えないで。ずっと、ずっと……寂しかったんだ」
「ええ、もう離れないわ」
本物のアリスは親兎をそっと抱きしめて、お互いを想う。
今まで何回この瞬間を待っていただろう、今までどれだけこの時空になるまで期待に胸を膨らませていたか。
遠くで鐘が鳴る――がるおん、ごるおん。
人間姿の子兎がこの過去へきたようだ。
アリスと親兎は、顔を見合わせて笑い、急いで大きな古時計の前へ向かう。
大きな古時計の前で、子兎が――いいや千歳が別の時空へ旅立とうとしていた。
傍にはリカオンと、若葉が騒いで話していた。
最後に、頼の挫折を見守ればそれで世界は繋がる。
この屋敷を丸ごと無くすなんて出来事はできないけれど、せめて全てメビウスリングのようにねじ曲がっても繋がれば全て平和に終わる。
頼があの挫折で救われたのも確かな運命だから――あの挫折を経験しなければ、ただの木偶人形だったから。
子兎と目線が合うと、子兎は――いや、千歳はぱちりと瞬いて笑った。
「親父、ただいま」
「おかえり、我が子」
次で最終話です。後書きも書くので投稿遅くなるかもですが、ハッピーエンドです。
17,3,10、改稿しました。