星の実在
「い、今、ロワって少年がいて――」
「ロワ……ああ、あの兎か」
琥珀さんが考え込みながら、小さく呟いたから驚いて琥珀さんを見やると微笑まれた。
何も言ってませんよって顔に書いてある。聞くな、聞くんじゃねぇぞ、って脅しが書いてある。
私はこの屋敷についてから、頭が混乱してばかりである。
考えるのが辛い、何かを感じ続けるのが辛くて、休みたくなった。
若葉に休みたいと伝えるために、手をそっと握ると若葉は察してくれて、話を切り上げて部屋の鍵を貰っていた。
琥珀さんは後に客がいないと知ると、その場から立ち去った。
若葉は琥珀さんの後ろ姿が消えるのを確認してから、私に鍵を渡して階段を二人で上った。
「はい、こっちがリカオンちゃんの部屋。一緒の部屋ってわけにはいかないでしょ」
「うむ……助かったよ若葉」
私は階段を上りながらトランクを持ち直す。重みがしっかりとあるトランクは、お気に入りの私の髪色と同じ、赤茶。
部屋の前について、キーを回してドアノブを捻る。すぐに綺麗な一室だとすぐに判った。
落ち着いた黒を基調としたベッドに、白いふんわりとしたカーテンがついた天蓋。窓辺にも同じ布でできた薄い物と、黒みが交じった赤いカーテン。机は漆が綺麗で、猫足の椅子とセット。
クローゼットはドアの近くで、カビ一つ無いお風呂もついてるし、トイレも綺麗だ。
少し狭いけれど、一人部屋かと思えば妥当な広さ。
兎に角この混乱した頭を落ち着けるには、十分にくつろいで休める部屋だった。
ベッドにぼすんと倒れ込む。トランクも一緒にベッドに放り投げる。ああ、ふわふわのベッドってこんなに気持ちいいのか。いったいどうやってこんなにふわふわにするんだろう、ベッドって。自宅にあるベッドのふわふわと絶対違う気がするんだ。すべすべのシーツもシルクで気持ちいい。
しばらく部屋で横になっていると、とんとんと控えめなノック音が聞こえた。私を呼ぶ声が聞こえ私は大声で「開いてるよ」と答える。
若葉が部屋に入ってきて、机の傍らにある椅子に座る。
「気に入った?」
「逃げ場所にしてはいい部屋だよ。だけどね、どうしてもあの現象が納得いかない。それに琥珀さんは私を嫌ってるようだし……何が何だか判らない」
ベッドに寝転がったまま若葉に応対すると、若葉は少し躊躇った後に立ってベッドの上掛けを私に被せてから、座り直す。どうしてだ、と瞳で問うと、「寒いでしょ」って言われた。
だから君はどこまで気遣いがうまいんだって思う。
若葉は考え込んで唸ってから、何かを決意したように覚悟した瞳をした。
「ロワっていうんだっけ? 詳しい話を聞かせてよ」
「いいよ、全て話すよ、君には」
私はロワと話した内容全て若葉に教える、言葉をなるべく選んで間違わないように。意味が違う風に捉えられてしまうと困るからね、覚えてる物はそのまま。覚えてない物は近い言葉を代用した。
あの不思議な少年を言葉にするにはとても難しかった。
例えるならば、消える寸前の粉雪みたいな存在だった。もうすぐ消えるから説明する頃にはもういない、そんな存在。
かといって事前に説明していても、粉雪だから微々たる存在感で、寒さのほうが目立つ。
なのに粉雪という存在感は決して消えないんだ。
若葉は聞き終えると、持ち込んでいたリンゴジュースの入ったペットボトルを取り出して口を付けて、視線をそらした。
「ヨダカって、宮沢賢治だよね? ヨダカの星。醜さのあまり、迫害されて、星になるっていうやつ」
「……君もそう思うか?」
若葉は素直にこくんと頷いた、仕草が少し幼かった。
「気になったのはリカオンちゃんってお星様にすごく拘ってるじゃない? なんかそれと関わりがありそうな気がする。リカオンちゃんはさ、此処を懐かしがっていたじゃない? 拘ってるお星様に関連すると思うと納得できるんだよね」
「で、でもヨダカの星と私の繋がりが判らないよ」
「あれは実在する星らしいよ。カシオペヤ座に存在したチコの星ってのがそれっぽいんだって。宮沢賢治は天文学にも詳しかったから、そこからきてるんじゃないかって説がある。ヨダカの星が実在するなら、何か他の物も実在してもおかしくないんじゃないかな」
私が言葉を失って納得できないでいると、若葉は言葉を続ける。
「ロワって子にも物語があるのなら、実在するんだって納得するしかないんじゃない? 実在したほうが寧ろ、リカオンちゃんにはいいのかもしれない。だって……ずっとずっと探していた物が見つかったんだよ? スランプも治るかもしれない」
若葉に言われてから、私は上体を起こして若葉を見つめた。驚いたのだ、私はまさに探していたんだ。
スランプになったのだって「お星様」を見つけそうだったから。見つけそうで星に集中してしまうあまり、怪我しそうになっていたからだった。
跳べなかったもどかしい期間が今なんだ。結局スタメンは変わった、私は間に合わなかった。悔しかった、どうして私は跳べないんだって悲しかった。
でももしあの「お星様」に会えるために、全て犠牲になったのなら。
もしも理由ができるなら――私は、自分の弱さを認めたくないんだ。
何か「駄目だった理由」をずっと欲しがっていたのかもしれない、って今気づいた。
駄目だった理由があれば、人は別の可能性を信じて別の行為ができるから。
原因をいつも探してしまう、原因がなくても原因を作って逃げてしまう。
でも――それよりも「お星様」が本当に見つかるのなら、駄目だった理由なんてどうだっていい。
あの星が私は見たいんだ。あの空に手を伸ばしたくなる、美しいと思った星。
私はずっとヨダカを探していたのかと思うと納得がいく。でも、自分がヨダカだとはあまり思わないんだ。もっと自分に近しいけれど、自分じゃない者がヨダカだって言われたほうが納得いく。
たしかにヨダカって言われて喜んだよ。けれど、それはヨダカが存在していた事実に喜んだ気がする。
ヨダカの物語を思い出す――もう死ぬ想いで空へ昇っていったあの醜い鳥。
美しい燐の――……嗚呼、やっぱり私が探していたのはヨダカだったのか、とすぅっとすっきりしていった。
「じゃあロワは何の物語だろう、ロワにだって物語があるのなら」
私はロワを思い出していた。きらきらと砂金を引き連れ、周囲を煌めかせていたあの不思議な少年。何を思っているのか読めない、無表情のお人形。
レースの似合う中性的な男の子。