メリークリスマス
話し合いの日はクリスマス・イヴに決められた。
リカオンも頼も予定を調節しようとしていたが、急にはうまく回らなくて、若葉とオレだけが家にいた。リカオンなんか、母親が倒れたって話だ。
若葉が味噌漬けのチキンを焼きながら、クリームシチューを作る。
クリームシチューを作る際の、シーフードの下処理はオレも手伝った。
とても大きな海老を使ったから、普段ならわくわくしてもおかしくないのに、気落ちしたままだ。
ことことシチューを煮てる間、若葉はオレの隣でずっと話しかけ続けてくれた。
近所の話だとオレが困ると思ったのか、自分の店の話や、リカオンの大学生活の話をし続けてくれた。
いつだったかリカオンが「若葉はそんじゃそこらのお嬢さんに負けない気配りさんだよ」と言っていて、若葉はそれを否定していたが、こんな時リカオンの言葉に頷ける。
オレが心細くないように、暖かい飲み物を入れたり、一緒に折り紙を折ってくれたりした。
折り紙は若葉から提案されたものだったが、オレは存外楽しめた。
若葉が器用にバラを折っていたので、オレも憧れてバラを折ろうとしたが、若葉のように綺麗に折れないのが悔しい。
リカオンがもうすぐ帰ってくる時間だろうから、リカオンを待っていた。
頼はもう少し遅いかも、と若葉は心配そうだった。
リカオンを待っている間……少し沈黙が降りる。
「もし」
オレは弱気だった、はっきり言うと――。
何か若葉を励ませばいいのに。若葉だって近所の対応で疲れてるだろうに。
オレは、弱気を打ち消す方法が判らないままでいた。
「もし名前が変わるなら、日本名らしいものがいい」
名前が変われば、オレの存在は世間では認められるんじゃないだろうか、と思案した結果だった。
もっと、日本人らしい見目で、日本人らしい名前なら、誰も何も思わないのではないかと、阿呆なことに思ってしまう。
若葉はすぐさま見抜く。
「現実逃避? ――そうだなぁ、かっこいい名前とかいいよなぁ」
……見抜いた上で、乗ってくれた。
本当に、どこまでも気配りが届いた、優しい人だ。
「漢字の名前がいい」
「んー。そういえば最近、職場にきた奴の子供の名前が現代人っぽくなくてさぁ」
「どんな名前だ?」
「千歳だって」
「かっこいいじゃないか、そういう名前がいい」
「――じゃあそしたらその名前名乗っちゃいなよ。あ、そしたらさ、俺、アンタのことちーちゃんって呼ぶ!!」
若葉は「決ーめた!」ときゃっきゃと笑っていた。とても楽しそうにはしゃいでいる。
赤の他人なら若葉が本気で一人ではしゃいでるのだと思うのだろうけれど、家族だと名乗るオレには、気遣いなんだとすぐに判った。
オレが弱気だから……。
「……若葉は明るいな」
「んー、俺の場合、もうどうなってもいいやって思っててさ。卑怯な話だけど、頼ちゃんやリカオンちゃんに迷惑かけるなら、俺がアンタ連れて突然逃げたっていいって思ったし」
若葉は微苦笑を浮かばせながら、頬を掻いてから、はっとする。
「そういえばクリスマスプレゼント! まだ買ってなかった、あーくそ! リカオンちゃんから、アンタがサンタ知らないの聞いたのに!」
「? サンタは知ってるぞ、赤いおじさんだろ? それとも聖人のほうか?」
オレが小首傾げると、若葉は何かに焦れてる顔つきをしたが、すぐさま表情を明るいものへ変える。
「そうじゃなくて!! あーもう! ……あ、じゃあそうだ! 誕生日、誕生日を決めようよ! 俺の好きな日を、ちーちゃんに贈る! 一月一日。始まりの日だよ、世界中にとって誰もが始まりの日」
若葉が必死に笑わせようと健気に明るく振る舞って、オレはようやく少しだけ元気が出てきたんだ。
オレが欲しかった、生まれた証。
この世界に存在してもいいんだよと言われている物が存在するなら、それはきっと誕生日というものだ。
オレはこの世界に直接関わって生きてるわけじゃないから、そんなもの一生縁が無いと思っていた。
……オレの、誕生日。始まりの日が。世界中にとって、誰もがスタートラインに経つ日が、オレの誕生日……!
誕生日を、欲しがっていたものをくれた若葉に、有難うって笑いかけようとした。
だが……チャイムがなった。
無視しようと思ったが、どんどんとノックがしつこくされたので、痺れをきらしオレが玄関先に立ち扉を開ける。
リカオンが帰ってきたのだろうか、だとしたら鍵はどうしたんだ? そういえば今日は、リカオンはあまり外に行きたくなさそうだった。今日はどうしても休みを入れたいって言っていたのに、今でかけているのは、家族から緊急要請がかかったからだ。
リカオンのお母さんが、入院するから準備を手伝って欲しいと言われたとのことだ。
母親が、倒れて危篤状態だと――。
リカオンは、懸命に何かを思案していたが、皆が行ってこいと応援すると、気まずそうに実家へ向かった。
……リカオンはどうしてあれ程、遠慮していたのか、なんて考えが至らなかったオレは阿呆だ。
「メリークリスマス」
扉の開いたすぐ先に、黒いワンピースの少女。少女はこつんとオレにぶつかる。
玄関先に現れた少女に、見覚えがあるなと感じるのと同時に、胸部に違和感を感じる。
胸部の違和感が、痛みなのだと判った瞬間、少女の名前を思い出す――スクルド。
スクルドが目の前にいる――。
「ハァイ、名前を呼んでくれて有難う――馬鹿ね、貴方達。言ったでしょう、名前を呼べば……」
オレは――包丁に刺されていた。
「名前を呼べば、大事なものを失うって。貴方は勝利を亡くしたのよ」