灰色の王様
灰色の空間。灰色の世界の中に私一人がカラフルに動いている。若葉を叩いても反応しないし、絵画に触っても動かない。若葉に触れたとき体温が感じられなかった。いや、温度なんて物が、概念があるのか? そんなものまるでない感覚。触れていても、触れていると認識ができない。生きているという証がない。なぜ? どうして突然こんな現象が起きている?
「理解できないって顔をしているな」
背後から声が聞こえた。振り返ると、きらきらと砂金を引き連れて、白銀髪の少年がシャンデリアから突然現れてゆったりと降ってきた。
ふわりふわりとまるで、タンポポの産毛のように軽やかにゆっくり。すたんと、地面に足をつかせる。少年の不思議な服装が揺れる――長いベストのようなもの。魔法使いのロープみたいに長いベストの裾がふわっと映画のシーンのように、綺麗に一瞬内側へ膨らんでから落ち着く形で広がった。
ドレスとかだと裾を広げるために歩く度、踵で蹴り上げると聞いたことがあるが、それを模倣しているような綺麗な広がり方。
少年は赤い目をゆっくりと開いて、私を見上げる。少年はまだ年端もいかない子供のようだった。それでいて、声には二十歳以上の落ち着きがあるようで、不思議な子。時折、喉が痛むのか、喉を押さえていた。
アルビノという言葉を思い出す、そんな色素だった。白髪かなと、思って見つめるが、よく見れば銀髪だ。少年はまっすぐと此方を見つめるから、赤い眼でも視力が悪い印象はない。
赤い瞳の下の左頬に黒い罰印が刻んであった。四つも刻まれていて、刻む時痛くなかったのかなと心配になった。少年は穏やかすぎる落ち着いた瞳で私を見つめる。正直言うと私自身全てを見透かされた気分で、心地よさはない。丸裸になっているような気持ち。
「今、時が止まっているんだ。周囲が灰色になる時、自由なのは俺とお前だ」
「時が止まる? どういう意味だ?」
「お前は今、物語に足を踏み入れている。本のページでいうと、一ページ目だ。俺はお前達の時を止めている、お前だけは動けるようにしている。まだお前は大きな決断をしていないからな。大きな決断……グラン・クヴェール」
「――意味が分からない。君は何者だ? グラン・クヴェール?」
――それこそ物語の序盤のように、少年は不思議な存在感をアピールしてくる。
今までは日常の範囲、少年と出会ってからがわくわくしてページを捲る展開になったのだと。
少年は綺麗な輝きなのに、決して無垢な子供のようにキラキラとしない瞳で私を見上げ続ける。この少年は、子供と呼ぶには大人びて達観しすぎている。
少年は此方の様子を気にした様子も無い、動じないで問いかけに応じる。
「グラン・クヴェールを知らないか? あれは、カトラリーを使って美しい動作で食べる行為だ、どんなものでも食べられる行為とこの屋敷では、本来の意味とは違って認識されている。オレやお前ならできる行いだ。体内に何でも吸収できるんだ。オレはそれにより、こうやってお前に話しかける。時計をな、食べたんだ。時計を食べれば、時間が自由だ。時間を吸収した。ただオレでも胃は破れたから、お前では喉が裂けるかもしれぬがな……物を小さく折りたたんで、ポケットにいれることもできるんだ」
私が問いかけると少年はめんどくさそうに欠伸をしてから説明をつらつらとあげて、顎に手をそえて、考え込んでいる。少しの無言の間。眠そうな瞳が、かっと見開く。
何か閃いたのか頷いてから、鼻をひくひくさせた。
「今のお前はそういえば面識がないのだったな!」
自己完結で自信ある発言に見えた。
そんな返答、まるで今じゃない私は面識があるみたいな――不思議な響き。
少年は再び考え込んでから、人差し指をたてて、その先を見つめる。
「理解しなくても俺には支障はない。どうせ辿る道は同じだ。俺の計画には差し支えない。ただ、こうやって時が止まれば、お前は少し休憩できると思えばいい。どんなに荒んだシーンでもな。お前はいつか絶対泣き叫ぶ、そんな時に休憩する場所を用意した方がいいと聞いて思った」
「聞いて――? す、すまない、何を言ってるか判らないんだが」
「だから理解しなくても俺には何も差し支えないと言ってるだろう。お前は説明しなくてもしてもいつか泣く、諦めるし、怒るし、笑う。その全てに、休憩できる場所を作った、それだけだ」
少年はのどかな景色でも見るような優しい眼差しで、赤ん坊に言い聞かせるような声色で私へ人差し指を向けた。
指をさされた私は首を傾げるしかできなくて、困惑した。
困惑していても少年は無機質な、何も映していない動物のような瞳だった。
「……意味が、よく……」
私が困惑していると、少年は思いだそうとするような仕草で自分の頬に手をあてて、唸った。まるでエジプトで、スフィンクスが出した謎を間違えた、最大の失敗という嫌そうな表情を浮かべた。
「そうか、タイミングを間違えたか。まだ休憩すべき時ではなかったのだな。休憩すべき時にまた会おう、さすればこの時の停止の使い方を学ぶだろう。そしてお前は、……これは言うべきではないな。まだその時間が満ちてない。それではな、ヨダカ」
「は?! ヨダカ!?」
私は突然、当てはまった名前に驚いた。
突然すぎるのに、それでいてしっくりとくるのだ。昔から待っていた名前のような。
体中が、ヨダカという呼び方に歓喜して身震いがする。
少年はそんな驚きどうでもいいような、気怠げな態度で、手を縦に除けるように振った。
「ああ、そうだ――お前はヨダカだ。お前に関わる奴は皆物語を持っている。何も物語を持っていないのは、お前の連れだけだ。俺はロワ――お前の神だ、俺もまた物語を持つ者、いずれ判るだろう。判らなかったら、俺とお前の因果が終わるときだ」
ロワはフランス語で、王の意味を持つ。王様だと言われるとその振る舞いに納得いく、神様というよりも王様のほうが当てはまる。
王様のように厳かな態度で、ロワは胸元から宝石で出来た懐中時計を取り出し時計を眺めると、すぐに懐中時計をしまう。
ロワは私を見つめ、手をひらひらとさよならをする仕草で無表情にふる。このまま去らせてはいけない、何か情報を掴まないと。こいつは自分から手の内を明かすつもりはないんだって瞬時に、何故か閃いて止めようとした。
「待て、待つんだロワ――!」
「こ、リカオン!? どうした……って、わ、何時の間にそっちにいたの!?」
灰色の世界は終わり、カラフルな世界が戻っていた――。