ロワに出来た家族
幾つか部屋を二人であれこれ考えてクリアし続け、やがてあと一つとなった。
これだけクリアしていればオレは自信がみなぎる。
玄関さえクリアすれば後は問題なく、リカオン達のいる部屋へ戻って、全部もうクリアできたんだって伝えられる。
安心させられる――。
「ねぇ、ちょっと休憩しようよ」
「賛成だ、オレは喉がえらく渇いて……ひりひりするくらいだ。何か食べたい。果物ならば肉でもないし、水分も含まれているから大丈夫だろう、お前も食べろ。腹減ってるだろう?」
「……この屋敷で物を食べるっていうのが、何だか気持ちの衛生的に……」
「無理には勧めない、ただオレは食べるぞ」
そうしないと時間を経過したり、巻き戻したりした分の体への負荷が耐えられない。
体は明らかに、食べ物と水分を欲していた。
オレは既にクリア済みの厨房に入りリンゴと水の入ったペットボトルだけ取ってきた。
腹が減ってる奴の目の前で食べるのは酷だと思うので、扉越しにディヴィットと会話する。
「ねぇ――俺、ここから出て、普通に暮らしていけると思う?」
「何故不安に思う?」
「――……あの人、どう見ても死んでるよね。俺が、殺した、んだよねぇ……それに帰っても、オレには……兄ちゃんがいる。兄ちゃんが原因で怪我する家族を見捨てて、オレは外へ一人暮らしできるかなぁ。怖いよ、誰もいない家って。それが酷い家族でも」
齧り付いた果実の甘みが、嫌に強く感じる。喉に張り付く膜みたいな、甘みが広がる感覚が急に訪れた。ペットボトルの蓋をとって、水をごくごくと飲んだ。
喉の渇きが癒えない――余計に、水分が欲しくなる。
どうすればディヴィットを励ませるのか悩んだ。
……もっと。もっと何か優しさを伝える方法はないのだろうか。
優しさは伝染する筈だって考えたのなら、その伝染する方法を模索すべきだ。
大丈夫だ、仲間なんだって教えられる行為――言葉は駄目だし、嘘くさい。
手を繋ぐだけなんて安直で、判りやすい慰めで、心にぐっとこない。
オレはリンゴを見つめ、ふとディースを思い出す。
そうだ――もしかしたら、これなら、ディヴィットだって喜んでくれるかもしれない。
俺は扉を開けて、食べかけのリンゴを差し出す。
「へ?」
「ディヴィット、食事だ。食事をしよう。ディースが言っていた『暖かい食べ物を皆で一緒に食べていれば、寂しさは消える。一緒に暖かい食べ物を食べる、それだけで共有できるんだ』って。暖かくはないけれど……でも、一緒に食べればお前の怖さは消える筈だ。だってお前は――物を食べるというのが幸せなんだと、知っているだろう?」
「ロワちゃん……物を一緒に食べたからって、君に人殺しっていう十字架の重みまで判ると思ってンの?」
「判らない。だから言ってくれ。オレは一緒に食事するという行為の意味を知っている。敵の前じゃできない。敵の与えた物は食べられない。心許してる証拠なんだ、一緒に食事をするというのは。ディヴィット、お前が欲しがっていた家族の証なんだ」
オレはディヴィットを安心させようと思って、できるだけ表情を柔らかくしようとしながらディヴィットにリンゴを手渡した。
リンゴを持つディヴィットの両手を包んで、ディヴィットの顔を見上げて笑顔を見せようと頑張った。
「お前が望むなら、オレは兄でも弟でも父でも祖父でも構わぬ。オレも家族が欲しいと思ったんだ。ディヴィット、お前は何を望む? 人殺しだと肯定し蔑む他人と、心許せる行為をする家族、どちらを望むのか自分で判らぬ馬鹿ではあるまい」
ディヴィットはオレをじっと訝しむように睨み付けてから、手の中にあるリンゴをじっと見つめる――目がどこか虚ろで、何かを思い出している様子だった。
「今まで食事にそんな意味求めた覚えなかった……だって、生きる上に必要なだけで……。美味しいモン食べて、一瞬幸せになるだけだって思ってた。家族……何でだろうね、今までシェフ目指してたのに……そんな考え、一度だってしたことなかった。夢って何のためにあるんだろうね、自分の幸福しか考えられない夢なんか存在しないほうが幸せなのに……!」
ディヴィットはしゃがみ込んで、嗚咽を噛み殺しながら、呟いた。
お前は……とても、素敵な考えをするんだな、ディヴィット。
普通なら夢なんて自分自身の願いを叶えるために存在するだけだって考えると思うんだ。
お前みたいに、自分の幸福以外を考えての夢だ、なんて発想できないと思うんだ。
そんな発想できただけでも、お前は他者の誰よりも心根が優しくて真面目で真っ直ぐなんだってすぐに判る。
そんなお前だからこそ、もっと優しいのだと自覚を持って欲しいな、と思って見つめた。
ディヴィットはオレが見つめていると、泣きながら頭を抱える。
「俺、すげぇ汚い人間だって実感するよ、この実感が俺は怖かったんだ。知りたくなかった、それで幸せだった自分が愚かに思えるから……ただ、遊んで楽に生きるだけが幸せだってちっぽけな価値観に気づきたくなかった」
小さな声で泣き出すディヴィットを、俺はしゃがみ込んでそっと抱きしめる。
他の人と幸せが違った、他の人のほうが第三者から見て、立派といわれそうな幸福だった。
……自分の幸せが、何だったのか、忘れてもおかしくないよな。
だから、怯えなくていいから。体を小刻みに震えさせなくても、怯えは伝わるし、惨めだった気持ちも充分伝わるから。
「それで幸せだった今までを否定しなくていい。ディヴィットはそのままでディヴィットなんだ。お前がいきなり変わる必要はない。人殺しの罪の重さだって急には変わらない。だがオレにも共有させてくれ、お前だけ背負う必要はない」
ここでお前が自分を否定したら、狂ってしまうだろう?
狂わないとしても、偽りの自分しか受け入れてくれない人を寄せ集めて仲良くしたって、空虚になるだろ、心が満たされなくて。
素のお前を恥じるなんてしなくていい、人間に汚いも綺麗もあるものか。
汚いから雑に扱って良いのか? 綺麗だから偉いとかあるのか?
どう答えるか、どう答えたら優しい人間に見えて、好かれやすいかっていうのは自分で導き出せるよ。言葉にするだけなら誰だってできるよ。
簡単だよ、人間らしい汚さを全部殺せばいい。
お金が欲しいだの、どうしても手に入れたい物があるだの、妬ましさだの、全部殺して「貴方の幸せを望みます」って言えば、一見世界平和でも願っていそうな崇高さだろ?
でもそんなのは空っぽだ。頼みたいになってしまう。
本当に強い人は、リカオンみたいに、ずっと願い続けられる人。どんな望みでも、ずっとずっと一心不乱に願い続けられれば、強くて勇ましいと思う。
それと同じでお前は数ある言葉の中から、自分の本心を見せ続けてくれた。ずっと、強者になりたいって、願っていたんだ。
お前は自分の劣等感を見せ続けてくれた。
そんなお前が汚い? 綺麗? そんな単語で言い表すべきではないよ。
お前は誰よりも素直で、純真なんだ、ディヴィット。
ディヴィットは咽せながら泣き喚き、しばらくしゃくり上げていた。
オレが背中をぽんぽんと叩くと、ぎゅっと赤子のように衣服を掴まれて。
「俺、ずっと怖かったんだ。リカオンちゃんは一緒にきた同じ人間の筈なのに、あの子の言ってる言葉は全部正しいんだ。頼ちゃんも絶対に間違えないんだ。あの二人が普通なの? あの二人は、誰しも思う理想の答をいつも無理なくはじき出せて、俺は怖かったんだ! 俺がどんどん濁っていく気がして! 何か役に立たないとって! だから……だから……撃った時は、とても清々した。清々するのが間違えてるって知ってる。あの二人の目が言っている、『善良な人間としてあり得ない答を選んだな』って……」
「なぁディヴィット、お前自分自身の人格否定をしなくていい。お前はな、人間であるというのを思い出せ。あの二人には特別たる理由があるんだ、お前にはどうやってもああなれない理由が。お前だけではない、きっと他の人間も。でもそれは、あの二人がお前になりたいと言っても、お前になれなくて羨む可能性だってあるんだ。……猫が犬になれといわれて、犬になれると思うか? 猫である自分を嫌がらなくていいんだ」
「猫?」
「世の中には色んな生き物がいるんだろう? 生き物は一種類じゃないだろう? 人間だって、全部が全部雌や雄だけで括れる筈が無い」
オレがそっと体を離すとディヴィットは面持ちを上げて、幼い笑みを浮かべた。
心から嬉しそうな、何かから解き放たれたような、清々しささえ感じる笑み。
「俺さ、ロワちゃんを味方に選んでよかった。そうか、生き物の種類か……ねぇ、ロワちゃん、君も家族欲しいって言ってたね」
ディヴィットはリンゴを思い切り囓って、咀嚼するとごくんと音が聞こえる飲み方をした。
「食事した、同じ物を。一緒に分かち合ったんだ。これでロワちゃん家族だね」
ディヴィットは、美味しい美味しいって泣きながら笑って、持たせたリンゴを芯が残るまで食べた。
食べる光景を心温まりながら見ていて、ディースはオレに対して、こうやって仲間になりたいと思うような心境だったのかと理解できた。
ディースを理解できたのが、少しだけ嬉しかった。