5話 粉雪
ずっと秘めていた想いを吐き出すと、胸がすっと軽くなった。
その日の帰りは、慣れない下駄を履き続けたせいで足を傷めてしまった彼女を、負ぶって駅まで向かった。花火も終わり帰宅ラッシュが過ぎた時間、わざと人の少ない道を選んだのに、その様子は彼女の友人に見つかっていたらしい。
「すっごくからかわれて。大変だったんだよー」
翌日、いつものように正門で待っていた彼女は、口を尖らせつつも嬉しそうに言った。
初めて分かったことが、たくさんあった。特に強く感じたのは、彼女の身体はとても小さいこと。小さくて、柔らかくて、儚くて。重荷をかけさせたくないと、ぼくは思った。駅で下ろした時、こっちを見上げて笑いかける顔は愛くるしかった。ぼくはやっと、自分が抑えていた感情を、認められた。
ぼくと彼女が一緒にいた光景は、ぼくが通う高校の生徒にも見られていた。けれどぼくの場合、おなじからかうという言葉でも、そこには悪意が込められていた。学校には、ぼくを犯罪者だの誘拐犯だのと呼ぶ人もいて、彼らのからかいの言葉は汚く、手を上げられることもあった。犯罪者のくせに調子に乗るなと罵られ、殴られたけど、いつものことなのでぼくは聞こえないふりをしていた。
「あの女も、実は同類なんじゃねえの」
しかしその嘲笑ははっきりと聞こえた。ぼくはキレたことはないと自覚しているけど、最もそれに近いか、イコールの状態にあったかもしれない。被害者である彼女への悪口は堪えられず、いつの間にか殴り返していた。ぼくは学校の腫れ物なので、教師は近づいてもこなかった。
「そのほっぺ、どうしたの」
帰り道、彼女はぼくの頬の痣を見て、心配そうに尋ねた。正直に喧嘩をしたとだけ言うと、不良だね、と苦笑いをした。この話題を広げるのは良くないと感じていたので、それ以上は互いに何も言わなかった。
認めてしまえば、とても楽になった。彼女の好意は、やはり吊り橋効果がきっかけだと思う。けれど、一緒にいる時間がずっと楽しくなったのは事実だった。ぼくは、よく笑う、可愛らしい彼女が好きだ。その気持ちに素直になると、驚くほど自然に笑顔を見せられるようになった。
そして時は着実に過ぎ、次第に陽は短くなり、やがてブレザーを着る生徒が大多数を占めるようになった。
「今年は、雪、たくさん降るかな」
放課後に図書館で勉強をして、すっかり陽の落ちた道を歩いていると、毛糸のマフラーに埋もれた顔で彼女はぼくに問いかけた。
「どうだろ。今年は暖冬らしいから」
「でも、十二月っていったら、やっぱり雪が見たいよね」
ほわっと白い息を吐きながら、彼女は高い夜空を見上げる。儚い星が散る群青色の夜空を、ぼくも見上げた。
あとどれだけ、一緒にいられるだろう。
ぼくは大学に進学するつもりはないと、すでに彼女には伝えてある。出来るだけここを離れ、誰もぼくを知らない所へ行きたい。そう何年も思ってきたし、その気持ちは今も変わらない。自分の力だけで、一人で生きる力が欲しい。そのためにはのうのうと大学に通っている時間などないし、その気にもなれない。
彼女は、進学すると言った。優しい彼女は済まなさそうな表情など見せず、隅まで書き込みのある自習用のノートを広げて笑ってくれた。
駅に着く直前、冷たいものが頬に触れた。
「雪だ!」
嬉しそうな彼女の声。粉雪がはらはらと空から降ってくる。
「積もるといいなあ」
はしゃぐ声。嬉しそうなそれを聞くことで、ぼくはようやく笑顔を思い出すことが出来るようになっていた。口角が下がる言葉を聞き続けていたせいで、ぼくは笑うという行為を忘れていたことすら、忘れていた。それを彼女は、言葉を使わずに思い出させてくれた。
「そうだね」
笑って返したぼくの手を握り締め、彼女はにっこり笑って頷いた。