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第三話

第三話 



「ただいまーー!」

 

 カナタの身代わりhIE『フィー』のはつらつとした声が玄関に響いた。


 酷く懐かしい挨拶だとスグルは思った。『おかえり』と返事をするヒトは、この五十坪はある自宅にはもう誰もいないから、スグルには『ただいま』を言う習慣はない。


 スグルは、結局フィーを自宅まで連れてきてしまった。酷く混乱していた。ただ、あの場に、あの外国人街にこのhIEを放っておくわけにはいかないと、そう感じたのだった。


「……」


 スグルは玄関に上がろうと靴に手をかけると、後ろから制服のシャツの袖を引っ張られた。


 ふり向くと、ふくれっ面になったフィーが、スグルに何かを訴えようとしていた。


「むーー……お姉ちゃんが久しぶりに愛しの我が家に帰ってきたんだから、おかえりは?」


 まるで、長い、長い旅行から姉が帰ってきたーーただそれだけの事ように、フィーは言った。


 この家の敷居をまたぐのは、初めてのはずなのに。


 スグルは動揺しっぱなしで、フィーにどう反応すればいいのかわからない。


「……」


 冷たくあしらおうとはしているものの、hIEの一挙一動にスグルは簡単に心が動かされてしまっている。


 本当に姉が帰ってきたような、そんな気にどうしてもなってしまっていた。


「お か え り は?」


 フィーがスグルとの距離を更に縮める。


 生体hIEはほとんどヒトと同じ構造、素材で作られている。あまり嗅いだ事のない甘い匂いがするのは、そのせいなのか、スグルはよくわからない。


 叔父はこのhIEをリッチな仕様といっていたが、確かにかなり精巧に作られていると感じた。


 思わずたじろいで、低い声で「お帰りなさい」と言った。昔は姉よりもスグルの方が声が高かったのに、ここ何ヶ月かで声変わりしたのだ。


「ーーよしよし」


 フィーはそう言うと、スグルの頭をくしゃくしゃと撫でた。スグルは子犬のようにされるがままになってしまって、このまま骨抜きにされたらどうしようと思った。一度は諦めたヒトとの触れ合いを、思い出させてくれるかもしれない。一瞬だけそんな事が頭に浮かんできたが、目の前にいるのが未だ謎の多いhIEであることに思い至り、気を持ち直した。


「えへへ」


 そんな葛藤も束の間、正面からニコニコと微笑みかけられる。


 笑顔に、また心が奪われそうになってしまって、スグルは思わず目をそらす。


 ーー酷く調子が狂う。


 スグルは、この機械と出会ったときに、一度ヒトとして認識してしまった。


 フィーの事をhIEだと割り切れないのはそのせいなのだろうか。


 叔父の企みがスグルはわからない。なんで今更、そう今更なのだ。姉が死んでからもう、二年も経過しているというのにーー


 そんなことを考えていると、フィーが不快そうな表情で鼻をつまんだ。


「うえ……なんかすっぱい匂いがする」


 フィーの鼻腔はヒトと全く同じ構造が用いられている。受けた刺激が情報としてクラウドに送信され、それに応じて適切な振る舞いをしているだけだ。


「ここから臭う……」


 いつのまにかフィーが臭いの原因を探るべく、リビングのドアを開けていた。


「って、なにこれーー!!」


 扉の向こうには、地獄絵図が広がっていた。


 何ヶ月もためている簡易食のゴミは腐臭を放ち、脱ぎ捨てられて放置された衣服が十二畳ほどのリビングに散乱している。


 いつから床掃除をしていないのだろう、埃の貯まったフローリングはまるで地層のように積もっている。


「こんな家で生活してたら、病気になっちゃうよ! 今まで掃除用のhIEはいなかったの!?」


「え……いなかったけど……」


 そんな発想さえ思い浮かばなかったし、今まで家が汚いことも、スグルはさして気にしていなかった。


「誰も来ることもなかったし……」


 この二年間、スグルはここでひとりで暮らしてきた。時々、叔父が様子を見に来たが、家事をする訳がない。


むしろ、叔父はここへやってくるときは決まって捜し物をしているようで、かえって家が散らかることの方が多かった。


 誰も招き入れることがなければ、家が汚れていることを指摘するモノはいない。


「スグル……なんて駄目な子……うう……」


 hIEは哀れむような視線をスグルに向けると、やたらと演技がかった様子で顔を伏せた。


 そして、ギンガムチェックのエプロンを鞄から取り出して、首にかけた。


「まったく、お姉ちゃんがいないと何もできないんだから」


 どこかで見たことあるデザインだった。元々姉のものだったのか、それともこういった小道具まで同じようなものを持たせているのかーー過去にもこういった光景を見たことは間違いない。


「えーっと」


 フィーが何かを考えているような素振りをする。


 ピロリ、とスグルの携帯端末にメールが届く。こだわりのないスグルの端末の通知音は、初期設定のシンプルなものだ。

 

 メールを開くと差出人は『お姉ちゃん』となっていて、電子メモが添付されていた。


 電子メモには、野菜や肉など、そして必要最低限の調味料が書かれていた。


 フィーはクラウドのレシピ通りの材料をスグルに送信していたのだった。


「いつの間に……」

 

 それになんで差出人が『お姉ちゃん』で登録されているのだろう。スグルは混乱した。


「お姉ちゃん、掃除してるから、スグル……お使いよろしく、ね?」


 フィーはなんの悪びれもなく言った。首を傾けながら話す姿はやはり姉のもので、スグルは自身の気分を落ち着かせるためにも街に出た。


     *


 スグルはいつも簡易食を買いに来るマーケットに自転車でやってきた。


 電子メモをマーケットのオートメーションロボに渡すと、ものの数分で食材は手元にやってきた。


 その分手数料はかかるが、結構な量の食材の種類だったからスグルは面倒だったのだ。


 自動レジで会計を済ませて、せっかく自転車で来たのにすぐに帰りたくなくて、ゆっくりと帰路を歩いた。


 スグルは、やはり姉に関しての記憶がかなり曖昧だったことを再確認した。


 振る舞いや仕草は、フィーを見ている間になんとなく思い出せてきた。


 ただーー


「姉さんと一緒にいたころ記憶、思い出が一つくらい覚えていてもいいはずなのに、なんで何も思い出せないんだろ」


 考えれば考えるほど、スグルは姉のことがよくわからなくなっていて、気づいたら家の前まで来ていた。


 我が家に戻ると、変態を遂げたかのようにスグル邸本来の美しさを取り戻していた。


「じゃーん!」


 スグルが食材を買いに家をでてから、時間にして一時間程度しか経っていない。


「…………」


 スグルは言葉もでなかった。


 瓦礫の山と化していたシンクは、ゴミがなくなり本来の光沢感を取り戻していた。フローリングは埃ひとつない程ピカピカに磨かれていたし、散乱していた衣服はどこかになくなっていた。洗濯をしてくれているのかもしれない。


 一時間前と同じリビングとは思えかった。


「まだまだ綺麗にしたい場所はあるんだけど……」


 リビングに併設された台所へとフィーは向かう。長いポニーテールが揺れる。


「おなか空いたでしょ? 御飯作るね。えーっと、じゃがいもと、にんじんと……」


 パタパタとせわしなく動くフィー、その後ろ姿を見ていると、スグルはこの機械に意思がないとは、どうしても思えなかった。いや思いたくなかった。


 彼女に意志があって欲しい。心があってほしい。心からの笑顔を向けてほしいーー


 スグルにとって、心なんてものは今まであまり関心のないものだった。それなのに、気づけば魂のない人形に、いつかの、忘れてしまった思い出を想起させてくれるようなものを求めていた。


 だから、スグルは少し、実験をしてみようと思った。hIEに心がないと知りながらも、そうせざるおえなかった。


 もう第二次性徴期も過ぎたのに、赤子が母親に愛情を求めてかのような、幼稚なやり方だった。


「ねえ、"お姉ちゃん"」


「なぁに。スグル」


 台所で作業しているフィーに向かって、わざとらしく言った。


「掃除をしてくれないかな」


振り返ってスグルを見るフィー。


「いいよ、どこを掃除すればいい?」


 スグルは試してみたくなった。このhIEがどこまでオーナーの要望に、姉の振る舞いを維持したまま答えられるか。


 困ってしまう姿が見たい。それと同時に、やっぱりこれは機械なんだと、実感させてほしい。


 要は、スグルは安心したかった。宙ぶらりんな気持ちで、このhIEとやりとりするのはもう嫌だった。


「でも御飯は先じゃなくて大丈夫かな? おなか空かない?」


 現状の作業を中断して掃除を開始してよろしいでしょうかーーきっと、そんな言葉を、姉らしく言い変えただけの反応。


 結局の所、これはhIEーー機械でしかない。当たり前だが、これは姉ではない


 だから段々要求をエスカレートしていく。

 

「ねえ、お姉ちゃん。抱きしめて」


「うん。いいよ」


 じゃがいもが、清潔なフローリングへと無造作に落ちた。なによりもスグルの要望に対して、優先順位がつけられているようだと感じた。


 フィーがスグルに近づいて優しく抱きしめる。


 こんなに柔らかいに、暖かいのにーーそれなのに偽者なんだ。


 柔らかい肌を通してフィーの体温がスグルに伝わってくると、スグルはなんだか異様にいらついてきた。


 この暖かさが、嘘だと言うことを信じたくなかった。


 だから、言った。


「ねえ、お姉ちゃん」


「ーーーーーー」 


ーーえっ?


 今、自分はなんて言ったのかーーそれがスグルにはわからない。


 考える前に、口から出た言葉だった。脳のどこかの回路が遮断されたようだった。


 ただ、異様な事を口にしたーーそれだけは理解できた。


 フィーは、それにさえ快くうなずく。口許は、はにかんでいる。


「うん。いいよ。だっとアタシはその為にーー」


 今度は、フィーの声が遮られた。


 何故か、どんどん自分の顔から、血の気が引いていくのがわかる。


 自分の感覚では聞き取れなかったはずなのに、身体は、脳は何を少女の伝えたのか、認識していた。


 スグルはhIEから離れた。何を言われたのか、さっぱりわからなくて、スグルは瞳を見開いた。

 

 まだ、笑っている人形が、酷く歪で、恐ろしいモノに見えていた。


「なんでそんな顔をするの」


 ナンデソンナカオヲスルノーー


 フィーから離れたはずなのに、耳元で声が聞こえているような錯覚に陥る。


「ドコカラーーーー」


「なんで……そんなこと言うんだ……い……意味がわからないよ……お姉ちゃん……」


 錯乱したスグルは昔のように心から『お姉ちゃん』と言ってしまう。スグルが求めたもの、それに同意したヒトを象ったモノ、それがなんにせよ、どちらに対しても恐怖しかない。


 支離滅裂で、奇っ怪なやりとり。スグルは顔を強ばらせた。


「怖いよーーお姉ちゃん」


 作り物の姉の笑顔が、霞んでいく視界の中で歪んで、そこに複数存在しているような気になる。


 現実を受け入れたくなくて、ポケットに手を埋めて鋭利なモノを取り出したいを感じる。そのナイフは、スグルの安定剤のような役割をするーーはずだった。


「そんなに怖い顔をしないでーースグル」


 スグルの顔からは血の気が引いていて、今にも倒れそうだ。握力がなくなって、右手に持っていたはずのナイフはいつのまにか床に落ちていた。


「なんでもしていいんだよ」


 ナニヲシタッテイイノーー


 姉は色のない瞳をスグルに向けながら、そう言った。


 その瞳を見ていたら、いつの間にか両手で少女の喉元を締め付けた。


「……」


 それは、いつも夢で見ている光景に、とてもよく似ていた。


 少しずつ、首を絞める力を強くしていく。


「うぐっ……あっ……」


 まるでヒトのようにうめく、姉の偽者。それをスグルは無表情で眺めている。


 なんだこれーー


 我に返る。自分がしでかしていたことの恐ろしさに気づく。

 

 ーー両手の力を弱めた。フィーの首筋が赤くなっている。生体hIEはヒトと同じように呼吸をしている。首を絞めたままにしておけば、窒息して故障するだろう。


「けほっ……もう大丈夫なの?」


 それでも、フィーはhIEだ。感情はないし痛みは感じないてはずなのになんでこんなに苦しそうなのだろうか。


 きっとこの苦しそうな表情まで、行動クラウドが適切だと判断した振る舞いだというのだろうかーーそれってなんだかおかしくないかーー? スグルはそう感じた。


それでもスグルは「ごめんなさい……」と反射的に謝ってしまう。

 

 ごめんなさいごめんなさいゴメンナサイーー


 こんなのは間違っている。


「ん……謝らないで、スグルが平気なら、アタシは大丈夫だから」


 この機械は、きっとスグルを肯定しかしない。


 酷く歪な関係。

 

「御飯の続き作る、ね」


 まるで何事もなかったように、フィーは、姉に似た作り物は、キッチンへと戻っていこうとする。


 あのまま首を締め付けていれば、フィーは機能を停止したかもしれないというのに。


 フィーの後ろ姿からは、何の感情も伝わってこない。当たり前だ。あれは正真正銘、機械なのだから。


 夕食が運ばれてくるまで、スグルはその少女のカタチをした背中を、石のように視線さえ動かさずに呆然と眺めていた。


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