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第一話

 

 

 

 スグルは、よく夢を見る。


 灰色がかった景色の中、華奢で滑らかな肌をした、誰ともしらない少女の身体に覆い被さり、首を締め付けるーーそんな夢。


 少女は苦しそうにうめくが、抵抗もせず、無理に笑みさえ浮かべているようにすらみえる。衣服が地面にこすれる音や、少女の身体の匂いーーそれらは克明であるほど、スグルは自身の機械的な動作に違和感を感じる。

 

 汗ひとつかかず、ジャケットの中から鋭利なモノを取り出す。そして皮膚にその金属を埋めていく。皮膚から血液があふれ出して、それは少女の涙と混ざり合う、スグルはそれをビー玉みたいで綺麗だと思う。


 この行為は絶対的なものであるはずだーー夢の中のスグルはそう感じていて、それはあまりにも自信の意思とは乖離していた。


 ーーーー


 少女の口許が小さく動いて何かを囁く。聞き取れない程小さく。

 

 これは呪いだーーどこまでも優しい呪いーーわけもわからないまま、スグルはそんなことを思った。


 そして世界は暗転する。



      *


 もうずっと、ナニカに心を動かされた事がない、機械のような毎日だった。


「すいません。頭痛で体調が優れないので早退しますーー」


 スグルは教師に伝えると席から立ち上がる。


 教師とクラスメイトたちは訝しげな視線を彼に送った。みな、「またか」とでも言いたげな表情をしている


 サボりだと思われているのかもしれない、とスグルは感じ、苦笑いを周囲に返す。


 その場を凌ぐためだけに作られたような、今まで何度も、無機質に反復してきた表情。


 これは笑顔とはいえない。彼らの悪意に似た何かから、自分を守るための仮面でしかない。


 実際スグルは瞳は、誰の目も見ていなかった。


 なんでこんな表情をする度に、心がすり減るような気分になるのだろう。


 そんな事を考えながら教室のドアを開けると、また頭が割れるような鈍痛がする。


 慢性的な偏頭痛に悩まされているスグルだが、クラスメイトとの会話が乏しく、表情が読み取れないせいで、その痛みを誰かに理解されることはない。


 そんな日々は、いつからか当たり前になっていた。


 スグルが何を考え、生きているかーー


 それを理解できるヒトはもうここにはいない。そして、そういった理解者が表れるのもスグルは望んでいなかった。


          *


 廊下を歩きながらスグルは、自問自答する。


 ーー僕は壊れているんだろうかーー

 

 血管が収縮したのか、スグルの頭部は更に痛み出す。頭をかかえよろめきながら、リノリウムの廊下を歩いて出口へと向かう。


「体調不良ですか? 何かお手伝いが必要でしょうか」


 廊下を歩きながらそんなことを考えていると、学内掃除用の女性型hIEに声をかけられた。


 本当にスグルの事を心配しているような素振り。


 hIEーーhumanoid Interface Elementsと呼ばれる人型のロボットは、2105年において、なくてはならない存在となった。


 もはや社会の歯車の一部を、ヒトの代わりに動かしているといっても過言ではないこの機械群ーーこの道具の登場によって、社会はより便利になった。


 この機械たちは、ヒトが行う作業のほとんどを行う事が出来る。家事全般から企業での仕事まで、機能の拡張さえすれば何でも出来てしまう、万能のサポートツールだった。

 

「保健室までお連れしましょうか?」


 女性型hIEが心配そうにこちらの反応を伺いながら、手を伸ばしてくる。


 だが、この機械に意思はない。学内の掃除をするだけなら、掃除用の便利な機器が取りそろえてあるだろうから、こういったどこか体調の悪そうな学生を見つけて助けるのも、このhIEの仕事のうちなのだろう。


 hIEがいくら感情らしきモノを露わにしても、それはネットワーク上に蓄積された行動プログラムによるものだ。まるで人間のようにふるまい、活動している"モノ"でしかない。

 スグルはhIEに差し伸べられた手を無視し、軽く会釈だけしてその場を通り過ぎる。 


「あ、待って」


 hIEは困惑した表情を浮かべて、こちらに向かってきたが、スグルに自分が不要だと行動クラウドが判断したのか、立ち止まって追ってこなくなった。


 この、ヒトを象った無機物ーーhIEは、まるで自身が人間であるかのように振る舞い、ヒトの心を奪うーーヒトの脳に、直接ハッキングを仕掛けているのだ。


 企業の商品のアピールなどに使われるときもあれば、孤独なヒトの癒やしにもなるーーそこには善意も、悪意もない。人間の自発性を促し、社会の新陳代謝を図っているだけ。


 その行為は、アナログハックと呼ばれている。


 だが、スグルにはアナログハックされるヒトの心理がわからない。


 スグルは、ヒトも機械も、他者ーーつまり同じモノとして認識していた。ただそこにあるもの、そして同じように振る舞うのであればそこに意思があっても無くても、スグルに関係のないことだ。


 ヒトと機械の、何が違うというんだろうーースグルはよくそんな事を考える。


 一日のルーティンワークをこなすだけの毎日。朝起きて、何十年とシステムの変わらない学園に向かい、学友たちと過ごす、退屈な時間。


 自分に行動に意思があるとは、スグルにはとても思えない。


 反射的な日々の中で、スグルの心は壊れてしまったのか。


 それとも元から、そんなものはありもしないのか。


 スグルは、それが知りたかった。


 授業中で誰もいない廊下を規則正しい歩幅とリズムで歩く。

 

 虚しいのは、自身の意思のなさを客観視できても頭痛は治まらなくて、自分は結局、有機的な生き物ーーヒトでしかないということを身体で実感することだった。


 校舎を出ると、スグルを否が応でも太陽の光りが照らした。アスファルトが酷く乾いていて、とても暑い。


 スグルは振り返らずに、校門の生体認証ゲートを抜けた。 



     *



 追いかけてくる学園から逃げるように、スグルは自転車を成田市の郊外へと走らせた。


「はぁ……はぁ……」


 突き刺すような夏の日差しも、スグルにとって不快感以外のなにものでもない。


アイスが溶けるようなおびただしい汗が体中から流れても、スグルはペダルをこぎ続ける。


 成田空港の喧噪を通り過ぎて、徐々に建物がまだらになる。誰も管理していないのだろう、雑草がスグルの背よりも伸びた土地には、売却価格がARでタグ付けされている。


 殆どあぜ道のような細い通路を進んでいくと、蔦に覆われた、大きさだけは立派な建物が視界の先に見えてきた。


 自転車を適当な場所にとめて、エントランスのドアを開ける。


 無駄に広くて埃の溜まったロビー。きっと高価だったのだろう。今やその面影すらない本革の剥がれたソファ。


 そこにかけられたタオルで身体を丁寧に拭いて、スグルは薄手のM65を羽織った。建物の中はひんやりと冷たいからだ。


 そして全身の体重を任せるようにしてソファに腰かけた。その反動で埃が舞い、割れたガラス窓から漏れる光がその埃を照らす。


 鳥の鳴く声もしない。生物の匂いはなく、ひどく無機質で、時々低い位置を通り過ぎる飛行機のエンジン音以外は、時間の流れが止まっているような感覚に陥るーー


 そこは、二十一世紀半ばに廃業した、空港関係のホテルのひとつだった。


 近隣の町との吸収合併を繰り返し、膨大な敷地になった成田市には 成田空港から少し移動するだけで、こういった空港関連のホテルの廃墟が至る所にある。


 ここ五十年ほどで、鉄道のダイアグラムの本数が50年前に比べ大幅に増え、インフラは充実した。海外に飛び立つからといって、成田空港付近で宿を借りるヒトは少なくなり、更には、度重なる外資系空港会社の参入により、日本の航空事業はことごとく赤字に陥った。ーー結果、殆どの日本企業が倒産した。


 当然のように、空港関係の系列のホテルは一通り衰退ーー


 この辺り一帯は、人々から忘れ去れていたかのような荒れ地と、かつての栄華の名残も感じない廃墟が広がっている。


 ここには誰もいない。誰からも干渉されない。


 それはスグルの不可侵領域のようなもの。拡張されたパーソナルスペース。

 

 スグルの不感症のような疾患を癒やす為の場所だった。


 ただ、元々はこのホテルはスグルが見つけたものではない。


 水跡で汚れた天井を仰ぎながら、スグルはこの場所に連れ出してくれたはずのヒトの事を思い出す。


「姉さん……」


 もし、仮にーー


 ここに姉がまだいてくれたら、スグルは少しはヒトらしく生きることができたのだろうか。


 ーースグルは、良い子だね。


 そう言って、頭を撫でてくれた快活そうな少女の笑い顔を、記憶の中から探り出そうとする。 


 この場所に、もう姉の残り香はない。


 もはや自分によく似ているはずの姉の顔さえ、スグルは思い出せなくなっていた。


 生物の実験で顕微鏡を覗いた時の微生物のように、不確定なカタチの姉の顔がドロドロになって溶けていくのをスグルは想像する。

 

 姉とここでよく遊んだ記憶はある。それなのに、いったいここで何をして遊んでいたかをスグルは思い出せない。具体的な事は何も出てこない。


 スグルの記憶が欠損しているのか、もしくはーー

 

「僕に本当に姉さんはいたんだろうか……」


 天井のシミをぼんやり眺めながら、そんな妄想じみた事を考える。確かに、ここには、このソファの隣には姉がいたーーそんな過去があったはずだった。


 スグルはもう十五歳になる。


 姉ーーカナタがウイルス性の疾患で亡くなってから、二年が経とうとしていた。


 自分がカナタに対してどういう気持ちを抱いているのか、スグルはよくわからない。


 姉の事を考えていてもそこに安らぎはなく、思考しすぎた脳は避難警告を出すかのように痛みだす。


 二十二世紀になり、いくら医療が発達したからといっても偏頭痛は生理的現象で、薬で痛みを緩和することはできてもそれ以上の事は出来ない。

 

 自分には意思がないーーそうスグルはそう考えていても、結局スグルは"ヒト"でしかない。どんなに感受性が薄くても、絶えず細胞は消耗を続け、ヒトは老いていく。


 スグルは上着の薄手のM65のポケットに忍ばせているものを握った。


 それは、オーダーメイドされているように、スグルの掌によく馴染んだ。


 果物を切るために作られた、セラミック製のナイフだ。


 物心ついた時から、手放せなくなっていた。


 この鋭利な刃物で、自分はいったい何をするか、何をしたいのかーー


 自分のことなのにスグルは理解できなかった。


 ただ、その刃の柄を握ると不思議と心が安らぐのだった。


 痛みがゆっくりと緩和されるのを感じながら、そのまま寝てしまおうかと考えスグルは目を閉じる。ナイフは胸元に置かれ、それは大好きなペットと共に寝ているような気分だった。視界は閉ざされ、暗闇の中にいると身体が更にソファに沈み込んでいくような気分になる。朦朧として、このままいっそのこと目覚めなくてもいい、誰も自分の死に悲しむモノはいなくなってしまったから、などとスグルは考える。


 昏睡寸前だった。風が吹いたような気がした。


 だがここは建物の中だから錯覚だ、そうスグルは思った。眠ろうとしていたというのに、目を閉じた事によって肌の感覚が鋭敏になっているのだろうか、実際のところは、空気が少し動いただけなのかもしれない、そんな事をぼんやりと弛緩した頭で考えていると、今度は匂いが変わった。


 甘くて清涼な香り。


 この廃墟一面ラベンダー畑になったような香りに包まれる。

 

 目をゆっくりと開けると、ぼやけた視界の先に、ドアの付近にナニカがいた。


「ーーーーーー」


 懐かしい声が、ナニカから聞こえてきた気がしたが、今日もいつもと変わらず低い位置を滑るように飛んでいるのだろう、飛行機のジェット音にすべてかき消された。


 耳にかけた感覚強化機器の不具合だろうか、生まれつき耳も目も悪いスグルはこの光景を誤作動だと思った。


 幻聴、幻覚だと、そうーー


 スグルの意識はすっかり覚醒しているというのに、目の前の亡霊は消えず、それは少しずつスグルの方へと近づいてくる。


 明るい陽だまりのような声で亡霊は「スグル、ただいま」そう言った。


 無機質で静謐なこの廃墟のホテルとは異質の存在。


 それは、もうここには居ないはずの声。


 スグルは何を期待したのだろう。


 その声が、かつて彼を抱きしめたものの声だとでも思ったのだろうか。いつも自分の前を溌剌と歩いていた、少女そのものだとでもーー


 スグルは、一度、目を閉じる。そしたら、きっと元通りになるはずだと信じて。


 そしてソファから立ち上がって、再び目を見開く。


 廃れたロビーの入り口には誰もいなかった。やはり幻覚だったんだと、スグルの心に落胆と安堵が同時に押し寄せる。


「えっ……」


 スグルの背中が、柔らかな毛布のようなものに包まれた。


 酷く懐かしい気分になる。きっと以前にも味わったことがあるはずの郷愁を、どうしてスグルは忘れてしまったのだろう。

 

 背中に張り付いたものがもぞもぞと動いて、少しくすぐったくなる。このまま眠ってしまってしまいたいと思う。

 

 吐息混じりの囁きが、首元にかかり、その声をもう一度聞いた。


「スグル……」


 廃ホテルの中は夏だというのに冷たい空気が漂っていて、背中の有機体の暖かさをよりいっそう感じる。


「お姉ちゃんだよ……」


 ああ、僕はもう夢の中にいるんだと、そうスグルは思った。


 姉は、なんてこと無い高熱の風邪で、二年前に死んだのだ。


 きっと、振り向いたら、夢が覚めてしまう。いつもの日常が始まってしまう。


 そもそも、なんで姉の笑った顔なんてみたいのだろう。僕はそれを見てどう思うのだろうーー


 スグルは、それでも振り返らずにはいられなかった。背中の暖かさの正体を、知りたいと思った。


 そして、そこに立っていたものを、スグルは "ヒト" だと、そう認識したーー



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