第一章‐1
倉嶋篤志の朝は早い。
以前の事件で、彼は異星文明の禁断の魔法兵器に寄生されていたのだが、その間に無茶な魔力濫用を繰り返したせいで、元々の黒髪の半分ほどが白髪に変化してしまっていた。その黒白半々の頭が悪目立ちしないように、定期的に染めなければならないのだ。それに、失った己の右腕の代わりに魔法で接合された『彼女』の右腕は、人種も性別も違うものなので、明らかに彼本来の左腕とは不釣り合いだった。これを擬装する為に、右肩から指先まで隙間なく包帯を巻かねばならない。それと、これは前の二つと比べると極普通の理由だが、チッピィの散歩もしてやらねばならなかった。
それらを終えて、詰襟の学生服に着替えると、彼は高校へ向かう。朝食は食べない主義だ。これは主に金銭的な理由によるというところが、情けないと言えば情けない。
彼の通う高校までは徒歩通学だ。途中、駅から来る同じ高校の生徒たちの人波に合流して、徒歩十数分ほどで登校する。篤志たち一年生の教室は校舎の四階だ。ひたすら階段を上って自分の教室に辿り着くと、窓際の一番後ろという誰もが羨む特等席に着いた。
「おっす、倉嶋」
彼の二つ前の座席の伊勢田誠人が、いつものように一つ後ろの座席――つまり、篤志の前の席――に移動して挨拶をしてくる。
「ああ。っはよぅ、伊勢田」
篤志も挨拶を返した。それにしても、誠人が今こうして座っているのは山城――確か、下の名前は紗紀だったか――という女子生徒の席なのだが、こういつもいつも占領されて迷惑ではないのかな、と思う。わりと気弱そうな感じの女子だったので、あまり迷惑そうだったら代わりに言ってやらねばならないか、などと考えた。
「倉嶋ー、テスト、どうだよー? 俺、ダメかもしんねぇ」
誠人が力なく机に突っ伏して――何度も言うようだが、そこは本来、山城紗紀という女子生徒の机だ――、情けない声を上げる。彼らの高校では、今日から一学期の中間試験が始まることになっていた。
「あぁ? まぁ、とりあえず一夜漬けはしたし、それなりに、なんとかなるんじゃねぇかな」
篤志は非常に曖昧な答を返す。彼の得意分野は完全に理数系だったが、短期記憶には自信があるので、世界史などの暗記科目も一夜漬けでそこそこの点数が取れる予定だった。苦手は英語だが、これも出来る限り暗記に頼ってなんとかする目論見だ。異星人絡みの事件で二日も無断欠席した上、普段から授業中にアルバイトのプログラミングを行うなどという暴挙を仕出かしている為、一部の教師から目を付けられているので、定期試験ぐらいでは点を稼いでおかないと、内申点がまずいことになるだろう。一応、それぐらいの自覚はある。
「あー、なんか余裕っぽい発言だなぁ」
「別にそんなことねぇよ。こっちはこっちでギリギリだ」
二人がそんな会話をしているところへ、クラスメイトの豊川翔毅が駆け込んできた。
「ねぇねぇ、夕べの謎の光のこと、知ってる!?」
「おっす、ショーキ。なんだ、謎の光って?」
「っはよぅ、豊川。あの光なら、俺は見たよ」
誠人と篤志がそれぞれ翔毅に挨拶を返す。
翔毅は篤志や誠人と比べると派手な名前だが、本人は眼鏡で小太りという至って地味な容姿だ。これが、茶髪でいかにも軽薄そうな、しかし誠人という名の男と同じ小中学校出身で長い付き合いの友人同士だというのだから、世の中面白い。
「あ、あぁ、おはよう、まこっちゃん、倉嶋。倉嶋は実物見たんだ? いやさ、俺、ネットで見たんだけど、夕べの九時頃だったかな? 西の空に、こう、チカッチカッて謎の光が点いたり消えたりしてたらしいんだよね」
勢い込んで翔毅が言う。話の内容というより、その勢いに誠人が食い付いた。この男はその場のノリで生きている節がある。
「なんだそれ? 超新星爆発とかか?」
「いや、伊勢田、超新星爆発っていうのはそういうもんじゃねぇ。ていうか、なんでそんな発想が出てくるんだ?」
つい突っ込んでしまう篤志。スマートフォンを取り出してなにか操作をしていた翔毅が、その画面を誠人のほうに向ける。
「ほら、これだよ」
隣から覗き込んでみると、情報収集中に篤志も見た、大手動画アップロードサイトに投稿された、昨夜の不可思議な明滅する光の動画が映し出されていた。
「なんだこれ。ただ光が点いたり消えたりしてるだけだろ? これのなにが面白いんだ?」
不満も顕に誠人が言う。少々興奮気味に翔毅が言い返した。
「いや、不思議じゃん! 星でも飛行機でもないんだよ? ネットじゃ、UFOじゃないかって騒ぎになってるんだ」
「へー、UFOかー」
翔毅の説明に、一転して感心したように言い、もう一度動画を見直す誠人。
「いや、多分、人工衛星の事故とかだろ」
その話の流れに、篤志は思わず否定意見を述べてしまった。まだ真相はわからないが、これが彼の知己である異星の人々に関係のあることなら、隠しておいたほうがいいと思ったのだ。
篤志の否定意見に翔毅が食い下がってきた。
「でも、どこの国からもそんな発表はなかったよ?」
「どこかの国の非公式の軍事衛星でその存在を公に発表出来ない、とかじゃねぇのか?」
篤志は、即興の発想で自分の意見を補強する。我ながら案外信憑性のある意見になった、と心の中で自画自賛した。翔毅が軽く溜め息を吐く。
「倉嶋は夢がないなぁ」
「倉嶋は頭いいなぁ」
翔毅が嘆いている一方で、誠人は感心したように言った。篤志は翔毅に言い返す。
「現実的だと言ってくれ」
だが、実際、UFO――異星人の宇宙船説を一番疑っているのは、当の篤志なのだ。下手に根拠がある分、始末が悪い。
「はいはい。もうすぐ朝のホームルーム始まるわよ。スマホは仕舞いなさい」
教室の隅で騒いでいた彼ら三人の下へ、お説教好きなクラス委員、蒲郡紫子がやってきて手を叩いた。
「巨乳委員長様のご命令だ。仕舞え仕舞え。巨乳は正義」
そう言って、誠人がスマホを翔毅に返す。明らかにセクハラ発言だったが、常にふざけているような本人のキャラクターのせいか、それを咎められるのを見たことがない。得な性格をしているな、と篤志は思う。別に羨ましいとは思わないが。
「それで、なに見てたの?」
仕舞わせようとしているくせに、彼らが見ていたものに多少の興味があったのか、紫子が聞いてくる。翔毅が彼女に例の動画を見せた。
「ほら、委員長、UFOだよ、UFO!」
「UFO?」
紫子が少し身を乗り出すように、差し出されたスマホの画面を覗き込む。前屈みになって、元々大きな胸が重力に引かれて強調された。誠人ばかりか翔毅まで、それに目を奪われる。
ちなみに、彼女が『委員長』と呼ばれるのは、篤志が入学直後からしばしばそう呼んでいたのが、いつの間にかクラス中に定着してしまった為だ。
いったんはその画面に見入ったものの、紫子はすぐに興味を失ったように目を離してしまった。姿勢よく直立して、両手を腰に当てる。このクラスではもうお馴染みとなった、彼女のお説教ポーズだった。そうして胸を張ると、大きな胸がさらに強調されて男子の注目を集めるのだが、本人は気付いていないようだ。紫子はお説教のときによく見せる、怒ったような、呆れたような表情を浮かべて言う。
「ばかなこと言ってないで、現実を見なさい。あんたたち、今日から中間テスト始まるけど、大丈夫でしょうね? このクラスから赤点なんか出させないわよ。赤点取ったやつには――、えーと、とにかく凄い罰を与えるからね」
「そうそう。委員長の言う通り。現実を見ろよ」
篤志が同意すると、紫子が噛み付いてきた。
「委員長って言うな!」
「……なんで、俺だけ?」
呟く篤志を無視して、紫子は三人の胸元に順に人差し指を突き付ける。
「とにかく、もうホームルームなんだから、先生が来る前に自分の席に着いてなさいよ?」
「いや、俺はここが自分の席なんだが……」
呟く篤志をまたも無視して、紫子は踵を返した。肩までの長さのストレートの黒髪と、セーラー服のプリーツスカートがふわりと広がる。立ち去る紫子の背中を見送って、翔毅がスマホをポケットに仕舞いながら言った。
「じゃ、まこっちゃん、倉嶋、また後で」
「おう、じゃーな、ショーキ。倉嶋、俺も席に戻るわ」
翔毅と誠人が自分の席に戻っていく。誠人が一つ前の席に戻ると、今までどこにいたのか、紗紀がそそくさと自分の席に戻ってきた。それを見て、筋違いかとも思ったのだが、篤志は言わずにはいられない。
「あー、山城さん。なんか、いつも悪いな」
彼の謝罪に、紗紀は肩越しに聞こえないくらいの声量で、いえ、と返事をしたようだった。すぐに前に向き直ってしまう。篤志は、後で伊勢田には軽く釘を刺しておくか、と思った。
(それにしても、あの光、やっぱり結構噂になってるみたいだな)
これはやはり、今夜にでもエリカに連絡を取ってみるべきだろう、と篤志は考える。もし実際に、事が彼女たちの問題ならば、なにか手伝えることがあるかもしれない。