序章‐1
この国の都市部に住む者は、夜空など見上げない。過剰なほどの街の灯りで空が明るく、星などほとんど見えないからだ。
だから、近所のコンビニで夕食の弁当を買って、足早に家へと向かって歩いていた倉嶋篤志がなんとなく視線を上げて、その光を目にしたのは、本当に偶然だった。
西のほうの高い空の雲間に、一瞬光が瞬く。
(ん?)
その光が意識に引っ掛かった篤志は道端に立ち止まると、眼鏡の位置を直して一瞬の光が見えた辺りを注視した。待つほどもなく、また同じ辺りで光が瞬く。見つめていると、その光は断続的にチカッチカッと明滅しているようだ。星ではないだろう。そんな光り方をする星など見たことがない。流星群というわけでもなさそうだ。その光は夜空の一点で明滅しているだけで、あちこちに流れたりはしていない。移動していないので、航空機の衝突防止灯などでもないということは明らかだ。
(……UFO?)
まさかな、と思う反面、あながちあり得ないことでもない、という気もする。実は、篤志には、以前、とある事件で知り合った異星人の知己がいるのだ。彼女らの星の宇宙船――航宙船がこの星にやってきているのだとしても不思議はない。
暫し足を止めて、夜空を見上げていた。人通りの少ない夜の住宅街だったが、仕事帰りのサラリーマンなどがいて、篤志と同様に足を止めて西の空のその光を見上げている者もいる。そうして暫くの間、断続的に明滅する光を観察していたが、やがてその光は消えて、もういくら待っても光り出すことはないようだった。
篤志は一つ息を吐くと、再び家への帰路を歩き出す。コンビニで温めてもらった弁当が冷めてしまったな、という庶民感覚丸出しの思考が頭を過ぎった。電子レンジ買おうかなぁ、などと頭の片隅で考えるが、毎月ギリギリの生活費でやりくりしている彼にとっては夢の家電製品だ。そんな他愛もないことを考えながらも並行して、帰ったらインターネットでこの不可思議な光について情報収集してみよう、という実際的な思考も行っている。これは複数のことを同時に考える並列思考というもので、彼のような魔法使いには必須の技能だった。
――彼、倉嶋篤志は、魔法と呼ばれる異星文明の超科学技術を駆使する魔法使いなのだ。
とにかくまずは夕飯を食べて、それからネットで情報収集かな、とこの後の行動指針を決定する。あの光の正体も、案外現実的なものかもしれない。例えば、人工衛星の事故でもあったとか。そう考えてみると、それが一番常識的な解答に思えてきた。
篤志は高校生だが、事情があって一人暮らしをしている。そこそこ小綺麗な築浅の四階建てアパートに帰り着くと、三階一番奥の部屋の鍵を開けて、狭いながらも整頓されたワンルームの室内に入った。家具はベッド、テレビ台にテレビとゲーム機、ローテーブル、パソコンデスクに愛用のパソコン、椅子、それに、マンガやラノベ、ゲームソフトがぎっしりと詰まった本棚と、決して少なくはないが、効率的に配置されているので雑然とした印象はない。部屋の主の几帳面な性格を現していると言えるだろう。
「ただいま、チッピィ」
篤志は、部屋の中で待っていた白いもさもさした毛の小型犬に帰宅の挨拶をする。
(おかえり、アッシュ)
その犬からの返事が頭の中に聞こえた。
否、チッピィは犬ではない。人間の五歳児程度の知能を持つ異星の生物、バフスクだ。バフスクは念話と呼ばれる、思考を直接やりとりする魔法を通信手段として意思の疎通を行う。
チッピィは元々、前述の異星人絡みの事件の元凶として知り合い、共に過ごし、そして喪うこととなった『彼女』のペットで、現在は一応、篤志を主人代わりとして認めてくれているようだ。彼や前述した異星の知己たちは、篤志のことを『アッシュ』と呼ぶ。
篤志はローテーブルの上に買ってきたコンビニ弁当を置いて、キッチンへと向かった。犬用ペットフードの大袋から皿に一回分の食事量を量り入れて、チッピィの前に置いてやる。バフスクは厳密には犬ではないが、その食性はこの星の犬のそれとほぼ変わらない。異星のペットショップで買ってきたバフスク専用の高級ペットフードのストックもあるにはあったが、数が限られているし、次にいつ買いに行けるかわからない、ということで、それはなにか祝い事があったときの特別なご馳走、というようにチッピィにも理解されている。ちなみに、前回その高級ペットフードの缶詰を開けたのは、異星旅行から帰ってきた夜のことで、その異星で巻き込まれたテロ事件の最中、たくさん頑張ったご褒美という名目でだった。それが五月の初めの連休のことだったので、もう五月も終わろうかというこの時期からすれば、そろそろ一月近く前のことになる。折よくと言うべきか、明日から篤志の高校では中間試験が始まることになっていた。それが終わったら、打ち上げと称して、そのチッピィ言うところの『ご馳走』の缶詰を開けてもいいかな、などと思う。
篤志は、チッピィの食事の用意を済ませると、冷蔵庫から緑茶のペットボトルを出して部屋へ戻り、ローテーブルとベッドの間に座った。テレビを見る習慣があまりないので、食事時にテレビを点けたりすることはない。学生の一人暮らしにしては贅沢な三十二インチの液晶テレビは、ほぼゲームの為のモニターとしてしか使われていなかった。こういうのを、宝の持ち腐れと言う。
「いただきます」
(チッピィ、ご飯、食べる)
食前の挨拶をして、篤志は弁当を、チッピィはペットフードを食べ始めた。
前述の異星人絡みの事件で彼は己の右腕を失っていて、同じくその事件で喪った『彼女』の遺した右腕が、代わりに魔法でその身体に接合されている。その為、当初は箸を持つにも一苦労したものだが、今では元の自分の右手と同等とまではいかないまでも、それなりの器用さで箸が扱えるようになっていた。
篤志は適当に弁当をかき込み、緑茶を飲んで一息つくと、パソコンデスクの前の椅子に座って愛用のパソコンを起動する。チッピィは自分の寝床である、異星の籐のようなオーガニック素材の籠の中でクッションに埋もれておとなしくしているようだ。腹が一杯になったので、眠いのかもしれない。篤志はそれをなんとなく微笑ましく思いながら眺めると、インターネットで先ほどの不可思議な光について情報収集を開始した。検索をかけてみると、ほんの三十分程度前のことなのに、既に夜空で明滅する光の動画がアップロードされていたりもする。
(仕事が速いな。ホントにここは暇人が多い)
彼は内心苦笑しながら、次々と関連するニュースを扱ったウェブサイトを開いて目を通していった。しかし、光の目撃情報自体はたくさん見付かるのだが、その原因となるとどこにも手掛かりがない。彼の予想したような人工衛星の事故についても、どこの国からも公式発表はなかった。その為、ネット上では冗談のようにUFO説が主流となりつつあるようだ。
(これは、いよいよ冗談抜きで異星人絡みかな……?)
篤志はそんなことを考え、前述した異星人の知己に連絡を取ってみようかと思ったのだが、パソコンのディスプレイの右下隅に表示されている現在時刻を見ると、既に夜半をまわっていた。連絡をするには、明らかに非常識な時間だろう。
(まぁ、いいか。緊急ってわけでもないしな)
逆に、その異星絡みで緊急の事態が起こっているのだとすれば、向こうから連絡があるはずだ。それを知らせてもらえる程度の仲ではあると思っている。
篤志は一つ伸びをすると、ネットサーフィンをしていたブラウザーのタブを全て閉じた。パソコンをシャットダウンする。
明日も平日だ。学校がある。それどころか、明日から中間試験が始まるのだ。帰宅してから遅い夕食の前まで、一応それなりに一夜漬けに精を出した彼としては、これ以上試験勉強に手を付けて睡眠不足になるほうがよほど重大な問題だと思われた。逃避とも言う。篤志は寝る準備をしようと、まず風呂に入ることにした。時間が遅いのでシャワーで済ませるか、と思う。
「チッピィ、風呂入ろうぜ」
(チッピィ、風呂、入る)
彼は眼鏡を外して服を脱ぎ、チッピィを連れて浴室に向かった。




