最初の友達
かなの最初の友達は、クマのぬいぐるみだった。
十二歳の頃、ゴミ袋の中で見つけた、汚れて破れたぬいぐるみ。
その姿が、どこか自分と重なって見えた。
だから、どうしても捨てられなかった。
「うん……君の名前は、“舞雪”。」
「舞雪、今日から友達ね。」
かなが一番好きなのは、雪だった。
世界が白に覆われる瞬間、胸の奥で何かが静かに灯る。
だから、舞う雪――舞雪。
その日、かなは初めて“友達”を手に入れた。
――どうして、今そのことを思い出すんだろう。
ぼんやりと舞雪のことを思い浮かべていたとき、
背筋が凍るような声が響いた。
女子グループの“彼氏”とその仲間たち。
転校生を直接狙うのはまずい。
だから、代わりにかなを痛めつけて“わきまえさせる”つもりらしい。
「だろ? この女、ちょっと教育してやってくれよ。」
「おう。」
「今日は……どっちが先に吐かせるか、勝負だな。」
かなを見ながら、奴らは笑った。
黒田幸恵は、恐怖に震え、声も出せなかった。
一人がかなを無理やり立たせ、教室の奥へ押しやった。
「……近くで見ると、けっこう可愛い顔してんじゃん。」
「胸も……」
リーダー格の男が、かなの髪を乱暴に掴んで笑った。
「やめて!」
後ろで見ていた彼女が叫ぶ。
男は慌てて手を離した。
「冗談だって! な? ほら、準備しろよ。」
次の瞬間、
腹に、また蹴りが入った。
拳も、靴も。
朝に殴られた同じ場所へ、容赦なく。
「……ッ」
空気が抜け、喉の奥が焼けた。
吐き出したのは、胃酸だけ。
それでも、彼らは笑いながら続けた。
倒れたかなを無理やり起こして、また叩きつける。
幸恵は、もう見ていられなかった。
震える足で教室を飛び出していった。
――それでも、かなは何も感じなかった。
生きてる方が、痛いから。
チャイムが鳴る頃、男たちは吐き捨てるように言った。
「休み時間、楽しみにしとけよ。毎回来てやる。」
言葉通り、休みのたびに腹へ拳が飛んだ。
そして――昼休み。
かなはいつものように、屋上へ続く階段の踊り場に座っていた。
弁当なんてない。
他人が楽しそうに食べる姿を見るのが、ただ嫌だった。
それだけは守りたかった、最後の“自尊心”。
そのとき、息を切らせた足音が響いた。
幸恵だった。
涙に濡れた顔で、かなの前に立った。
――なんで泣いてるの。
心の声を見透かしたように、幸恵がしゃくり上げながら言った。
「ごめん……ごめんね……」
「怖くて……初めてで……逃げちゃったの……ごめん……」
「すごく……痛かったでしょ……本当に……」
「なんで、あなたが泣くの。」
「安っぽい同情はいらない。」
一緒にいれば、彼女も同じ目に遭う。
だから、突き放した。
「同情じゃない。心配なの。」
幸恵は、かなの手を強く握った。
その瞬間、手首に刻まれた無数の傷が見えた。
かなは驚いて手を引き、顔を背けた。
怒鳴ることもできた。
でも、真剣に心配してくれる人に、声を荒げることができなかった。
「……一緒に、食べない?」
「もし、嫌じゃなければ……」
生まれて初めて、“一緒にご飯を食べよう”と言われた。
けれど、次の瞬間。
「……楽しい?」
「可哀想な子を助けて、自分が立派になった気分?」
「どうせ、二、三回手を差し伸べたあと、
あなたも私を軽蔑するんでしょ。」
「……それが、一番つらいの。」
こんなに刺すような言葉を吐いたのは初めてだった。
しかも、初めて味方になってくれた人に。
――たぶん、これ以上傷つく前に、期待を切りたかった。
悲しいけど、味方なんて一度もいなかったから。
殴られる覚悟、嫌われる覚悟で言った言葉。
けれど、幸恵は殴らなかった。
罵りもしなかった。
「……そう受け取られるとは思わなかった。」
「証明する。私は、そういう人間じゃないって。」
幸恵は静かに立ち上がった。
どこか、決意を宿した目で。
――なにそれ。
……どうせ、すぐに飽きる。
かなは、たいして気にも留めず、
昼休みの鐘が鳴るまで、じっと空を見ていた。




