第26話 ステイシー・グレイス
本日も訓練の後にお風呂で汗を流した後、私の自室でルーセリアと話をしている。
「そう、聖女と名乗るものが現れてあのバカ王子は頭がおかしくなって、公衆の面前で婚約破棄を高らかに宣言するのね」
「まあ、有り体に言えばそうですね。元婚約者の悪役令嬢であるステイシー様は国外追放されて、その後は特に語られることはないですね」
前世にはステイシーと呼ばれる令嬢はいなかったと記憶している。つまり一つ前の世界に私がいなかった代わりの生贄として選ばれたのがステイシーだと言うことだろう。それにルーセリアはステイシーを悪役令嬢と言っているが、特に嫌ってはいないように見受けられる。私が聞いた限りではステイシーは聖女と呼ばれる元平民の娘を気にかけての助言のように感じられた。
前世の私と似ているような流れではある。ただ正直に言ってしまうと聖女? なる女性に心当たりがない。そもそも当時の私は余り周りの人間に興味がなかった。バカ王子都の婚約に関しても、あれはお母様を亡くした事による心の弱さが原因だったのではと今では思う。
貴族学校に入る頃はまだバカ王子のことを多少は慕っていた。なぜ多少なのかというと、あのバカ王子は婚約者である私にめったに会いに来ようとしなかったからだ。そして私の方から会いに行っても会えないことが多かった。数日前に先触れを出していたにも関わらずだ。そのような扱いを貴族学校に入るまでの十年間され続けたら百年の恋も冷めるというものだ。
それでも貴族学校入学時点では多少ではあるが、まだ嫌うほどではなかった。それに婚約は我が家の方からいい出したことなので、おいそれとこちらから破棄をと言い出せなかったのもある。そうしている内にお父様も亡くなり叔父に家を乗っ取られ、身動きが取れなくなった。
その間も后妃教育は受けていたので、それに関しては感謝はしている。お陰で感情を殺すことや、嫌でも笑顔を保つ事ができるようになった。その事は国を出てからの冒険者生活でも役にたった。今では悪いことではなかったとも思える。
それでももう一度バカ王子と婚約したいかというと全力でお断りする。一番いいのはお披露目会で目に止まらないことなのだけど、どうなるかは未だにわからない。仮病でも使って出席を取りやめるという方法も無くはないが、それは侯爵令嬢として体裁が良くない。
それにバカ王子に会いたくないからと言って出席しないのは負けた気になる。まあ出席しないとなると、護衛として付いてくるルーセリアが泣いて縋ってきそうではある。縋ってこないにしても恨み言を耳元で延々と吐きかけられる気がする。
「少し聞いてもいいかしら?」
「何でも聞いて下さい」
「そのげえむという物語の中で、バカ王子や四大侯爵の、あとは複数いる悪役令嬢の幼少期についてなどのお話はないのかしら?」
どうもリセ恋という物語には、ルーセリアのいう攻略キャラである三侯爵の子息にそれぞれ対応した悪役令嬢と呼ばれるものがいるとのことだった。どの悪役令嬢も侯爵子息の婚約者であり、話の進む方向によってはぷれいやーである聖女に婚約者を取られるようだ。中には死んでしまうものもいるのだとか。
「まだ三侯爵の子息に関しては前の記憶があるのである程度わかりますわ。ですが、ステイシー嬢や他の悪役令嬢に関しては私は全く覚えがないのですわ」
「そうですか。それでは今日は悪役令嬢について、私が知る限りをお話させていただきます」
「お願いしますわ」
ルーセリアはリリンが入れなおした紅茶に口をつけて飲むと「あちゅ」と言って舌を出して手で仰いでいる。ふぅふぅと息を吹きかけて改めて紅茶を飲み、ソーサーにカップを置いて話を始める。
「まずはステイシー・グレイス様ですが、グレイス公爵のご令嬢になります」
ステイシー・グレイス。やはり聞き覚えがない。そもそも前世にはグレイス公爵家というものは存在しなかったはずだ。つまりグレイス公爵家というのは一つ前の世界から新しく出てきた家ということになる。
でも前世でなかった公爵家が、一つ前の世界になって新しく出来ているというのは違和感を覚える。公爵家というのは、王家の分家と言っていい存在のはずだ。そこでピンときた。前世と一つ前の世界、そして一つ前の世界と今世の共通点。
「グレイス公爵家というのは獣人が関わっていたりしますか?」
「流石ロザリア様、よくご存知でしたね。これはリセ恋の裏設定になるので本編では全く触れられることはなかったのですが、グレイス公爵家の起こりは獣人との婚姻からとなっています。ただ今となっては血もかなり薄れて、獣人らしい特徴はなくなっているという設定ですね」
裏設定ということは、もしかするとステイシー本人も知らないということかも知れない。
「ステイシー様は、この世界では珍しく黒髪をしていまして、一部では不義の子等と言われています」
「黒髪ですか、確かに珍しいですわね」
私のように髪が赤いと火の属性に強いように、各属性が髪色に反映されるのが基本になる。流石にどの髪色でも年を取ると白くはなるのだけど。そこで黒というのが何故珍しいかというと、黒は全属性を均等に使えるという事になる。
全属性が均等に使えるとだけ聞くとすごいように聞こえるけど、実情はそこまでいいものではない。なぜかというと、大体の場合すべての属性が他の属性に特化している人に比べると弱いのだ。特化の人が有する力が十だとすると、全属性を有している場合、どれだけ頑張っても最大で五までの力しか出せない。
「こう言っては偏見と取られかねませんけど、よく王家は黒髪のステイシー嬢を婚約者と認めましたわね」
「確かに、ゲームでプレイしていた時は黒髪の令嬢というものに違和感は無かったですけど、この世界の事情を知ると不思議に思えますね」
ルーセリアとどうしてだろうと考え込んでいると、リリンが話しかけてきた。
「そんなに不思議なことではないと思いますよ。ステイシー様はきっと精霊の加護をお持ちなのではないでしょうか?」
「あっ、そうでした。ステイシー様は黒龍が守護龍となっていました。ゲームだと余り登場はしないのですが、この国の建国に関わったと言われている六龍の一体だという話があった気がします」
「建国記ですわね。外海から辿り着いてきた人々が、六龍の住まうこの地に導かれて龍に課された試練を乗り越え国を建てた。そういうお話ですわね。確かに六龍が守護龍ということなら王家が取り込もうとするのは自然なことですわね」
この国でめったにないことではあるが六龍が守護龍になるということがある。その事例が四大侯爵家になるのだけど、我がスカーレッド家の始まりも初代様を火龍が守護龍としていたからと伝えられている。
そしてその初代様は女性で、当時の王家から第七王子が臣籍降下されてスカーレッド家が作られた。初代様は平民の冒険者だったので、王国として取り込む意図でそうしたのだろう。
ただ初代様と第七王子はずいぶんと気が合ったようで、末永く幸せに暮らしたと伝えられている。当時の事を記された記録によると、よく二人で魔物狩りや模擬戦をしていたらしい。





