第六章・文化祭準備〜3〜
第六章・文化祭準備〜3〜
星見の島、滑走路
誘導灯が道を照らしてくれている。今日は月明かりの少ない日だ。滑走路にある少ない光では、近づかなければ相手の顔を見ることもできない。
ポツンと置かれた飛行機に、月見は大きな荷物を乗せて飛び立とうとしていた。隣で、白髪の高里が準備を手伝っていた。
「本島に着いたら、すぐにアメリカに飛ぶ。よく決断してくれた」
「いえ、これが私にとって最善かと思ったまでのこと」
高里は嫌味のように誰も見送りがいないことをわざわざ言った。
「もちろん、誰が来たところで……」
高里が言い切るよりも先に、遠くから大声が聞こえた。
「月見! 待ってくれ!」
何度も聞いた声だった。特にここ最近は、その声を聞かない日がないくらいだった。直接耳を通して聞き、心の中からも聞いた。だから声の主はすぐにわかった。
月見は飛行機の階段から滑走路に降りた。
「健吾……」
そこにいたのは生駒健吾だった。見間違えようなく生駒健吾だ。それはつまり、月見の思い人だ。
(いや、もう終わりなんだ)
健吾は月見の顔が見える位置まで走り寄ると、休む間もなく言い放った。
「月見、いきなり退学して海外の大学に行くとか、なにわけわからないことを」
「わけわからないことはないでしょう。飛び級なんて、嬉しいことです」
二人の様子を高里は観察していた。
「月見からもらったこの音声データだけどな、昔よく使われた継ぎ接ぎ音声らしいぞ! パソコン部のメガネに解析してもらった!」
静観を決め込んでいた高里だったが、たった今健吾の言ったことには少々驚いていた。
(あのデータは半崎君が作り、本社でデータのバックアップを取り、プロテクトを付けた。再生はできても中のデータを見られないように……高校生とは思えない技術を持っている奴がいるのか。先日ウイルスの被害を受けたと聞いていたが、そいつの仕業か)
健吾は息を吸い込んで早口に言った。
「こんな音声に揺さぶられるんじゃないよ! この学校に、月見を悪く思う奴なんていないって!」
月見は言い切った健吾の目を見て、しばらく間を置いてから言った。
「それほど悪口を気にしてはいませんよ。そんな音声で退学を決めたのではありません」
ここで月見は健吾に紙を見せた。暗闇だから、見えてはいないのだが内容は月見が説明してくれた。
「あなたの体から違法薬物が検出されています。これがどういうことか、おわかりですね?」
今度は健吾が間を置いた。これはわざとではなく、呆気にとられた場合の間だ。
「ちょっとまて! 俺はそんなもの!」
そもそも検査なんてしていないぞ。そう言おうとした健吾だったが、これまでの相手のやり口からして、その検査の紙をどのように使ったのかが想像できた。どのように、月見に使ったのか想像できた。
「月見、月見は優しい奴だ。とにかくその紙は偽物だ」
月見は紙を握りつぶし、その音で健吾を黙らせた。
「残念ながら真実かどうかは関係ないらしいです」
その先の言葉の想像は容易だった。これを公開されたくなければ、私たちの要求に従ってもらおうか。
大人の陰湿なやり口に、怒りが体を駆け上がったのを感じた。
「なるほど、だいたいわかった。だけどそれなら、俺は説得していいってことだな」
「え?」
健吾がさらに月見に近づこうとしたときだった。一歩踏み出した健吾の目の前に突如として人間が二人現れた。一人は長い髪の毛をしていて、もう一人は妙に背が高い。
一年生の飛鳥美里と秋草明良だ。
「生駒先輩。関わらない方がいいって、以前忠告したよね」
二人の出現には、月見も驚いていた。そこにさらに、もう一人現れた。
「生駒君。君は苗代さんと特に仲がいいんだったね。笑顔で送ってあげることはできないかな」
「……漆原先生」
健吾にとってはもちろん、予想外の展開だったが、健吾は突き進んだ。やるべきことは決まっているのだ。月見が、心の底から海外に行きたいと思っていないのであれば、健吾の言葉はまだ届くかもしれない。
「月見は自分の意思で行こうとはしていない。だったら笑顔で送ることはできませんよ」
歩み寄ろうとする健吾を秋草が片手で止めた。そして、まだ困惑している月見に視線を送った。
「この人は僕たちが相手をしますので、苗代さんと副社長は離陸の準備を」
月見でも状況を飲み込めていない。それでも、健吾の身に危険が迫っていることは少ない情報からでもわかった。
健吾の言ったとおり、月見は優しいのだ。複雑な思考なんて必要なくて、一番に健吾を守りたいという感情があった。かつて健吾が月見に言ったように、月見もまた健吾に危険な目にはあってほしくなかった。月見は自分ができる最善の一手を出した。
「健吾、ごめんなさい。私は本当にこの学校を辞めたいと思っています。だから止めないで」
月見は踵を返して飛行機へと歩いた。
「待てよ! だったらなんで!」
「はーい、生駒先輩はここまで。苗代会長の邪魔をしないでください。あなたの思い込みを苗代会長に押し付けないでください」
まるで月見のナイトのように、月見を守るのだと使命を受けているかのように、飛鳥は健吾を睨んだ。
飛鳥がついに武器を取り出そうとしたその瞬間だった。その場に、またも新しい声がした。
「それを言うなら、君たちも押し付けちゃダメでしょう。飛鳥さん」
清峰秀次がそこにいた。
「秀次、来るなって……」
秀次は健吾の言葉は無視して漆原と目を合わせた。漆原が、やはり来たね。と言った気がした。
「会長、俺の誤解は解けた?」
「清峰さん、どうしてここに」
健吾に向けていた飛鳥の視線が秀次に移動した。
「清峰先輩。色々と知っているみたいですけど、知っているなら私たちを前にどうしようもできないことは、わかりますよね」
「わかっているさ。ただ、あいつに先に出ろと言われたものだから」
あいつ、と聞いた飛鳥は、今度は声がするよりも前に気配で反応していた。暗闇の奥から来る、秀次とは違って警戒しなければならない相手の存在に気づいていた。
その飛鳥の様子を見た漆原が、暗闇に向かって声を投げた。
「まさか君まで来るとは、御影君」
「いやいや、お前たちがここまで大きく動いてくれたことには感謝しているよ。とりあえずここ周辺にいる関係者はこれだけか?」
漆原は怪訝な目で御影を見た。
「わかりませんね。こんなことをして、君には何もメリットがないように思えますが」
「たしかに、あなたの言うとおりだ。だけど、そこは理屈じゃない。こいつが妙に頑張っているからその手伝いをするだけだ。さてと、二人の相手は俺がしてやるよ」
飛鳥が距離を取った。そしてナイフを取り出して右手に構えた。その一瞬の動作。やはりただの女子高生ではない。さらに彼女は、御影を前にして笑った。無邪気な笑みだ。
「今度は二対一だよ。勝てると思ってるの?……お兄ちゃん」
思いもしなかったその言葉。飛鳥の放った最後の単語に気を取られた。そしてすぐに御影の表情を確認した。だが、御影には驚いた様子など微塵もなかった。その代わりに、静かに警棒のような武器を構えた。
「……そんな気はしていたよ。できれば違っていてほしかったが……ならなおのこと、負けられないな!」
瞬きの間に三人の戦闘が始まった。もはや人間のものではなかった。何か金属同士が当たっているような音が時折聞こえてくるのだが、素人目ではまず戦闘を追うことすらできなかった。
戦闘音が徐々に離れていく……。
取り残された者たちの中で最初に声を出したのは健吾だった。
「月見! 今行くからな!」
月見の返事など待つことなく、健吾はずんずんと歩きよった。高里は相変わらず飛行機の階段上から見ているだけだった。月見が一度高里の目を見たが、それにも首を縦に振って答えるだけだった。そして、秀次と漆原だけが残った。
「それで、君は私の相手というわけか」
「ま、我慢してください」
秀次と漆原は自然と海を見ていた。真っ黒な、墨のような海だ。この島で行われていることを隠すかのような、塗りつぶすような。今はそんな色に感じる。
夜の海は二面性がある。美しく見える時もあるのに、恐ろしく感じることもある。
もしかしたら、美しいから、恐ろしく感じるのだろうか。
「君が来ることは何となく予想していたよ。でもいいのかい? 生駒君に説得を任せても」
「俺が行ったところで変わることではありません。それに、漆原先生には聞きたいことがありますので」
海の音が二人を包んだ。一方では御影たちの死闘が繰り広げられ、もう一方では健吾が最後の説得をしようとしている。それでも秀次と漆原が作る雰囲気は普段の、ただの生徒と保険医が作り出しているかのように日常を感じる。
「教えていただきたいのは二つ……いえ、ここに来て三つになりました。まず一つ目は」
「飛鳥さんが御影君のことを、お兄ちゃんと呼んだことかな?」
そう、一つ目はそれだ。御影とは毎日のように話をしているが妹や弟の話を聞いたことがない。苗字も違うし、顔も雰囲気も似たところなんて一つもない。
「はい。御影はどこか納得している様子でしたけど」
漆原は少し間を置いた。海の音を聞く時間を作った。そのわずかな間に、漆原は三人の関係について話すべきか否かを考えた。そして漆原はチラッと微笑を見せた。ただし、その微笑には、どこか憂いが隠されている。秀次はそんな気がした。
「単純なことだよ。あの三人は同じ場所で生まれたんだ。ただし、同じ母親ではないよ。まず、飛鳥さんと秋草さんの話からしようか」
二人は生まれたとき、手足がなかった。手足が作られずして生まれてしまったのだ。だがそれだけではない、いくつかの内臓も機能していなかったのだ。そして、生きるために必要な最低限の臓器も母体から外に出た瞬間に機能低下を見せていた。
当時の医療ではとても助かるものではなかった。絶望に打ちのめされた二人の両親に、ある男がこうささやいた。
「我々の研究を使えば、助かる可能性が僅かですがあります。どうなさいますか」
二人の親はもちろん頭を下げてお願いした。その男、アスール製薬の研究員に。
「言ってしまうと人体実験ということですよね」
「そうだね。だけどそこまで卑下するものでもないだろう。あの二人は助かったのだから」
その実験というのは、単に人を助けるという優しいものではなかった。それは、生まれた赤子に薬剤を注入し、身体の機能を強化した人間を作るという実験だった。
「だから目に見えない速度で戦っているわけだ」
「そういうこと。ついでにあの二人にはより実戦的な人間に成長してもらうために、今も実験に協力してもらっている。強化された筋骨に加えて体のあらゆる部分に内蔵武器があるから気をつけて」
高周波カッター。小型電磁砲。電熱鉄線。超音波振動送信具。どれも人を殺すための道具だ。
そこまでの話でなぜ二人がアスルに協力するのかがよくわかった。本来死ぬ運命にあった命を助けてもらったからだ。その恩返し。漆原が生まれた場所と言ったのも納得がいく。
「では、御影もそのような生い立ちだと?」
「いいや、少し違う」
漆原は腕を組み、研究者のような貫禄を見せて説明した。
実験で生まれたという点は同じだが、違う実験であり、偶然成功したものでもある。特別度という指標があるとすれば御影の方が上だ。
アスルの最高機密の実験、人間の生成。様々な人間のDNAから優れた部分のみを抜き出し、それを結合させる。さらに強化筋骨と強化思考速度、強化神経伝達速度、強化記憶。すべてを遺伝子に組み込み人間を誕生させる。
「ま、元から成功率は低かったよ。DNAは上手く結合しないし、妥協を知らない研究者たちが色々と機能を付けようとしたから必ずバグが出て、DNAは自壊する。細胞ができるまでいっても結局増殖しない」
命をどの段階で認定するかの問題ではあるが、見方によってはいくつもの命を生んで殺した。そういう人道的でない実験だ。
「そんな悪魔のような実験を、どうしてそんな実験をする気になったのですか?」
「ははは、君はこの実験を悪だと言うか。だがどうだろうね、この実験がいつか人のためになるとしても悪だと言うかい?」
「……」
「べつに責めているわけではない。おそらく悪だ。人間は変化を嫌うから、新しいものの大半は悪だ」
昔、科学は悪だとされた。魔術と呼ばれた時期もあった。そんなものが発展してしまえば今の支配体制が、その当時の平穏がなくなってしまうかもしれなかったからだ。
「昔は科学も自由も平等も人権も、すべて世の中を乱す悪だとされていたんだ」
それでも今では科学がなければ生活ができないほど、人の世界に浸透している。人間はとっても縄張り意識の強い動物だ。知らないものの侵入を極度に嫌う。
秀次は逸れかけた話を戻した。
「御影はその実験で生まれたと?」
「そういうこと。本当に誰も予想しなかった奇跡だった。御影君以降に、彼と同じレシピを試しても、今のところ成功していないんだ」
御影はそうして生まれながらの強化人間としてアスルに育てられた。ただ一つ、誤算だったことは御影がアスルに対して、矯正のしようのない憎悪を持っていたこと。
「原因は……さぁ、想像だけど、救われた者と生み出された者の違いなのかな」
アスルは御影の本心には気づくことはなく、唯一の成功体として御影をとことん大事に育てた。御影も、ふんだんに与えられる知識や技術を、強化記憶を持った優秀な頭脳ですべて残さず自分のものにした。
「そして十分な力を蓄えたと確信したとき、彼は生活していた研究施設を破壊して逃亡した。今ではアスルを潰すためにカペラとして暗躍しているわけだ」
漆原はまた笑った。今度は我が子を見るような優しい笑顔だ。
「あの三人は研究施設でも一緒に遊んでいたんだけど、わからないものなんだね」
……
星見の島の西にある唯一のビーチに金属音が鳴り響いた。耳を塞ぎたくなるほど大きな音だ。御影たち三人の戦いは激化の一途だった。
(こいつらを止めておかないと、秀次や生駒を殺しそうな勢いだしな。役目はキッチリこなさないとな)
飛鳥と秋草の内蔵武器に対して、御影は特殊警棒一つで戦っていた。
「お兄ちゃん、他の武器はないの? 警棒一つで二対一だとさすがに厳しいと思うよ?」
飛鳥がナイフで斬りかかってくる。強化筋骨を持っているだけあって速度はかなりのもの。ビーチで戦っているから踏み込むたびに砂が巻き上がる。
御影は突き出されたナイフを横から叩いて折ってみせた。飛鳥が驚いているその一瞬を逃さずに、腹部を蹴り飛ばした。
「十分だろ、これ一つで」
「なまいき」
背後から秋草の迫る音がした。高周波カッターを右手の甲から出している。鉄すら斬り裂く武器だ。警棒で受け太刀は何度もできない。
振り下ろされた高周波カッターを、御影は紙一重で躱した。
「兄ちゃんも覚えているでしょ。研究所で遊んでいたこと」
「それは覚えてるぞ」
御影は一度距離を取った。秋草は体勢を整えて、飛鳥は左腕から電熱鉄線を数本垂らした。
秋草が普段通りの平坦な声で言った。
「どうして僕たちを裏切ったの?」
「……べつに裏切ったつもりはないけどな。ただ俺は、アスルを許せないだけだ」
飛鳥が電熱鉄線を横に大きく振った。超高温の鉄線は触れただけで骨まで溶けてしまう。避ける以外の対処法のない厄介な武器だ。
「私たちと違ってお兄ちゃんにとって、アスルは本当の親のはず。どうしてそこまで嫌う必要があるの?」
鉄線が遠心力を失って地面に着いた。凶悪的な熱で砂が赤くなっていく。
「試験管から生まれたことに感謝するのか? それも偶然の産物なんだぞ?……まぁでも、一つ感謝していることがあるとすれば、この手でアスルを潰す機会を与えてくれたことだな」
秋草の方から奇妙な音がした。急速な電気の伝導、コイルの動く音だと御影にはわかった。
秋草が御影に向けて左腕を向けた瞬間、危険を察知した御影は回避行動に移っていた。そのおかげで、胴体に風穴が空くことは避けられた。
御影のすぐ隣を、超高速の何かが通り過ぎた。
「……電磁砲、そんなもの、以前はなかったはず」
「小型のアルミ弾だよ。食らったら小さな傷じゃあ済まないけどね」
三人の戦闘はさらに激化した。鉄線が当たらないと判断した飛鳥が高周波カッターで接近戦をしかけたので、あちこちで警棒と衝突した際の火花が散っていた。
「逆に聞くが、どうしてお前たちはそこまでアスルに協力的なんだ」
実験は奴らがしたくてやっただけ。失敗していれば当然死んでいた。どうでもいい命だったから実験対象にされた。
「それでも私たちがこうして生きていられるのは、あの人たちのおかげなの! 一生かけて恩返しするんだ!」
無言で秋草が地面に手を付けると、秋草を中心にしてビーチの砂が波紋を描いた。超音波振動だと御影は察知した。瞬きの間に振動は大きくなり、砂が一気に打ち上げられた。
視界を殺され、身動き取れなくなった御影に向けて秋草が高周波カッターで斬りかかった。しかし御影はそれすらも超人的な反応速度で対応してしまった。
特殊警棒と高周波カッターが金切り声を上げる。
(これ以上、警棒で防御はまずいな)
大きく飛び退いて、御影は再び距離を取った。
「そして今回、アスルをさらに大きくするために、苗代月見さんの力が必要だという試算が出た。だから僕たちは苗代会長を送り出す。邪魔をするならいくら兄ちゃんでも倒す」
「私たちはアスルに忠義を尽くす。容赦はしないよ」
二人は右手に高周波カッター、左手に電磁砲と電熱鉄線をそれぞれ装備していた。その装備からも目からも、あきらかに本気だということがわかった。
御影は右手の特殊警棒を二人に向けると、微かに笑った。
「どうしたの? 私たちの戦う動機が、そんなにおかしい?」
「いいや、そんなこと思っていないさ。憧れや忠義を持つことは悪いことじゃない」
誰かに優しくされて恩を返したいと思うことは悪いことではない。憧れた背中を追うことも、そういった目標を作ることはむしろ良いことだ。
(だが、その対象が必ずしも正しいとは限らない。それだけのこと)
御影は一度警棒を上にあげ、風を切って振り下ろした。
「むこうもそろそろ終わりそうだ……いくぞ」
……
「それで、二つ目の質問は何かな?」
「苗代会長のことです。アスルは会長を使って何をしようとしているんですか?」
漆原は説明をするために、以前保健室で見せた博士のような口ぶりになった。時々聞こえてくる御影たちの戦闘音と月見たちの様子を気にしながら話した。
「彼女を使って、民衆の意思を一つにまとめるんだ」
苗代月見の能力があればそれが可能だ。数々の政党、派閥、宗教。それら混在した考えを一つにまとめる。
強引に、人類としての足並みをそろえるのだ。
「この間彼女の能力の説明を面倒でしなかったけど、少し詳しく話してあげるよ」
苗代月見の能力は「カリスマ」。それも、ほとんどの人間に作用するほどの能力。みんなが、彼女についていきたくなる。彼女の言葉を欲する。
「お酒の中毒性をさらにパワーアップさせた感じかな」
酔ってしまったように、どんな内容でも彼女の言葉なら信じてしまう。
「その本質が、声の波長なのか選んでいる言葉の種類なのか。そういったことは残念ながらわからないけどね」
「健吾と一緒にいることで、その能力が失われると?」
「厳密にはその能力自体は失われない。ただ、私たちの望む能力者ではなくなるということね」
つまりは結局、月見を使って自分たちに都合がいい世界を作りたい。ということ。それがどのような世界なのかは知らなくても、きっと避けた方がいいのだろうということはわかる。相手は、容易に人体実験をする連中だから。
怖いもの見たさに聞いてみた。
「どんな世界を作るつもりなんですか?」
「ああ、それはね……この先、人類は様々な問題に直面する。まずは資源が枯渇する。すると資源をめぐって戦争になる。そして戦争のせいで資源はなくなるんだ」
「先生は時々、スケールの大きすぎる話をしますね」
秀次の言葉に沈黙という返事をし、人類の抱える問題についてさらに話した。
仮に資源不足が新しい技術によって解決されたとしても、次は人の過密問題だ。地球は限りあるのに人はどんどん増える。加えて資源不足を解消するために生まれた技術もまた、何かの火種になる。
「その結果争いは起きてしまう。さて、どうしよう」
「みんなの意思をまとめあげてしまう」
「正解」
先日、苗代月見の能力がなくなってしまうことについて飛鳥は世界の損失だと言ったが、それは少しも大げさなことでも、買いかぶっているわけでもない。
苗代月見が人類のリーダーとして君臨することは、本当に人類を救うことになるのかもしれない。
「わかってもらえたかな。弊社が彼女にこだわる理由」
「ええ、とてもよく。ですが、ここ最近で会長が保健室に入るのは見たことがありません」
四季と同じく能力を使うのであれば、保健室の秘密の部屋に置いてあった薬品が必要なのではないのか?
「ああ、それは彼女の能力が今となっては安定しているから。彼女は君たちの学年で最も早く能力を発現させたグループの内の一人だ」
能力の発現直後は、不安定になるということ。だから薬での調整が必要となる。
(その能力が、強大であればあるほどね)
三つ目の質問は、その能力の発現についての質問だ。
「最後の質問です。この学校の実験というのをどのように行っているのか。どうやって生徒に能力を付与しているんですか?」
そこまでほとんど途切れずに話していた漆原が、この質問については話すのをためらった。それは、これまで一人の部外者にも知られたことのない情報。御影が必死になって探っている情報でもある。
漆原は天を仰いでため息を吐いた。
「まぁ、知られたところでか。だがすべて話すわけにはいかないな。話すのはそうだな。半分程度かな……ついておいで」
漆原は滑走路横にある芝生に入った。答えを聞くために秀次も後を追う。漆原はペンライトで地面を照らして何かを探し始めた。
「お、あったぞ。清峰君はこの花を知っているかい?」
漆原はライトで花を照らしていた。紫と黄色の独特な花弁を持つ花だ。以前、四季と一緒に花の名前はなんだろうかと話したことがあった。が、結局調べずじまいだった。
「いえ、知りません」
「この花の名前はベクター。かなり特殊な花だ」
漆原はベクターという花の特殊性を一つひとつ、指を立てながら説明した
一つ目。一年中、どんな時でも花を咲かせる。
二つ目。この島にしか群生していない。
三つ目。島の外に持ち出すと瞬時に枯れる。
四つ目。おしべ、めしべがない。
「そして最後の一つ。これが最も大きな特殊性」
漆原は指を全部伸ばして言った。
「ベクターのエキスは、人のDNAに作用する」
アスルにとってベクターは天使の贈り物にさえ思えたとのこと。まさに我々の研究のために使えと、天からのお告げのようだったのだ。事実、ベクターのエキスとアスルの持っていた技術を融合させた結果……。
「こうして、高確率で超能力者を作ることに成功しているわけだ。ただ残念なことにベクターのエキスをいくら加工しても外に持ち出すとその効果はなくなってしまうんだ」
だから学校を作った。研究施設など、他国から狙われるようなものではなく純粋な学校を作り、大実験場とした。
「さてじゃあ問題」
「食事や飲用水に混ぜて、生徒自ら摂取させたというわけですね」
「……正解。なかなか悪い考え方するね」
ベクターを撫でる漆原の背中は、とっぷりと悪の水を飲んでしまった科学者に思えた。ベクターを見て、小さな声で「美しい」とまで言ったのだ。
漆原は半分と言ったが、それでも秀次にとって多すぎる情報だった。漆原はそのために学校を作ったと言った。それはつまり、理事長もアスルに関係しているということ。
(この学校はやはり、設立当初から黒かったというわけか)
「じゃあ! もう半分というのは!」
漆原は立ち上がって滑走路へと戻った。
「いつか気が向いたら話してあげるよ。でも今は、もう二つが終わりそうだ」
……
健吾と月見は二人だけで話すことになった。秀次と御影が、この場を整えてくれた。滑走路をまっすぐに歩きながら、月見はうつむいて、健吾は前を向いていた。
この日のために、健吾はあらゆる言葉を考えてきた。それはかつて秀次に、どうやって月見に告白しようかと相談したときよりも真剣に、苦しみながら考えた。
しかし、いざ月見を前にすると驚くほど、かつてビーチのゴミ拾いをしたときのように頭は真っ白。気の利いたセリフなど出て来やしない。
「健吾……私は海外に行きます。たぶん、それが正しいんです」
高里の用意した音声データも、健吾の検査の資料も全て偽物だったとしても。偽物だと言い張ってもアスルの気が収まるわけではない。
(私が海外に行くだけですべてが丸く収まる)
生駒健吾の将来に大きな足枷がつけられることもなく、アスルの要求も満たしつつ、有名大学を卒業した証をもらえる。
「本心を教えてよ。星雲高校を退学して海外に行きたいなんて本当に思っているのか?」
月見は唇を噛んだ。月見もまた、この決断をするのに長い時間を要し、やっとの思いで踏ん切りがついたのだ。星雲高校に対する思いと、健吾に対する思いに。
(それなのにこの人は容赦なく、私の心を乱そうとしてくる)
月見は一息、間を置いてから言った。
「そんなわけないじゃないですか。こんなに楽しい高校を、途中で抜け出したいなんて、思うわけないじゃないですか」
「それなら!」
「でも、いいんですよ。私が楽しいと思うことに、何の意味がありますか?」
前に、食堂で話したことを覚えていますよね。月見はそう言ってから続けた。
苗代月見という人間が生徒会や部活動。勉強やボランティアを頑張ることに意味がないように、苗代月見という人間が楽しむということ、この事象に何の意味があるというんだ。
「だからせめて、健吾に迷惑をかけない形で、私はこの学校を去ろうと思います」
健吾は月見の嘆きのような告白を静かに言葉を挟まずに聴いていた。やはり、月見は自分とは頭の出来が違うなと思った。健吾がここ数日ずっと考え込んでいても、それは月見の苦悩の足元にも及ばないことだった。
が、すべて月見の中で完結している話だ。残念ながら健吾からするとすべて不正解だ。
健吾は大きく息を吸った。そして月見の正面に回り込んで、月見の力のない瞳を見つめて言った。
「月見が俺のためを思ってくれていることはよくわかった。でも、大迷惑だ」
「……え?」
月見は口をパクパクと、優等生には似合わない動作をした。まったく予想していなかった言葉をぶつけられて驚いている。
健吾は追い討ちをかけた。もう、これまで考えてきたことではないので、流暢に話せる自信はない。それでも、止まるわけにはいかない。月見の本心が星雲高校にあるのなら、ここに残るべきなんだ。
「たとえ俺がこの先どんなに重い足枷をつけられたとしても、どんな壁があったとしても、月見に消えられることが一番大変だ。迷惑だ」
月見が足を止めた。そして健吾に言い返そうとした。健吾はその隙を与えずに言葉がまとまらないまま言い放った。
「楽しむことに意味がないなんて言うなよ。そんな難しいことを考えていたら生きるの大変だぞ? そんなこともわからないなら、月見は俺よりも馬鹿だ」
「馬鹿だなんて、よく言えますね」
どんな色眼鏡をかけても成績下位にしか見えないあなたがよく言うものだ。
「だってそうだろう。生きていく理由なんて考えてもわからないことに時間を使って、考える振りをして逃げているだけじゃないか」
「そんなことは……」
それは久しぶりに突かれた図星だった。どこかで逃げているだけだと自分でもわかっていた。だから月見は一時的に言い返せなくなってしまった。
「いいや、間違いないな」
「……」
月見の瞳からさらに力が抜けている気がした。戸惑っている。健吾にはそう見えた。先ほどまでの月見は自分を犠牲にすることしか考えていなかった。それなのに、健吾に指摘されたおかげで別の方法を見ようとしている。
「この前、月見の言っていた人生の意味についてだけど」
健吾は意を決して言った。喉が慣れないことを言うのだなと気を張って待ち受けている。
「人生は旅に似ていると思うんだ。たしかに何か目標を決めてそれに向けて頑張るけど、その旅がどんな意味かなんて旅を終えてからわかる。生きていく意味なんて、死んでから考えようよ」
月見は目の前の健吾と目を合わせた。そしてすぐに逸らした。自分の足元へと視線を逃がした。
「強がらないでくださいよ。その旅に枷があってはいけないでしょう」
「足枷と言うか、傷だよね。経歴の傷と言うのかな。構うもんか」
傷なんて今になって付き始めたことじゃない。傷跡はすべていい指針だ。旅には欠かせない羅針盤だ。
月見は言い返す言葉を喪失し、唇を噛んでいた。
一方の健吾も既に脳の限界だった。これ以上、かっこいいセリフなどない。気の利くセリフもない。だからせいいっぱいの願いを言葉に込めた。
「死んでからわかるんだ。それまでは楽しんで。成し遂げたいことを見つけたらそこから逃げずに、逃げる理由なんて考えずに挑む……」
健吾は月見の両手を取った。健吾の両手で冷たいその手を包む。驚いて顔を上げてくれた。風のいたずらで前髪がなびいた。隙間から、潤んだ瞳が見えた。
「そこに、月見がいてくれるととても心強いのだけど」
健吾はこれ以上ないくらい、自分の気持ちをぶつけた。あとは、月見の気持ちが動いてくれるかどうか。健吾という存在が、月見の決意を崩してしまうほどの存在であるかどうか。
月見の手を強く握っていた。その手に、涙が落ちてきた。
「まさか、ここまで強く言われるなんて。まさか、私が馬鹿と言われて口論で負けるなんて」
泣いてはいても、先ほどまでのようにすべてを諦めたような表情ではない。むしろ、笑みを感じさせる顔だ。
健吾は揺れてバランスが不安定になっている彼女の肩に手を当てて支えてあげた。
「根に持たないでよ? 月見、もう一度ちゃんと言うから、ちゃんと聞いて。少し付け加えて言うから……この先も、一緒にいてくれる? 俺の彼女として」
この日の風はどうやら完全に健吾の味方だった。月見の髪をかき上げて、健吾にすっかり彼女の顔をさらしてくれた。
「……はい」
……
秀次と漆原の待つ場所に、健吾と月見が帰ってきた。遠くから、誘導灯に従って歩いて来る二人の姿を見た漆原はため息交じりに笑った。
副社長も小さくため息をついた。
二人は、手をつないで歩いてきていたのだ。遠くからでも雰囲気でわかる。健吾の説得が成功したのだと。
副社長は飛行機から降りると、漆原の横に立った。
「まさか才能を棒に振るとはね。これだから若い子は嫌いだ」
「まあ、仕方ないですよ」
三人の元に健吾と月見が到着した。健吾はまず、秀次にガッツポーズをしてみせた。月見は高里に頭を下げた。
「高里さん。今頃になって申し訳ありませんが、私は」
「言わなくてもわかっているよ」
高里が月見の言葉に被せて言った。
「まったく……今の君みたいな表情の子を連れていこうとは思っていないよ。漆原君、計測をしてみてくれ」
「承知しました」
漆原は月見に近づいた。秀次も健吾も警戒していたが、漆原は微笑んで一言、「大丈夫だから」と言うと、月見の左手を優しく手に取った。
白衣のポケットから非接触型の体温計のようなものを月見の手首に当てた。ピ! と短い音がすると、漆原はそっと手を離した。
「適性はゼロに近いですね」
「だろうね」
高里は咳払いをし、一歩前に出た。一度健吾の顔を見てから、月見へと視線を移した。
「謝る必要はないよ。君の意志なしで連れて行っても、何の利益もないからね。この学校で成し遂げたいことがあるのなら、それを頑張るといい。それと、安心しなさい。彼の薬物がどうのというデータも当然作り物だ。脅しに使って悪かったね。廃棄するから安心していい」
高里はそれだけ言うと一人で飛行機に乗った。彼は、本当に残念に思っていた。それはアスール製薬の副社長というポジションのために思うのではなく、一個人として思っていた。
苗代月見の力が、世界にどう影響を与えるのか。それを見てみたかった。力ある者はその力を行使するべき。高里はそう思っていた。
(この高校で、彼女の力がなくなってしまわないことを祈るとしよう)
飛行機は高里が乗り込むとすぐに離陸してしまった。月見は思いの外すんなりと自分を置いて飛び立っていくものだから、拍子抜けした顔でその姿を見送った。
「さてと、あとはあの三人だね」
漆原が言うと、ちょうど御影たちも戻ってきた。三人ともケガをしている。外傷のみで判断するのであれば、御影よりも一年生の二人の方が重傷に思えた。
「そんな、苗代会長……」
飛鳥は悲壮な表情を浮かべた。月見には飛鳥の中の何が彼女にこんな表情をさせているのか、それどころか一年生の二人がここにいる理由も、漆原がいる理由もわからない。それでも、月見は感じ取っていた。この人たちにとって、私が海外に行くことは重要なことだったのだ、と。
月見は膝をついた飛鳥の目線に合わせてから、いつもの会長としての笑顔で話しかけた。
「今回は、あなた方の期待に応えることができなかったのだと思いますが、違う形で何かお返しできたらと思います。今後も、よろしくお願いします」
漆原と秀次は思わず笑いそうになった。その言葉は飛鳥を対象とした飛鳥のための言葉だったというのに、漆原と秀次にも影響があったのだ。心が軽くなったような。満足感で浮遊しているような感覚があった。
(なるほど、たしかにカリスマだ)
さすがの御影も二人の相手に疲れたのか、尻もちをつくように座った。
「お前たち、会長のこと好きなんだろう? なら見守っていろよ」
姉のような感じがして好きなんだろう? 命令を抜きにして、月見を守ってやってくれ。
月見はやはり状況が把握しきれていなかったが、笑顔でよろしくお願いします、と言った。すると飛鳥は泣き出してしまい、月見に抱き着いた。ますます理解に苦しむ月見は健吾に助けを求めたが、健吾もまたわからずに笑っているだけだった。
秀次にだけ聞こえるように、漆原が言った。
「アスルを相手に、よく自分たちの意見を貫いたね。大金星だ」
秀次は月見と一緒にいることのできるという未来に笑みがこぼれて止まらない健吾の顔を見ていた。
「べつに、大金星なんて思っていませんよ。ただ、会長を使えば世界を導けるなんて、勝手な正義を押し付ける連中に勝てたと思うだけですよ」
秀次はそれだけ言うと、健吾に歩み寄って、どんな話をしたのかを聞いた。
秀次と健司、ただの学生二人が作る笑顔を、漆原はしばらく見ていた。
「やれやれ、そういう考えをするのなら、この先君は苦労するだろうな。正義を押し付けてくる奴なんて、いくらでもいるだろうに」
漆原の小さな声を、月見の声が消した。
「と、とにかく傷の手当てが先です! 漆原先生!」
「はいはい。まあでもこの二人ならこの程度の傷は大丈夫だと思うけどね」
「それとこんな酷い喧嘩をされて、御影さんもケガをされているようですが、いったい、何があったのですか」
「ん? あれ? 俺悪者になってる?」
この日、一人の高校生の運命が大きく変わった。当人はそれを認識することはないが、それは確実に変わった。選択者の手によって、確実に。
しかし、それはしばらく先の未来のこと。今はただ、月見たちの笑顔が星の欠片となって、星見の島に輝いていた。