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星見の島  作者: 鶴永大也
7/18

第六章・文化祭準備〜1〜

    第六章・文化祭準備


    1


 九月中旬

 夏休みが明け、星雲高校の教室に生徒たちの活気が戻った。九月の中旬というと、星雲高校の大イベント、文化祭の準備が始まる時期だ。星雲高校の文化祭は体育祭と同じく理事長の方針で大規模なものになる。みんな準備から真剣だ。

 そんな熱気ある教室から抜け出し、清峰秀次と御影弓弦は屋上にいた。夏休み中はお互いに話す機会が少なかった。秀次には御影に聞きたいことがたくさんあった。カペラの最近の動きと御影自身の調査の進捗状況。そして、夏休みであろうと夜中に保健室に呼び出され、実験の対象とされている岸本四季のこと。漆原の言っていた四季の能力についてわかることはないか。

 御影の回答はこうだ。

「岸本さんの能力はわからない。漆原と半崎が徹底して隠しているからな。しかし、たしかに最近、岸本さんが保健室に行く回数が増えているのは気になるな」

 能力はわからないにしても、かなり強力な力だと御影は予測していた。それも、慎重に取り扱わなければならないような危ない力だと。

「ま、定期的にメンテナンスしないと爆発する爆弾のように取り扱っているな」

「四季を爆弾って言うなよ」

「物の例えだ。秀次は何か体に異常はないか? 能力は誰にだって発現する可能性はある」

「俺はないよ」

 四季のことが心配なのは理解できるが、今は我慢しろと御影は念を押した。アスルからしても、四季は重要人物なのだから間違っても殺されるようなことはない。

「さてと、俺の方だが、最近になって監視の目が増えたな」

 アスルは星雲高校に敵対勢力の人間が紛れ込んでいることを知っている。そして既にめぼしい人間を絞り込んでいる。そのうちの一人が、御影弓弦だ。

「だからあんまり俺も派手に動けない。向こうが派手に動いてくれたら、こっちも楽なんだが……あと、今朝学校に来たとき下駄箱にこんなものがあった」

「それは、USBメモリ」

「そう。何の変哲もないメモリだ。仕掛けと種はありそうだけど」

 とりあえずこのメモリの中身を見たいのだと御影は言った。アスルの罠だとしても中身を見ないことには始まらない。

「秀次、お前のパソコンを使わせてくれ」

「持ってないよ。というか御影なら持ってるだろう」

 スパイとしてこの学校にいるのだからパソコンの一つくらい持っていないとおかしい。

「もしメモリにウイルスが入っていたらどうするんだ」

「俺のだったらいいのかよ」

 現状、このUSBメモリが最も重要だということで、御影は職員室のパソコンを借りると言って屋上を出ようとしたのだが、秀次はとっさにそれを止めた。

「待って。以前この学校、オーストラリアからサイバー攻撃を受けそうになったんだ。だから、念の為職員室のパソコンは使わない方がいいと思う」

「なんだそれ、そんなことがあったのか?」

 秀次はパソコン部の古川勝也の話していたことをできる限り思い出しながら説明した。古川が学校のネットを探索していると偶然にも侵入の形跡を見つけた。Ipアドレスというもので相手がオーストラリアにいる人物とはわかったが、こちらから攻撃をすることはなく、学校のセキュリティを強化してひとまず落ち着いた。

(そういえば侵入してきたらウイルスを送りつけるとか言ってたな。どうなったんだろう)

 学校の授業は真面目に聞いている様子のない御影が、考える人の像のように動かずに聞いていた。

「すごいな、パソコン部の古川か。よし、なら決まりだ。その古川に頼んで、このUSBメモリを開いてもらおう」

 御影はそう決めると早速古川に頼み込み、パソコンを使わせてもらえることになった。落ちていたメモリということで古川もウイルスを警戒して乗り気ではなかったが、御影がどうしても中身を確認しなければならない、と言うと重い腰をあげてくれた。

「ま、今は使っていない昔のノートパソコンでいいよね」

「中身の確認ができれば、どれでも構わないよ」

 善は急げ。文化祭準備中の教室から古川を連れ出し、パソコン室に連行。古川はパソコン室の奥から古めかしいノートパソコンを取り出し、早速電源を入れた。

「さてと。パソコンは正常に動きそうだし、早速見てみようか」

「頼んだ」

「はいはい。そうだ、御影君もこういう正体不明のものをパソコンに繋ぐのであればネットは切っておいてね。まぁこのパソコンには何も入ってないからいいけど。あ、そうだ、この間のOS破壊砲だけ入れとこうかな」

 侵入してきたときのしっぺ返し用に作ったものだ。

「あの後何か動きはなかったのか?」

「一回だけあったよ。ウイルスを送り付けたらその後は音沙汰なし。その間にまたセキュリティは強化したからたぶん大丈夫」

 古川がメモリのキャップを外し、ついにパソコンに取り付けた。ピロンと陽気な音が流れたが、秀次と御影はまったく楽しい気分ではなかった。

 メモリの中に入っていたファイルを開くと見たことのない文字列が画面最前面に出てきた。真っ黒な画面に真っ白な文字軍。

「御影、なんのことかわかる?」

「いいや、まったく」

「プログラムだね。起動してみればわかるさ」

 古川が素早くパソコンの操作をした。秀次には何をしていたのかわからなかったが、パソコン関連の知識について、古川を完全に信頼していたので任せていた。

「あれ、起動できない。エラーだ」

 プログラムの実行結果をすぐに見ることはできなかった。どうやらプログラムが破損しているらしく、動かすためには修復が必要とのことだ。

 修復には早くても三十分はかかりそうと古川が言った。

(逆に三十分あればできるのかよ)

 秀次と御影は近くのイスに座って待つことにした。文化祭の準備に走り回る生徒たちの声が廊下からする。古川にはそんな声聞こえてないのだろう、画面に集中していた。

 御影も、プログラムの文字を見てからというもの、ずっと考えて込んでいる様子だった。

「なにか、心当たりでもあるの?」

「ないよ。だが、わざわざ簡単には見ることのできないようにしているということは、あぶり出しに来ているな」

 暗号のようにして、どうしても解く必要のある人物を探している。アスルに敵対する人間であれば、中身を確認せずにはいられないからだ。

「だったら、このプログラムを解いたらまずいんじゃ」

「それは大丈夫だと思うよ」

 古川が言った。

「このパソコンの電波受信器を取り外しておけば、どんなプログラムが作動しても外部に繋がりはしないからさ」

 古川は作業を一度止めて、パソコンをひっくり返した。机に収納されていたドライバーでパソコンの解体を始めた。御影は古川の腕に感心しているようだった。カペラにスカウトしようとまで言い始めたのだ。

 ほどなくしてプログラムの修正も終わり、起動することができた。

「二人とも、できたよ」

 秀次と御影がパソコンを覗くと、大きな文字が出ていた。古川は、その文字がプログラムの実行結果だと言う。

「二十日、夜」

 秀次はボソリと読み上げた。プログラムの実行結果はそれだけだった。他の情報は何一つない。二十日夜、それだけだ。それだけなのだが、多くの推論を立てることができる。

(このUSBメモリが本当にただのいたずらだったらどうしようもないけど)

 夜なのだ、おそらく場所は保健室。関係者にだけ伝わるよう最低限のメッセージ。古川はつまらなさそうにしていた。

「それで、これはなに? 明日みたいだけど」

「いや、たいしたことなかったよ。手伝ってくれてありがとう、また頼むよ」

 教室に戻る途中、やはりどのクラスも文化祭準備を続けていた。文化祭の中心は受験のない二年生だ。二年生は特別に二つ出し物をすることになっている。演劇と小さなお店が定番だ。

 二年三組の演劇は「魔法使いの解けない魔法」という物語だ。秀次と御影はお店係なので詳しく台本を読んだわけではない。それほど悪いストーリーではなかったと思う。

 魔法を使えるようになった主人公の女の子が事件を魔法で解決していく。あるとき一人の男性と運命的な出会いを果たし女の子は恋に落ちる。魔法で恋を実らせようとしたのだが、女の子の前に魔法を与えた魔女が現れてこう言った。

「魔法をそのようなことに使うのは許可しておりません」

 あなたは魔女としての道にいる。一般の男性と付き合えるわけがないだろう。魔女の言葉に深く傷つけられた女の子の運命はいかに。

「解けない魔法ってのは恋ってことでいいんだよな」

 御影は道中の階段で言った。

「たぶんね。ちゃんと台本を読んだら解釈が変わるかもしれないけど」

 お店の方は「たこ焼き」に決定している。材料の確保や実際にその日に調理をすることが仕事だ。準備は発注くらいなので、当日まで暇というのが正直なところ。教室の飾りつけは女子がこだわりを持って進めている。男子は蚊帳の外だ。

「一回くらいたこ焼き作る練習したくないか? 秀次は作れる?」

「家でやるみたいにてきとうでいいでしょう」

「家でやったことあるのか、すごいな」

 教室に入ると演劇組は小さな動きを入れながらセリフのチェックをしていた。お店組は隅っこでよくわからない折り紙で遊んでいた。

 教室に健吾がいないことに気づいた。演劇組なのに、いなくてどうするのだ。

「会長、健吾はどこに行ったの?」

 同じく演劇組の月見に聞いた。

「けん……生駒さんは先生に呼ばれて職員室です」

 月見は人がいるときは未だに健吾とは呼ばないようにしている。隠せるはずもなく、既に二年生のほとんどの生徒は知っているというのに。ただ、健吾という名前を出すだけで動揺してくれる月見が面白いので、秀次はしばらくその反応で楽しむつもりでいた。


 一階、北棟。

 生駒健吾が職員室へと歩いている途中だった。

「あ、生駒先輩だ。お久しぶりです」

 一年生の飛鳥美里だ。先日のビーチの清掃以来だ。

「久しぶり」

 一目見たときから違和感はあった。正面から歩いてきて、まったく避ける素振りがなかったのだ。それに表情も、笑ってはいるが自然な笑顔でないことはすぐにわかった。

 健吾は素通りしようとした。このとき、健吾も一瞬、何が起きたのかわからなかったのだが、ほんの少し目を外した刹那に健吾の肩に飛鳥の手が乗っていた。

「ちょっと一緒に来てもらいますよ。職員室の呼出は嘘ですので、ご心配なく」

 違和感の次は悪寒がした。この人物に逆らってはいけない。本能がそう告げていた。

「……わかった」

 連れ込まれた教室は物置として使われている教室だった。教室には誰もいない。カーテンは全て閉めてある。

「さて、生駒先輩。単刀直入に言います。苗代会長と別れてもらえませんか」

「え? 急に何を」

「私は完全に真面目ですよ」

 真面目なことは伝わっていた。いつもと雰囲気がまるで違う。柔らかく笑う一年生の可愛い子が、今では人も殺しかねない恐ろしい目をしている。

「えっと、まず俺と会長はけっして付き合っているわけじゃないんだ。なんか色々と噂があるみたいだけど」

「でしたら、苗代会長に近づかないでください。あなたは会長の価値をまったく理解していない。あなたのせいで会長は力を失いつつある」

 飛鳥美里は力説した。

 苗代月見は世界のリーダーとなるべくして生まれた存在。一般的な人間では及びもつかない能力を秘めている。

「あの人は世界に変革を与える。既にそう注目されている……だけど、生駒先輩と名前を呼び合うようになってから変わってしまった」

 普通の人間になりかけている。私が仕える相手が普通の人間へと堕落しかけている。

「私が言いたいのはそれだけです。苗代会長の力が失われたときの世界の損失は計り知れない。あなた一人の満足のために苗代会長に迷惑をかけないで」

「迷惑って……そんな世界とか力とか、わけわからないことを言われて納得するわけないだろう! 俺は自分の満足のために月見を使っているなんて思っていない! とにかく、俺は今まで通り接するだけだ!」

「ふーん」

 健吾は飛鳥の視線に負けまいと睨み返した。それでもまったく動じない可愛げのない一年生が何かを言いかけたときだった。二人とは関係のない音がして睨み合いは解除された。

 ガラガラガラ!

 教室の扉が開く音だ。

「あ、ごめん。使ってた?」

「半崎副会長……」

 飛鳥は唇を噛みしめ、半崎の脇を早歩きで抜けて教室から出た。

「あ、俺もすぐに出るから、使っていいよ」

 健吾もまた半崎に教室を任せ、早歩きで二年三組に戻ることにした。階段を一段一段上がるその心中は、穏やかではなかった。

(飛鳥さん、どうしてあんなことを)

 飛鳥の目が本気だっただけに、健吾は参っていた。苗代月見の価値をわかっていない。普通の人間に成り下がる。

(あの話のすべてを信じるなんて無理だ。あの子は少し、月見に憧れ過ぎているんだ……だけど、仮に本当だとしたら、俺は月見の中にある何かの才能を殺していることになるのか?)

 月見は仮面をかぶっている。見せているものがすべてでない。むしろ、隠している部分の方がはるかに多い。名前を呼び合うようになったからと言ってそれは変わらない。

(もしかしたら本当に、隠している部分に俺の知らない才能があって……)

 考えていても仕方がない。健吾は足をさらに速めて教室に向かった。秀次たちとバカな話をすれば忘れられる。月見の笑顔を見たらきっと忘れられる。

 おかしな邂逅だったと、健吾は気持を切り替えた。

…………

……

 保健室、夜

「生駒健吾にあの話をして、どういうつもりだい? 飛鳥」

 保健室の秘密の部屋、薄暗い部屋に半崎の声が響いた。

「どういうつもり? それはこっちのセリフです。どうして苗代会長の能力の衰退を黙って見ているのです」

 たった一ヶ月、生駒健吾という男と交際しているだけで苗代月見の能力は明らかに下降している。もう見ていられない。

「生駒健吾までこの学校に不信感を抱いたらどうする。我々はさらに動きづらくなる」

 漆原玲が言った。その言下に被せる様に飛鳥が言った。

「そしたら始末するだけですよ」

「飛鳥、少し冷静になれ。苗代月見よりも強大な力を持つと予測される岸本四季を軸にするって話のはずだ」

 飛鳥がさらに嚙みつこうとしたが、僅かな隙間にその場にはいない第三者の声がしたので、さすがに飛鳥も引き下がった。

「二人とも、飛鳥君の言うことも一理あるよ。使える能力者は多くて損はしないからね」

 浮かび上がった映像に、三人の視線が一斉に向いた。最初に口を開いたのは漆原だった。

「副社長。お疲れ様です」

「お疲れ」

 アスール製薬、副社長の高里丈一郎。社長の右腕としてアスルの行うほとんど全ての研究に関わっている人物であり、科学雑誌にも幾度となく名前の出ている有名人。完全に色の変わった白髪をオールバックにしている紳士だ。

「苗代月見のことだが、勝手に決めて申し訳ないが、こっちで預かることにした。彼女の能力はもう十分に成熟しているだろう」

「ええ、彼女であればもう島外に出しても大丈夫かと。しかし急ですね」

「いろいろと計画を前倒ししたいと思っている。たしかに岸本四季の可能性は魅力的だが、苗代月見も捨てられない。近々、私が迎えに行くよ」

 三人は映像に向かって同時に返事をした。

「承知しました」

 飛鳥は内心ほっとしていた。苗代月見が本社の上層部にも既に認められた存在であることに安心したのだ。

(当然のことだ。あの人以上のリーダーなんていない)

 副社長、高里丈一郎との通話は終了し、三人のミーティングに戻った。副社長が来るのであれば、それに向けた準備も必要となる。その準備は半崎に任せると漆原が決定した。

「秋草明良も使っていいから」

「わかりました」

「私は?」

「飛鳥さんにも、重要な仕事があるよ」

 漆原は仕事の内容を伝えた。短く言うと、星雲高校に潜入しているスパイの排除だ。既に三人に絞り込んでいるが、そろそろ排除するためにUSBメモリを渡して選別を行った。

 スパイであれば必ず、明日の夜にここに来るはず。

「私はそいつを排除すればいいのですね」

「そういうこと。ただ、油断しないこと。相手は自立警備ロボットを素手で破壊してしまうような人間だから」

「大丈夫。私をロボットと同格にしないで」

 半崎が会話に割って入った。そのスパイについてである。

「十中八九、御影弓弦だと思うけど、一応相手のDNAを採取しておいてね」

「それは私が負けたときのためですか?」

「いくら君でもミスはある。念の為だよ」

「……わかりました」

 保健室の明かりが完全に消えた。最初からそこには誰もいなかったとしか思えない静寂が三人の痕跡を消し、星雲高校は眠りについた。



****


 二十一日。USBメモリに入っていたプログラムが打ち出した日の翌日。秀次はまたも眠れずに登校していたので、朝から疲れが体にのしかかっていた。

 いつもと変わらぬ四季の顔を見てひとまず安心した。四季の顔をじっと見ていると、「どうしたの? 気持ち悪いわよ?」と言われてしまった。

 御影も遅刻せずに登校してきた。結局、昨日は何もなかったのかとそのときは思った。というのも束の間、秀次は御影と目が合うとすぐに屋上に連れ出された。

 何事も、ないわけがなかったのだ。

「昨日、何があったんだ?」

 屋上での第一声はそれだった。御影は落下防止のために取り付けられた金網のフェンスにもたれて話し始めた。

「予測はしていたが、待ち構えられていた。俺の正体も、あれはバレただろうな」

 昨夜のことを御影は簡単に説明した。

「まず、待ち構えていたのは一年生の飛鳥美里で」

「え? ちょっと待ってくれ、飛鳥美里ってあの栗色の髪の?」

「ああ、そうだ。最近監視の目が多かったのは、あいつのせいだったわけだ」

 いきなり驚愕の事実だ。まったく気付かなかったが、半崎と一緒にいたのはそのためか。

 飛鳥と会敵すると、飛鳥は突然ナイフを構えて襲いかかってきたのだと言う。

「……でも、問題なく勝てたんだよね?」

「いや、強かったよ。勝ったけどな」御影は首元の傷を見せた。「たぶん改造人間だ。武器を体に内蔵していたからな。動きも普通の人間じゃなかった。おかげで、この傷を付けられた」

 首を切られた際に、仮面が外れてしまったのだと言う。一瞬だがそのときに目が合ったのだ。どのみちナイフについた血を使って正体は突き止められたはずだから、それほど気にはしていないと御影は言った。

「でも、正体バレたらまずいだろう」

「うーん、それなんだが、半崎には元からバレてたかもしれないんだ」

 それでも、半崎は監視するだけで特にアクションはなかった。昨日の夜に確定的にバレて、今日の朝無事に登校できている時点で、アスルの方にも何か考えがあるのだとわかる。

「だが、注意はしておけよ。一年生の飛鳥と、それから秋草に」

 ふと思い出したことがある。夏休み中、図書室でその二人と会ったことだ。あのときは偶然だと思ったが、本の在庫点検は口実で、本当は監視をしていたのかもしれない。

「わかった」

……

 保健室にて、一人の女子生徒が眠っていた。飛鳥美里だ。

 目が覚めても、酷い頭痛がしてなかなか起き上がれなかった。

「目が覚めたようだね。だから油断するなと言っただろう」

「ここは?」

「保健室。君を運んで直した。まぁ自己修復機能のおかげで、私はあまり手を加えていないけどね」

 飛鳥の脳に、次第に昨夜の記憶が蘇ってきた。保健室で待ち伏せをしていると、仮面を付けた男がやって来たのだ。ナイフで奇襲し、そのまま第一グラウンドに連れ出して戦闘になり……。

「負けた私を処分しないの?」

「そんな野蛮なこと、私はしないよ」

 飛鳥は身体に鞭打って起き上がった。保健室には漆原の他に誰もいないことを確認してから、報告を始めた。

「顔を見ました。やはり御影弓弦でした」

「そうか。だが君の装備に付着していた奴の血によって、もっと面白いことがわかったよ」

 漆原は不敵に笑ってタブレット端末のDNA鑑定の結果を見せた。その結果はアスルとしては都合の悪いことだった、もっとも、漆原はそれを楽しんでいる様子だが。

「これは、生徒の中に一致したものはいなかったと?」

「そのとおり。だが面白いことにこのDNAはアスルの保管しているデータにあった」

「それはつまり」

 漆原がタブレットをスライドさせてページをめくった。そこには小学生だろうか、とても小さな子の写真があった。その横に、目を引く文字体で「同一人物」と書かれていた。

 飛鳥の細い喉がごくりと鳴った。

「成長していて顔がだいぶ変わっていたから、それに名前も変わっていてまったく気がつかなかったよ。しかしこれで、御影君がどうしてアスルの邪魔をするのかも、その強さも納得がいった」

「そうですね」

 漆原が笑みを引っ込めた。慢心は最大の敵。相手の素性を知ったからといって、それで相手が弱くなるわけでもない。

「次は君と秋草君の二人でやってもらう。そしてその舞台は半崎君が整えてくれる。相変わらず半崎君は仕事が早い」

 半崎は月見に星雲高校を退学してもらう準備をしていたのだ。副社長が引き抜きに来ると言っても、月見の意思が伴っていなければ無駄足になってしまう。半崎は説得材料をそろえたのだ。

 確実な仕事をするために、明らかな悪意を持って。

「そういえば、副社長はいつ頃来られることになりましたか?」

「ああ、実はもう来ている。あの人はせっかちだから。もうすぐ面白いことが起きるさ」

……

 授業中にも関わらず、校内放送で呼び出しを受けた苗代月見は指定された応接室に来ていた。理事長室の隣の部屋。本島の新聞やテレビ番組の取材スタッフが来校された際に、生徒代表としてこの部屋でインタビューを受けたことがあった。

 今回は事前に何も通達を受けていないが、いわゆる突撃インタビューというものだと思って、教室から応接室までの間に心を整えていた。しかし、いざ部屋に入ってみると、インタビューというものでないことはすぐにわかった。

「君が苗代月見さんだね。会えてうれしいよ」

「星雲高校、生徒会会長の苗室月見です」

 反射的に挨拶をしていた。座るように勧められ、月見は相手を観察しつつソファに腰かけた。

 目の前にいるのは男性。白い髪をオールバックにしてまとめている。そしてこう名乗った。

「アスール製薬、副社長の高里丈一郎です。本日は急なお呼び立てして申し訳ない」

 聞いたことのある肩書だ。製薬業界を席巻する大企業ではないか。

「いいえ、遠いところから、ご足労いただきありがとうございます」

 高里は肘を膝あたりに置いて、少し前かがみになった。そしてしばらく月見の目を見てから、妙にゆっくりと口を開いた。

「まず、結論から言うと。今日は君をスカウトしに来ました」

「スカウト、と言いますと具体的には」

「海外の大学に飛び級してもらいたいのです。可能であれば今すぐに」

 高里はそこから、実に弁舌爽やかに言葉を並べた。優秀な成績と類まれなリーダーシップ。君の才能を少しでも早く現場で見たい。君ほどの知識があれば海外でも問題はない。星雲高校も優れた高校ではあるが、もはや君は高校の枠組みに入れていてはならない。

「えっと、ですが、それはつまり星雲高校を退学することになりますよね」

「おっしゃるとおり」

 それならば答えは決まっている。遠路はるばる来てもらって悪いが、星雲高校の生徒会長としても、一般の生徒としてもまだ星雲高校でやり残したことがある。

「申し訳ありませんが、まだこの学校で学ぶべきことがたくさんあります。ここで退学してしまっては未練が残ってしまいます」

 月見ははっきりと言って頭を下げた。飛び級などという話は日本ではあまり聞かない。嬉しくもあったが、それ以上にこの学校での体験を大切にしたいのだ。

「そうですか……未練がなくなればよろしいのですね」

 高里はノートパソコンを取り出した。スリープモードにしてあったみたいで、すぐに起動し、高里の望む画面を表示した。

「これは、食堂で録音したものです」

 最初は物腰の柔らかい副社長で好印象だったのだが、徐々に月見は高里を敵として認識し始めた。

「盗聴ですか。生徒のプライバシーは大事にしていただきたい」

「まぁまぁ、聞いてください」

 高里は再生ボタンをクリックした。真っ黒な画面に、現在の再生位置を示す再生バーだけが目立った。音が聞こえてきた。男子生徒の声だ。

「会長、実際成績もトップの才色兼備って感じだけど、いざ会長職をやってもらっていると、少し圧迫感あるよな」

「そうだな、以前の方が自由ではあったかもな」

 女子生徒の声になった。

「ああ、会長ね。とりあえず表面上は仲良くしておこうかなって感じだよね」

「ね、苗代会長と一緒にいる生徒ってことで先生たちからも甘く見てもらえるし」

「友達? いやいや、あんなつまらない真面目ちゃんと、どうして友達にならないといけないのよ」

「ほんとね、でも顔は良いからチヤホヤされてムカつく。どっかで痛い目見ればいいのに」

 高里が一時停止ボタンを押し、ため息をついてから言った。

「あなたは生徒会長として懸命に働き、同学年の女の子が何も考えずに遊び惚けていた時間に学校のことに頭を使い、その彼女たちのために努力した。その犠牲を知らない阿呆な生徒の戯言です。ただし、心のどこかで思わなければ、言葉にはなりますまい」

 月見は黙って聞いていた。会長職をやるにあたって、こういう逆風があることも理解していたから、それほど心は揺るがない。

 高里が再生ボタンを押した。しばらくの間があってから、次は再び男子生徒だった。

 その声が聞こえたとき、さすがに月見も耳を疑って驚いた。

「苗代さんは何と言うか、恩着せがましいですよね」

 それは知り合いの声だった。清峰秀次の声だった。何時間か前にも笑って話していた相手だ。

 月見の心が揺れた。胸が苦しくなった。

「私のやっていることが正しい。そして私は優しいから、みんなに尊敬されて当然だ。みんなが私のために動いてくれて当然だ。そんな感じですよね。まぁ機嫌損ねたら先生たちにも色々言われそうだから、何も言わないけど」

 音声はそれで終わりだった。前二つの生徒たちの会話は月見に若干のダメージを与えても、職務の都合上仕方がないとして許せた。しかし、最後の秀次の言葉は、月見自身も思ってもみなかったほどのダメージがあった。

 数少ない、本当の友達だと思っていたのに。

「残念ながら日本は優秀な人間を正当に評価できない。必ずどこか嫉妬心が出てきてしまい、厄介なことにその比重はかなり大きい。あなたの才能はそれらの、他愛ない悪によって潰されてしまう。もう一つ、次は教師たちの音声があります」

「いえ……結構です」

 月見は心を落ち着けようと努めた。冷静になって、状況を俯瞰するのだ。いつもやっていることだ。

(この人は私を海外に連れ出そうとしている)

 そのためにわざわざ陰口を拾ってきて聞かせた。陰口は今になって始まったことではない。こうして聞いたからショックを受けているだけで、実際にはもっとあるのだろう。だから記憶を閉じるように、聞かなかったことにすればこれまでと変わらない!

「最後にこれをお渡ししましょう」

 今度は紙を月見に渡した。何かの検査結果だということはすぐにわかった。

「これは?」

「サッカー部の生駒健吾という男子生徒が違法薬物を使っていたという証拠です」

「なっ!……てきとうなことを言うな! 健吾はそんなことをしない!」

「おや? お知り合いでしたか?」

「知っているくせに」

 高里はさらに饒舌に話した。違法薬物の使用が世の中に広まれば、サッカー部はもちろん星雲高校の信用もなくなる。

「彼自身この先の人生、かなり生きにくいものになるでしょう」

「そんなことにはならない! どうせこんなの偽物だ!」

「彼が薬を摂取している自覚はないかもしれませんね。ただし、実際に違法薬物を使っているか否かはどうでもいいことなんですよ」

 その噂が広まるだけで世間の視線は氷点下に落ちる。大学受験はもちろん、職に就くためにも星雲高校サッカー部だったというのはきっと足枷になる。

「ああちなみに、実名は報道されないと甘く見てはいけませんよ。報道されないだけで記録には残りますから」

 高里は最後に、有名人になれますね、と心にもないことを吐き捨てた。月見は目の前の老人を完全に敵だと識別していたので、これ以上心の動揺をなるべく悟られまいと表情筋を引き締めた。荒ぶる心も、どうにか抑え込んだ。

「私をそこまでしてスカウトしたい理由を教えていただけますか」

 高里は悪びれずに答えた。

「それはもちろん、君の才能を認めているからです。君のご両親もお喜びになるはずだ」

 なるほど、家族も当然のように人質として使うわけだ。高里は一通り話し終えて満足したみたいで、鞄を持って腰を上げた。「どっこいせ」と、ここは老人らしく。

 見下ろす視点に上がってから、高里が月見に言った。

「一週間後にまた来ます。その時までに、ご決断を」

 あなたらしい回答を期待しています。

「すみません、一つお願いがあります」

 声が震えないよう気をつけ、退出しようとした高里を呼び止めた。

「なんなりと」

「先ほどの音声データ、私に預けていただけませんか?」

「ほう、データは当然バックアップがありますが」

「構いません」

 わざわざ自分の心をえぐるようなデータをもらうとは、やはり面白い子だ。高里は内心で月見のことを秘かに褒めた。

 USBメモリの音声データを月見に渡し、高里は応接室を出た。

 玄関に半崎が待ち構えていた。

「どうでしたか?」

「だいぶ効いているようだったよ。まだ子供だ。君も、酷いものを作るね」

「あの人を子供と侮ってはいけませんよ。必要であれば、また別のものを作りますので」

 同級生を陥れる最悪なデータを作った男子高校生が、何食わぬ顔で残酷なことを言ってのける。仲間としては、頼もしい限りだ。

「なるほど。たしかに侮ってはいけないね」


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