第五章・生駒と苗代会長~1~
第五章・生駒と苗代会長
1
その日は生憎の天気だった。
「それでは、試験を始めてください」
一年と六ヶ月ほどさかのぼった星雲高校の受験の日。一月の寒い日に、会場には多くの志願者が集まり学力試験を受けていた。
星雲高校の受験は学力試験と面接の二段階に分けられている。まだ設立五年の学校だが、話題性が受験生を集めており、その年の倍率は二倍を超えていた。
学力試験の中には単純な五教科による試験だけでなく性格検査のようなものも含まれた特殊な試験だったと秀次は記憶している。
カチカチと受験者を焦らせる時計の針が妙に大きく聞こえる部屋で、各々が机とにらめっこをし、チャイムによって解放されたときには誰しもが好き勝手に話している中で、簡単だったと調子にのる者もいれば不安な問題を友達に確認している者もいた。
秀次は学力試験以上に面接のことをよく覚えていた。
「少し、変わった質問をします」
このような切り口で始まった質問だった。
「培養槽に浮かぶ脳という、分野で言うと哲学の問題です。あなたの考えをお聞かせください」
初めて聞く言葉だったが、内容は面接官が説明してくれた。
ある人間から脳を取り出し、崩れないように専用の培養槽に入れる。その脳に電極をつなぐ。
「意識は脳によって生まれる。例えば犬の映像を電極で脳に送信すると、脳は犬がいると意識することになる。もちろん、現在の科学では、こと細かい情報を脳に送り、脳波を操作できるような技術はありませんがね」
仮にそんな科学が完成するとしたら、今の私たちが見ている世界は本物だと言えるだろうかという問題だ。
(つまり、この世界は電極によって作られたもので、自分本体は水槽の中だと……あれ? 脳だけって本体としていいのか? とにかく、問題の意図としては見ているものは現実なのか電気信号なのかということだ)
問題に対して疑問は残るものの、秀次は自分なりの答えをまとめるために懸命に頭を動かした。今まさに題材にされている脳をフル回転させた。
「まだ、その答えを導くことはできないと思います……」
「ふむ」
「ただ、もし問題に出てきた電極や培養槽を作ることができれば、ここが現実だと思えるはずです」
面接官は追い打ちの質問をした。
「その培養槽と電極を作り、これから脳を入れる瞬間の映像を電極で送られているのだとしたら?」
きっと、受験者の言ったことを今のような理論で全て打ち返しているのだろうなと思うと、途端に面接官が嫌な人間に思えてきた。
(逆質問の時間があれば同じ質問をしてやろうか)
しかしそこは冷静に答えた。
「僕の意見も、きっと穴があるのだとは思いますが」
自分以上、または同等の存在を作ろうとはしないはず。もしくは作りたくても作れないはず。
「これだけ人間がいて誰一人、神になれないのですから」
神がいる前提の話のようにも聞こえるが、きっと哲学の世界には神が存在するだろう。と、秀次はこのとき思うことにした。
「だからもし、私たちがその装置を作れるようであれば、少なくとも培養槽を使って人間を観察しようとする生物より上位の存在になります。よって私の答えは、装置を発明すれば現実になる。です」
だとすると、発明されていない今の段階では幻と現実が混在していることになり、もし未来で発明されたらさかのぼって現実になるのか? という質問がくることを覚悟していた。
(まぁその質問が来たらもう答えられない。わかりませんだ)
しかし、面接官からの追撃はなかった。面接官はただ「ほうほう」などと言っただけだった。
その後、星雲高校に入学したらやりたいこと、目標などまさに高校の面接という内容の質問を受けた。逆質問は当たり障りのないことを聞いて無事に試験は終了。
翌月に合格者発表があり、清峰秀次は星雲高校に入学することになった。
(もしかしたらあの受験、学力試験も面接も実はどうでもよかったのではないか?)
測っていたのは星雲高校で行われている実験に対する適応度だったのかもしれない。
(だったら、どうして俺は合格したんだ)
漆原の口から出た「実験」という言葉が気になりすぎて、ここ最近脳の一部領域に鎮座している。まるで常に電極でその波が送られてきているようだ。
もう一つ、秀次には気がかりがあった。岸本四季の容態だ。彼女自身は何事もなかったかのような反応をしているが、それがむしろ不安を増幅させた。
(それこそ、電極で脳をいじられて……)
秀次は想像をかき消した。
机の上で携帯のアラームが鳴っている。もう何度目かのアラームだ。健吾との約束に遅刻しないように早めに設定したアラームで起きはしたが、起きたと同時に四季の真っ白な顔を思い出し、思い悩む時間の始まりだ。
今は八月。星雲高校もこの時期は夏休み。八月末まである長い夏休みを、生徒たちは楽しんでいた。
学生にとって長期休みはありがたい。もちろん勉強はしなくてはいけない。それでも、勉強しなくてはならないということと学校が休みだということはまったく別の話だ。どちらかというと後者の方が重要なことだ。
その旬の時期に、清峰秀次は完全に乗り遅れていた。学生寮からほとんど外に出ず、部屋にこもり気味だった。
ある日、ヤドカリのような秀次を外に出そうという思惑で、生駒健吾が秀次に連絡を取った。
「ちょっとサッカーの練習に付き合ってくれよ」
そんなもの、サッカー部に頼めばいいだろう。と、内心思いつつ、秀次は呼び出しに応じることにした。
時刻は午後一時。真夏のこの時間帯は人間には厳しい。ましてやずっと部屋にいた秀次にとっては蒸されている気分を味わうことになった。
午後からの部活動がアップを始めている。サッカー部は休みのようだ。
「わざわざ呼び出して、何の用?」
健吾はボールで遊んでいた。サッカー部なだけあって、遊ぶと言っても高度な遊びを披露する。健吾からボールが飛んできたので、秀次はトラップしてぎこちないリフティングを見せた。
「上手いじゃん」
「そこそこね。それで? もしかして俺の心配をしてくれた?」
ボールを健吾に返した。パスは少し横にずれたが、健吾は問題なく取ってくれた。ドムドムと音を立てて。サッカーボールはマジシャンに遊ばれているかのように宙で踊る。
「それが二割、他八割」
「そんなもんだろうな」
健吾はボールを足の甲で音もなくキャッチした。
「お前は岸本さんのこと、どう思ってる?」
その数単語で今後の話の流れがだいたい予想できた。高校生活で切っても切り離せない。しかし秀次はここ最近触れることのなかった話。色恋の話だ。
先月の保健室での事件以降、学生らしい会話をまったくしていないことに秀次は気がついた。最近した会話と言えば、御影弓弦との会話だ。
「お前は本当に、どこの団体にも所属していない運の悪い高校生でいいんだな?」
「そうだよ。アスルグループなんてこの学校に来てから初めて耳にしたし、カペラに関しては生涯で初めて聞いたよ」
「まぁお前は嘘を付けそうなやつではないから、ひとまずそういうことにしておこう。秀次は岸本さんのことを見てあげていてくれ。何かあれば報告を。俺はたぶん岸本さんまで面倒を見ていられない」
御影が言うには、漆原と半崎はこの学校にアスルの動きを監視するスパイのような人間がいることを認識はしているとのこと。今はそれが誰なのかは判明しておらず、半崎が候補となっている数名の生徒を監視している状況になっているのだ。
御影もその容疑者の一人だ。
「それじゃあ頼んだぞ、岸本さんのナイト君」
「うるさい」
秀次は以前、御影はてっきり四季のことを好きなのだと思っていた。少なくとも、特別な意識を向けているのだと思っていた。体育祭の日に妙に気にしている素振りがあったから。それはお気楽すぎる勘違いで、実際は仕事の一環で気にしていたのだった。
(もしかして、中学時代に暴力沙汰を起こした問題児というのも、御影の動きを鈍くするための半崎の作り話なのかもしれない)
再びボールの音が聞こえてきた。高校生は好きな人の話をするのが苦手だ。恥ずかしくて、今の健吾は動いて誤魔化す必要があるようだ。
「四季は、そうだな。なんとも、話しやすい奴とは思うけど」
「なんだ。てっきり好きなのかと思った」
このような話をしたことがあると秀次は思った。そうだ、苗代月見との会話だ。彼女はこのような話になったとき、少しイラついていた。
(今から思うと、それも照れ隠しの一種だったのかな)
以前と違うのは、今回の相手は男で、さらに親しい仲だ。遠慮はいらない。
「四季が好きなら告白したら?」
「違うよ。岸本さんじゃない」
秀次は黙って次の言葉を待った。四季じゃないと言ったのであれば、誰かはいるのだ。
(今の流れで四季ではないというのも、脈絡のないこと)
脈絡なんて、話の流れなんて健吾には気にしている余裕はなかった。
「俺、会長に告白しようと思う」
健吾の口から出た名前。それは完全に予想外の人物だった。会長と言われて普段であればすぐに思い浮かべる顔が思い浮かばなかった。まさか、苗代月見のことか?
「は? 苗代月見生徒会長のことか?」
秀次はわざわざ肩書を入れてフルネームで聞き返した。あの、全校生徒の憧れの女子生徒、学力も学年一位の苗代月見のことかと。
「そう。苗代さん」
秀次からするとあまりの衝撃に、久しぶりに高校生相応の思考回路を取り戻した。この話、ものすごく面白い。
「驚いた?」
「とても……まぁあの人は美人だし」
「美人なだけじゃない。可愛いよ」
「ああ、そうだね」
「それに、たまに使う冗談も品があって面白い」
秀次は月見が冗談を言う場面など見たことがない。
「まぁ好きになるのは無理もない……それで、告白するのか?」
月見と健吾の仲は特別いいものではない。現に健吾は月見のことを「会長」もしくは「苗代さん」と呼んでいる。
「告白したいけど、どうなんだよ。そんなに仲いいかわからないし、向こうはどう思っているかわからないし」
それはどんな場合でも誰が相手でもわからないだろうなと、秀次は内心思った。
「頼む秀次、協力してくれ! 俺は苗代さんに告白しないと一生後悔する!」
健吾は恥ずかしいことをズバズバと言い始めた。グラウンドが広くてよかった。誰かに聞かれていたら健吾がかわいそうだ。
「手伝うって言ってもさ」
「ちょっとでいいんだ。苗代さんに好きな人がいるのかいないのかを聞いたり、タイプを聞いたり、どんなときに一対一で話せるのかを調べてほしい」
恋は盲目というのはこういう場面でも適応される。なにが「ちょっと」だ。
「頼む! こんなこと頼めるのはお前しかいない!」
健吾は直角に頭を下げた。自分で聞くわけにはいかないのかと秀次は思った。そうすれば月見と話す機会も作れるし、一石二鳥じゃないかと。
恋心は、そういうわけにはいかないのだ。
「わかったよ。可能な限りね」
「ありがとう! さすがは秀次だ! 上手くいったら昼飯奢るよ」
「成功報酬かよ」
頭金が欲しいところだ。また、秀次が健吾の言うような情報を手に入れるとして、その調査中、健吾自身は一体何をしているのかと気になったのだが、そこは何も言わないでおいた。
きっと、布団の中で告白のシチュエーションと言葉を懸命に考えるのだ。その想像をするだけで秀次は面白かった。
健吾との会話を終えた後、秀次はすぐに寮に帰らず、久しぶりに外を満喫することにした。
(持つべきものは友って、意外と正しいかもしれないな)
健吾と話をしたとき、秀次はずっと引きずっていた悩みを忘れることができた。いつかまた、漆原たちと対峙しなくてはならないにしても、しばらくの間、心を軽くすることができた。
ただし、話の内容を振り返ってみよう。このような相談をされたとき、必ず抱く葛藤がある。そもそも、その恋を応援するべきなのかという疑問だ。
(会長が本当に御影のことを気にしていないのか、そこはまだわからない)
実りのない恋なのかもしれない。それがわかってしまったらどうする。それでも応援する? 仮に上手くいかなかったとしても、健吾は秀次を責めたりしないだろう。そういう性格の良い人間だ。だからこそ、傷ついて欲しくない。
(応援……いや、俺はできる限りのことをしよう。健吾はこの学校で最初にできた友達だ。できる限りの力になってやりたい。それに、二人が付き合っていたら面白いしな)
秀次は半自動的に歩いていると、いつの間にか図書室にたどり着いていた。星雲高校の巨大な図書室。校舎のうち、東棟だけ五階建てになっているのだが、四階の一部と五階部分のすべてが図書室になっている。五階には読書スペースと自習スペースがあり、試験期間になると人が溢れかえる。秀次も放課後に使うことがある。
四階にある入口の扉をくぐると、図書室に溜まっていた冷気の弾丸が体を一気に冷やした。
(久しぶりに来たな)
四階は本棚がひたすら並んでいる。壁際に読書用のスペースがある。午前中はその席にいい具合に太陽光が差し込むため、図書室の司書が隠れた良スペースと言っていた。
五階に上がると人がちらほらと居た。勉強している人、本をひたすら読んでいる人。ただ時間を潰す人。図書室には本を読む以外にも意外と多くの目的を持った人々が混在している。
秀次はてきとうな本を読んでみることにした。気ままな司書が選ぶ、「世界の名作」の棚から一つ取り出した。
【アンドロイドは電気羊の夢を見るのか・フィリップKディック】
タイトルを見ただけではあるが、偶然にも、入試の面接で受けた質問に類似するような内容だなと秀次は思った。
席を見渡してみると、探すまでもなく座る場所は空いていた。しかし、見渡したおかげで、秀次は座る場所を悩んでしまった。
そこに、苗代月見がいたのだ。目に入ってしまったタイムリーな話題の人物、依頼対象。人気者の月見だ。
秀次は頭をポリポリと掻いてから、月見の隣に座ることを決意した。
「会長、久しぶりだね」
「清峰さん。お久しぶりです」
月見は自習ではなく読書をしているようだった。本のタイトルは見えないが、それほど厚いものではない。
「こうして話すのも久しぶりですが、図書室でお会いするというのも久しぶりですよね」
「たしかにここ最近は図書室に来てなかったかも」
体育祭や保健室での事件など、イベントが重なって図書室からは足が遠ざかっていた。一年生の頃はお互いに図書室でよくすれ違ったものだった。
「こんな立派な図書室があるのですから、使わなければ損です」
「大きいよね。五階フロアを丸々使っちゃうなんて。隣いい?」
「どうぞ」
秀次は月見の隣の席を引いて座った。読書の雰囲気を出すために本を開いた。
「星雲高校を建築する際の予定では、もっと大きなものにするつもりだったと理事長から聞いております。図書室だけの建物を作るつもりだったのだとか。それでは図書室ではなく図書館ですよね」
理事長のわがままを建築会社が断ったとのこと。大きなグラウンドを少し削れば建築できそうなものを、どんな要望を出したのか。
「未だに図書館の建築は狙っているようですよ」
「こりない人だ」
高校に図書館という日本では珍しいものに憧れているのかもしれない。もしくは、理事長が極度の本好きか。
「会長はよく図書室にいるよね」
「お互い様ですが、そうですね。部活も生徒会もないときはここにいますね」
「そんなに本が好きなの?」
月見は指先で本をめくった。澄んだ目が、活字を追っている。
「ええ、好きですよ」
物語を体験することが好きなんです。魔法の世界でも、未来世界でも、違う星の世界でも。主人公と一緒に様々な世界を旅することが好きなんです。
「主人公は私たちの目。私たちに様々な出来事を見せてくれます」
読書と会話を同時にしているからか、月見はページを戻して読んだはずのページを再び読み始めた。
「本を好きか嫌いかの質問を私も清峰さんにしたいと思っていました。本は、嫌いになられたのですか?」
「いや、嫌いじゃないよ。ただ調子が悪かっただけ」
体調が悪かったのではなく、疲れていたのだ。
「そうですか。私は、体調が悪いときこそなおさら本を読むべきだと思います。特に清峰さんのように、解決の難しい悩みからくるものであれば」
ふと半崎の言葉を思い出した。会長は生徒をよく見ているという言葉。正直なところ半信半疑だった。建前はそうしているのだと、立派な生徒会会長を演じるために。
心の中で謝った。この人は本物の生徒会会長だ。
「そういえば、半崎さんとこの前話したんだけど」
「半崎さんと、意外と仲がよろしいんですね」
よろしいものか。むしろ立場的にも最悪だ。秀次は話を続けた。
「生徒会のメンバーは成績を重要視していないって聞いたんだけど、実際どうなの?」
「ええ、そうですよ。理事長がそのような方針なので」
月見はその理由をわかりやすく話してくれた。先日の半崎の説明よりも、月見の説明の方が秀次にはしっくりきた。
生徒会というものはこの学校の誰にとっても必要なもの。だから一般的な成績があればこなせる。つまり優秀さというのはそこまで必要としない。ただし心に悪を潜ませた人間は地位の力を利用しようとする危険な存在になる。
「そんな人に生徒会の役員になってほしくない。というのが理事長の考えだそうです」
その考えは、理事長の脳内にある理想の政界だ。道義を心に、国を愛す者に国を動かしてほしい。ただ、多くの場合そうはいかない。べつに議員になるのに国を愛している必要などなく、知略をもって人を騙すことができるかどうかが、重要なのだ。
このことについて月見と話してみることもできそうだったが、月見の明晰な頭脳の前に頷くことしかできないと予想できたので、秀次は話を変えることにした。
「何を読んでいるの?」
月見はしおりを挟んで表紙を秀次に見せた。青い空をバックにして坂道に男女が座っている表紙だった。
「感覚で手に取った本です。恋愛小説でした」
「へぇ」
表紙をどけた先に月見の顔があり、偶然にも目が合った。そしてその目は普段の優しく聡明な目ではなく、心なしか尖った目をしていた。
「私が、恋愛小説を読んだらおかしいでしょうか」
「いいや、おかしくないけど」
「でしたら、その気味の悪い顔を引っ込めてください」
月見が望んでいない話題だということはよくわかった。そうだった、体育祭のときも少し恋愛方向の話をしただけで月見は機嫌を悪くしていた。
(でも、今回はそっちからじゃないか)
秀次にとってこの展開は願ってもないものだった。話の流れで健吾から頼まれていたことを聞きだせそうだった。
(嫌われてもいい……いくぞ)
秀次はわずかに口角を上げてから言った。このときの秀次はたしかに気味の悪い顔をしていた。
「会長はどんなタイプの男性が好きなの?」
本を開こうとした月見の手がピタリと止まった。代わり秀次がページをめくった。読んでもいないのに。
「そんなことを聞いて、どうするんですか?」
会長の手が再起動した。
「べつにどうもしないよ。ただ聞いてみただけ。そんな恥ずかしいことでもないし」
「……そうですね。タイプと言われても困ります。理想の男性像ということですよね」
月見は答えた。まず、しっかり自立して行動する精神があること。指示待ち人間でないこと。生きていくうえで外せない太い芯がある人。
「ふーん。参考にしよ」
話し切った月見は本を強く握っていた。手の甲に筋が浮かんでいる。
「……なぜか腹が立って来ました。清峰さんの好みの女性も聞かせてください」
このくらいの反撃であれば、許容範囲内だ。それに、どうあがいてもその追及は躱せそうになかったので、秀次は渋々紹介した。
「誰かが監視していなくても卑怯な手を使わない人。厳しいけど実は仲間思いの人。あとは……話していて、自分が心を開いていると思える相手かな」
月見は秀次の好みの相手を聞くと満足そうに、「参考にします」と言った。これ以上の情報を聞き出すのは難しいと判断し、秀次は本の話に戻した。それに、やはり嫌われたくはない。
「その本は高校の話?」
「はい。これから高校に舞台を移しそうです。今は高校受験のシーンですね。私たちも経験した高校受験ですよ」
月見は何か受験で思い出に残っていることはあるかと秀次に質問した。中学時代に難しいと感じていた問題や、中学最後の日の思い出など。
秀次は受験シーンと聞いた時点で思い浮かべていたことがあった。
「それはもう、星雲高校の面接だよ。会長は何か変な質問されなかった?」
「変な質問ですか」
月見は本を置いて記憶をさかのぼることにした。天井の一点を見つめてブツブツと思考している。
「ああ、思い出しました。今でも、何と答えればよかったのか正解のわからない質問をされました」
その質問とは、「ごめんで済めば警察は要らない」この言葉は正しいか否か。という質問だ。また意地の悪い質問だなと秀次は思った。
「なんて答えたの?」
恋愛のことは答えるのに苦労を要するのに、この質問には即答してくれた。
「答えはない。と答えました」
ごめんの一言で全ての罪が免除される世界であればたしかに警察は不要かもしれない。しかし少なくとも日本はそういう国ではないのでやはり警察は必要です。
「だったら」
だったら、警察は必要であり、設題は正しくない、じゃないのか? と秀次は言おうとしたが、月見の回答にはまだ続きがあった。
「だからと言って、ごめんに意味がなくなるわけではありません」
それは相手を思って、謝罪する言葉。ごめんと思うことのできる心があれば、警察の必要ないことだってたくさんあるはず。
「……と、私は答えました」
現実を見る厳しい意見を交えて、優しさも垣間見える月見らしい回答だ。なるほど、月見は入試時も上位合格に違いない。
「清峰さんも、何か変わった質問があったのですか?」
「俺のときは見ている世界は現実かどうか、って質問だった」
秀次は培養槽の中の脳の話をした。この世界は電極に繋がれた脳が見ている夢の世界であって、本物ではない。
「それで、清峰さんの回答は?」
その装置を作ることができればこの世界を現実だと認識できる。
月見は秀次の回答を聞くと、月見自身の回答を作ろうと頭を回し始めた。ここで答えを導いたところで、彼女には何一つ特なことはないというのに。どうやらこの問いに、興味があるようだった。
「興味深いテーマですね」
月見はそう言ってから続けた。
「その質問のような状況は、もしかしたらシンギュラリティの先では、現実になっているかもしれませんよ」
シンギュラリティ。その言葉は秀次も聞いたことがあった。物理の授業で聞いたのだ。
「技術的特異点、だっけ?」
「そうです」
人工知能が人間を超える瞬間のこと。コンピューターに対して人間が進化を与えるのではなく、コンピューター自らが進化をするようになる。自ら変化し考えて、何かを作り出し何かの管理を始める。
シンギュラリティを点として、人工知能の進化はさらに加速し、人間の手の届かないレベルにあっという間に到達する。
「そういう世界であれば、人間は人工知能にすっかり支配されているかもしれません」
「そんな世界は嫌だな」
「もちろん、今のはシンギュラリティを恐ろしいものとしたときの意見です。人間を超えた人工知能は人間を友として共存するという意見もあります」
コンピューターとの共存。広義の意味では現時点でも、例えばパソコンや携帯電話を使っているので共存と言えなくもない。ましてや星雲高校には自立警備ロボットがいる。
(あのロボットから武力を取り除いたら、もっと身近な存在として、例えば介護ロボットとか……そんなイメージなのかな)
保健室で、初めて自立警備ロボットに敵として認識されたときのことを思い出した。あれは、もう体験したくないことだ。
「どうだろうね。人間以上の脳を持った存在が、人間を必要か不必要かと判断するかが重要だよね」
「清峰さんはどちらだと思いますか?」
人間を超えた人工知能が誕生したとして、人間はどのように扱われると思いますか。
「俺は不必要とされる可能性が高いと思う」
生きているだけで世界を汚す存在だ。加えて機械と違って欲深い。
「人工知能が進化の過程で感情を持ってくれたら、話は別だけど。それはないだろうなぁ」
仮に感情を持ったとしても、意思決定の障壁となる不要なものだとしてきっと切り捨てる。機械には感情がないから簡単に切り捨てることができる。捨てる進化だ。
月見は本を再び読み進めた。
「清峰さんは、積極的に悲観的ですね」
「あ、そういう男性は嫌い?」
「茶化さないでください」
秀次は話すのが楽しくなってきた。久しぶりに人と話すというのもあるのだが、話している間は陰鬱な考えを忘れることができるから。それに加え、月見は話したくなる相手なのだ。月見と話していると気持ちがいい、聞き上手というわけでもないのに。
(カリスマ性、なのかな)
受験関係の質問をもう一つした。
「会長はどうしてこの学校を選んだの?」
苗代月見の学力であればあらゆる高校を選べたはずだ。
月見は数秒の間を置いてから答えた。
「自分で生活したかったからです……あまり詳しくは話せませんが」
学校と家と塾を行き帰りして過ごすだけの生活は絶対に嫌だった。
(監視された世界から、逃げてきた……)
月見は内心でそう思った。しかし、そのまま口にはしない。
「言われたことだけをする人生は、まっぴらだったので」
星見の島は自由だ。物理的な行動範囲は本島に比べたら狭くなるかもしれないが、それでも自由な世界だった。
月見の表情を見て、秀次はこの質問はするべきでなかったと思った。誰にだって話したくないこと、されたくない質問はある。秀次にだって……。星雲高校は特殊な学校だ。合格しても実際には入学しない学生も大勢いる。いわゆる記念受験だ。入学を即断する生徒はむしろ少ない。
(馬鹿か俺は。会長が他の高校の合格をもらっていないわけがないんだ。ということは何か事情があったんだ)
そこをわざわざ聞くのは、少し無粋だろう。秀次は話題を変えることにした。
「会長はもう生徒会長に選ばれるような自立している立派な人だよ。夏休みでも生徒会は大変なの?」
少し無理のある話の転換だったが、月見は答えてくれた。
「そこまで大変ではありませんよ。各委員会のお手伝いや、二学期の準備を少し。そうだ、今度ビーチの清掃がありますね。あとは風力発電の風車の点検のお手伝い。今のところはそれくらいです」
月見はせっかく読み始めた本を閉じた。そして笑顔を作って秀次に言った。
「それでは、私は一足先に帰ります」
静かにイスをしまって、足音も立てずに月見は図書室を後にした。会話がなくなった図書室は、一段と静かに感じた。
「ああ、ミスった」
「何をですか?」
独り言のつもりだった言葉に返しの言葉がきて驚いた。それも耳元で、潜めた声だったものだから心臓が変なタイミングの大きな鼓動を一つ打った。
「驚きすぎですよ、清峰先輩」
後ろにいたのは一年生の二人だった。これで三度目の遭遇、リレーを走った二人。飛鳥美里と秋草明良だった。
「飛鳥さん……そりゃあ驚くよ。秋草君も久しぶり」
「お久しぶりです、清峰さん」
秋草は相変わらずの高身長で、その場にいるだけで二人分の圧迫感を感じた。飛鳥に関しては、栗色の巻き毛が光を反射し、整った小顔と相まって美しいこと。一年のクラスではさぞ、人気があるだろう。
(今みたいなことをしていたら、勘違いする男子がたくさんいるだろうな)
二人は秀次の左隣に、飛鳥、秋草の順で座った。
「会長に嫌われちゃったんですか?」
座ってすぐに飛鳥は持ち前の何でも許される笑顔で聞いた。
「どうだろう。あれくらいで嫌われないと思うけど」
「嫌われたかもしれないんだ」
「まだわからないって。嫌われたらさすがにショックだけど……ところで二人は何をしていたの?」
秀次の質問には秋草が素早く答えた。
「図書委員の手伝いで在庫チェックをしていました」
「そういうことね。ご苦労様」
会長を見かけたので、話しかけてみようかと思っていたのだが、秀次に先を越されたので物陰から見ていたのだ。
「長いこと話していましたよね。なんの話をされたのですか?」
秀次は会話の一部を教えてあげた。タイプの異性の話や学校を選んだ理由は月見のためにも話さない方がいいと判断し、入試の面接の話をした。
「え? 清峰さんの代ではそんな変な質問があったんですか?」
飛鳥と秋草はそのような変わった質問はなかった。単純に志望動機と将来の目標を聞かれたくらいだったのだ。
「それ、清峰さんの代でも苗代会長と清峰さんだけなのでは? お二人は特別優秀だから!」
「会長はその理由でも、俺は違うでしょう」
秀次の返しに満足いかなかったのか、飛鳥は膨れ顔をした。
「そこは、それほどでもないけど、って言えばいいんですよ」
女心のわからない人ですね。と、文句を言われた。
女心といえばと思い、先ほどの生駒のことで何かアドバイスをもらおうと思ったのだが、狙っていたかのようなタイミングで二人は図書委員に呼ばれてしまった。
「秋草君、飛鳥さん。ちょっと来てくれる?」
「はい。今行きます。清峰さん、失礼します」
「バイバイ、清峰先輩」
秀次は一人になってからもしばらく図書室にいた。本とにらめっこだ。読んでいるわけではない。頭の中に本とは関係のないものが居座っていて、ストーリーの侵入を妨げている。今は文字を目で追っているだけ。
背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。
(……帰るか)
帰り際に本を返却するかこのまま借りていくのかを迷った。夏休みで、ほとんどの時間を寮で過ごしている秀次には読む時間は充分にあった。
(体調が悪いときこそ本を読むべき、か)
秀次は本を持ったまま寮へと戻った。
その日の夜、お風呂上りに秀次の携帯に通話の呼出があった。着信画面の表示は岸本四季。メッセージのやり取りはしていたが、通話は久しぶりだった。
「もしもし」
「あ、もしもし」
ただ挨拶をしただけで、四季はクスクスと笑っていた。
「なんかシュウの声、変わらないなって思って」
「そりゃあ、もう変声期はとっくに終わっているからね」
連絡をしてきた理由を尋ねると、四季は特に理由も用事もないと答えた。電話をしてみたくなった。ただそれだけだと。
「あとはほら。シュウは友達が少なくて寂しいだろうなって思ったから」
「余計なお世話だ」
四季が気ままに部活の話をするのを、ただ聴いていた。秀次は、保健室での一件以降、四季の声を聞くたびに安心と怖さを二つとも含んだ感情を抱いていた。思い出されるのは虚ろな目をした四季。そこから生まれる怖さ。もう一方で軽快な声を聞けたという安心感。
あの日以降、以前と変わったことは他にも二つある。半崎の声を聞くと警戒態勢に入るようになり、漆原の顔を見ても浮かれることがなくなった。
(どんな実験をしているのか、詳しくは知らないけど、まともなもののはずがない)
それでも単純に、漆原が憎いとはならなかった。現状では実害を受けていないからかもしれないが、あの漆原が理由もなしに四季に危害を加えるようなことをするとは思えないからだ。企業の指示通りに動くだけの人間にも思えなかった。
このことを御影に話したことがあった。
「あるだろうな。あの人がアスルに協力する理由。だがその理由を探る余裕はないな」
それに理由を知ったら、実験を続けていいよ、なんて言えるわけがない。
「ちょっと、聴いてる?」
四季の大きめの声によって現実に戻された。
「聴いてるよ」
「ほんと? なら……」
いつもの部活の話だったので聴いていなかった。四季のことだから「なら、今話した……」という具合でテストしてくるに違いない。秀次は瞬時に察知して先手を打った。
「今日知ったんだけどさ、健吾は会長のことが好きみたいだよ」
生駒健吾に謝りながら秀次は言った。しかし、四季からは意外な反応が返ってきた。
「ああ、まぁそうでしょうね。え? 気づいてなかったの?」
四季は健吾に実際に言われたわけではなかったが、健吾が月見のことを好いていることを知っていた。普段の様子を見ていれば、気づかないわけがない、と。
「あんたも鈍感ね。男子ってみんなそうなのかしら。健吾も頼りない奴に相談したものね」
「……なら、会長には好きな人いると思う?」
秀次は昼間に図書室で会長に出くわしたことを話した。できる限り探ってみようとはしたが、失敗に終わったのだ。
「会長はわからないよ。そういう話一切しないから」
少ししただけで、鋭い眼差しで睨まれる。
「好きな人はわからないけど、間違いなく彼氏はいないよ。昔一度、半崎さんと付き合っているなんて噂があったけどね」
その噂、当時の秀次は露ほどの興味もなく聞き流していた。図書室で一緒になってもその噂を話題にもしなかった。そして寝たら忘れてしまっていた。
(今にして思えばありえないことだとわかる。半崎はアスルの人間だから)
四季は続けた。
「健吾と月見ちゃん、相性は悪くなさそうだけどなぁ」
「四季はどう思う? あの二人に付き合ってほしい? 応援する?」
四季はうーんと唸って考えた。イスから立ち上がり、ベッドにドスンと座った音がした。仰向けになったのか、少し声質が変わった。
「付き合ってほしいなぁ。面白そうだし」
なんとなく、月見ちゃんのためになりそう。
「そっか」
「シュウは相談されているんだから真剣に相手してあげなさいよ。中途半端が一番不親切」
仮に月見に好きな相手がいるとわかったのなら、包み隠さずに教えてあげるべき。応援するなら、しっかりと背を押してあげるべき。
「わかってるよ」
明日の午前中にバスケ部の練習があるようなので長電話はせずに早めに寝ることになった。お互いに「おやすみ」と言って通話を切った。
電波の交信が終わると秀次は一人、夜に取り残された気分になった。初めから部屋には一人だったというのに、四季は隣の建物にいるから、会おうと思えば会えるというのに。
夜はそういう時間だ。不必要に心にエンジンをかけて不安をあおってくる。どうしようもないというのに。
(寝よう。今できるのは四季が安静に寝ることができるように願うことだけだ)
…………
……
「あの子が死んだのは」
「誰のせいでもない」
「君は悪く思わないで」
みんながそう言った。しかしそのとき、かけてほしい言葉は違った。
「僕のせいだと、言ってほしかった」
…………
……
その日、秀次は夢を見た。普段見る夢とは違う。かなりリアルに感じる、本当にその世界があって、寝ている間に現実にあるその地にたどり着いてしまった。そんな場所にいるような感覚。
夢だということは認識できていた。秀次はこの感覚を味わったことがあったのだ。
(あのとき、飛行機の中で見たのと同じか)
バスケ部の応援の帰り道、機内で見た夢と感覚が似ている。状況には少しも類似点はないが。
夢の中の秀次は半円形の大きな講堂にいた。国会議事堂を思わせる会場だった。だが、議事堂にしては暗い。そこに何百人という人間が集まって、壇上を見上げている。そこに現れる者を待ちわびている。
秀次が壇に近づこうとしても足が動かなかった。夢に縛られている。
「指導者がいらっしゃいます。皆さま、席にお着きください」
会場がワッと賑わった。壇上に現れた人物を見て、熱狂的な声を上げている。会場が振動するほどの声だ。
秀次はその人物の顔を見ようと目を凝らした。都合のいい夢だ。その顔だけは煙に巻かれたように見えない。
(……女の人?)
登壇した女性がマイクを持った。そして絶妙な間を置いてから声を発した。
「それでは、始めましょうか」
その声が聞こえた瞬間に夢の舞台が変わった。視界が渦巻き状にうねり、情景が変わった。
今度は外に出ていた。
レンガ造りの家だ。それが渦から解放された秀次が最初に抱いた感想だった。イタリアの街並みを感じさせる家々が連なっている。時刻はわからないが夜。天に白い三日月が見える。
(何が起きているんだ……この夢は何を見せている。それに、さっきの声、どこかで聞いたことがある)
若い女性の声だった。透き通って、どんな大声よりも心に直接聞こえる声だった。
秀次の足が動いた。どこの国かも知らない街を自由に歩くことができた。しかし、秀次の足は自分の意思ですぐに止まった。
怒号が聞こえた。地響きの様に、奥の方から様々な感情の入り混じった声が聞こえてきた。主な感情は怒り。これまで聞いたことのない類の声に秀次の身体は撃たれた。
耳を塞ぎ、声がした方を見ると、空が赤くなっていた。夕日ではない、今は三日月の浮かぶ夜だ。
街の空を照らす「赤」が炎であることはすぐにわかった。秀次は火の手に向かって走った。怒号は勢いを増し、火から逃げてきた人の流れに押されそうになりつつも、秀次は走り切った。
たどり着いた場所は広場だった。噴水が中心にあり、昨日までは待ち合わせや子供連れの母親の憩いの場となっていたはずの広場。
そんな広場に、十字架に磔にされた人間が数人。口や頭から血を流している。もう絶命していると、遠目からでもわかった。
身なりでその人間の階級がおおよそわかった。間違いなく一般市民ではない。議員や貴族を思わせる装飾が体中にあった。
(まるで世紀末だな。いや、それ以上か)
広場に踏み入ると、声の中に笑い声があることに気づいた。磔にされた人間を見て、猿人形のように手を叩いて笑っている。
(死んで笑われるか……)
振り返ると、広場を囲う建物に大きな絵ができていた。影絵だ。十字架と炎の作るそのとき限りの最悪な絵だ。
ここで再び秀次の体が動かなくなった。そして自動操作され、視線が足元に移動した。地面に、炎の刻印が浮かび上がる。
【正しき導きを平等に】
刻印は灰のように崩れ、空気中に漂った。
…………
……
セミの声がする。小鳥の鳴き声と相まって夏の合唱だ。
目が覚めたとき、秀次のシャツは汗で体に張り付いていた。最悪な目覚め。朝からため息をついて、シャワーを浴びることにした。
ベッドから起き上がると、携帯から呼出音がした。
「もしもし、秀次か? 昨日のことなんだけど、何か進展ある?」
朝から元気な奴もいるものだと、秀次は健吾を褒めた。
「昨日の今日だろう……偶然会ったから少し話を聞いたよ」
眠気と夢の奥に、昨夜の四季の声があった。応援するならちゃんと背を押して、ダメならダメ、だったかな。
「彼氏はいないっぽい。好みの男性は……言っても仕方のないことだろう。今度生徒会と美化委員でビーチの清掃をするみたいだから、それを手伝ってきなよ」
「は? ビーチの清掃?」
「そう」
島唯一のビーチの清掃。半崎も人手が足りないと言っていた。
「で、でもそれどうやって行くんだよ。急に行ったら迷惑だろう」
恋するとこうも情けなくなるのかと秀次は欠伸をしながら思った。
「そんなの、会長に電話なりメッセージなりで連絡すればいいだろう。いつもやってるじゃん」
難易度としてはそれらよりも難しいはずの、対面での会話をいつもしているじゃないか。
「俺ができるのはこれくらいだな。ビーチの清掃なんて大チャンスじゃん」
夏休み期間、一度も会わずして終わるより、一度は会った方がいい。
「それじゃあ、俺はもう一度寝るので、あとは頑張って。ビーチの清掃には絶対に参加しろよ」
秀次は念を押してから電話を切った。そしてシャワーに向かった。