六日目 人間が思うほど未来は思い通りに行かないのである。
美世、と平和さんに名前を呼ばれた。美世。そういえば、小学生の頃、親に自分の名前の由来を訊いたことがあったっけ。返ってきた返事は、確か。
「美しい世界で生きる事ができますように」
「はぁ? ……ついに、美世も終わったか」
「真面目な顔してそんなこと言わないでよ。私の名前の由来!」
「ああ、美しい世界?」
「そ。だから美世なの」
「あはは。そりゃまた、親も不本意だっただろうなぁ。美しき世界がこんなになっちまって」
「おもしろい親だよねー。今時、侍みたいな父親だったよ」
「侍! すっげー! それ、ぜひともあってみてぇ」
「ああ、残念。うちの親は私が高校生の頃死んだんだよね」
「へー。そりゃまた。ご愁傷様」
「いえいえ。あっけなくも、交通事故でどかん。ぽっくりとね」
「美世の両親って言うから、殺しても死ななそうなのにな」
「どういう意味だこら」
手元にあった漫画本を投げる。彼の頭にクリーンヒットした。おお、私コントロール良い! 平和さんは、いて、と言って私を睨んだ。本当に痛かったらしい。大分目がマジだ。投げたのは雑誌タイプの分厚いやつじゃなくて単行本だったのだけれど、どうやら運悪く角が当たったらしい。平和さんって、実は不運な星の元に生まれてきたんじゃないかな、とたまにふと思う。だって私、狙って投げた訳じゃないのに。ちなみにどうでもいいけど、私が投げた漫画はとある少年が海賊の王様を目指す漫画の二十三巻だ。
「……皮肉なもんだよね」
「ん、まーなー」
「美しい世界、なんてさ。親もまた、見当はずれな名前をつけたもんだよ。嫌な名前」
「何だ? やけに名前に拘るな」
そうかな。うーん、言われてみれば拘ってるかも。だって、昔から嫌いだったんだよね、美世って名前。言いづらいし、だいたい聞き間違えられるし、なんか変な理由だし。美しい世界、なんて。現実見ろって話だっつーの。
「つーかさ、別にいいじゃん、美世なんて。まだ別の意味にとる事もできるんだし」
「そうかなぁ」
「俺なんて、平和だぜ? 平和。へいわ。そのまんまじゃねーか」
「ああ、確かにそれはキツイね」
「俺の親なんかさー、それはそれはお堅い人物でさ。あいつらの希望で、半ば無理やり弁護士になって」
「だから弁護士なんてやってたんだ? なるほどね、納得」
「まぁ、もう大分前に逝っちまったけど」
「それはそれは。ご愁傷様です」
「いえいえ」
「平和さんの両親なら、殺しても死ななそうなのにね」
「それはさっきの仕返しか?」
まーね。私は適当に言葉を投げて、ベッドの枕に顔を押し付けた。隣で平和さんが何か言ってる。何故か聞く気がおきなくて、そっと目を閉じた。平和さんの声は聞こえない。彼も黙ったらしい。私は落ちていこうとする意識の中でぼんやりとお父さんとお母さんを想像した。あれ、どんな顔だったっけ? 確か、私の顔はだいたいお父さん似で、目元はお母さん似で……。だめだ。思い出せない。写真もないし、大分前だし。それからそれから、ええと。お父さんとお母さんはなんて言って死んだっけ? 思い出せない。ああ、違う。突然死んだから何も言われなかったんだ。最後の会話も覚えてない。いつでも理想ばっかり語ってる、馬鹿な父親だった気はするけど。母親も母親で、いつまで経っても夢見てる万年少女趣味馬鹿だった。どうしてその二人から生まれた私がこんな捻くれてんだか。遺伝子って謎だ。
美世。美世、なんてさ。そんな名前をつけた両親は、気がついたら勝手に死んでたし。それに、お父さんとお母さんが望んでた、美しい世界なんて何処にもなかったし。世界はちょっとつつけばすぐ狂うくらい脆かった。まあ、前の世界が狂ってないのだとしたら、という仮定の下での話なんだけどね。
見てみなよ、理想主義のお父様お母様。美世は今こんな世界に生きています。死体と言う名前の、ただの臭い生ゴミに囲まれたボロアパートの一室で、これまた空き缶やら食べかすやらのゴミに囲まれたベッドの上で素っ裸で寝ています。これが今の私の美しい世界です。これが私の現実。こんな私を見たら、あんた達は泣くのかな。絶望するのかな。結局はそんなもんだったんだよ。
あんた達だって、本当は知っていたんでしょ? この世界に美しい場所なんて無いって、本当は知っていたんでしょ? だって、口では理想を語ってても、遺伝子は理想を語ってないんだもの。知っていて、娘の私に自分のうわべだけの理想を押し付けたんでしょ? ねぇ、そうでしょう? ブレーキも踏まずにアクセル全開で建物に突っ込んていったお父様お母様。ねぇ、あんたたちはこの世界の何に絶望したんだろうね。
人類が絶滅するまで、あと一日。