聖・戦士バレンタイン
二月一四日。またの名を、聖バレンタインデー。
それは世の戦士達が、世の女神達から加護を授かれるか否か、その審判が下る日である。
その日が近づくにつれて、世の戦士達は少しでも可能性を高めるべく、様々な努力を行い、自らの魅力を高めていく。
それは、古の時代より伝えられる一節。
"強き魅力を持つ戦士、その力もて、聖・戦士として女神からの加護を受け、奇跡をもって救世主(国力的な意味で)となる"
この一節の通り、古の時代より聖・戦士と呼ばれる者達は、何れも強力な魅力を有していた。
その為、戦士達は、自らの魅力を高める事に精進するのであった。
さて、二月一四日に向けて精進するのは、何も戦士達ばかりではない。
女神達もまた、自らの加護の完成度を高めるべく試行錯誤を繰り返す他。加護を授ける予定の戦士を、他の女神が狙っていないか等を調査したり。或いは、加護を拒否されないように、女神自身も魅力を高める等。
彼女達もまた、各々に当日に向けて準備を進めるのであった。
そして、二月一四日当日。
とある閑静な住宅地に絶つ一軒の住宅。
その住宅に住まう一人の若き戦士は、目覚まし代わりのアラーム音で目を覚ますと、むくりと上半身を起こした。
「いよいよだ……」
そして、窓から差し込む日の光と、穏やかな朝の風景を目にしながら、彼は小さく独り言ちると、ベッドから降りて身支度を始めた。
部屋の一角に設けているハンガーラック、そこにかけていたのは、彼が通う戦士の館にて指定されている鎧であった。
袖を通してから既に一年以上。すっかり着慣れて自身の体の一部と化した鎧に着替えた彼は、戦士の館で授業を受けるのに必要な道具の入った鞄。更には、冒険者として与えられた依頼をこなして貯めたゴールドがたっぷりと入っている財布を持つと、部屋を後にする。
「おはよう、ママ」
「あら翔ちゃん、おはよう。朝ごはん出来てるわよ」
階段を降りて足を運んだリビングにて彼を迎えたのは、彼の母親であった。
齢四十を越えながらも、美しく輝く金の髪に張りのある白い肌、まるで時が止まっているかの如く変わる事のない体型を有する母親の名は"オリビア"。
そう、彼女はこの太陽の国の戦士、即ち翔の父親と契を交わし、生まれ故郷である星の国から遥々大海を渡り太陽の国へと移住してきた女神である。
そして、太陽の国と星の国の二人の間に生まれた翔は、太陽と星の血を引く、所謂ハーフである。
その為、標準を上回る高身長、すっきりとした目鼻立ちや透き通った瞳等を有する、所謂高いチャームちからを持つ者なのだ。
「今日はバレンタインデーね。ママ、翔ちゃんが何個貰ってくるのか、楽しみだわ」
「ママ、茶化すのはやめてよ……」
朝食を取りながら母親との会話に興じていた翔は、微笑む母親の冗談を軽く受け流しつつ、朝食を食べ進める。
やがて、朝食を食べ終えると、母親からお弁当を受け取り、程なく、戦士の館へと向かうべく自宅を後にした。
晴れ渡る空の下、戦士の道を歩く翔は、朝食の時の母親の冗談を思い出しながら、小さく笑みを浮かべた。
口ではああ言っていたものの、実は内心、共に勉学に励む女神達から加護を授かれる自信があったのだ。
その根拠は、言わずもがな、自身が|高いチャームちからを持つ者だからに他ならない。
(くくく、今年こそ、今年こそはチョコを……)
去年の二月一四日は休日と言う事もあり、女神達から加護を授かれる機会に恵まれなかったのだが。今年は平日と言う事で、その機会は去年の比ではなかった。
こうして期待に胸を膨らませながら、いつもよりも軽やかな足取りで戦士の館の正門を潜った翔は、最初の拝受点である下駄箱へと到着する。
胸が高鳴りつつ自らの下駄箱を開けて中を確認してみる。が、中には彼の期待していた物は、影も形もなかった。
(まぁいいさ。まだ始まったばかりだ。焦るな、俺)
自分自身に言い聞かせるように内心独り言ちつつ、靴を履き替えると、翔は教室へと足を運んだ。
「よ、健人! おはよう!」
「あぁ翔、おはよう」
教室の窓際にある自身の机に鞄を置きながら、翔は、後ろの机にいる戦友である健人に声をかけた。
ハーフの翔と異なり、健人は両親ともに太陽の国の民、即ち、純粋な太陽の国の戦士である。
「いよいよだな、健人」
「え? あぁ、バレンタインか」
「んだよ、健人は欲しくないのか?」
「ん~、俺、あまり甘い物って好きじゃないんだよ……」
「おいおい、お前なぁ」
そんな戦友と雑談を交わしながら過ごしていると、やがて朝のホームルームが始まりを告げた。
それから、数時間後。
(落ち着け。落ち着くんだ、俺……)
戦友である健人と教室で昼食をとっていた翔は、少々焦りを感じ始めていた。
既に本日の時間割は半分を過ぎ、残すは五と六時限目を残すのみ。
それを終えれば、部活動に参加していない翔は、この日の戦士の館での活動を終了する事になる。
「で……。ん? 難しい顔して、どうしたんだ、翔?」
「え? あぁ、何でもない」
勿論、まだ戦士の館での活動を終えた訳でもないし、聖バレンタインデーが終わりを告げた訳でもない。
女神から加護を授かれる機会は、まだ潰えた訳ではない。
(そうだ。まだ時間はある! まだだ、まだ可能性は終わらんよ!)
自身を奮い立たせるように鼓舞する翔。
そして、午後からの授業に備えて、残った弁当を掻き込んでいくのであった。
因みに、健人はそんな翔の様子を、不可解な面持ちで眺めるのであった。
程なく、昼食を終えた翔は、用を足しに教室を後にする。
やがて、尿意から解放された翔は、トイレを後に、一路教室へと戻ろうとした、その時であった。
「あの、翔君!」
不意に、翔の名を呼ぶ女性の声が彼の耳に届いた。
刹那、翔の胸の鼓動が高鳴っていく。
(き、キターーーーーッ!!)
そして、声のした方へと振り返った翔が目にしたのは、彼もよく知る女神。
クラスメイトであり、クラスの委員長を務める美緒と言う名の女子生徒であった。
翔の印象としては、少々控えめで物静か。
加えて、自身に脈があるとは露程も思っていなかった。
だが、だからこそ。予想外の人物が、この聖バレンタインデーに声をかけてきた喜びを、何倍にも倍増させた。
「な、何かな? 美緒さん」
「あの……。ここじゃ話辛いから、移動してもいいかな?」
「あ、うん、いいよ(こ、これは! マジなのか!? マジのやつなのか!!?)」
他の生徒たちもいる廊下では話辛い、即ち、第三者に聞かれたくない話の内容。
この事実に、翔の期待値は青天井を迎える。
内心では今すぐにでもその喜びを爆発させたい翔だが、平静を装いつつ、美緒の後に付いて行く。
そして足を運んだのは、人気の少ない校舎裏の一角であった。
(ここに来たって事は、そうなんだよな! だよな!!)
最早授ける為のお膳立てが整ったと言わんばかりの状況に、平静を装おうとする翔も、節々から喜びが漏れ始める。
「あのね、翔君」
「は、はい!」
その為、返事の声がつい上擦ってしまったものの、翔はそんな気恥ずかしさなど気にも留めず、美緒の次の言葉を聞き逃すまいと全神経を集中させる。
「実はね……」
(き、キタッ!!)
次の瞬間、美緒は隠し持っていた、可愛いハート模様の包み紙で包装された箱を曝け出すと、その箱を翔に差し出す。
刹那、翔は確信した、これは紛れもなく女神の加護であると。
震える手でその箱を受け取る翔。
刹那、顔を赤らめ一際しおらしくなった美緒が、更に言葉を続けた。
「そのチョコをね……」
「うん(やっぱチョコだよな! そうだよな!! これってどう見ても既製品じゃないから手作りか? いや、もし既製品でももうこの再度どっちでもいいけどさ!)」
「……わ、"渡して"欲しいの!」
「うん?」
だが、美緒の口から零れた"渡して"と言う単語に、引っ掛かりを覚える。
(え? 渡して? 受け取って、じゃなくて?)
この様な場面ではあまりに不自然な単語に、何やら怪しい雲行きを感じ始める翔。
「えっと、聞き間違いかな? 今、渡してって聞こえたんだけど……」
そして、恐る恐る疑問を投げかけた翔の耳に返ってきたのは、耳を疑いたくなる真実であった。
「うん、そうなの。そのチョコを、"健人君"に渡して欲しいの! 翔君、健人君と仲がいいでしょ?」
(健人って、あの健人か!?)
戦友の中に健人と言う名の人物は、一人しか心当たりがない。
(え? だけど、美緒さん、アイツの事好きそうな素振りなんて微塵も……。いや、……くそ!)
まさかの事態に、翔の頭は半ばパニック状態であった。
「駄目、かな?」
「え! あぁ、その……」
そんな翔を他所に、美緒は、なかなか返事を返さぬ翔に、再度返事を尋ねる。
そんな彼女の目には、うっすらと、涙が滲み始めていた。
それを目にして、翔は心を決めた。
「分かった! 俺が、責任をもって健人に渡してやる」
「本当!? ありがとう!」
これはまさしく、美緒の一世一代の頼み込み。
それを無下にする等、出来る筈もない。
何より、戦友が聖・戦士になろうとしているのだ。それを祝福する事こそが、真の友であろう。
「中に手紙も同封しているから、私が頼んだなんて……」
「分かってるって、任せろ。今の俺は、恋のキューピットだからな」
こうして、美緒から一時的に預かった加護を手に、翔は、この加護の真の拝受者である戦友が待つ教室へと、足を向けた。
やがて、教室へと戻ってきた翔は、遅かったなと声をかける健人に、美緒の加護を手渡す。
「ほらよ」
「え!? おい、これって……」
「勘違いするなよ、俺は頼まれたからそれを届けただけだ。あぁ、誰から頼まれたかなんて聞くなよ、中に手紙が入ってるから、ま、自分の目で確かめるんだな」
そして、自身の席に腰を下ろす翔。
すると、背後から、早速包み紙を開ける音が聞こえてくる。
おそらく、これから健人は聖・戦士として、充実した日々を過ごしていくのだろう。
そんな戦友の幸せの手助けをできた事に、少しばかり満足したのか、翔は小さく笑みを浮かべると、窓の外に視線を向け、雄大な空を眺め始める。
(いい夢を、見せてもらったんだ……。幸せになれよ、相棒)
そして、一足先に幸せを掴んだ戦友への声援を背中で語っていた、刹那。
翔の頬を、一筋の涙が伝うのであった。
それから数時間後。
本日の学業を全て終えた翔は、下駄箱で靴を履き替え、戦士の館を後にしようとしていた。
結局あの後も、翔に女神から声がかけられることはなく。更に、慈悲深い女神からの祝福を授けてもらう事も叶わず。
気がつけば、己の自信に反し、その成果はゼロという大敗を喫するのであった。
(ふ。……認めたくないものだな、若さゆえの自惚れというものを)
まだ聖バレンタインデーが終わりを告げた訳ではない。
だが、戦士の館が最も多くの女神と接せられる場所である為。ここを去れば、加護を授かれる機会は、ほぼ失われると言っても過言ではない。
故に、正門を潜るその寸前まで、一縷の望みを抱き続けたものの。
結局、正門を潜っても、翔に声をかけようとする女神は、現れる事はなかった。
(くそ! くそっ! なんでだよ! なんでアイツなんだよ! 俺の方が、俺の方がアイツよりも魅力は高い筈なのに!?)
帰路の道中、翔は、今頃聖・戦士としての人生を謳歌している戦友への憎悪を募らせる。
そんな、翔のささくれた心を体現するかの如く、晴れ渡っていた空を、灰色の雲が覆い始めていた。
「あれ?」
程なく、翔の頬を、突如冷たい感覚が襲う。
まさか、と翔が何かを感じ取った次の瞬間、音を立てて雨が降り始めた。
(うわ、夕立か!? くそ!)
雨脚は瞬く間に強まり、冬の冷たい雨粒を容赦なく地面に叩きつける。
それから逃れるように、翔は走り出す。そして、とある角を曲がった、その時であった。
彼は、眼前に広がる光景に目を奪われ、その足を止めた。
それはまるで、今の翔と同じく、加護も祝福も授けられず、不条理な現実に心が渇いていく。そんな戦士達の背中。
歩道を埋め尽くす、肩を落とした戦士達の背中。
それはまるで、地平線の彼方まで、果てしなく続いているかのようだ。
そんな戦士達に、冬の冷たい雨が、容赦なく降り注ぐ。
だが戦士達は、肩を震わせながら、濡れた歩道をひたすらに踏みしめて歩く。
刹那。道路に出来た水たまりを車輛が通過し、水はねを発生させる。
運悪くその直撃を受けた一人の戦士。
だが、周囲の戦士達は、そんな彼を気にも留めず、ただ、黙々と歩き続ける。
まさに、踏んだり蹴ったりな戦士。
そんな彼をなだめるかのように、雨音のドラムが、子守唄の如く奏で続けられる。
そして彼は、再び、歩み始めた。
いつか、この不条理な地獄を噴き飛ばす日がくると信じて。
それから十数分後。
髪や鎧を濡らして帰宅した翔は、玄関で母親からタオルを受け取り、濡れた髪などを拭いていた。
程なく、一通り拭き終えた所で、不意に母親が何かを差し出した。
「ママ、タオルならもう……」
替えのタオルかと思い、もう大丈夫であると言おうとした翔は、差し出されたそれを目にして、その言葉を途切れさせた。
「ママ、これ……」
「ふふ、翔ちゃん。どうせチョコ、貰えなかったんでしょ? だから、はい。ママから翔ちゃんへ」
差し出されたのは、赤いリボンが結ばれた小箱。
その中身がチョコである事は、紛れもなかった。
「ま、ママ……ァァァッ!!」
身近にいた母親からのチョコに感極まった翔は、涙を流しながら、母親の胸に飛び込むのであった。
母親からのチョコを受け取った翔を待っていたのは、巧妙なる罠であった。
何気ない会話の中に仕組まれた欲望の片鱗。
一か月後に迫りくる、運命の日。
希望と駆け引き、思惑と欲望をコンクリートミキサーにかけてぶちまけた、それは白き習慣。
次回『報徳』
母親の希望するお返しの相場は高い。
この度は、本作品を読んでいただきありがとうございます。
もしお気に召しましたら、連載中の作品等含め、今後とも応援のほど、よろしくお願いいたします。