アシェル・アル・シェラド
前回、受付嬢に連れ去られてお仕事に引き戻されたシシリーだったが……
でかいトランク二つも抱えて出港前に追いついてきたんだ。
「私も行く!」
いや俺らも別に急いでたわけじゃないけどさ、え、普通追いつける? 後輩蹴散らして、空中都市の自宅戻って、旅支度整えて、追いついたの? え、嘘だろ時間が仕事してねえぞ?
「絶対行く!」
すべてはカトリたんへの愛のちからなのか。
この行動力は見習っていいかもしれない。俺いつも状況に流されてばかりだからね。
「シシリーってもしかしてすごいの?」
「行動力はあるの。いつも変な方向にズレてるけど」
それはわかる。俺が家出した時もカトリたんと俺の間に立って説得するみたいな普通の選択肢を選ばずに俺を家に泊めたもんね。悪女ムーブだと思ってたけど天然かな?
商船主のオストコさんから許可を貰って同乗オーケー。
リスグラ港を出港した商船は大河を下って海を目指す。
フェニキア王国は南のダージェイル大陸北部砂漠地帯にある小国の一つ。彼の地域において絶対的な権勢を持つ大王国『砂のジベール』にも屈さず独立国として成り立っているのはフェニキアに派兵されたサン・イルスローゼ軍の影響によるものとされているが、実際は鑑定スキルによるものだ。
幸運の女神アシェラの愛し子であるフェニキア人が滅びた場合鑑定スキルはこの世から消えるのか、また何らかの形で残るのか、学術ギルドが古来続けてきたそうした議論に結果を出す勇気はさすがの砂の絶対君主にもないらしい。
生まれ持った才能のわからない世界なんて地球なら当たり前なんだけどね。
ちなみにハーフフットと呼ばれる小人族が滅びた時は彼の種族の固有魔法『変身』がこの世から消えたそうな。
リスグラ運河から出ている商船はまず南へと向かい海に出る。海に出ればなんやかんやあって半月でフェニキアに着くらしいが長え……
船旅といえば優雅なイメージだが豪華客船ではないのでプールもなければシアターもないし免税店もなければカジノもない。つまり娯楽を欠いている。
護衛といっても海賊とか出た時用なので基本暇を持て余した俺はカトリ式特訓第四段階である魔力運用に励んでみるぜ。へへ、無駄な努力くせえのが一段とやる気を削いでくれるぜ。カトリ先生お願いします!
「そんじゃ、まずは魔力を右腕に集中させてみよっか!」
「おっす!」
目覚めろ俺のちからよ。
俺の名前はリリウス、世界最強の戦士だ。
「その変なポーズなにかな!?」
感じろコスモを……
宇宙よ、世界よ、人類よ、俺に大いなる力を……
「ど…独特な呼吸法だね……」
俺の中にあるっぽい魔力を右腕に集めるっぽい感じでどうにかするんだ……
いいぞいいぞ集まってきてるぜ……あ、拡散しちゃった。
せっかく集めた魔力が七秒で腕から湯気みたいに出ていったぜ。だが七秒も集められるとか俺も成長したな。これならチャージドストライクの威力も以前の倍といっても過言じゃないな。ウソです二割増し程度です。
「カトリ先生どうですか!」
「ゴミ」
聞き間違えたかな?
あの優しいカトリたんが俺にゴミとか言うはずないよね?
「正直に言うね、何もかもがゴミ」
「…………」
おおぅ相当なショック受けてるぜ。あの優しいカトリ先生がここまで言うとはな。
閣下でさえもう少し優しい言い方をするというのにな。何がダメだったか理路整然とねちねち責め立てた上で何をどうすればいいのか詳しい解説付きで。
あの優しいカトリたんがめっちゃ蔑みの目線で、クソデカため息吐いてる……
「リリウス君誰に教わってきたの……?」
「本を読んでその…独学で……」
「納得。魔力運用を独学で覚えようなんて舐めすぎでしょ、そんな簡単にできるなら世の中魔導師で溢れかえってるよ。そーゆーとこだよ? リリウス君世の中舐めすぎ、その甘い認識正さないといつかひどい目に遭うからね? 正直まだ死んでないだけものすごい幸運だからね?」
マジのお説教モードですね。どうやら本当にゴミみたいですね。
これは俺の五年間無駄にした奴ですかね?
「そんじゃ基礎から始めよっか。リリウス君的に魔力ってどこから出てきてると思う?」
「丹田でしょ?」
実家にあった魔道書にはへその下らへんに魔力を精製する臓器があって、魔力はそこから生まれているって書いてあったよ。俺いつもそこから集めてる感じだもん、合ってるよね?
「半分正解で半分外れ。魔力孔で精製された魔力は血液と同じ血管を通って全身を巡っているの、循環する全身の魔力を一点に集めるのが正しいやり方。でもいま見た感じリリウス君のやり方では魔力孔だけから魔力を搔き集めて右腕に移動させてたよ。これだと実際の魔力保有量の一割二割しか活用できてないね」
「なるほど工場は正常に稼働できるのに一部しか働いてない感じだったのね」
「この状況でその理解力逆に腹立つけど例えうまーい!」
叱られてる状況ですもんね。
魔力運用のまの字も知らないくせにダンジョン潜ってる舐めプ少年にご立腹ですもんね。ステルスコート先生いなかったら普通死んでるよね。
カトリたんは舐めプが大嫌いだ。以前一緒にダンジョン行ったアーガイル君の恋人が死んだのが理由なのか、どうせ捨てる命ならその前にペロペロさせろよなのかは謎だけど。
つまり俺の愚かな行いはカトリたんの逆鱗ペロペロしてるわけだ。
「逆にリリウス君の底なしの体力は説明できたね。全身を巡る魔力に手を出さずに精製したばかりの魔力しか使ってなかったから何十連戦しても全然へいちゃらだったのよね。ほぼほぼ舐めプしてる量しか使わずにあれだけのモンスター倒してきたってのがあり得ないけど」
やっぱりめっちゃ怒ってるね……
実力も知識もないおのぼり冒険者の死因第一位のダンジョンさん舐めてるからね。ちゃんと先生に教わってからダンジョン行けバカモーンって感じだよね。
へへ、カトリ先生の授業で俺を強くしてください!
「まず魔力の循環路を理解することから始めよう。下腹にある、あ、ここね」
シリアスな顔しながら俺の股間まさぐるのやめようね。
絶対そこじゃないでしょ? はぁはぁしないの!
「間違えた。ここね、ここ。ほんでここを出た魔力はお腹をグルグルしながら右肩へいくの」
んー、いきなり難易度高いな。
お腹グルグルして右肩? 血液みたいなもんかな? さっぱりだぜ。臓器の位置はなんとなくわかるけどさ、どこにどんな血管があってどんな順番で体内を巡ってるかなんて知らねえんだ。
「右腕を通ってさ、今度は頭を経由して心臓いって左肩までギューンしてグルっと回ってまたお腹に戻ってグルグルして……(以下略)」
「でね、循環路から魔力がスーっ来るからガーンってかっさらって術に変換すんの」
この人教えるの超ヘタだな、長嶋茂〇かよ。感覚的に何でもできちゃう天才は人に教えるのヘタだよね。できない子の気持ちわかんないから。ギューンとかグルっとかスーっでわかるわけないじゃん。理論的に言って!
だから俺の股間揉みながらはぁはぁしないの!
「……目がグルグルしてるけど大丈夫ですかね?」
「ねえねえ生徒君? 先生そろそろ授業料が欲しいなーって?」
この船は娯楽を欠いている。プールもシアターも免税店もカジノもない。
暇だから訓練しようってのが冒険者として正しい在り方かもしれないが、変態は暇になると発情するんだ。
変態は教育者に向いていない。気持ちよさが最優先な変態にとって生徒は捕食対象なんだ。
俺は心の底から願った。先生チェンジ!
一日を終えて寝床につく。夢を見て目覚め、また一日が始まる。
飽きるほどに繰り返してきた人生という名のサイクルに異変が生じたのは船に乗り込んで三日目の事だった。
緩やかに覚醒していく意識のままに目を開くと、そこは不思議な場所だった。
乳白色に輝く水の流れる小川、俺はその浅瀬に身を横たえていた。
周囲は夜よりも暗い暗黒。異世界の夜は日本とは比べ物にならないほどの暗黒だが、それでもここまでではない。ここまで何も見えないほどではない。
暗黒の世界を流れる輝く小川が一本の道みたいにどこまでも続いている。
「夢かな?」
頬をつねっても痛くない。はい、夢確定。
小川の底は触れた事もない感触の不思議な地面だが、じんわりと温かな底に触れていると不思議と安心する。なぜか故郷に残してきた姉貴を思い出す……
「夢は夢でも悪夢ってわけではなさそうだな」
小川の向こうから光の玉がやってきた。じゃれつくみたいに俺の周りを回っていた光はまた小川の向こうへと飛んでいき……
しばらくすると戻ってきた。
また俺の周りをグルグル回り出したその様子は、行こうと俺をいざなう様子。
「ウィルオーウィスプに代表される光系の逸話はだいたい罠なんだ」
うお! 拒否るとめっちゃ体当たりしてきた。痛くねえけど!
最初はお腹にアタックしてたのに、そのうち顔面にアタックしてきやがった。必死すぎる。
はいはい行けばいいんでしょー行けば。どうせ夢だし。
歩き出すと光は先導するみたいに前を飛び始めた。でもたまに戻ってきてお腹アタックを開始したり周りをグルグル回ってる。犬みたいだな。
光が指し示す道はこの小川の先だった。
延々と歩いていく。
延々と足を動かし続ける。
終わりさえ見えないのに光はとても嬉しそうに飛び回っている。犬の散歩かな?
延々と延々と永遠と歩き続ける。気のせいか小川の輝きが強くなっている気がする。蛍みたいによわよわしかった輝きが、今では眩しいほどに輝いている。
「なんなんだかねえ……」
ぼやいた瞬間、足元から地面の感覚が消失。
悲鳴をあげる余裕さえなく俺は落下していった。
すでに暗黒は存在しない。
空中を落下し続ける俺の眼下には雲があり、頭上もまた雲に挟まれている。
凄まじい速度で流れ往く雲と雲に挟まれた世界を落ち続ける俺は、遥かな向こうに太陽を見ていた。
目が…離せなかった……
プロミネンスをまき散らす純白の太陽には、瞳があったのだ。
俺は直感的に理解した。あの純白の太陽の正体はあの光だ。犬みたいでちょっと可愛いとか思ってたのに最悪だな!
「やべー化け物って感じだな! やる気か!?」
「◆■▽▲◇□×□#▲◇▼&+◆ァァァ――――!」
無理だぁぁぁ! こんなやべーの勝てるわけねーだろー!
いやだいやだ! こわいこわいこわい!
無理無理無理すぎんよ!
太陽の化け物が無数のプロミネンスの腕を俺に伸ばしてきたぞ!?
やめろー、リリウス君は食べてもおいしくないぞ!!
やめっ、ちょ――――
ゴロン!
「はい?」
気づいたら俺は船室のベッドから転げ落ちていた。
どうやら悪夢から逃げられたらしい。
ベッドでは全裸のカトリたんが忌々しいほど健やかにお眠りになってますね。守りたくないこの笑顔! でも好きぃ……
貞操観念の緩い美女は全世界の少年が夢憧れる究極の存在なのだ!
ってふざけるテンションじゃねーや。鳥肌が立ってる。心臓が荒れ狂ったみたいに高鳴り、本気で危険だったと全身が警報を鳴らしている……
「なんじゃいあの夢……」
二度寝は怖いので甲板にあがるとアシェルお姉さんを見つけた。
舳先にもたれかかって遥かな洋上を見つめている。その遠い眼差しも最高にエロいです。
「眠れないの?」
「なんだ坊やかい、ってのは改めないといけないね。旦那様なんだし」
「へっ、認知はしない約束だぜ?」
優しいお顔で膨らんだお腹を撫でる美女を前にしてクズ発言である。クズすぎる。俺はもう死んだ方がいいのかもしれない。
「故郷に還るのは久しぶりでね、柄にもなく緊張しているんさ」
「帰省は何年ぶり?」
「十四で国を出て、十二年ぶりになるかねえ……」
という事は二十六歳か。女盛りの一番いい時期だな。
「いんや……今がウェンドール804だから、六年だったかねえ?」
サバを読んでる……目じゃない!?
マジだこの第三王女様、マジで自分の年齢認識してねえ奴だ……
「自分の年齢くらい覚えておこうよ……」
「商売繁盛はありがたいんだけど忙しくてねえ。そっか、たった六年なんだねえ……」
社会人になると時間過ぎるの早く感じるよね。それはわかる。
しょっちゅう書類で確認する事になる日本とちがってこの世界だと自分の年齢とか再確認する機会全然ないんだよね。平民だと生まれ年さえ知らない奴いるし。そもそも今がウェンドール804年だって事さえ知らない人も多いし。
「六年か、まだそんなもんだったんだねえ……」
「故郷が好きなの?」
「生まれ故郷を嫌いな奴なんて……坊やは嫌いなのかい?」
どうだろうな。嫌いってほどではないが、好きでは絶対にない。
マクローエンは貧しくて辛い土地だ。前世の知識を生かして盛り立ててやろうなんてがんばってみたけど、どれだけ手を尽くしても少しも良くならなかった。充分に準備をしても冬になれば毎年春を迎えられない人がいた。
子供の亡骸を抱えて泣き叫ぶ母を、何度戸口の向こうから見ているだけしかできなかったか……
「あまり良い思い出はないかな?」
アシェルの視線に誘導されて俺も記憶の蓋を開いていく。
語る言葉は拙く、十分に整理できていない感情混じりの言葉は不明瞭。それでもアシェルはじっと聞いてくれた。
楽しい事もあった。でも辛い事の方が多すぎた。俺は無力で何のちからにもなれなかったけど、あの土地に残してきたリザ姉貴やアルドを想えば負い目も感じる。逃げてきたわけじゃない。でも逃げてきたも同然の身で、どうして無責任に家族を想えるのか……
「なんだい、泣いちゃってさ」
「泣いてねえし」
頬に触れると涙があった。まいったな、別にあんな故郷好きでも何でもねえはずなのにさ。なんで懐かしく感じるんだろうな……
「あたしの身の上話ってやつも聴いてくれるかい?」
「夜は長いんだ、お付き合いするよ」
アシェラの巫女は旅に出て一人前になって神殿に還っていく慣例らしい。多くの人に触れて鑑定眼を磨き、知識を蓄えて神殿に還元するんだ。
アシェルもまた修行旅の途中。齢三十を数えてようやく故郷の土を踏める。だから今回のは役得だねって感謝された。
たった十四だった少女が愛する故郷を離れ、異国の地で過ごす苦労はそれはもう大変だったらしい。S鑑定は貴重な存在で、よこしまな権力者の中には神殿と対立してでも飼いたいと欲する者もいる。
アシェルは自分の存在をして歩く貯金箱と称した。ただ視るだけで金貨が降ってくる貯金箱、彼女を欲する邪悪な者どもとの戦いも、十四だったちいさな少女に課せられた運命だった。
戦い続けた。人をよこしまなる欲望をも見通す真実の眼で視続けた。そんな日々が続けば心が弱る時もある、だが甘い言葉を用いる者こそが敵であり、やがて人を信じる事をやめた。
この苦行にもいつか終わりがあるのだと自らに言い聞かせて、六年の夜と朝を戦い続けた。二月で二十歳になる彼女がこんなにも大人びて見えるのは、想像を絶するだけの苦難を乗り越えてきた証なのかもしれない。
最後にその想いをまとめるようにアシェルが言った。
「坊やには感謝しているんだ」
「故郷に還るきっかけを作った事?」
「抱いてくれた事。愛してくれた事。女の喜びも知らずに神殿で埃をかぶるだけだったあたしにこの子を与えてくれた事。そのすべてに」
「アシェル……」
修行を終えた巫女は神殿から出られない。長年積もった望郷の想いを抱えてようやく帰れた愛する故郷の景色を見る事さえ許されず、神殿の地下で祈りを捧げ続ける。
参拝する大勢の子供達を視続け、また地下に戻り、そうして人生を密やかに終える。
修行旅の中で恋をし、神殿への帰参を拒否した巫女もいたかもしれない事をアシェルはあえて語らなかった。その悲惨な末路について俺も考えたくはなかった。
だからせめて俺だけは祈ろう。この女性の人生に何らかの幸福があることを。彼女の人生に見合うだけの報いがあることを。
それでなんでまたカトリたんは嗚咽しながらマストの裏に隠れてるんですかねえ……
「アシェル様かわいそう……(大泣き)」
カトリたんが大泣きはじめちゃったぜ。
仕方ないのでハンカチで涙を拭ってやるとさらに大泣きしやがった。
しまらねえなあ……