ラタトナ・リゾート
ラタトナは広大な帝国でもほぼ南端に位置する沿岸部を指す地方名だ。
楕円形の内海の遥か数百キロ彼方はもう帝国ではなく、沿海州と呼ばれる海洋国家群がある。
沿海州と帝国は制海権を巡って年柄年中ドンパチやってる間柄で、血で血を洗うほどの憎しみを重ねているのに民間レベルでの交易だけは続いている。金に仇の名前は書いてねえって感じかな?
ラタトナは帝国でも有数の避暑地だという。
丘上から見下ろす青い海と立ち並んだヤシの木の光景はどこか南国を連想させられる。そのせいか……
「暑い……」
零下50度を下回るマクローエンの厳冬にも慣れた身体にはこの暑さは堪える。
真夏でも30度を超える日はなく、20度程度の穏やかな日差しが続く土地柄だ。くそー、避暑地が避暑してねえのはどういうわけだ!
「確かに暑いわね。でも海は冷たくて気持ちよさそう」
早計だったぜ。海に入らずして避暑地は語れねえ。
裸足でビーチをってわけにはいかないが、海岸線を三頭の馬で駆けていく。
「ほら見て」
リリアの指差す先、霞むほどに遠い海上に建物のシルエットがある。
あれだけ遠いのに城の形がはっきりしてるって実際に間近で見たらどんだけでかいんだ? 明らかに縮尺がおかしい。山くらいあんぞ。
「あそこがラタトナの海底城よ」
どう見ても海の上にあるのに海底とはとんちかな?
「あっこに見えてるのは海底城のほんの一部らしいよ。本体のほとんどは海の下で、まだ誰も攻略したことのない世界でも屈指の高難度ダンジョンなの」
「ほんの一部のくせに帝都の皇城より大きそうだけど……誰が作ったの?」
「帝国建国史によれば五百年前にはすでに在ったらしいわ。海上の古城は古くから土地の者どもも恐れ、何者も立ち入ることはなかった。ただ祖父の祖父のそのまた祖父がこの地に住み始めた頃にはすでに無人の古城であったと語り継がれる。こうした一文があるだけなの」
俺こーゆー壮大な叙事詩っぽいの大好きなんだけど本当にそれしか知らないらしい。
古文書にも書いてない有益な情報をくっちゃべってくれる村人Aがいたら早急に名乗り出るように! 俺の好奇心を満たしてくれ!
だが願いも空しく現地民一人見かけることもなく近場の町に着いた。
「これが町?」
町でいいんですよね? 町っていうともっと猥雑で適当なはずなんですけど超整備されてますよ?
計画都市レベルですよ?
巨大な軍港と併設された丘上の住宅街は、ギリシャの沿岸を想起させる真っ白で清潔な街並み。
海上コテージまであるじゃないか、どこのドバイだよ。
遠目に見れば水着姿の紳士淑女が浜辺でゆったり遊んでいる。
帝国にもこんなステキリゾートあったんだな。
「ラタトナは本来軍港だけど貴族専用の高級リゾートとして知られているわ。あそこに別荘を持っているっていうのが一種のステータスになるくらいのね」
「お高いんでしょう?」
「一番安いクラスのロッジで金貨4000枚らしいわ」
本当にお高いでやんの。マクローエンのような貧乏貴族には縁のない土地だな。だって金貨100枚200枚の貸借でピーピー言ってるもの。
「金持ち貴族専用の会員制リゾートってわけか」
「ま、遊びに来るだけなら国営ホテルに泊まればいいんだけどね。見栄張って別荘なんか買っちゃうと管理費やら自治運営費やらゴリゴリ持っていかれるもの」
おやおやファラ様詳しいですね。
もしかしてお金持ちなの? 美少女なのにお金持ちなの? 本気で逆玉狙いにいっていいですか?
市街地へと近づくとラタトナリゾートを囲んだ外壁の検問所に騎士分隊の警備がついていた。
土地柄もあって軽装ではあるものの、剣も魔法も修めた騎士が十数名となれば並みの山賊数百人でも突破は不可能だ。
って、やべえラキウス兄貴がいやがる!
ソッコーでフードを下ろして顔を隠す。絶対に関わりたくない。
屈強かつ品位のありそうな騎士連中に混じって、一人だけ裏社会の若頭の香りを漂わせるやばい騎士がいる。そいつが長兄のラキウスだ。
こいつは一言で言えばマクローエンのやべー奴だ。
親父殿を筆頭にファウストやルドガー、バトラに俺のようなコミカルな人材と違って一人だけ野望と流血に生きる世界観の違うやべー奴、それがラキウスだ。昔こいつに棒剣でボコられてからほんと苦手なんだ。
「ファラ・イースよ。こちらは私の連れ」
ファラが家紋細工が施されたイヤリングを放るとラキウスが受け取る。
なんでそいつ選んじゃうの!? たしかに一番やべー風格あるけどそいつ騎士団入って数年目のぺーぺーだよ!
「ほぅ、イースの才女か」
ラキウスがニヤリと笑うだけで体感温度が五度は下がって超涼しい……いや怖いわ。
おい、同僚まで怯えてるぞ!
「滞在はどの程度か?」
「海底城を攻めるつもりだから、長めと考えていてもらえるかしら」
「馬鹿と勇者、貴女がどちらであるかは知らない。だがその武運を祈る程度はしておこう。おい、こちらの方々をご案内しろ!」
「ハッ、了解であります小隊長殿!」
うわ、地味にちょっとだけ出世してやがる。何年かまえにうちの屋敷に入り込んだスパイ女中がラキウスの身辺調査してたんだ。理由はラキウスを幹部コースに乗せる前の人格調査さ。
俺はこそこそとラキウスとすれ違う、その瞬間だ。ラキウスが鼻で笑いやがった。
「まったく面白い偶然もあるものだな」
バレてるし。
別荘までの案内兼護衛の騎士に付き添われて市街地を通り抜ける間に、リリアが身を寄せてきた。なんだなんだエロハプニングか?
「あの千人くらい殺してそうなやばいオーラの騎士ってやっぱり?」
「うちの長兄ラキウスです」
「やっぱり。あんたの家どーなってんのみんな怖いじゃない!」
知らん、遺伝子に聞いてくれ。
「ほんと最悪。あ、目つきの話ではないわよ」
遺伝子の話ですか?
「これでバトラにまで出くわしたら私レザードの呪い信じちゃうからね。リリウス君おうち入れてあげないからね」
フラグ立てるのやめて。
「大丈夫だよ、うちの家族はみんな俺を置いてヴァカンスに出掛けてるしね、へーきへーき……」
「…………」
「…………ねえ」
やべえ、これ平気じゃねえやつだ。
「いや、でもうち貧乏だから高級リゾートに来る余裕なんて……」
とか思ってたら海パン姿の親父殿と目が合ってしまった。
カフェテリアのパラソル付きのテラス席で、ハワイアンブルーのカクテル片手に家族と優雅に談笑中だったぜ……
フラグ回収早すぎんよ今夜は野宿確定ですね。
「リリウス……」
うん親父殿、そこはシカトしてほしかったな。
ラキウスの言ってた面白い偶然とはマクローエン家全員集合だったか。
「女の子でも連れ込んで遊べとは言ったがまさか二人もナンパするとは……」
「いや、そっちに驚いてんのかーい」
「ファラ・イース!」
バトラがガタっと立ち上がった! いや立ち上がるなよ座れ。むしろマクローエンに帰れ。
「奇遇だな、どうだいこれから俺と浜辺でも歩かないか?」
「いや」
「そういうな暇なんだろ?」
「暇じゃないわ」
「用事があるなら済ませてからでいい。ここで待っているから」
「一生待ちぼうけてなさい」
「はははは、さては照れてるなこいつめ」
うぜええええええええええええええええ!
普段とキャラが違いすぎるのはまだいいとしてウゼえししつこい!
ここまで嫌われたらもう諦めろよ、というか嫌われてることに気づけ! 第一段階として!
「あんたいい加減にしなさいよ、ファラに嫌われてるってまだ理解できてないの?」
いいぞリリアもっと言ってやれ。
「ファラに集る羽虫風情が俺と彼女の間に気安く入ってくるな」
「それどーゆー意味?」
「平民あがりがツケ上がるなと言っているんだ。大方ファラに近づけば甘い汁が吸えると踏んでいるだろうが彼女の優しさに甘えて友人面など虫唾が走る」
とここでバトラがハッとする。おうおう何に気づいたんだ己の滑稽さか?
ちがうわ。男としての自信に溢れた最低に腹立つ顔になりやがった。
「……ははーん、もしかしてお前俺に惚れてるな? まったくそれでこの態度とはな、だが俺はお前のような平民モドキは相手にしない、大人しく視界の端にいるのくらいは許してやるがな」
ファラとリリアのバトラを見る目が急速に冷えていく。
そういうところだぞバトラ、お前が嫌われるのはそういうところだ。
ファラを好きなのはまだいいとしても彼女の友達を貶めるなんて、自らを貶めるに等しいと何でわからないんだ。ってこいつ馬鹿コンビの片割れだったわ。
俺は颯爽とステルスコートを使った。
かきごおりを食べているファウストのスプーンを奪い、シロップも赤く滴るそいつをバトラのケツに差し込む!
「ぐああ!」
そしてねじり込む!
「ぐぅ、ぐっ……」
ほぅ耐えるじゃないか。ならば―――
どっぽーん!
プールに蹴落としてやったぜ。そして溺れるバトラであった。
「あわわわわ! 助けっ、助けろ! ルドぉぉお!」
「仕方ねえなあ」
ルドガーがビーチパラソルを差し出してる。溺れる者はパラソルでも掴む。
弟が溺れていてもプールに入らないルドを見ればわかるとおりマクローエン家はだいたいカナヅチなんだよね。アルドだけ超水泳うまいけど。おかげで見下されてるけど。
「ひぃひぃ、たっ助かった……!」
ピーチパラソルを掴んで一安心している二人の背後に迫る不穏な影はそうわたくしリリウス君だぞ。えい。
どっぽーん!
「リリウスぅぅぅ! なんでっ、俺まで蹴落とす!?」
「あばばばば! あばばばば!」
溺れるルドバト馬鹿コンビを前にステルスを解除した俺は颯爽とかっこいいポーズ。
「お前はイケメンではないが、ストーカー死すべし慈悲はない!」
ふっ、決まった。
「野良犬め、私のスプーンを返せ」
「承知」
バトラのケツ穴を蹂躙したスプーンをファウストの口に突っ込んでやる。
悶絶するファウストはついでにケツを蹴り上げておいた。
お前は何も悪くない、悪くないがイケメンに生まれたそれがお前の罪だ。
親父殿とリザ姉貴の目線が痛い。
バトラは確かにどうかと思うけどそこまでするかって目だ。愛する女の子の前でこんな醜態さらしたら俺なら引きこもるね。
「虐待……?」
「してるの間違いじゃ?」
リリアとファラが首を捻っている。
なんで誰も俺が虐待されてるの信じてくれないの! ガーランド閣下とロザリアお嬢様も信じてくれなかったよ!
「ファラ、リリア、あなた方を貶めた馬鹿を成敗した忠実な騎士に褒美をください……野宿はいやです」
絶対蚊に刺されるから。
「リリウスぅ~~~~!」
バトラがプールから這い上がってきた。相変わらず根性だけは一人前だな。
「どうやら長年にわたる決着ってやつをつける日がきたようだなぁ!」
「へへへ、いつも通り返り討ちにしてやんよ」
「いつも勝ってるのね」
ファラがじと目だ。これは俺が虐待されてる事実を疑っているな。虐待はされているがいつも反撃して勝利している。だから嘘ではないのだ。
いいわけしようかなって思ったけどファラの様子がおかしい。なぜか鼻をクンクンしているぞ?
「くさい」
「……え?」
「あー、このにおいってまさか?」
「バトラお前まさか……?」
蹴落とされた勢いで漏らしちゃった?
そういえばあいつの海パンじゃっかん黄色がかっているような……
「ちがう、これはそこの野良犬がいきなり。かき氷も食べていたし急に蹴落とされたし―――俺はけっして漏らしたわけでは!」
「夜尿癖のある男なんてベッドに入れらんないわよ」
「……!」
ファラのクリティカルヒットが入りました。
「てゆーかあんたみたいな下郎最初から興味ないのよ、ねリリウス君?」
「そーそー、私らリリウス君と遊びに来たんだもんねー?」
二人が両腕に絡みつくみたいに身を寄せてくる。
両手に花に見えるけど実際は煽りスキルですね、わかります、わかりますけど勘違いしそう。これがおっぱいの魔力!
「さ、早くうちの別荘に行きましょ。誰かさんのせいで疲れちゃったしもうお休みしたいわ。ね、リリウス君、昨日みたいに一緒に寝よっか!」
「の~~ら~~い~~ぬ~~~~!」
おお怖え、目から火花出しやがった。
やばいな、これまで幾度となくバトラをいじめてきたがこの殺気は本物だ。就寝中に蜂の巣放り込んだ時もここまで怒りはしなかった。これ地雷踏み抜いた感じあるな。
みなさんに質問なんですけど、惚れてる女を弟に寝取られたら殺したくなります?
「それ以上の挑発は逆効果になる気が……」
「初めて会った時みたいにさ、おっぱい好きにしていいよ?」
「マジで!?」
「よーし今晩は三人でお楽しみだー!」
リリアさんステキ、でもそのセリフ乙女のセリフじゃないよ。
親父殿も涙ぐむな! こいつ立派な男になりやがってみたいに感動するところじゃないぞ。とめろとめろ、今お前の隣にいる息子がフォースの暗黒面みたいなオーラを垂れ流してるからとめてくれ!
残念ながら俺にはとめられない。これからステキな用事があるんだ。
案内の騎士の羨ましそうな視線を感じつつ、俺達はファラの別荘に向かった。
バトラ戦の勝利に浮かれるリリアとファラであったがリリウスは内心怯えている。
やりすぎた気がする……
長年にわたって血みどろの兄弟喧嘩をしてきた経験が叫んでいるのだ。
兄弟喧嘩の一線を踏み越えてしまったと。