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楽劇『魔王』④ 極北の貴公子

 貴族家が持参した交易品リストは冬の間に編纂されて一冊の本となって皇宮での宴で配られる。


 冬は社交シーズンで帝都に集った貴族にとって冬の社交の目的はもっぱら交易品のやり取りにある。

 各地で産出される茶葉や小麦は交易品リストにのぼり、貴族はリストと社交界の出席者名簿を見比べて出かける家を決める。招待状の手に入らない家のパーティーにばかり顔を出す方々を雲上人と呼ぶのはこうした習慣から来る。

 欲しいけれど手に入らない。声を掛けることさえできない方々という意味だ。


 ウェンドール805年の春が訪れた。冬の社交もそろそろ終わり、帝都で開かれる大祭を見物してから帰ろうという頃、思わぬ大物が帝都の社交界に現れた。


 マクローエン男爵ファウストだ。その美貌は北部の淑女を介して噂にのぼり、滅多に帝都に出てこない事情もあって幻の生き物のように語られる、いわゆる縁起物な人物だ。

 曰くその美貌は天上の女神が恋をして地上に降りてくるほどで、甘く厳しいお声は聴いているだけで卒倒しかけ、一度その姿を見た日から目蓋に焼き付いて夜の眠れぬほどの美男子と評判だ。

 これほどのべた褒めとなると面白くない者も多いし、事の真偽を疑う淑女も多かった。

 中には当然デマカセだと決めつけてかかる淑女もいた。レイリー・ランスベルクである。ランスベルク侯爵の次女は高らかにこう宣言した。


『よろしくてよ、ファウスト・マクローエンの噂の真偽をこの目で確かめて来てさしあげましょう!』


 これがいわゆる伝説のレイリー・ランスベルク秒殺事件の発端であった。

 冬を一つ越えて帝都に戻ってきたレイリーは社交界でこう言い出した。


『真実でしたわ!』


 社交界がどよついたのは無理もない。何しろレイリー嬢はこの日を境に意見を180度ひっくり返してファウスト推しになってしまったのだ。

 その狂気じみた熱狂を眺めているだけの方々はこう思った。


(あ、こりゃあマジだな……)


 この日から噂は真実と断定されて帝国全土へと散っていく。極北の貴公子ファウスト・マクローエンの名を世界が知った出来事である。ちなみにバイエルのシャルロッテ様が泣き縋りながらファウスト様を取らないでって号泣した事件も彼らの判断材料となったらしい。


 そんな極北の貴公子が冬の終わりにやってきて、皆の度肝を抜くような交易品を交渉材料に使い始めたのだ。彼がまず話を持ってったのは父の友人のバートランド公だ。

 リストを一目見たバートランド公はワインを噴き零した。だってリストに金500kgと魔金が15tって書いてあるんだ。


「ファウスト君これは本気かい!?」

「はい、現物もお持ちしております」


 ファウストの命令でパーティーに連れて来た侍女が金の細工物を並べていく。魔金に関してはインゴットのままだ。

 真っ黒い金属塊に走る黄金の稲妻の曲線。何より馬鹿馬鹿しいほどの重量。これが本物の魔金であることは持てば誰にでもわかる。


「マクローエンに鉱山があったとはね。場所はどこだい? アパムなら厄介なことになりかねんよ」


 バートランド公の懸念はアパム連峰がマクローエン家だけの物ではないという事実によるものだ。アパム連峰は五つの領主家の土地境になっている。場所がマクローエン寄りというだけでは、無理にでも利権を奪いに来る輩も出てくる。


「ご心配なく。北部の山林地帯です」

「それはよかった。家督を継いだばかりでは何かと大変だろうと心配していたが実に幸先がいい。新たなマクローエン男爵の栄達を願っているよ」


 バートランド公は上機嫌だ。社交辞令だと思ったが本当に心配してくれていたのかもしれない。


「これらは私も欲しいところだが今回の交易品は顔を広げるのに使いなさい。使い方はわかるね?」


 これは新たなマクローエン男爵の態度を計る問いだと思われた。

 経験豊かな父の友人に甘えて、だが交易品を最大限活用する道。至らぬでも自らで決断してもがき苦しみながら経験を積む道。

 前者は最大の利益を得られる代わりに侮られる。後者は困難な道だがうまくやれば信頼を得られる。若く未熟な貴族ではなく頼りになる盟友となる道だ。


 もっともファウストはどちらも選ぶつもりはなかった。ゆえに答えはこうした。


「ええ、じつは当たりをつけている人物がいるのです」

「具体的な名前は出せない?」

「まだ会ったこともない人物ですので」


「……よければ私が顔つなぎをしてもよいが」

「いえ、そこまで頼ってしまうのは申し訳ない」


 バートランド公の顔には何も出ていない。だが不信感を募らせるような態度であることは自覚しているし、恩義のある大人物にはやや非礼なのも理解している。

 なので一つだけ確約する。


「持ち込んだ金塊ですが100キロ程度は余る予定です。可能でしたらバートランドの小麦を買わせていただきたい」

「お前とはこれきりだなんて言われなくて嬉しいよ。持ち込んだ小麦はもう使い果たしたが領地から届けさせるとしよう。他に欲しいものはないのかい?」

「では……」


 バートランド公との交渉は順調に済んだ。順調に計算通りに済んだ。多少の不信感を与えたのは牽制の意味もあるからだ。

 それは前の時代のマクローエンとの決別であり、ファウストは父のように公が持ち込む汚れ仕事をやるつもりはないと示したのだ。


 公との交渉を終えるとすぐに他の領主が群がってきた。

 ファウストは巧みな話術を用いて交渉を繰り返してマクローエンに足りない物を集めていった。


 新たに見つかった鉱山はマクローエンに莫大な富をもたらした。採掘された金と魔金オリハルコンはインゴットに加工され、交易品として帝国の方々へと散っていく。

 名声が彼を包んだ。



◇◇◇◇◇◇



 春節で浮かれた帝都は夜になっても明かりが絶えることはない。

 帝都を見下ろす皇宮クリスタルパレス。空中庭園でのんびりと夜風を浴びる帝国宰相ベルドールは、帝都貴族街からやってくる執拗なサーチ魔法に気づいていながら、少しばかり悩んでいる。


 千里眼で調べたところサーチ魔法の発信地には誰もいない。何もない路上から魔法だけが放たれ続けている。ただの悪戯? クリスタルパレスの結界を貫通するだけの強度のサーチ魔法が悪戯のはずがない。


 騎士団にも気づいた様子はない。となれば尋常な術者の仕業ではない。


「気づいているのは私だけですか。……あぁ困りましたねえ。いったいどこの魔導師だか知りませんがこれほど恐ろしい気配はそうそうあるものではない。できれば気づかなかったフリをしたいところですが……」


 気づかなかったフリはできない。ベルドールはすでに知覚されている。

 サーチに気づいた瞬間に見えないトゲに刺された感覚がした。これは気づいたという事実に反応してマーキングを打ち込む非常識な魔法だ。しかもディスペルが通じない。


 ベルドールの魔法力は今この瞬間にもマーキングの刺さった個所から流出している。最低の魔法だ。これほど厭らしい呪いは中々ない。このままでは遠からず衰弱死させられる。術者が誰かもわからないままに!


「困りましたねえ……」

「帝国宰相ベルドールだな?」


 突然の声に振り返ろうとしたベルドールだが、彼には振り返り敵の姿を視認する暇も与えられなかった。

 身を切り裂く斬撃に両断されてベルドールは真っ二つになってしまった。


 ……

 …………

 ベルドールが再び意識を取り戻したのは自らの工房でだ。彼は本来の姿に戻り、ガラスの小瓶の中に閉じ込められた。


 ベルドールの混乱は果てしない。


(失態ですねえ。これは失態だ。正体を見られた上に工房の位置まで知られるとは……)


 混乱は果てしない。彼の長い人生において正体を見られたことくらいは何度かはあった。

 恥ずべき姿だ。誰にも晒すまいと注意深く歩んできたのに、どんなダーナの悪戯か、たまにバレてしまうのだ。


 ベルドールは己の正体を知った者を必ず殺してきた。そうすることで己の恥ずべき姿を隠してきた。

 だが眼前の青年だけはどう考えても屠れそうもない。


 眼前の美しい青年は人ではない。神にも等しい魔法力を持つ者は神と呼ぶべきだ。……全身が震える。もし今のベルドールに歯があったならカチカチと音を鳴らしていただろう。


 手も足も首もないベルドールが小瓶の中から問う。


「あなたは何者でしょうか?」

「……」


 青年は問いかけに答えない。ベルドールの工房で資料に目を通し、並べた機材を調べている。

 研究に興味がある。だから生かされているのだろうか?と勘違いしてしまいそうな行動だ。まずそれは無いだろうが、それなら生き延びる目途も立つ。


 ベルドールは帝国の怪人と呼ばれるに相応しい胆力で辛抱強く語り掛け続けた。まずは彼の興味を惹かなければいけない。


「それは以前にライエルディークの錬金術師から買い取った合成壺です。性能はそこまでではありませんが軽金属の合金を作るのに便利なので置いてあります」

「……」

「そちらは顕微鏡です。石材分析のために便利なので重宝しております。使い方は……」

「グリッターごときが誰の許可を得て囀るか」


 ベルドールが押し黙る。

 絶対者の声を受けるは喜びではない。精神を貫く不可視の刃に切り裂かれるがごとき衝撃を与えるのだ。


 偽りの生命は震え上がり、崩壊しそうな精神を懸命に支える。


「あ……」

 ベルドールの饒舌が止まる。


「あ……」

 ベルドールの精神の均衡が崩れ落ちる。


「あ……」

 死を前にして人は平静ではいられない。


 ベルドールはいま確約された死を前にしている。逆らうつもりなど木っ端みじんに吹き飛び、今はただ彼の者の言葉を待つだけの従僕と化す。


「悪名高き帝国の怪人の正体が魔法生物とはな。何者に作られた? お前はいつから帝国に入り込んでいる?」

「わたっ、ワタシは! わたしは、わたしはワタシは……」


「どんな願いを帯びて生き永らえる? その願い、私が叶えてやってもいいのだぞ?」

「ああああああああああ……」


 ベルドールは抗おうとした。魔王の言葉に抗い、己を保とうとした。

 だが不可能だ。ベルドールは最初に斬られた直後に自由を奪われているのだ。魔王の枷はただの精神支配ではない。夜の魔王という神が与える加護であり奴隷の首輪なのだ。

 加護で縛られた者は主人から与えられる魔法攻撃のすべてが無条件で通る。魔王の従える神気はいとも簡単にベルドールのスライム状の肉体を弄び、自壊させてゆく。


 圧倒的なちからは生物に二つの選択を迫る。従うか死か。……ベルドールとて選ばねばならなかった。


 反旗を願えば肉体がゆっくりと死んでいく。だが服従を選んだ瞬間にベルドールを苛んでいた痛みが去る。

 奇跡のように痛みの消えた瞬間にベルドールの偽りの精神を満たしたのは触れ得ざる者へとお仕えのできる奉仕の喜びだ。強大な主の庇護を得られる。これに勝る喜びなどないのだと……


 そう信じ込むことでしか命を拾えない。


「貴方様に従います。貴方様の命令を我が意思とする絶対の忠誠を捧げます」


「その種のおべんちゃらは聞き飽きた。命令に従えばそれでよい」

「信頼を戴けるように努力を致します。……忠義の証立ての機会を、このベルドールめに命令をお与えください」


 ベルドールは新たな主人から幾つかの命令をいただいた。

 最後に問いを一つ許してもらった。


「お名前は…なんとお呼びすればよろしいのでしょうか?」

「名前…私の名前?」


 不思議なことに主人は少し考える素振りを見せ、答えた。


「夜の魔王ファウスト・マクローエン。だがお前には過ぎた名だ、我が名を唱えることは許さぬ」

「ご主人様のご意思のままに」


 恭しく頭を垂れるベルドールは察した。

 この強大な主でさえも魔王に操られる可哀想な生贄の羊にすぎないのだと。



◆◆◆◆◆◆



 ファウストは暇さえあれば瘴気の谷に潜った。悪意のある冷気の霧が立ち込める凍りついた渓谷を飛翔し、目についた魔物を片っ端から切り殺していく。


 共に飛翔するアルドはかつての関係を知る者ならば首を傾げるほどに従順だ。

 アルドには愛情の変換を用いた。良き記憶をファウストへ、悪しき記憶を他の兄弟へと振り分ける簡単な支配だ。他の使用人同様に始末してしまうわけにはいかないアルドには支配を施すしかなく、どうせ屋敷に残すのなら兵隊の長をやらせることにした。


「兄様、後方に雷精獣! 二頭!」

「厄介なのが追跡についたな。まずは動きを封じる」


 稲妻となって空中を走る雷精獣を夜の鏡に閉じ込める。幾つかの仕掛けをしたが最後まで食い破られ、最後の仕掛けのファウスト自身に体当たりをかましてきた瞬間に閉じ込めることができた。


 空間の裂け目に一旦は隠れた二人が虚空から現れ、雷の精霊を閉じ込めた鏡を剣と長戦斧で叩き割る。

 霊体の状態にある精霊に物理攻撃は効果が薄い。だが魔法力吸収を付与した武器ならそれなりのダメージを与えることができる。


 拡散した稲妻のちからが再び集まる前に可能な限り魔法力を削る。

 元の半分程度の魔法力を削ると雷精獣が逃げ出した。


「追いましょう!」

「無意味だ、このまま逃がしてやれ」


 雷精獣の姿が霧の向こうに消えていく。アルドは不満そうだ。


「追えば倒せました」

「精霊は倒しても時を経て蘇る。我らの目的は奴らから削り取ってエナジーだ、これを誤るな」


 ある程度弱らせれば逃げていくとはいえ、一息に仕留めてしまいたい気持ちもわかる。だが逃げに徹する雷精獣を仕留めるのは困難だ。広範囲無差別攻撃が必要になる。だがエナジーを集めに来ているのに大量のエナジーを使って倒したのでは意味がない。

 そして雷精獣はファウストらを執拗に狙い、谷に潜る度に襲ってくる。


「前回よりもかなりちからを落としていた。この調子でいけば後数回で仕留められる好機も来るはずだ。焦るな」

「わかりました」


 不満そうだ。こいつは昔から返事だけはいい子供だった。

 ふと笑いがこみ上げてきたが自制する。ここは強力な魔物の生息地だ。


「瘴気の谷の魔物が活性化している。もしや大いなる川の堰を破ったせいか?」


 封印ならば理由があるはずだ。ただの嫌がらせにしては強力な封印だったのも引っかかる。


「そもそも瘴気の谷とはなんだ。この不自然な迷宮路は何者が構築した? それはいったい何のためだ?」

「兄様?」


 ふと脳裏をよぎった疑問に向き合っているとアルドが心配そうに見上げてきた。

 ファウストには己の思索を整理するために独り言をする癖があり、アルドはわからないながらに相談してほしいと考えているようだ。兄を見ればとりあえず石をぶん投げてくるアルドがだ。


「私がこのような言葉を言ってはいけないのは理解しているが、お前が落ち着きすぎて怖い」

「何ですかそれは。僕だって大人になっているんですよ」

「わかったわかった」


 時計を確認する。正午まであと小一時間といった時刻だ。


「昼まで間引きをしよう。いずれはこの谷を攻略するつもりだが焦る必要はない、まずは陸地寄りの安全を確保する」

「兄様、この谷の奥には何があるんでしょうか?」

「わからない。案外厄介な邪神が封印されていたりしてな」


 悪意の霧が立ち込める霧を飛翔していく。

 魔物の数は多い。大抵は取るに足らない雑魚だが稀に極上の怪物がいる。死力を尽くして戦う時だけが彼の心を安らげ、火の点いた闘争本能がさらなる敵を求めた。


 簡単には弱音を吐かなくなった健康な肉体の全霊を振るって戦える。知らなかった快楽を知り、ファウストはさらなるちからを求めて敵を探す。

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