魔王領域マクローエン③ VS魔神将アルド
帰ってきたアルム経営の宿は明かりはついているが人の気配がない。不自然に感知できない。これは強力な隠ぺいの魔法の傾向だ。
魔力触を飛ばして宿に掛けられた術法を解きに掛かる。だが俺の魔力触は何の抵抗もなく宿に入り、何の手応えも得られぬままに宿内を彷徨う。……俺よか数段上の術者がいるってわけだ。
ファウスト兄貴なら願ったりだ。どうせ明日には押しかける予定だったんだ。一晩早まっただけだ。
宿に飛び込む。木目の床。フロントと廊下。特に怪しい部分はない。人けはない。いても感じ取れないレベルの空間歪曲が起きている。
「ひ…ひひひ……おかえりなさ~~~い、ぼっちゃぁ~~~ん」
ホラーテイストな声と共にフロントの向こうからアルムが出てきた。操られているのか?
くそっ、ファウスト兄貴め。俺のダチ公を操るなんて悪趣味な!
アルムの背後から現れたスタイル抜群な女騎士たちが、縄でグルグル巻きにしたデブを突き飛ばす。哀れデブは俺の足元に転がる。……人質かと思ったわ。
「デブ、大丈夫か!」
「僕は平気だけど……」
デブが視線でちらり。アルムは明らかに正気を失っている。明らかにSAN値が足りていない。
ちくしょう、許せねえよファウスト兄貴!
「アルム、お前はファウストに操られているんだ。すぐに元に戻してやるからな」
「このド畜生がああああああ! お前ッ、おいお前! お前だけは許さねえからなあ!」
すげえお怒りだぜ。いったいどんな摩訶不思議な術法に操られているんだ?
とりあえずデブのグルグル巻きになってる縄を切っておこう。
「ねえリリウス君」
「なんだよ」
「最低限ケンカを売ったことだけは覚えておきなよ。彼が可哀想じゃん」
「は? 俺がアルムに喧嘩だと? 馬鹿を言うな、どうして俺が喧嘩を売るってんだ」
「最低限ケンカを売った自覚くらいは持ちなよ。そういうところだよリリウス君」
デブが手のひらを開いて俺の自伝の一部を見せてきた。
くしゃくしゃに丸まったページを伸ばしてみる。おっと、俺がミリーさんと結ばれた夜の話だな。
「これがどうしたって?」
「それだああああ! それだ! 僕が怒っているのはそこ!」
アルムがクソうるせえな。
これは自伝一巻でも中々に感動的な話だ。俺を密かに慕っていたミリーさんが町を出る前に想いを告げるという切ないエピソードだ。何割が真実かについては知らん。俺の体感だと十割真実なだけだ。
「え~~~と何々。ミリーは瞳を潤ませて俺に身を委ねる。ぼっちゃん愛しています。一晩だけでいいの、一晩だけでも私は振り返らずに旅立てる。どうか今夜だけはぼっちゃんの妻にしてください。……感動的じゃん」
「その先!」
「っち、うっせえなあ。え~~~だが俺がミリーに触れることを躊躇う。彼女に恋心を寄せる友人の笑顔を思い出してしまったからだ。しかし俺には彼女を拒むことなどできなかった。すまんアルム。心でそう唱えながら俺はミリーに口づけを交わす。愛の月が情熱的な赤光で照らす夜、俺と彼女は一夜だけの夫婦となり愛を語り合った。……感動的じゃん」
「きええええええ!」
アルムが髪をぐしゃぐしゃにかき乱している。NTRで脳を破壊された男の行動だ。
え、もしかして……
「お前もしかしてファウスト兄貴に操られてないの?」
「お前への怒りが! 挑発が! 僕を突き動かしている!」
「え、マジ?」
「リリウス君マジさあ……」
デブまで。え、マジ?
「でもアルム君よ、ミリーさんはお前のことなんかこれっぽっちも……」
「例えそれが真実だとしても! お前だけは許さない!」
「なんで欠片も脈がなかった奴が逆恨みするんだよ?」
「それ思ってても言っちゃダメなやつだよ」
う~~~む、理不尽な気もするがこの場はデブが正しいな。嘘よりも真実の方が人を傷つけるシーンはけっこうある。
ここは素直に謝っておくか。
「ごめんね、許して?」
「遅えええええ! アルド様、こいつをやっちまってください!」
空間歪曲率が急激に跳ね上がっていく。
次元の穴が開いた。廊下の暗闇だ! 怪物に口みたいに開いた次元の穴から夜色の外套を纏う少年剣士が現れた。綺麗だが冷たい顔立ちをしている。昔の俺とよく似たクルクル巻き毛の線の細いアイス系の美少年だ。おー、アルドは格好よくなるって思ってたけど中性的な美少年になったか。昔はおバカ系愛されキャラだったのに謎めいた少年ふうになってるなー。
なぜか俺を冷たい目つきで見ているアルドが外套をバサリと広げる。外套の下はやや紫がかった漆黒の鎧。一目ですごい鎧だとわかるな。何しろかっこいい。
アルドが次元の裂け目から暗黒のハルバードを取り出す。腰の剣を使おうぜ。剣士とか言っちゃった俺の面子が潰れるじゃんよ。
「ファウスト兄様のご命令だ。捕縛させてもらう」
「お前まさか気づいてねえの?」
悲報、数年ぶりに会った弟に忘れられている件。
「ほら、リリ兄だよ。髪真っ赤に染めたからわかんなかったか?」
「誰だって?」
「リリウスだよ、お前の兄貴の」
「僕の兄はファウスト兄様だけだ。マクローエン家の意に背く者よ、大人しく縄につくのだな!」
アルドが加速する。速ッ―――
ハルバードを片手斧で迎撃する。重い。腕力は俺以上か?
アルドの猛攻を技でしのぐ。掬いあげ、流し落とす護剣の術理。九式竜王流短刀術『流水の崩』だ。
「やるようになったな!」
「知ったふうな口を利くなァア!」
強い! 重く速く攻撃のつなぎ目に隙が存在しない。長戦斧使いとしての技量は完成の域にある。……室内で目いっぱい振り回せるってだけで異常なまでの武錬だな。
「ちゃんと成長してて嬉しいぜアルド。だが俺には及ばないな」
調子こいて猛攻してくるアルドの背中を概念斬撃で強打する。背を打たれたアルドの視線が一瞬だけ後方に向かい、その一瞬があればデブを拾って透明化できるのさ。
一旦退こう。デブを担いで宿を飛び出し、夜の街を走って逃げる。
「逃げるの!?」
「弟じゃなかったら倒してもよかったんだがな」
前方に空間歪曲反応。往来の多い大通りに開いた次元の口からアルドが出てきた。……ステルスコートの隠密性を看破してるってのか?
「無駄だ。マクローエンの地に兄様の目の届かぬ場所などない」
「じゃあ視界を潰してやるよ。≪闇よ満ちよ、ここは殺害の王の狩場! 怯えよ、逃げよ、泣きわめくがいい、何者もアルザインからは逃れられぬ! 殺害の王アルザインが秘儀を見るがいい ダークゾーン!≫」
カウンゼラ市が一瞬で暗闇に包まれる。ランタンの明かりも蠟燭も、地面から生える謎の照明植物の明かりも暗闇に呑まれる。
にっげろー!
「ガハハ! 兄より優れた弟などいねえ!」
ダッシュで逃げる。とりあえず俺の持ち家に避難すっか!
◇◇◇◇◇◇
Q 鍵のかかった自宅に入る方法とは?
A 玄関を蹴破ればいい。修理代は兄貴から貰う。
どかん! カウンゼラ市内の生家のドアを蹴破り、リビングでデブをおろす。暖炉には薪が用意されている。やはりリリウス君を密かに慕う美少女が定期的にお掃除に来てくれているらしい。
暖炉に火をいれる。デブが暖炉に飛びついていったぜ。
適当にキッチンを物色する。さすがに茶葉の用意はない。白湯でいいか。やかんを用意して暖炉の網に載せて直接火にかける。
「ま、覚悟はしていたが予想通りバトル展開になったな」
「まさかアルド君と戦うとはねえ」
それな。兄貴とのバトルはやる気まんまんだったがアルドと戦うなんて微塵も思わなかったわ。
「すごかったねえ。実際のところアルド君の実力はどうだったの?」
「時は誰にも平等に流れ、時は少年に有利に運ぶ」
「その心は?」
「俺が強くなったのと同じくアルドも真面目に訓練をしていたんだろうぜ。で片づけるにはやや不可解な強さではあったな。かなり強めのAランク冒険者でも瞬殺できる腕前だったぜ。騎士団のエース級でもすぐさま押し込まれて殺されるレベルだ」
「マジで……?」
マジなんだよこれが。
アルドの基本性能は英雄の領域にあった。こんな場面じゃなければ喜んでやれたってのによ。
「嘘だったらもう少しうまくやったがね。強すぎて手加減できる自信がなかった」
ほんの僅かでもアルドを殺してしまう可能性があった。俺とアルドの間には手加減できるほどの実力差がなかったせいだ。これが不可解だ。
闘争の聖地ウェルゲート海で揉まれてきた俺と同等の戦闘経験値と能力向上をマクローエンから出ていないアルドが有している。ここが不可解だ。
「普通に考えたら魔王様に何かされたんだろうぜ」
「普通の意味を調べ直してきてね。魔王っていうのはそういう事ができるの?」
「改めて真剣に聞かれるとなあ。俺みたいな庶民に魔王様の御業を計れるわけねーだろ」
「自信満々に推理を披露しておいて庶民ぶりのは格好悪いと思うよ」
デブの正論が強すぎる。対俺に磨きぬいたツッコミスキル保有者だからだ。
「悲観的なのはいいけどさ、変な思い込みのせいで正しい姿を見間違うのはよくないと思うよ」
「わぁってんよ」
くだらない見誤りでアルドを死なせるつもりはない。
やかんが沸騰した。少しばかり話に夢中になりすぎたか。……お客さんもご到着だな。
白湯を注いでコップをお客さんに向ける。
「よくここがわかったなアルド」
「……」
アイス系の美少年が滅多に見せない感情をあらわにした憎しみの眼差しで睨まれてしまったぜ。
「兄ちゃんは悲しいぜ。可愛がってた弟に睨まれてよぉ」
「この民家は壊したくない。表に出ろ」
「俺も自分んちは壊したくないから素直に出るよ。その前に茶を一杯飲むくらいはいいだろう? まぁただの白湯なんだが……」
「ここが、お前の家?」
そういやお前をここに連れてきたことはなかったな。
ここは男爵家に引き取られた婚外子の家。アルド・マクローエン様の兄貴の家なんかじゃ間違ってもねえよな。ここは親父殿の婚外子が集まってお勉強やら遊びやら誕生日会をやる場所だ。
マクローエン正統の嫡子であるアルドを連れて来ては行けない場所だったのさ。
「アルド、お前を置いて家を出た俺を恨んでいるのか? アルド……?」
アルドの様子がおかしい。痛むこめかめを押さえるアルドの様子はアルムとはちがう方向性でおかしい。
「ここがお前の家だと? ちがう、ここは兄さんの家だ。ここはリリ兄の家だ」
「そうだよ」
「クッ、頭が……ここはお前の家じゃない。盗人めが……」
確定だ。アルドは操られている。思考操作か認識汚染か。どこを起点にした術法だ?
起点さえわかればディスペルの難易度は格段に下がるんだが……
アルドが胸倉を掴みあげてきた。今のお前にはわからないかもしれないけどさ、お前は怒って当然だよ。ルドガーもバトラも、俺もいなくなってきっと誰にも相談できなかったんだよな。
「魔王の玩具になるなんて怖かったよな。ごめんな、守ってやれなくてごめんな」
「戯言をほざくなァ! いいからッ、ここから出ろ! 殺されたいのか!?」
「そいつは勘弁だ。その手を離してくれ、戦ってやってもいいがここは壊したくないんだろ?」
おしゃべりの間に術行使に必要な神気は練り終えている。アルドが手を離した瞬間に夜渡りを局所発動。
エネルギー残滓ゼロ。完璧に発動した空間転移は発動する予兆も転移先の割り出しもできない。
夜の森に跳んだ俺とデブ。デブがコップを持ったままキョロキョロしている。
「空間転移ってやつ?」
「おう」
「伝説の魔法って聞いたんだけど……」
「当代一の空間系術者を舐めるなよデブ」
ここはマクローエンの屋敷の敷地内にある泉だ。夏になれば領民も普通に遊びに来る水浴びスポットさ。
キョロキョロしているデブが今後の方針を聞いてくる。
「これからどうするの?」
「まだ考えはまとまっていないがファウスト兄貴が乗っ取られた説は確定だろ。兄貴の人格が残っているならアルドを操ったりはしない」
「そうだねえ、どういう扱いにするにせよ操らなくてもいいはずだよね」
「ま、兄貴のお願いなんてアルドが聞くわけねえけどな」
「そうなの?」
「アルドの一番嫌いな兄弟はファウストだ。理由は優しくないから」
ハッ、上空を振り仰ぐ。転移反応だ。マジかよ!
森の上空に現れたアルドが暗黒の剣を投擲してきた!
「逃げるぞデブ!」
「え、え、えええええええ!?」
デブを担いで逃げる。なんでだ! 今の空間転移は芸術的で審査員もにっこりの満点だったはずだ!
アルドが暗黒の剣を次々と投げてくる。森が爆ぜる。かなり威力の高い高等魔法くらいの威力があるな。
「告げたはずだ、兄様の目はこの地のすべてを見ていると!」
「この馬鹿みたいに広いマクローエン全域を? いくら魔王様でも不可能だろ」
「兄様を愚弄するかあああ!」
暗黒のオーラで構成した翼を広げるアルドが超速度で滑空降下してきた。チャージは終わっている。さっきはパワーで負けたがこれなら―――
殺人ナイフを引き抜いて知覚拡張『雷帝マキリ』を発動。片手斧との二刀流でアルドのハルバードを抑え込む。
「退けアルド、お前では俺には勝てない!」
「兄様からこの地の守護を任された身だ。退かぬ!」
やはり強い。チャージ強化した俺と五分に渡り合うか。
一瞬の隙もないアルドを超速度で凌駕する。スライディングと同時にカカトの腱を切り裂く。レッグアーマーの強度は聖銀具以上だったがルインアックスの超切断力を防げるほどではなかったな。
うまく歩けなくなったアルドが命じる。
「往けヴァルキリーども! あの無法者を制圧しろ!」
アルドの開いた次元の穴から華美な装飾を施された鎧をまとう女騎士がぞろぞろと出てくる。クソッ、こいつらも強い!
加速して逃げようとしたが瞬く間に退路を塞がれた。
「≪さあ戦え戦乙女どもよ! お前達はこの地の平穏を守るために生まれた。その血肉は我らが民のためにある。夜は雄々しき勲を求めている。さあさ戦えヴァルキリーども!≫」
アルドが歌唱を始めた瞬間に森中の魔素がアルドへと集まっていく。
クランの歌姫の能力まで持っているのか。ヴァルキリーとの連携が厄介すぎる。
「あれなに、あの光どうなってるの!?」
「クランの歌姫だ。神代の戦にはああいう後衛サポートのエキスパートがいたんだよ」
ヴァルキリーどもがハルバードを突き出してくる。強化の術法のサポートで実力が跳ね上がってやがる。
全力の空渡りで木々の合間を縫って森の奥へと逃げる。
追撃するヴァルキリーども。アルドの歌声もどこまでも俺を追ってくる。ステルスコートの透明化が見破られているのも嫌な感じだ。……甘く見ていたつもりはなかったがな。
「ステ子ちゃん真面目にやってる?」
「やってますー」
「そのコートしゃべるの!?」
しゃべるんだよこれが。
この流れはまずい。ホームのはずなのに圧倒されている。あのレベルのヴァルキリーが八体ってのもまずい。
「リリウス君」
「なんだよデブ」
「僕を置いていってよ」
なに言ってんだこいつ?
「確証はないんだけどどんなに逃げてもすぐに食いつかれる理由はたぶん僕にあるんだと思う。僕は何かされたようには感じなかったけど、何かされていないって確信もないんだ」
「マーキングの術法が掛けられているふうには見えねえが」
「自分に自信がありすぎるのがリリウス君の悪い癖だよ。起きた物事から判断すると一度捕まった僕が解放されたってだけで十分に怪しいんだ」
そりゃまぁ。たしかに怪しいが……
「死ぬ気か?」
「全然ないよ。僕はまだ世界中のうまいものを食べてないからね。ファウスト・マクローエン辺境伯の中身がどうあれ帝国貴族である以上交渉の余地はあると思うんだ。……僕にマーキングが打ち込まれているかはわからない。でもリリウス君は足手まといを捨てられて、うまくいけば追跡も振り切れる。悪い手ではないと思うよ」
マジかよこいつ。
「なあデブよ、言っておくが俺はてめえを足手まといなんて思っちゃいねえぞ」
「僕もそのつもりだよ。手下ABのデブは交渉担当だろ、リリウス君、僕の使いどころはここだと思うんだけど?」
時は誰しも平等に積み重なる。俺が修行している間にこいつもちっとはマシな男になってるってわけか。
おもしれー。
「死ぬなよ」
「それはこっちのセリフさ」
通りかかった泉にデブを投げ捨て、俺は一人暗い森の奥へと逃げ出す。
潜入初日からこの様か。まったく面白すぎてスプーンを買い足したくなったぜ。
◇◇◇◇◇◇
「イテテテ。リリウス君さあ……」
置いてけとは言ったが全力で泉にぶち込めとは言っていない。バイアットは悪友への文句もあるが今は別のことに口を回すべきだと理解している。
美形揃いなのに表情の薄い女騎士たちが泉をぐるりと囲んでいる。
決して逃がさない。そういう陣形だ。交渉の余地はある。でなければバイアットは何の抵抗もできずに、とっくに殺されているはずだ。
彼はきちんと聞いていたのだ。ファウスト・マクローエンの命令は捕縛だ。
「やあお嬢さん達。まずは自己紹介をしよう。僕はセルジリア伯バランジットの三男バイアット・セルジリアだ」
「……」
返答はない。何を考えているのか表情からも読めない。苦手なタイプだ。
しゃべる奴は簡単に御せる。でもしゃべらない奴は難しい。こいつらはコミュニケーションを最初から拒否しているからだ。
いかにバイアットが弁舌の徒といえど交渉の相手がこれではどうしようもない。
やがて飛翔の風をまとう彼女らの将が飛んできた。問題なく着地し、こちらへと歩いてくる歩みに不自然さはない。治癒の水薬によるものか切り裂かれた腱は治っているらしい。
「やあアルド君、自己紹介はいるかな? 昔はお馬さんになってあげたこともあったんだけど覚えているだろうか?」
「……バイアットさんですね。覚えていますよ」
「よかった」
バイアットは心の底からよかったと思った。だって彼には交渉が通じそうだ。
まずは問題なく命を拾った。あの悪友もこの様子なら振り切れる。第一の策はきちんと決まった。
じゃあ次の策だ。
「まずは謝罪を。案内のために雇った冒険者が騒がしくしてごめんね」
「……いえ、そういう事情であれば」
アルドの眼差しに疑いや不信感が現れる。よかった。あんまり擦れてない。よかった。簡単に御せそうだ。
「セルジリア伯爵家とマクローエン家は昔からの仲良しだし代替わりしても良好な関係を保ちたいと考えているんだ。きっとファウスト様も同じお考えなんだと思うよ」
「……」
「ファウスト様はご領地におられるんだよね?」
「はい」
「じゃあ案内してくれないかな」
「わかりました。どうぞこちらへ」
第二の策の入り口まではたどり着けそうだ。
難しいのはここからだ。今現在ファウスト・マクローエンを名乗る何者かの正体なんてどうでもいい、っていうとあの悪友は怒るかもしれない。
だがバイアットにとってそこは重要ではない。彼が何を考え、どういう行動を好み、どうすれば御せるのかを調べるのがバイアットがバートランド公爵から受けた指令だ。
帝国の若い世代で一気に頭角を現したファウスト・マクローエン魔導伯。この利用価値を知りたいと願う方々は多い。
バイアットの目的は魔導伯との交渉窓口という利権だ。