始まりの救世主⑤ 救世の灯
じっとりと蒸し暑い夜。天蓋のような雨雲はどっかに消えて今は赤茶けた天の川と満点の星空が俺達を見下ろしている。
フェスタ東部の山中での野営ではみんなで焚火を囲み、殺したてのワイバーン肉をビーフシチューにしている。料理作りはルーデット親子にお任せさ。
「父上、ここはコーヒー粉を一つまみ……」
「隠し味かね?」
「はい」
「よかろう」
ルーデット卿が許可を出すとルキアーノがコーヒーを一つまみ。味見をしたルキアーノが首をひねっている。どうも隠し味がまだ隠れているらしい。
コーヒー豆の入った小さな革袋に指を入れ、豆を指ですりつぶして二つまみ、三つまみ……
さ、さすがやべえと思うんだけど!
「入れすぎでは?」
「まぁここはルキアのお手並み拝見といこうではないか」
「そうそう! 絶対うまくなるって!」
ルーデットってその場のノリで生きてるよね。面白くなりそうなら是、どんな結果であっても面白ければそれでいいとか考えてる一族だ。一緒にいると楽しいから嫌いじゃないよ。
野営にあたってアシェラ神からワインの御寄進があった。料理ができるまでの暇つぶしに俺らは木製のジョッキを手にワインを飲む。
焚火を囲んで各々が雑談をしている。俺は兼ねてからの疑問をアシェラに問う。
「クライシェはどうなった?」
「中々重い話題を放り込んでくるじゃないか。そういうのは二人きりでこっそり聞いたりしない?」
「隠すようなことじゃねえだろ。ザナルガンドと同じ封印に放り込まれたクライシェはその後イザールが取り戻したのか?」
フェイがザナルガンドという単語に反応してこっちを見る。ワイン二杯で顔を真っ赤にしてら。
「何の話だよ」
「重要な話。お前も聞いとけよ」
「そのクライシェというのは我らフェスタの民が崇める海の女神かね?」
「俺もそこまでは知らねえんですよ。せっかく英知の女神がいるんです、素直に全部まとめてお聞きしましょう」
アシェラがジョッキを傾ける。小さな手で両手持ちしたジョッキを傾けてがんばって飲んでる。あざとい!
やべえ、あの夢を見てからやべえ。こいつが可愛く見えて仕方がない。絶対にひどい目に遭うのがわかっているのに触れたくて仕方ない。
アシェラが一気飲みを終える。
「ま、確かに隠すような話でもないか。いいぜ、話してやるよ。まず第一の疑問に答えよう。イザールは至高神アル・クライシェの奪還に失敗した。リリウス君もイルテュラにはいたけどさ、封印領域までは行ってないはずだよね?」
「現代のはな。古代のあそこには夜の魔王が組み上げた巨大封印術式があったはずだ」
「あったよ。とはいえボクも直接見たことはないけどね。どれくらい前かは忘れたけどガレリアからの依頼で封印の地を訪れた時には深層は行けなかった。次元的な接続が断たれていたんだ」
「どういう意味だ?」
「何もなくなっていた。果てしなく広がる暗黒の中がどうなっているのかボクの鑑定眼でも見えず、誰も中には入れず戻ってきてしまうんだ。今現在ザナルガンドの封印がどうなっているかなんて誰も知りようがない。クライシェの行方もね」
「イザールはあきらめたのか?」
「さあ。知りたきゃ今度会ったら聞いてみなよ。素直に教えてくれるはともかくボクの推論よりはマシなはずさ」
アシェラが無言でジョッキを差し出してくる。お代わりをご所望のようだ。樽のコックを捻って注いで渡す。ありがとうくらい言えよ。
「第二に海の女神クライシェだ。ルーデットの者ならフェスタ建国には誰が関わっていたかは知ってるはずだよね」
「うむ。奴らが崇める至高神と我らが海の女神の名が同じ、ただの偶然とは考えていない」
「正解であり不正解だ。イザールはクライシェに信仰のちからを集めようとフェスタにクライシェ信仰を広めた。誤算だったのはネームバリューに使ったはずの航海の安全を保証する海の女神というワードで、フェスタが繁栄するにつれて巨大化した信仰のちからが軌跡を生んだのさ」
なんかどっかで聞いた話に似ているな。
「偽りの信仰が新たな女神を生んだってのか?」
「ご名答。リリウス君ってばたまに賢いよね。よくわかったね?」
「クライシェも元々はそういう経緯で生まれた女神様だからな。あぁ至高神の方だぞ」
「ふぅん、それ詳しく聞かせてくれよ」
どんな願いでも叶えてくれる女神様を崇めるFFOの話をする。イカレポンチが為した長年にわたる実験の成果と、イザールの暗躍もだ。
「なるほどねえ。かか様と同じ生まれ方だ。いや神と呼ばれる存在は等しく祈りから生まれいずる。リリウス君でも知ってるところで言えばティトやアルテナ、あのディアンマさえもそのようにして生まれてきたはずだ」
「あいつらはみんな神を作る実験の果てに生まれたって?」
「そうじゃないよ。例え話にしたほうがわかりやすいか。例えば頻繁に噴火する火山があるじゃないか。麓や近隣に住んでる人達はそれを火山に住む神の怒りではないかと考えるんだ」
「火山噴火のメカニズムは……」
「キミのそういう理屈っぽいところは信仰に向いてないよね。万人がそうした知識を当たり前に持つ社会ではきっと神なんて生まれやしないんだろうね」
アシェラがウインクをしてきた。特に意味はないんだろうけど可愛く見えて仕方ない。
万年発情期のトールマンの性欲やべえ。同時にハイエルフのやばさにも気づいた。あいつらが絶滅寸前なのってこれも一因だろ。
「星の理を知ればあらゆる物事には理屈がつく。でもそうじゃないと考えている人々の方がずっと多いんだ。居もしない火山の神の怒りを恐れる人々の恐怖が信仰となりやがて神が生まれる。これこそが神の誕生そのセオリーだ」
「なるほど?」
わかるけどわからん。わかるんだが納得がいかない。そんな感じだ。
フェイも何だかわかってない顔をしている。俺の袖をグイグイ引いて話をまとめろって催促してきてる。悪いがリリウス先生もわからねえのよ。
「神と精霊はよく似ているよ。名と大きな信仰を得たものを神と呼び、精霊は名を持たぬ神なのさ」
「な…なるほど」
やべえ、もうそろそろキャパオーバーだ。ここまでにしておかないと頭がぱっかーんってなるわ。
そもそも何の話してたんだっけ? やべえ、もう思い出せねえ。
こういう時は頼れるルーデット卿だ。卿へと拝んでみる。通じるかな?
「我らが海の女神クライシェは実在するのだね。それは良い話を聞けた」
まとまった! さす卿!
「うん、普段彼女はトライブ海を周遊するクジラのような姿をしているよ。人に見つかると襲われちゃうからあんまり姿は見せないけどね。優しい子だ。陰ながら海を旅する船乗り達を見守ってくれている」
「善きことであるな」
ルーデット卿が海の男の生き様を語る。フェスタの男は船と海と共に生き、死ぬときは海で死にたがる。海から授かった命を海へと帰すのだ。
こういうのも信仰というんだろうね。夜がとっぷりと更けていく。……なおルキアの作ったビーフシチューは苦かった。隠し味が最前線まで来てるじゃんよ。
◇◇◇◇◇◇
とっぷりと更けた夜。野営地で眠る仲間達を置いて俺は山中を彷徨い歩く。どこへ行こうとかは考えていない。ただ一人になりたかった。
切り立った崖で足を止める。降りてもいいが戻ってくるのは難しそうだ。
夜空に浮かぶ二つの月を見上げ、乱れた心を誤魔化すみたいに深呼吸をする。
「眠れないのかい?」
アシェラが声を掛けてきた。まぁ追跡してくるのは気配でわかっていたけどな。
煮ても焼いても食えない女神さまがよいしょと言って崖に腰を下ろした。
「ボクも何だか寝つけなくてね。ま、仕方ないよね、野犬の群れに放り込まれたおいしいご飯みたいな身の上だ」
「さすがのルーデット家も女神様を襲ったりはしないと思うがね」
「レイプの心配はしてないよ。バトルの心配はしてるけどねえ……」
そっちはありそうだな。卿はともかくルキアは女神の闘法に興味があるだろ。フェイも興味がありそうにしている。意外にも的を得ている例えだったな。
「なあアシェラ、箱庭戦争はどうなったんだ?」
「キミからその名が出てくるとはね。どうなったかは今の世を見ればわかるだろう? きっかけは神々が招いたとはいえ憎しみは世代を重ねる毎に増していく。同じ種族同士で結束して異なる種族を排斥する永遠の闘争の世だ。ボクは憎しみの一石が投じられるのをこの目で見た」
あぁ知っているよ。知っているさ。
俺もお前と同じあの場にいた。例え夢だったのだとしてもきっかけとなる一石を止めようとし、だができなかった。
闘争の世は嫌だって一緒に言ってくれる仲間が少なかったから止められなかった。
リアリティがなかったんだろうぜ。俺は今の世を知っていたからあの時代のすごさに気づけた。でもあの時代に生きてる奴らにとってはあれは普通の出来事で、みんなが仲良く暮らせることの凄さに気付ける奴なんて誰もいなかった。
失ってから気づいて、取り戻そうしても取り戻せない。命と一緒だ。
「ボクには何もできなかった。当時は幼く何のちからもなかった」
「今ならどうだ?」
真顔になったアシェラが俺を見上げてくる。
平静を装った顔。震える瞳に光るものが見えた気がした。
「俺はわかったよ。生まれた意味、与えられた使命とこの命の使い道を」
「救世の志ってやつか。嫌だったんじゃないの?」
「俺は救世主なんかじゃない。ただの殺人鬼だ。……だが俺を救世主だと信じてくれる奴がいる限りは戦おうと思う」
あの時の失敗を取り返そうなんて考えちゃいない。
戦う理由はシンプルだ。男なら誰だってヒーローに憧れる。ヒーローなら女の涙を止めてみせろってんだ。
「アシュリー、お前の本当の願いを知っているぞ」
「お説教かい?」
「本当に復讐が望みってんなら叩いてでも止めてやったさ。俺はお前の兄貴分だからな。お前の本当の願いは失った平穏な日々を取り戻したい、これだろ」
「……」
平静を装った顔。震える瞳からぽろぽろと涙が零れ出す。
「なんでだよ、なんでわかるんだよ……」
わかるさ、お前が本当はどんな子なのか知っている。
「どこまでできるかはわからないぞ。俺に何ができるかなんてまだわからない。歩き出してみないと終わりに待つ風景なんて見えねえんだ。今は何の保証もしてやれない。……だがちからの限りを尽くしてみせる」
「なんだよそれ。期待感ゼロじゃないか」
「ばーか。救世主なんだから何だってできるに決まってるだろ。今のあれだ、もしもできなかった時のためのイイワケ作りだ」
なんだよそれって繰り返すアシェラがグチャグチャに泣いている。
とりあえずあれだ。握手しよう。
「どうなるかなんてわからないけどさ、一緒に楽しく世界を救っちまおうぜ。ワイワイ騒いで明るく元気に全部ぶっ飛ばそう!」
「あはははっ。何一つ具体性がないのがキミらしいなあ。でもさ、魅力的な提案だね」
満天の星空の下でかる~く握手と約束を交わす。
でも一つ間違ってるぜアシュリー。俺とお前が一緒なら魔神だって倒せるのは証明済みだ。……ま、夢の話だけどな。
俺には仲間がいる。頼もしい仲間がもう一人加わった。世界は俺一人じゃ変えられないけど、仲間がいれば変えられるさ。たぶんな!
さあ救世の旅を始めよう。
tips:救世の志が芽生え、始まりの救世主が活動を開始します。
神代からの祈りが救世主にちからを与えます。固有スキル『始まりの救世主』は荒ぶる戦士の耳にも救世主の言葉を届ける対話のちからです。
始まりの救世主はすべての種族から一定値の信用を得られます。語り掛ければ親愛が生まれ、手を握れば友諠が結ばれます。
ですが闘争の箱庭においてそのちからはとても小さなものでしかありません。