封印の地①
エイジア軌道塔120階フロアの外壁に設置されたヘリポート。高度2000mに吹く風は強い。
ローターを回した輸送ヘリは今にも飛び立とうとしている。あとはその腹の中に主を迎え入れるだけだ。
エイジアの主が強風を押しのけてヘリへと向かう。風にはためくコートの下には暗緑色の戦闘服。腰には二本の殺人ナイフとアサルトライフル。機動性を重視した兵装だ。
戦いに向かう男の背に問いかける声がある。
「どこへ行く?」
「キミか」
イザールは振り返りもしない。
ただ多少の驚きはある。声を掛けられてもなお彼の存在が知覚できない。風も匂いも何もない。彼は存在しない。確かに存在しているのに存在しない。
存在しない男が問いを重ねる。
「白きアシェラから何を教えられた?」
「興味があるなら来い」
動きはない。相当な警戒度だ。
どんな恨みを買ったものか彼は終始この調子だ。どれほど友好的に当たろうと彼の態度は変わらない。完全に敵対している。これは確実に罠に嵌められ、復讐を誓った男の態度だ。
どれほど記憶をほじくり返しても覚えがない。
身に覚えのない恨みなんて幾らでも買ってきたが、このレベルの奴に身に覚えのない恨みを持たれるのは面倒だ。
「私も急いでいる。来る気がないなら部屋で自慰でもしていろ!」
「そうはいくか。てめえが余裕面を崩すほどの何かだ、食らいついてでもついていく」
二人を乗せたヘリが軌道塔を飛び立つ。
沈みゆく夕日を追うように北西へ。絶望と希望の封じられし地へと向かった。
◇◇◇◇◇◇
兵員輸送用のヘリは広く、嫌いな顎髭野郎と顔を突き合わせる必要はなかった。
壁に設置されたウェポンボックスからリクエストをしようと思ったがID紹介の段階で弾かれた。プラン参加者以外はダメらしい。
「おい、武装なんだが」
「ただの同行者に渡す武装はない。手を貸すというのなら別だが」
「どこで何をするつもりだ?」
ローターの爆音の中でアサルトライフルを分解整備しているイザールが睨みつけてきた。珍しいな、そこまで余裕がないのか。
「手紙には何が書いてあった?」
「人質の返還に承諾の旨があった。少なくとも私はそう理解した。記載されていたのはその座標だ」
手紙を放り寄こされた。二つ折りの紙にはたった二行の書き入れ。
『ND-DJ-012-358-A22 クライシェ』
クライシェ。アル・クライシェ、魔王様がイザールから掠め取ったという女神か。
「封印の地の守りを破るには相応の準備がいる。手を貸す気があるのなら装備を提供しよう」
「なぜそんな面倒なマネをする必要がある。魔王様に直接返したら済む話だ」
おかしい。イザールがここまでの用意をして挑むこと自体がおかしいんだ。
「なぜそう提案しない」
「彼がそれをやらない理由に察しもつかない間抜けならもう口を閉じていろ。頭の悪いクソガキと会話をする気はない」
「封印の地とは何だ? 何を封じている」
「黙っていろと言ったはずだ。私の優しさに期待するなよ?」
ピリピリしてやがる。
虎穴に入らずんばって奴か。協力しないと聞き出せない情報を取りにいく姿勢が必要だ。大人になれリリウス。ここは大人になって利を取るべきシーンだ。
「わかった、協力する」
「よかろう。一時的に私のIDを貸してやる、装備を整えろ」
武装保管庫のリストから必要な物を選ぶ。相当な量の武装だ。戦争でもする気か?
対霊兵装や対物兵装。どんな状況にも対応できるような兵器が三個小隊分も積み込まれている。
爆熱吸収弾もある。けっこうレアというか使いどころが想像もつかない。
「いったい何との戦闘を想定しているんだ?」
「封印の守護者だ。レザードが示した座標は以前にハイエルンが入植を始めたエリアだ。今は廃墟になっているがかつてはイルテュラと呼ばれる集落があった」
「廃都イルテュラってことは砂の大魔獣ザナルガンドの封印か! なんであんな場所に!」
「盲点だったよ。まさかあんなところに隠していたなんてね」
マジだな。フェイとあそこに長らく住んでたんスけど……
ハイエルフ関連の遺跡はやべーな。過去の用途がろくでもない。
「守護者ってのはどんな相手だ?」
「封印の守りは公主会議に任せてある。というか信用がなくて噛ませてもらえなかった」
「神々は頭がおかしいがそこは冷静だったか」
「たまに冷静になるんだよ。嫌になるよな」
終始頭のおかしいパカ政府代表がそう言った。俺は精一杯の嫌な思いを顔面で表現し、噴き出されてしまった。
「おいおい緊張を解くための変顔かい。悪いが間に合ってるし、それは女の子の前では絶対にやらないほうがいい」
「言ってろ」
判明した情報は目的地は廃都イルテュラ。目標は至高神アル・クライシェの奪還。封印の地を守る守護者の情報は不明。
重要度・難度ともにミッションランクAAAだな。
目的地にはまだ着かない。ジベール国境の大砂流域なら四時間はかかるはずだ。
「一つに聞かせろ」
「一つなら構わん。何だ?」
「クライシェってのは何だ?」
「人造神だ」
さらっとトンデモナイ単語が出てきたな。
「神ってのは人の手で作れるのか?」
「作れてしまったのだよ。世の中には頭のおかしい奴らが溢れかえっているがその中でも特にイカレた賢人が生み出したのがクライシェだ。そのイカレポンチがどうやって神を作ったか分かるかい?」
頭を振って降参宣言を出す。俺のような善良な小市民にイカレ賢人の頭の中がわかるわけがない。
「FFOは知っているか?」
「いや、何かの組織の略称か?」
「人は自然と共に生きるべしと主張する原始生活主義者の団体が自称していた名称だ。このトゥーフォーはとある国立公園に権利を主張して文化保護区に昇格させてそこで独自の暮らしを始めたんだ。キミにこう言って通じるとは思わないがバファル文化保護区のようなものだ」
「お前よりはわかる」
「へえ、博識なんだな。考古学に興味が? バファル族なんて私でも活動写真や資料でしか知らない大昔の出来事だ。軌道塔を作るために必要な広大な土地を所有していた彼らは利権に目の眩んだ政治家に目をつけられ、陥れられるように衰退してついには土地を手放すしかなかった悲しい部族だ。よくある事例ではあるけど残念な話さ」
「そしてアルザインの怒りに触れた」
イザールの饒舌が止まる。
「アルザインが執拗に政府高官を狙ったのはバファル族の仇討ちだ。メディアは何度も特番を組んで政府の失態を隠そうとしたがそいつが失策だった。奴の怒りに火をくべたんだ」
「どうしてそれを? ネットに転がっているような情報じゃない、政府代表のみに閲覧できる機密文書の中にしかない情報だぞ」
「別にどうだっていいだろ。それよりも続きだ、そのトゥーフォーはどうやって神を生み出した」
「信仰だ。自然共生団体トゥーフォーは従来の信仰を禁じて新しい信仰を掲げた。どんな願いでも叶えてくれるお優しい女神様を信じましょうって言い出したのさ」
「アホらし。そんな簡単に作れるのかよ」
「作れてしまったんだ。35世代目でね」
「あん?」
「時を重ねるごとにトゥーフォーの集落と人口は増えていった。中には保護区を出て都市部で生活するFFO民もいた。そいつらは都市内にクライシェを崇める教会を作って外の連中にも教えを広め始めたんだ。でだ、およそ千年の時が流れて信者が億の数を超えた頃に奇跡が起きたのさ」
「イカレポンチの研究の話だったよな?」
「そのイカレポンチはゴースト化していてね、時間は幾らでもあったんだ」
「あぁそう。大したイカレポンチだな」
スケールが大きくてヒクわ。
「イカレポンチが何でも願いを叶えてくれる女神様を手に入れたんだ。何が起きたと思う?」
刹那、俺の灰色の脳細胞の中でショッカー軍団の戦闘員が敬礼し、総統が高笑いを始めた。悪の秘密結社がやることは一つだ。
「……世界征服とか?」
「残念、もう少し小物だったんだ」
「小物なのか」
「そうさ、イカレポンチは万能の女神を使って研究資金捻出のための金儲けを始めたんだ」
うわー小物だー。
スケールの大きさと成し遂げた偉業の割にショボいところに不思議な安心感を抱けるな。どれだけすげー奴でも根っこは研究大好きマッドマジカリストだったわけだ。
「金儲けってどんな方法で? 株式市場を自由自在に操ったのか?」
「いや、金満家と接触して願いを叶える代わりに寄付を要求していた」
しかも商売が下手!
研究者ってものすごい頭いいけど金儲けの方法ドヘタクソが多いよね。頼むから政府は彼らに会計士との相談窓口を作るとか技術保護をしてやってくれ。せっかくの新技術を安く買い叩かれているのを見ると心が痛いんだ。
「だが政府はイカレポンチを危険視した」
「うん、するだろうね」
政府の方がまともだ。珍しくまともだ。
「事態を重くみた政府は様々な代理人を継いで私と接触してきた。クライシェを捕獲してこいってね」
「お前は世渡り上手だよね」
「まさか。どんなに気楽だとわかっていても政府の犬になんてならないよ。どこかから足跡を辿られて脅されたんだ、仕方ないだろ」
「よくアルザイン・コピー事件を起こした危険人物を使おうと考えたな」
「辿られたのはそっちじゃない。あの頃は絵描きで暮らしていたんだが世は芸術を理解してくれなくてね、たまに小遣い稼ぎに殺しの仕事を請け負っていたんだ」
なるほど。
そりゃあ世界滅亡級の大犯罪者だ。発覚しだい地域燃焼処理が行われてもおかしくない。いくら馬鹿政府でもエージェントとして使うわけがない。
「ここからは私の潜入ミッションになるが長い苦労話なんて聞きたくはないんだろ? トゥーフォーに潜入してクライシェを救い出し、だが政府には渡さなかった」
政府から依頼されて万能の女神を奪取したのに渡さなかった?
「なんでだよ」
「最終兵器を素直に渡してやるほど私は政府を信用していない。アルザイン・コピー事件を知っているのなら私がどれだけ長く政府と戦ってきたかは知っているはずだろ」
「お前に持たせた方が危険な気がするが……」
「これでも平和主義者のつもりだ。今でこそこうして種族を率いて戦っているが見るに見かねて立ち上がったにすぎない。何よりクライシェは心優しい少女にしか見えなかった。あの子を政府に預けるつもりは起きなかった」
イザールはクライシェを連れて逃亡生活を始めた。新しい土地に移り住んで絵描きをして暮らし、たまに政府から暗殺部隊を送られてはまた逃げての繰り返し。
そうこうしている内に神々との戦争が起きて……
「あの子に戦争の片棒を担がせるのは本当に嫌だったんだ」
「だが使ったのはお前だろうが」
「そうだ。我らという種を守るために立った。何者にも守れないというのなら私が立つしかなかった。……あの子を巻き込んだのは後悔している。だがこの苦悩とは別に私はこの使命をまっとうするつもりだ」
イザールの眼差しには迷いがない。こいつはハーフフット種族のすべてを背負い、悪神どもの軍勢と戦っている。
魔王様がこいつを友と呼ぶ理由もわかる。オデが慕う気持ちもわかる。こいつは偉大なる戦士だ。誰が願いによるものでもなく命じられるでもなく、己の信じた使命に殉じようとしている。
胸がズキリと痛む。搔き毟った胸の奥で燃える怒りが俺を支えている。
あぁまだ大丈夫だ。大丈夫だ。俺はまだこいつを憎んでいられる。愛しいあの子を求めるこの愛が燃え尽きていない証だ。
お前だけは許さないと決めた決意は揺るいじゃいない。今はそれでいい。今は……
◇◇◇◇◇◇
月夜の晩にたどり着いた廃都イルテュラは水没している。ヘリから乗り出して見下ろす暗い湖面は、とてもじゃないが二年も修行した廃都と同じものには見えない。
「水没しているぞ、本当にここでいいのか?」
「次に馬鹿な質問をしたら撃つ。アルス・イルノー両小隊は私についてこい、他は待機だ」
イザールが号令を掛けると同時に水中に飛び込む。
小隊って何だよって思ってたらヘリのあちこちからお世話人形が出てきて素早く装備を整えてイザールを追っていった。60人はいた。マジか、あんなに隠れていたのか……
俺もイザール軍を追って水中へ。
夜の水中は暗いが何も見えないってほどじゃない。まぁ俺基準の話で常人なら何も見えないレベルだ。
スイスイと潜っていくイザールを追って水没した土地の中心にある神殿へと向かう。
螺鈿彫りの柱が林立する神殿内に敵影はない。スイスイ進んでいく。この先は……
だだっ広い祈りの座に到着する。イザールが泳ぐのをやめて神輿のような台座を粒子加速砲の呪術でぶっ壊しているシーンだった。
『ここだと思ったんだけどな』
極めて真面目だが俺基準で腹立たしい顔つきで流し目を送って来やがった。お前わかるか?って上から目線で腹立つ。
『一個貸しだ』
圧縮水弾で祈りの座の壁の下方を撃つ。一発では足りなかった。かなりの強度の魔導防壁だ。少しチャージしてから殺人ナイフを軸に投擲砲弾にして壁を穿つ。大穴が出てきた。
答えは最初から知っていた。以前フェイとここを探索した時はあそこに大穴があったからな。
『やるじゃないか。この働きなら貸しにしといてやる』
『嫌なやつ。中はおそらくダンジョン化している、気をつけろ』
『ダンジョン?』
何だよダンジョンも存在しない時代かよ。
って思ってから殺害の王の記憶にダンジョンが無いのにようやく気づいた。異世界から持ち込まれたのか?
『ゲームでお馴染みのダンジョンだ。宝箱もあるし敵もいるぞ。気をつけろ』
『ふぅん、キミを連れて来て正解だったかな?』
俺の助言を聞いているやらいないやら。イザールがスイスイとダンジョン穴へと泳いでいく。
内部はダンジョンと聞いて想像するような石壁と狭い通路の構成ではない。大きなシールド車が掘りぬいたような素の土壁が延々と続いている。これも以前フェイと来たとおりだ。あの時は水没していなかったけどな。
『たまに四辻があるが全部右だ。しばらくいけば大きな広間に出る』
『助かるよ』
俺の指示したとおりに進む。
やがて大空洞に出た。何かいる―――
『エントリアルか、面倒な……』
生きる金属生命体エントリアルがコォンと鋭い鳴き声をあげて突撃してくる。無数に連なる三角錐がまっすぐに突撃してくる姿は生ける槍にも似ている。
イザールとお世話人形の軍隊が爆縮手榴弾の一斉投下で破壊を試みる。爆炎を巻き散らし、炎と残骸ごと巻き戻っていく炎の嵐の中から何体かのエントリアルが抜け出してきた。速いと言えば速いが―――
迎撃に動こうとしたが軍隊が先に対処する。古銀のネットを広げてエントリアルの大型個体を絡めとり、チェーンソーでエントリアルのケイ素体を破壊している。……俺が手を出す暇もなかったか。
これがイザールの鍛えた兵隊か。出力と練度が現代の子供のアサシンの比ではないな。神々の領域で戦える殺人人形だ。
『排除完了。リリウス、次のフロアは?』
『そこの岩棚の真下だ』
水没迷宮を突き進んでいく。大きさが完全に酸素を必要とする生物に攻略させるつもりがない。水中のエントリアルもかなりの強敵だ。
砂の魔獣ザナルガンドを封印した迷宮だ。誰にも攻略させるつもりがないに決まっている。……だがイザールが強すぎる。
この程度の迷宮でイザールを防げるわけがない。
だから、まぁ、なんだ、最終的にやべーのが出てくる気がする。