邂逅の白き羽
気づいたらどこかの廃墟を彷徨っていた。
荒廃した町は夜に沈んでとても静かだ。……廃墟に気を向けるほどの余裕はない。
頭が痛い。意識が脆い。スポンジでもこそげ落ちるほどに脆い意識は気を抜けばすぐに消えてなくなりそうだ。
頭が痛い。魔法を編む余力さえ残してくれないほど頭が痛い。
夜に沈んだ町で一つだけ煌々と明かりを放つ建物に、逃げ込むように侵入する。店の中に流れる歌声には聞き覚えがある。
「キャスリン・ペペの『Dear my little singer』か。クソ懐かしい選曲だな……」
古いのに色褪せない名曲ってやつは存在する。単車をいじりながらよく聞いていたっけ。
こいつはキャスリンが薬物中毒で死を迎える晩年の曲だ。若き日の自分へと向けたラブソングとかいう危険なワードに魅せられたティーンエイジャーが神格化するみたいに祀り上げてヒットチャートを駆けあがった名曲で、残念ながらキャスリンがそいつを知ることはなかった。死後にヒットを飛ばしても嬉しかねえよな。……何だこの記憶?
蘇る記憶は出所不明。どこから来た誰の物なのかもわからない。
ミュージックチップショップの片隅に座り込んだまま、ぼんやりとする。記憶なんてどうでもいい。いまは意識を失わないようにするのが精一杯で余力なんて存在しない。時間経過でどうにかなる見込みもない。
ため息みたいな呼吸を繰り返していると何者かが近づいてくる。
こいつは……
「驚いたな。あの状態から奇跡的に目を覚まし、さらに病院から自力で逃げ出すとは二重の意味で驚いたよ。行動理由がさっぱりだね」
「イザール……」
イザールが驚いたみたいな眉を跳ね上げる。
「おや、どこかで会ったかな? もしかして私のファンかい?」
「イザールぅうううう!」
イザールへと拳を叩きつける。驚いたことに怒りがあればまだ動けるらしい。
魔力を解放する。オーラと混ぜ込んだ二つのちからは摩擦を繰り返して帯電し、俺の肉体を強化し続ける。
猛攻を重ねて拳を、膝を、イザールへと叩きつける。勝てる。確実に勝てる流れがキテいる!
「お前だけは―――お前だけは許さねえぞ!」
「待ってくれ! あぁわかった、私が親の仇なんだな。すまなかった私も反省している。賠償金を払ってもいい! 示談を提案させてくれ!」
「俺の両親は存命だぁああああ!」
「弟?」
「アルドも生きてるわボケぇえええ!」
空渡りの連発で跳弾する弾丸みたいにイザールの背後を取った。心臓へと向けて貫き手を放ち、心臓を抉り出す。
しかしイザールはその忌み名の正しさを証明するみたいに死なず、冷たい目で俺を見下ろしている。怒り狂った馬鹿な猿を見下す目つきだ。
殺せない男に怒りをぶつけるのは空しいな。煽りの天才のくせに不死身とは最悪だ。
こんなでたらめな奴にベティは……
「気は済んだかい?」
「っち。あぁ気は済んだよ」
お前を殺す方法を見つけるまではな。
お前だけは必ず俺の手で殺す。その日までは油断でもなんでも勝手にしていろ。
「示談金は指定する口座に振り込んでくれ。それと銀行を紹介してくれ、口座を作りたい」
「この時間に開いている銀行なんてあるわけがない。そして残念ながら現在のエイジアに窓口が機能している金融機関はなくてね、ネット口座の開設を勧めよう」
「じゃあニューロリンク屋を紹介しろ。格安回線はどこの会社だ」
「……その前に戸籍がないだろ?」
無い。ないとネット端末が買えない。常識だ。ついでに言うと口座がないとネット端末が買えない。常識だ。つまりこの会話に意味はない。
ちなみにパカは完全電子通貨制度を採用していて貨幣などの現物は存在しない。
「じゃあ使ってない口座をくれ」
「口座の譲渡は軽犯罪にあたる」
こいつとの会話は何の意味もないから本当に腹が立つ。どれだけ会話を重ねても何の意味もなければ何も起きない。
気力が萎えると同時に俺を突き動かしていたちからも消えたようだ。尻もちを着いてしまった。
「―――? ―――?」
イザールが何か言っている。何と言ったかは聞こえなかった。
耳鳴りが強くなっていく。平衡感覚があいまいだ。俺は今本当に座っているのか?
斜めに傾いた視界にリザが飛び込んできた。涙目を浮かべて何か言ってる彼女の頭を撫でて、「心配すんな」って言っておく。
耳鳴りがひどい。まるで雨音のようだ……
◇◇◇◇◇◇
きっかけはスリーピングBGMだった。
エレメンタリースクールの中等部をささいな出来事で中退して家にこもってゲーム三昧。毎日が夏季休暇っていう贅沢にも飽き飽きしていて、漫画も動画も女遊びにもすっかり飽きた。俺はそろそろ本気で何か一つの出来事に打ち込もうと考えた。
始めたのはVR-FPS。何も知らないまっさらなジャンルに挑戦したかった。最近流行りの無人島で殺し合うゲームだ。パラシュートで無人島に降りて廃墟で武器を拾って他のプレイヤーを殺す。最後に生き残ったら優勝だ。この分かりやすいシステムがイイ。
俺は自分がしょうもない男だって心底理解していて、お勉強じゃ一等賞になれなかった。えらそうなだけの先公にも素直な気持ちで「はい」って言えなかったし、整列だってきちんと並べなかった。……並びたくなかった。
俺っていう個性を殺して素直で命令を聞くだけの機械にしようとする大人達に反抗してきた。みんなだってそういう気持ちを抱えていたはずなんだ。
でも俺は学校の厄介者で、がっこをクビになるって時には馬鹿なやつだと蔑まれた。馬鹿はてめえらだろうが!なんて俺の叫びは負け犬の遠吠えでしかなかった。
そんな俺だから目に見えて分かる勲章が欲しかった。99人のプレイヤーを倒して最後に残るっていうゲーム性は俺の願いに合致していた。
俺はこのゲームにひたすら打ち込んだ。性に合ってると思った。チャンピオンシップの予選では有名なプロゲーマーに負けたけど絶対に勝てないほどの差はないと考えた。
足りないのは必死さだ。そう信じてさらに打ち込むことにした。元プロの軍人がやってる動画チャンネルで打ち方を学んだり辺境で昔ながらの狩猟生活を送る部族のインタヴュー動画を見たり、そりゃあもう真剣に銃と向き合ったさ。
ヴィジョンに投影される戦績にも満足している。勝率78%。プロゲーマーと比べたってそん色がないね。
一年間訓練に訓練を重ねて挑んだ二回目のチャンピオンシップ予選会。これがあっさりと負けてしまった。こんな時に限ってどういうわけかクソみたいなナイフと弾薬しか手に入らず、不意に遭遇したプレイヤーが乱射する機関銃をボロクソになるまで打ち込まれて負けた。
第67予選島を勝ち抜いたのは名前も知らない無名のプレイヤーで、そいつはあっさりと次の予選島で負けやがった。……これがな、まぁがっくりきたんだ。
本気でやった分負けたらがっくりくる。本気であればあるほど思い知らされる。俺ってのはやっぱりダメなガキなんだって突きつけられた気分だ。
正直に言ってきつかったよ。情熱なんて一瞬でどっかへ消えたね。起きてる間はinしっぱなしだったFPSから離れてまた元の通りの惰性の日々さ。
単車を転がして昔通ってたがっこの後輩を引っかけてヤリ部屋に連れ込んで葉っぱを吸って、俺と同じくドロップアウトした馬鹿で悪い友達とカジノで遊び、たまに海を見に行って叫んだね。
楽しかったぜ。楽しかったけど何かちがうってずっと引っかかってた。
モードがちがうんだよな。FPSやってた頃は強い奴を倒して一番になってやるって考えていたのに、今は弱い奴を脅して金を巻き上げて遊ぶ資金にしているんだ。そりゃ情熱なんて湧いてこねえよ。弱い奴じゃ燃えねえんだよ。
いつだったか、いつの間にか俺は眠れなくなった。医者に相談したら不眠症だとか言われた。
楽しいだけのクソみたいな日々は本当に楽しかったけど、自分って奴がゆっくりと腐っていくのが不安で堪らなかった。
きっかけはスリーピングBGMだった。スリーピングBGMってのはあれだ。川の音とか森の音とか心地よい音楽を集めただけのもんだ。3000PLで買ったこいつにあの音が混じっていた。
びゅうびゅうと吹く風の音と遠い狼の遠吠えのBGM。俺はこいつが気になって仕方なかった。
ジャケットの解説書には題名が一つきり。バファル族の暮らしって書いてあった。
ネットで調べりゃすぐにわかった。バファル族ってのは北の方に住んでる辺境部族なんだとさ。
びゅうびゅうと吹く風の音と遠い狼の遠吠えのBGM。こいつはいったいどんな光景なんだろうって気になって気になって仕方なかった。この音の光景を見てみたい。そう思ったら居ても立ってもいられずに家を飛び出して単車に跨っていたね。
住み慣れた故郷を飛び出して単車で北へと走り出した。旅支度なんてしなかった。ケツのポケットに財布だけ突っ込んでの大冒険だ。
エイジアから東周りでクストーン海峡大橋を渡ってポルツ・リゾートの海岸をひたすら北上。途中で道に迷って丸一日無駄にしたな。カネがなくなって小さな山間の田舎町でバイトもした。フェイスリムで知り合っただけの女の家に転がりこんで宿代を浮かせてせっせと旅費を貯めたのも良い思い出だ。メリィには悪いことをしたな。
色々あってバファル文化保護区までは丸々一年かかった。こっちまで来ると言葉ってもんが別物で、仕方ないので身振り手振りでどうにかこうにか狩猟民族のテントに潜り込んだ。
そこでもジャスチャーは大活躍だ。柄にもなくメモをとって言葉を勉強したね。翻訳アプリもあるけどさ、やっぱ機械音声じゃハートは伝わらないじゃん。無粋なんだよ。粋じゃねえんだよな。
お客さんからダチになるまでにはけっこう苦労した。何もしなくていい、カネだけ出せって待遇からあれやこれやと手伝いをして仲間だって受け入れられるまでに半年はかかった。
部族での暮らしはまぁ一言で言えば大変だったよ。でも一言でなんか絶対にまとめたくないね。
蛇口をひねれば出てくるだけの飲み水を得るために二時間も歩いたことはあるかい?
水のたっぷり入った桶を担いで二時間かけて里に戻ったことは? これを朝昼で二回やるんだ。これが女や子供の仕事だ。
男衆は雪原に出かけて一週間とか二週間をかけて獲物を担いで帰ってくる。
ここには蛇口もないしファミレスもない。 町にいれば簡単にできることがバファル文化保護区ではすげえ苦労するんだ。呪術に頼らない昔ながらの暮らしを継承するってのは本当に大変なんだ。
女子供に交じって糸を作っている夜にさ、師匠が、いやまぁ俺が勝手に師匠って呼んでるだけの部族のおじいなんだけどさ、こう言ってくれたんだ。
「明日は狩りに往く。お前も来るか?」
「え、いいんスか?」
「嫌ならいい。無理には言わん」
「行く! 行きます! 俺ぜったい行きますから!」
「明日は早い。もう寝ておけ」
この時は嬉しかったね。都会から来た変な若造じゃなくてきちんと認められたんだなって実感したよ。泣くほど嬉しかった。実際泣いた。
やったじゃんって言って俺の脇をどついてきたレイアとは後に色々面倒な間柄になるんだが、この時は本当に嬉しかったんだ。
念願の狩りだけど一回目はボロクソな結果に終わった。まぁなんだ、FPSをやりこんで銃の腕前には自信を持っていた俺だけどさ、結局のところそいつはネット上の虚構の経験値だったわけでさ。俺は結局のところ銃のことなんて何もわかっちゃいなかったんだ。
でも師匠は散々邪魔するだけ邪魔しちまった馬鹿な俺を次の狩りにも誘ってくれた。三度目も、四度目も、俺はあんまり役に立てなかった。それでも師匠は俺を誘い続けてくれた。
ある日とうとう本音を聞いてしまった。
「邪魔だとか思わないんスか?」
「誰でも最初はあんなもんだ」
「師匠もあんなもんだったんスか?」
「さあな。もうずいぶんと昔のことなんで忘れちまったよ」
そう言って笑う師匠と一緒に雪原に出かけて色々と教わった日々は俺にとっては宝物だ。
雪原に生えているガリンジュの枝はパイプになるんだ。バファルの狩人はこれを咥えて厳しい寒さに耐えて狩りをする。
バファルの狩人の主な仕事は二つだけだ。雪原に身を横たえて白い布を被って獲物を待つ。寒くて寒くて死にそうな寒さに耐えながら獲物が現れるを待つことが仕事の第一段階で、第二は出てきた獲物を逃がさず撃ち殺す事。
雪原の動物は臆病だから人の気配を感じると絶対に出てこない。
「気配を殺してはならぬ。気配を殺せば空白が生まれ、獣は空白の気配でワシらがいると察する」
「なあアルザインよ、雪原になるのだ。この大地と同じにならねば奴らは現れんのだ」
師匠は雪原のすべてを知る賢人で、俺に狩りのすべてを教えてくれた最高の師匠だった。俺が一人前のバファルの狩人になるまで二年が掛かり、師匠は全部を教えてくれた。
そんな師匠との別れは唐突で、ある日帰ってきた狩人の一人が物言わぬ躯になった師匠を連れ帰ってきた。
「雪狼にやられたんだ」
狩人は師匠の銃声の乱れに気づいて駆けつけたが間に合わなかったと語った。
俺は許せなかった。師匠よりも強い存在がいることを許せず、気づいた時には猟銃を抱えて遊牧民のユルトから飛び出していた。
遊牧民の集落から飛び出す時に師匠の声を響いた。
『なあアルザインや』と言う優しげな声と大自然の教えは俺の心に刻まれている。
「わかっている。わかっているよ。でも俺は馬鹿だからさ」
弱者は強者に敗れて血肉を捧げる。狩りと獲物に感謝をして本日の食事をいただく。バファルに住まう民は何百年も前からそうやって暮らしてきた。
結局のところ俺は何もわかっていなかったんだ。明日も明後日も何年後だって師匠との暮らしが続くって勝手に思い込んでいて、自分達だけは大自然の厳しい摂理とは無関係だって心のどこかで信じていたんだ。
俺を止める誰の声にも耳を傾けずに雪狼の群れを追った。
◇◇◇◇◇◇
主治医が治療を諦めていた時点でそう呼んでいいかは謎だが治療の最中に患者が脱走する事件が起きてから二時間が経過した。脱走した患者を捕まえて元の医療ポッドに放り込んだイザールは医療ポッドから提供されるデータの不可解さに首をかしげている。
「肉体的にはほぼ完全に再生している。どういう理屈かは不明だがもう退院できるレベルだ。だが魂魄の方は言葉で言い表せないほどの惨状だ。悪夢の呪いも科学機器で取り切れる範囲は取り切ったが深度の深い部位に関しては手が出せず放置するしかない。……こんな状態でどうして脱走できるほどの余力があったのかは不明だがこれ以上の医療努力は徒労と散財でしかない」
完全に終末期医療を告げるしゃべり方だ。あとはご自宅でゆっくり死なせろだ。
真面目な顔をして話を聞くカインとリザが固唾を呑んで結論を待っている。しかし壁にもたれる夜の魔王はその凄まじい洞察力で結論を見抜きどっしりと構えている。
「おめでとう、退院だ。あとは自宅でのんびり静養させるといい」
「ナンデ!?」
リザが激しいツッコミを入れると夜の魔王が快活に笑い出す。
「この男が深刻な話を深刻そうに語るわけがない。お前はからかわれたのだ」
敵は敵を知るものだ。その点において夜の魔王とイザールは盟友と呼べるほどに知りぬいている。弱点も心働きも調べ尽くした。そうでなくては休戦を迎える前にどちらかが欠けていたにちがいない。
「長距離空間転移に耐えられるだけの治療でいい。オーダー通りだな?」
「うむ。変にやる気を出して貸しを増やされても困るからな」
「なんだ完璧な治療をすれば貸しを増やせたのか。そうならそうと言ってくれれば最高の医療を提供したのに」
「困ったことがあれば我を頼れ。今回の貸しの分は協力は確約する」
イザールが顔をしかめて「手強いやつめ」とぼやく。夜の魔王は今回の貸しを必ず返すはずだ。小さな同胞達の友人を助けたという恩義の分だけの返礼を、小さじ一つ分のさじ加減の誤りもなくきっちりと返すはずだ。
互いに友と呼び合おうと交友を深めようと魔王は絶対にここを誤らない。愛も友情も刃を止める理由にはならない。この厳格さこそが彼の強さだ。
イザールがカチューシャ型の機械を放り投げる。
「まさか我が妻への贈り物ではあるまい。これは?」
「そこの彼と約束をしてね。使い方は彼ならわかるはずだ」
「お前からの贈り物の正しい使い方は着火剤なのだが……」
「はぁ!? じゃあ結婚祝いにやったポラロイドカメラも燃やしたってのか!?」
「あれはまた大層燃えにくかったな」
イザールが発狂する。
「燃えやすいわけがあるか! 燃やすな! リンツァー社の最高級モデルだぞ。フルオプションの! 480万PLもする! くそー、もうお前には何もやらん!」
イザールが発狂した。それはもうお怒りだ。友人のために贈った秘蔵のコレクションを薪扱いされたせいだ。
「いいか、それは燃やすなよ! 燃やす前に本人に確認を取れよ!」
「うむわかった、確認してから燃やすとしよう」
「燃やすな!」
夜の魔王が転移術式を発動する。濃密な闇に包まれるみたいに四人の姿が消える。
地団太を踏むイザールが四人が消えたのを見計らってピタリと芝居をやめる。怒っているのは本当だが、今回の仕掛けが作動するかどうかの確率は怒ってどうにかなるものではない。
それでも怒るならそいつは精神の未熟なガキか大きなお友達だけだ。大英雄たるイザールにはそのような瑕疵は存在しない。道化芝居は観衆がいるからやるものだ。
(期待薄にせよ、つなぎは付けられたか。あとは幸運の白きアシェラのご機嫌が麗しいことを祈るのみ…か)
コインを投げて表裏を賭けるギャンブルと同様に幸運の女神様の微笑み次第だ。
イザールは賭けた。
◇◇◇◇◇◇
夢だ、夢を見ている。
真っ白な雪原で狼の群れを追う夢だ。夢の中で繊細な赤毛の少年で、師の敵討ちを願っている。
ひゅるひゅると鳴く風の音が舞う雪原の夢に人声が交じる。
「もげろ!」
もげろ? 何がもげろ?
聞き間違いかと思ったが……
「もげろーもげろーもげろー!」
怖いよ! 何をもぐつもりなの!?
明るくさっぱりした声なのがまた一段と怖いな。
「もげろ!」
真っ白な光が俺の全身を貫く。痛くはない。温泉のように熱く心地よい光の奔流だ。
凄まじい快感だ。幸福感が溢れ出してくる。快楽指数が完全に温泉だ。出たくないまである。……逆にやべえ奴では?
真っ白な光が過ぎ去るとそこはすでに夢の中ではなく、どこぞの家屋であった。
温かみのあるログハウスの一室だ。こじんまりとしてる。六畳程度だ。そんな部屋で踊っている女がいる。
白くて小さくて可愛い女だ。少女と言ってもいいような年齢に見えるが仕草や表情にはそういうあどけなさはない。図太そうというか強かそうというか、か弱いイメージが一切存在しない。イリヤスフィールとかいう名前だったらピッタリだな。
何より問題は魔力圧だ。なんやねんあの女、最高神クラスの魔法力をダバダバ垂れ流してやがる。この小さな部屋にディアンマがいるようなもんだぞ。
怖いからたぬき寝入りしとこ!
女が謎のどんどこダンスを踊ってる。マジで状況が理解できない。誰か助けて!
「もげろーもげろーもげろー」
女が両手に持つ金髪の房をバッと宙に放り投げる。
「もげろ!」
十数本という金髪の房が一斉に燃え上がり、同時に俺の全身が白く発光する。思わず声が出てしまうような心地よさだ。温泉に浸かっているような気分だ。……それだけかな?
踊って疲れたらしい。女がはぁはぁ言いながら俺に近づいてきて……
ぶちぶちぶちぃ! 俺の髪の毛を毟りやがった!
「やめろおおおお!」
「おりょ、起きてたんだ?」
起きてたんだじゃねえええええ!
髪を毟るな! 失った毛根はもう戻らないんだぞ! しかし最高神クラスの魔導師に怒鳴り散らす勇気はないのである。
「な…なんで俺の髪の毛毟ったんスか?」
「触媒に必要だからさっ!」
いやそんな明るく言い放たんでも。
対象の身体の一部を触媒にするのは魔導の基本だ。事象干渉力の足りない分を相手の魔法抵抗力を下げる形で補うわけだ。嘘じゃん。この女が俺ごときに魔法かけるのに触媒が必要なわけないじゃん。
「……もげろってのは」
「フィーリングってあるじゃん」
「はいぃ?」
「ボクはこのワードとの相性がいいみたいでね。もぐのが得意なのさ!」
「何をもぐの!? 俺のどこをもいだの!」
シーツの下にあるズボンを確認する。俺のファイナルウェポンは無事!
「心配しなさんな。あんたのちんこなんて取ったりしないってば。いやぁ、変な呪いがかかってたからちょいちょいっとね」
「呪いをもいだの?」
「うん」
「呪いなら解除では?」
「細かい言い回しで成功率が変わるのは否定しないけど、もぐ方が得意なんだってば。呪いでも怪我でも死病でももいじゃうよ、この腕前にかけてはボクは交差世界一の自負があるのさ。えへん!」
真っ白な女がペッタン湖を反らしてそう言った。崖かもしれない。
段々可愛く見えてきた気がするが俺はロリコンではない。無実だ。
「で、仮称イリヤさんはどこのどなた?」
「仮称て。ふふん、ボクの名前を知らないと来たか」
えらそうだが特に腹立つ要素はない。俺がロリコンでないのは周知の事実であるし今更言い訳をする必要もないが、えらそうにしているのが微笑ましいくらいだ。
「ボクの名はアシェラ! 幸運の白きアシェラとはボクのことだ! ……どうしたんだい胸を押さえて。もしかしてまだ悪いところが残ってた?」
「いえ、何だか心がアイタタタな気持ちになりまして」
まさかアシェラが二代にわたってボクっ子をやっているとはな。
なぜか俺まで恥ずかしいよ。