ナルシス立志伝⑤ 誰だこの悪魔に翼を与えた馬鹿は?
本日の会談は小さな仕事だ。王の都に古くから存在する一軒の屋敷の取り扱いに関するもの。正直に言えば些事だ。屋敷の一軒を巡る問題事など本来王宮に上がる前に処理されるべきだ。
だが王宮での関心は異様に高い。問題の屋敷がダルタニアンの廃屋だからだ。
王の都にありながら王権の届かぬ不気味な廃屋にはアルチザン家も長年苦戦を強いられてきた。アルチザン王家のみならず王の都を治める為政者は皆この廃屋に悩まされてきた。
取り壊そうとすれば呪殺される。軍を送れば壊滅する。大規模魔法で焼き払おうとしたら魔法反射でアノンテンが半壊する始末だ。
放置したら放置したでいつの間にか吸血鬼の住処になるしアンデッドが沸くしと危険極まりない廃屋なのだ。
このファッキンな廃屋の所有者は判明している。中世に存在したという大魔導ダルタニアン。魔王殺しの六英雄のリーダーとして語り継がれるおとぎ話の勇者様だ。
こいつの正体が獣の聖域のアルルカン王だという説が浮上したせいで問題が一気に面倒くさくなったのだ。
同盟国の王様の所有物が五百年前から存在する。この事実は本気でまずい。政治的に本気でやばい。
というわけで今日のラスト王女は珍しく本気モードだ。
アルルカン王から廃屋を貰ったと自称するリリウス・マクローエンとの会談は圧倒しなければならない。幸い彼はまぁまぁのアホだ。利権の一つや二つを渋々譲るふりをして穏便に帰ってもらおうと思っている。
約束の11時になった。王宮の会議室にノックが響く。
「フィア・ラスト、お客様がお見えになりました」
「どうぞお通しして」
入室してきたのは知人のアホ少年ではなかった。
艶やかな黒髪を垂らす優美な麗人である。どんな女性もため息をつかずにはいられない美貌を持ち、どんな魔導師も臆するだけの魔法力を持ち、邪悪な悪魔よりも性格がねじ曲がっていると評判の太陽の悪竜だったのだ。
さすがのラスト王女も紅茶を噴き出してしまった。
「お…お亡くなりになられたと聞いておりましたが」
「おそらくは何者かと勘違いをなされている。お初にお目にかかる、私こういう者です」
ジャイフリート・ラビストリアって書いてる名刺を渡されたラストの戸惑いは深い。何度も首をひねっている。
しかし偽名ではない。彼は元々養子なのでこっちが本名だ。
「は…はぁ……それでナルシス様は本日はどのようなご用件で?」
「本日はリリウス・マクローエン社長の代理として参りました」
(わぁ隠す気がないわねえ。……リリウス君ったら手強い人送りこんで来ちゃって。しかしどうなっているのかしら? 商売を始めるとは言っていたけどイルスローゼの官営企業にしたの?)
ラスト王女は深読みはしない性質だ。わからない事はわからないで済ませる。知りたければ尋ねる。何事もすっぱりしている、まこと武人らしい女性なのである。だから結婚できないんだ。
「最初にお尋ねしたいのは……」
「官営企業ではございませんよ」
にこりと微笑むナルシスがそう言った。
質問するまえに答えが返ってきたのでラストさんが鼻白む。
「で…では」
「私はジャイフリート・ラビストリアです。もしお疑いならイルスローゼに問い合わせるのがよろしいかと。答えはナルシス・イルスローゼという男はとっくに死んでいる、でしょうがね」
質問する前から答えが返ってくる。
心を読まれるはずがない。じゃあナンデ?ってなるとさっぱりわからない。表情だろうか。思考パターンだろうか。一番嫌なのはそのどちらでもない看破ホルダーの方だ。
(わあ、わたくしの一番苦手なタイプだあ……リリウス君ってば恨むわよ)
「気が合いますね。私はラスト殿下のような方は得意ですよ」
ラストの頬が引きつる。確信した。この男は看破スキルホルダーだ。
リリウス商会の社長代理がぺらぺらとしゃべり出す。
「まず主張しておきたいのはあの土地はアルチザン家の物ではないという歴史的な事実なのです。あの土地はアルチザン家がこの地に入る遥か以前からとある男の物であり領土なのです。とはいえいきなりこのような主張をしても信じられないと突っぱねられればそれまでのこと。なので生き証人を用意しました」
社長代理がパンパン手を叩く。新たに入室する魔性がいた。
その姿を見た瞬間にラストは負け戦を確信した。
彼女にできるのはもうすべてを諦めて、心中でリリウス君恨むわよぉ~~~!って泣き叫ぶくらいのものだ。
前の所有者を連れてくるのは反則だ……
◇◇◇◇◇◇
会談の結果ダルタニアンの廃屋はアルルカン王の領地として正式に認められた。現在のベイグラントに獣の聖域とやりあう余裕はなく、交渉相手は一流の政治家だった。
独立自治に関しては正式な調印式まで求められ、二通の調印書は聖域と豊国での共同保管までさせられた。ここまでやられると後で反故には絶対にできない。
もうすっかり諦めた面持ちで虚空を飛び回るちょうちょの幻影を追うラストへと追撃が来る。
「私も悪魔ではありません。ですが熱心なビジネスパーソンであることをお許し願いたい」
「ま…まだ何かございますの……?」
「私は今回の交渉にいたく満足しているのですよ。よってラスト殿下にも利益をお譲りしたい」
なんだろう?
さっぱりわからない。その辺りに転がってる木っ端商人なら賄賂とかリベートとか言い出しそうだけど相手は太陽の悪竜だ。他人の心を痛めつけるタイプのバーサーカーだ。
ビクビクしながら相手の言葉を待っているラストさんはもう本当に泣き出しそうだ。
リリウス君の馬鹿ぁ~~~!って泣き出しそうだ。そしてやはり悪竜に容赦はない。
「当商会にはラスト王女の欲しい物を提供する用意があります」
「はぁ、わたくしの欲しい物ですの。それはいったい何なのでしょうか?」
「この地の平穏を」
ラストさんのお顔が歪む。気持ち悪すぎて吐き気がしてきたらしい。
考えてもいないものを読まれるともう看破ホルダーがどうとかいう問題ではない。眼前にいるのは人間ではない。全知全能の神か何かだ。そう思わないと納得できない。
「暴走する迷宮を鎮めてさしあげましょう。そうですね、価格は迷宮一つに付き20万でいかがでしょう?」
「20万!? それは銀貨でしょうか、それとも金――」
「王女は冗談のお好きな方だ。聖銀貨で20万、私達の友情が為した格安での提供ですよ」
悪竜がニヤリと嗤う。
「迷宮の鎮圧にどれだけの時間がかかります? 二年や三年はかかるでしょう。その間にかかる兵の給与は、糧秣は、軍需品の消費量は、遺族年金は? 当商会は完全な仕事をお約束します。この場で頷いていただけたなら殿下を悩ませるモンスターパレードは朝霧がごとく消え去るのです」
「……」
絶句するラストさんは納得した。これだけの美形なのにピクリとも惹かれない理由にようやく思い当たった。どれだけ綺麗でも悪魔には恋をしない。
ラストさんの危機察知Sは悪魔を見分けていたのである。