闘争の箱庭③ ワシを誰じゃと思うちょる
その姿はまるで磔刑に処せられた太陽の御子のようだ。
この地に住まう精霊数体とイルドキアを吸収した銀狼は人間という姿を捨て去り、奇怪なオブジェのような形状になった。
おぞましき冬の化身、死の冬を撒く者、偽証精霊シェーファとでも呼ぶべきだろうか。
荒ぶる冬の精霊シェーファを前に、アサシンの王イザールが冷気などどこ吹く風と立っている。はためくレプリカ・ステルスコートは特級の魔法具だ。理論上あらゆる魔法を無効化に等しいまでに減衰する。
ステルスコートは生命を食えば食うほど強くなる。イザールが長年をかけて育ててきたレプリカコートは本物を凌駕する。生まれてほんの十数年程度の真竜の魔法力などそよ風も同然だ。
「なあシェーファよ、先の提案への答えをそろそろ聞かせてくれないか?」
冬の精霊は答えない。時折くぐもった遠吠えを放つだけだ。
イザールは何だこのクソガキって思いながら根気よく語りかけ続けている。でもシェーファは答えない。反応しない。なんだこのクソガキ。
「やれやれ不貞腐れた駄々っ子の相手はベビーシッターに任せるべきだな。なぜ暗殺教団の教祖である私がこんな非生産的な作業に従事しなければならない。ディストピアでももう少しマシな仕事をくれるだろ」
イザールがくるりと振り返り、仕込み杖を突いて事態を見守っていたレグルス・イースに仕事をポイする。
「レグルス、キミの出番だ」
「おぬしもわからん男じゃな……」
レグルス翁は察した。こいつ早くも飽きやがった!
せっかくレグルスが太陽で築きあげた地位と引き換えに策を打ったのに依頼人のほうが先に飽きるとは……
「じつはワシを破滅させるのが目的だった、とは言わぬよな?」
「邪推だ。私は元々堪え性がないんだ」
「なんという……」
レグルスが絶句した時だ、ガレリアのアサシンがシュタっと報告にやってきた。
標的に移民街の防衛網が突破されたというものだ。
「ふぅん、戦闘思考パターンを基に最適化した子供達を突破したか。やはりアビリティに差がありすぎたかな?」
イザールが提出された戦闘記録を閲覧する。
確認して理解できた。これはダメだ。WD-BVD905514ベティからの報告書に存在しない行動パターンばかりだ。彼の手札の多さは理解していたつもりだがまるで別人だ。
今回の作戦に当たって子供達には空間系魔法への対策を施してきた。装備も歪曲空間を無効化するものや、空間転移の波長を読み取って転移先を割り出す物にしている。
まさか対魔王レザード用装備を無駄にしてくるとは……
「だが望み通りではあるか。リリウスは私が相手をする。包囲網を構築するだけでいい、手を出すな、彼は私の獲物だ!」
「随分と執着するものだ。たしかに何かを持っていると感じるガキではあるが、何がおぬしをそこまで駆り立てる?」
「彼と約束をしたんだ」
ご機嫌なイザールがホテル銀狼の屋上から飛び降りていく。
あれに目を掛けられるとは哀れな小僧じゃというべきか、憐れむべきは己自身か。
レグルス・イースが豊かな白眉に覆われた眼を、冬の精霊と化した哀れなクソガキにギロリと向ける。
「誰も彼もあの悪霊の玩具か。哀れなワシらに救いをもたらす女神様はどこにいるんじゃろうな。のう銀狼や、おぬしもそうは思わんか?」
返事はない。理性を失い暴走する魔力に身を任せた者の末路はいつの世も変わらない。自らのちからに負けて自我と肉体を崩壊させるだけだ。
通常ならとっくに消滅しているはずだ。だがシェーファの強靭な肉体は彼を生かし続けた。
「不滅竜ともなると自害さえできぬか。さぞ苦しかろう、早く正気に戻ったほうが楽じゃぞ? ……頑固な。のう銀狼や、いや、クリストファー王子と呼んだ方がええか?」
返事はない。だが構わない。交渉とは本来こういうものだ。
欲しくもない奴に物を売るのならまだしも、渇望するものに商品を売りつけるくらい子供でもできる。店番の小僧でもできる商売を世界一の大商人レグルス・イースが仕損じるはずがない。
「おぬしが戦う理由も、誰を欲しておるかもよぉく知っておるよ。のう銀狼や、愛しい愛しいレティシアお嬢ちゃんの命をワシから買うつもりはないかね」
返事はない。
だが気配がこちらに向いた。自らの真名には無反応なのに愛しい娘っこの名前には反応した。
レグルス・イースは勝利を確信した。