闘争の箱庭➁
「馬鹿だよ……」
去っていく彼の背中が闇夜に溶けていく。
ぼんやりと視界がにじんでいる。眼をごしごしとこすったアシェラが自分が泣いているのだと知った。
理由はわからない。たぶん情が移ったんだ。
アシェラは彼の旅路をクロノスと共にずっと見てきた。臆病な癖に勇気を振り絞って戦い続ける彼の姿は時に悲壮で、胸が空くみたいに爽快で、彼という男の偽りのない物語だった。
以前はどうでもいい存在だった。
でも長い彼の物語を見た後では、死地へと向かう彼を案じ、助言を聞き入れようとしない彼に苛立ち、こうして涙まで出てきた。
「馬鹿だよ、イザールに敵うわけがない。あいつがどれだけ危険なのか分かっていたはずじゃないか……」
「見えている結果だったじゃないか」
声の方へ振り返る。
桜並木にフェイとカトリが立っていた。太陽の宝物庫から借り受けたと思われる重装備をまとい、ゆっくりと歩いて来ている。
「あいつは馬鹿だから行くなっていうと行くんだ。英知の女神ともあろう者が言葉選びを間違えたな」
しかしフェイもまあまあの馬鹿なのである。カトリがツッコム。
「じゃあ行けって言ったら?」
「……行くだろうな。姉御、正解を教えてくれ」
「腹パン」
何事もパワーで解決するルーデットの娘に聞いたのが間違いだ。
しかしリリウスを止める方法がそれしかないのも事実。人類の知恵の敗北のような問答だ。
「じゃあシェーファとリリウスを殴って連れ帰るか」
「どのくらいのパワーかな?」
「全力でいいだろ」
「うわー、連れ帰る前に死んじゃいそー」
「このくらいで死ぬ奴なら遅かれ早かれ野垂れ死にだ」
彼らに気負いはない。暗殺教団が相手だというのに彼らはいつも通りの完全武装のピクニックだ。
アシェラは知っている。ずっと見てきた。この三人は、この三人ならどんな苦境だって覆せる無敵のトリオだって……
「リリウス君を頼むよ、ボクは彼に生きていてほしいんだ……」
「は?」
「なに言ってるのアシェラ様?」
なんだこの反応?
フェイがアシェラの右腕を掴み、カトリが左腕を抱き抱えて……
「お前も来るんだよ」
「アシェラ様が来ないと凍結のフィールドを抜けられないもん。サポートだけでいいから頼みますよ!」
「え…えぇぇぇぇ……」
鑑定の女神が、連行される宇宙人みたいにずるずる引きずられていくのである。
すっかり仲間だと認識されてる女神の参戦が決定した瞬間である。
◆◆◆◆◆◆
東方移民街は完全に凍りついている。
押し寄せる真っ白な霧は死の霧だ。何者もここでは生きていけない。こんな大災害を一人で起こせるものか?
シュテルは王都守護結界が機能不全を起こしていると言った。だが機能不全ではなくシェーファが土地の霊脈を抑えているのではないか?
だとしたら最悪だな。ハードエレメント化している可能性がある。人間に使う表現ではないが土地からちからを吸い出して強大化する現象はそう呼ぶ他にない。……だがよかった。
この現象を自らの意思で引き起こしたわけじゃないのなら、あいつが自らの意思で殺戮を望んだわけじゃないのなら……
無理だ。あいつを許してやってくれなんて言えるわけがない。どれだけ死んだと思っているんだ。
ルピンさんの娘に言えるか? お前の親父と母親を殺した奴を許してくれ、悪気はなかったんだって……
俺に何ができる。あいつを救ってやる方法は何だ?
キスしてエンドできるどこかの乙ゲーは最高だな。俺ゃああいつを好きとは言ったがキスしたいわけじゃねえぞ。とりあえずぶん殴るわ。殴っても何も解決しねえけどな。
「シェーファ……くそっ、何だってこんなことに!」
氷の彫像と化した人々の死が蔓延する移民街をひた走る。答えもないまま吹雪のやってくる方向へ向けて走る。
途中で気配もなく忍び寄ってきた子供のアサシンに襲われたが非戦闘で切り抜ける。具体的にはバケツの中に隠れてやりすごす。
「いない?」
「おかしくね。ハゲ君こういうマネ苦手のはずじゃん」
「あそこのバケツが怪しいと思う」
「バケツ逆さに被って移動とか……」
バレた、マジか!
情報端末を起動。呪術式作成アプリからCPC1024帯電磁パルスを中範囲照射する。
バチン! 軽度スタン状態に陥ったアサシンどもを放置してダッシュだダッシュ! バケツは捨てた。スネークは嘘つきだ!
一人で行動している子供のアサシンを発見した。
「ハゲー、出ておいでー!」
「呼んだかい?」
「!?」
アサシン確保。おっぱい揉みながら交渉開始だ。ってこいつ男じゃん!
「シェーファの居場所は知っているな? エッチな目に遭いたくなかったら案内したまへ!」
「や…優しくしてほしい」
「諦めるの早えーよ! ていうか男だろお前!」
「それのどこに問題があるの?」
「っく、こいつなんて澄んだ瞳で……」
「見つけた!」
やべえ、集団に見つかった。逃げよう。
伸ばした指先の輪郭さえ怪しい濃霧の中だが俺の勘も捨てたものではないな。銀狼団の本拠地である武家屋敷までたどり着いた。なおここが発生源ではないらしい。
とりあえず中に入れてもらうとサリフに呆れられたわ。
「よくたどり着けたねあんた、ほらこいつをお使いよ」
ホットおしぼり渡されたわ。和服のケモ耳女から武家屋敷で接待とはな。
「ありがたいけど状況理解してる?」
「何も。ほら、外出ようにもこんなだし」
「呑気すぎる」
「って言われても困るねえ。どこの馬鹿が暴れてるんだか知らないけどさあ」
「お前のとこの大将だよ!」
マジで驚いてやがる。ふざけんなよ!
「つかバルバネスさんどこだよ、あの人がいればこんな吹雪きくらいどうにでもなるだろ!」
「ちょうどライカン村に帰っててねぇ」
役立たず!
「じゃあニーヴァちゃんは!?」
「いるよ」
ニーヴァちゃんのお部屋に突撃だ。こたつに潜ってた。くそぉぉぉぉぉおぉお! 温いなこいつら! 対処しようと思えばできる癖にやる気がねえ!
ふざけんなよ、下手しなくても人類の敵指定を食らう寸前なんだぞ!
ニーヴァちゃんのおこたにスライディング突入して状況を説明する。何か知らんがシェーファが吹雪起こしてて王都がヤバいだ! マジで理解してねえ顔するな!
「それがどうかしたの?」
「どうかって……」
ちがう、彼女は理解している。
キョトンと首を傾いだ彼女は真竜の聖母なのだ。その精神も考え方も何もかもがちがいすぎる。
「トールマンが大勢死んだ、だから何? それがわたくし達アルトドラゴン族に何の関係があるの?」
「銀狼団が人類の敵指定を受ければこれまでのように安穏とは暮らせないぞ。ウェルゲート海には居られなくなる」
「ならばこの国を沈めましょう」
ちがう、彼女はやはり人ではない。
人ではない理屈。人ではない考え。人ならざる者のルールを掲げる者だ。どんなに愛らしい姿をしていてもこの女はドラゴンなのだ。
「この国には友好的に振る舞ってきたわ。それはストラが作った国だから。お前には分からない? あの人が昔飼っていた愛玩種の国だから壊さずにいてあげたの。でも主人の手を噛むのなら扼殺するしかない」
「無法だ。そんなマネをしていれば真竜の住める土地がなくなるぞ」
「法って何? 無軌道な民衆を制御する手法でしょ。太陽の法がわたくし達に何の関係があるの?」
「ナニナニってガキみたいなしゃべりしやがって! 何十万人が死んだと思ってやがる。真竜は命に敬意を払わない生き物なのか!」
「もちろん亡くなった者への憐れみはあるわ。でも魔導災害はこの世から無くならない。強い術者の十人に一人は必ず己の魔力に呑まれて周囲を巻き込んで死ぬ。今回はかなり大きめの災害だったというだけ」
「シェーファが死んでもいいってのか!」
「論旨がズレているね。それにあの子は死なないわ、ストラの眷族は冷気では死なないの。忘れたわけじゃないよね?」
「話にならねえ」
「そうね。ねえトールマン、あなたに失望を与えてあげる」
もうとっくにてめえに失望してるよクソが!
この上なにを言おうってんだ!
「シェーファとあなたは共に往けない。あの子は真竜で、あなたはトールマン、理由はそれだけだけど、これがどうしようもなく埋めがたい」
「余計なお世話だバカヤロウ!」
荒々しく席を立つとちょうどサリフが茶を持ってきてくれたところだった。呑気な面をしやがって!
「聞いたか? こいつらとの差は埋めがたいぞ。シェーファのためを思うならさっさと追い出すんだな!」
「どうやってさ?」
「自分で考えろ!」
時間を無駄にしただけだ。
真竜とは分かり合えない。それだけだ。
◇◇◇◇◇◇
凍りついた東方移民街は魔窟と呼んでもいいほどにガレリアのアサシンで防御を固められている。
だが俺のこっそり進撃を止められるほどではない。
「またバケツに隠れて移動してるぅ」
「彼ワンパだよね」
「断罪の光剣用意、セットフォーメーションAX-02」
子供のアサシン五人がビームソードでバケツを刺し貫いた瞬間に起爆ボタンをぽちっとな。
爆風が辺りを駆け抜けていった。哀れ爆弾の犠牲になった警戒心の足りない子達に合掌する。まさか俺が本気で二回もバケツ移動しそうなアホだってデータ参考してないよな?
時に毒ガスに似せた着色ガスを散布し……
「退避!」
「七色のガスとか殺意あふれすぎてる……」
わはははは! そいつはただの花火だ!
花火煙をまき散らした俺は堂々と煙の中を全裸ダッシュでアサシン包囲網を突破する。馬鹿どもが!
データを信じて俺を理解したつもりになったな! なら俺はベティに見せてない戦法を使えば裏を取れるってわけだ。
馬鹿どもが! 誰の相手をしていると思っている。俺は世界一のトリックスターだぞ。
六歳の頃から使用人相手に食事ドロボウしてきた男を捕まえられるもんなら捕まえてみるんだな。