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冬に咲く青いバラ(02)

 フォルセ子爵領には最近こんな噂が流れている。


 お隣のマクローエンのご子息はたいへん良くできた御方で、領内の問題を――無償で! 快く! 後からグダグダ恩に着せたりもせず! 解決してくれるのだという。


 そんな噂を耳にしたカトル村の村長はこう思った。


(そんな神様みたいな御方がこの世にいるはずがない。おおかた後継者争いのプロパガンダじゃろうて……)


 村長は噂の中にのみ存在する素晴らしい青少年象を妄想しながら、フォルセ子爵のお屋敷に向かう。陰鬱なため息が出てきた。


 二日後、村の戻ってきた村長はさっそく村の男衆を集めて座談会を開いた。


 座談会の内容はフォルセ子爵家への話し合いの結果と今後の指針の相談だ。

 村長は開口一番こう言った。


「ダメじゃった」

「「…………」」


 男衆から失望の吐息が漏れる。


「そのダメというのはすぐに動いてくれないという意味か。それとも今後も兵を出す予定はないという?」


「門前払いじゃった。あれでは子爵様まで話が通っておるまい」


 またも男衆から失望の吐息が漏れる。今度のはさらに深い苦悩を乗せたもので、吐息に闇色が付いていると錯覚してしまうほどだ。


 フォルセ子爵はいわゆる宮廷貴族だ。宮廷に出仕し官職を得ている子爵は夏の短い期間しか領地に戻ってこないので、夏の間に色々と相談したいのだが領主様の私兵は肝心の子爵様まで取り次いでくれない。


 子爵家は頼りにならない。

 わかってはいても実際に断られると嫌な気分になるものだ。座談会はこの気まずい空気をどうにかするために、すでに今後の方針について話し合う。


「冒険者ギルドは?」

「ダメだ、依頼を受けたがるやつがいないんだとよ。連中の間じゃ塩漬けクエストなんて呼ばれてるらしいぞ」

「そりゃ長持ちしそうだな」

「一年持ったらうちの村が滅びちまうよ……」


「せめてこの夏の間にどうにかしてしまいたいんだが……」

「田舎の冒険者なんて頼りにならねえ。いっそ帝都の有名な冒険者に来てもらうのはどうだ?」

「そんな金がどこにある?」

「冬越しの貯蓄を切り崩して……無理か?」

「ギルドからそう打診されたことはある。じゃが諸々で金貨30枚と言われた」


 男衆が絶句する。187人在住の農村の二年分の稼ぎにあたる金貨30枚の価値を正しく想像できた者はいないが、絶望するには容易い金額だった。


「どうすればいい?」

「どうすればいいんだろうな」


 男衆の間に重たい沈黙が流れる。

 知恵も学もない農民の限界が、少し先の未来を圧し潰そうとしていた。


「マクローエンに助けを求めるのはどうだろう?」

「マクローエンって……」


「ひょっとしてマクローエンの若様のことか?」


「噂に聞いたことがある。マクローエンの若様は魔物退治を快く引き受けてくれたり廃業寸前の小料理屋を立て直したり新しい農耕具を開発している天才らしい。さらに自腹を切って村の祭りにお金を出してくださるとか」

「とんでもない美男子だとも聞いたぞ!」

「ウソだ、そんな貴族様がいるもんか」

「俺もその噂聞いたぞ!」

「実際マクローエンは景気がいいそうじゃないか。こないだも来た行商人もマクローエンで商売するって馬車何台も引き連れてたじゃないか!」


 他に手はない。


 みんなしてワラにもすがる想いでうなずき合った。





 鍛冶屋に現れた老人はフォルセ子爵領のカトル村から来た村長さんらしい。


「実は……」


 昨年の暮れの頃から、村の近くの森に魔物が現れるようになったらしい。


 森は資源の宝庫だ。村の財政や食料事情は森林資源に寄るところが多く、森に入れないでは生活も立ち行かない。実際カトル村はすでに貯蓄を使い果たし、このまま冬を迎えれば相当数の餓死者を出してしまうかもしれないとのことだ。


 最初は冒険者ギルドに依頼を出して解決を試みたが、依頼を受けた数組の冒険者は帰らぬ人となったらしい……


「辺境の冒険者なんて大したのはいねえからなあ」

「バーンズさんが言うと説得力ありますね……」

「うるせーな。ま、そういう無理めな依頼は塩漬け行きだな」


「氏のおっしゃるとおりです。我らが依頼はギルドでは塩漬けクエストなどと嘲笑され、忌避されておるのです」


 依頼を増額しても、もう依頼を受けようという冒険者はいなかった。

 困り果てた村長はフォルセ子爵家に直訴したものの、門番に追い払われたらしい……


「領主家ひでえ……」

「対応としちゃ普通ですぜ。ぼっちゃんみたいな貴族様の方が珍しいんでさ」

「えー、領内の治安が悪いと税収減るから長期的に見たら即時解決すべきだろ?」

「世に理屈はあるようで無し。どこの領主家もそうお考えなら俺ら冒険者に仕事があるわけがねえんですわ」


 そしてここからが本題である。


 村長は頭を下げて、魔物退治を懇願してきた。


「縁も所縁もない他家の問題であることは重々承知しております。しかしこの上はリリウス様のお慈悲に縋るより他になく、何卒お願い申し上げる」


 鍛冶屋の冷たい床に頭をこすりつける老人を見下すのは、大変気分が悪い。敬老精神的な問題で。


 しかしこれ簡単な問題じゃないぞ?


 簡単に言えばアメリカでテロが発生して日本の自衛隊が勝手に出動してテロを鎮圧するようなもんだ。内政干渉的な問題だ。


「うーん……」


 気は進まないがとりあえず話をしてみるとしよう。


 村長の案内で山一つ南下し、フォルセ子爵のお屋敷へ。親父殿の家印を勝手に使って偽装した書状を水戸黄門の印籠みたいに掲げると門番があっさり通してくれたぜ!


 ここまでは想定内なんだよね……

 辺境の貧乏貴族でも貴族は貴族、家印にはそれなりのちからがあるのだ。


 執務室のソファに対座するフォルセ子爵はでっぷりした大柄な人物で、偉そうではなく人の良さそうな微笑みを浮かべている。


 擬態かな? 王宮で出世するなら表情くらい平気で作れるよね、他家の子供がいきなり訪ねてきて迷惑だけど一応気は遣ってやるって感じだ。


「お目通りいただきありがたく。マクローエンのリリウスです。正直門前払いにされなくてホッとしております」


「タンジェール・フォルセだ。して父君の用事とは何かな、手紙を拝見しても?」


 俺は偽装した手紙を子爵様の目の前で握りつぶす。子爵の人の好さそうな笑みが不愉快そうなものへと激変する。


「中身は白紙です。正直に申し上げると子爵様に面会する口実に用意しただけです」

「家印はご当主以外が勝手に用いてよいものではない。まぁわたしがクドクド言わずとも理解しているだろうがね。それで用件は何だね?」


 騙されたのは不愉快だがわざわざここまで来たのだ、用件くらいは聞いてやるって感じから交渉が始まる。


 今回の交渉には幾つか問題点がある。


 そもそも他家の俺が交渉に臨んだ時点でおかしな話なのだ。というのもフォルセ子爵領の領民が他家に救援を求めたってのが、子爵からすれば恥以外の何物でもない。露見した場合村は増税なりと何らかの形で嫌がらせをされる可能性が高い。


 だから交渉においては俺が自発的に、村近隣の魔物を排除したいという体裁を整えねばならない。もちろんそれは他家による領権の侵害であり(この世界において魔物は害獣であり資源でもある)、個人とはいえ他家の戦力を領内に入れて戦闘行動を容認するのを快く思う領主は存在しない。


 つまりは海千山千の宮廷貴族を相手に嘘を並べて、交渉を成立させなければいけないわけだ。無理くせえ。


「ご相談の前に俺の事情を説明させてください。俺は実家の兄弟と折り合いが悪く、将来は冒険者になろうと思っています」


「ふむ、五男であればそうした選択肢もあるだろうね。わたしにも子がいて、そういう安易な考えには否定的だが他家の事情に口を挟む気はない。がお父上は納得されておられるのかな?」


 意外と良識ある意見が耳に痛いぜ。


 冒険者っての平民にとっては成り上がりのスターダムだけど貴族からすれば命の安い使い捨ての兵員だからね。大金かけて訓練した私兵を危険にさらすより、小銭を払って冒険者にやらせたほうがコスパいいんだ。


「苦い顔はされます」

「だろうね」


 父親の顔で苦笑される。強欲で横暴な領主という前評判だったが思ったより話がわかりそうでありがたい。この調子なら交渉もスムーズに運ぶだろう。


「将来的に冒険者になろうと志す以上、一匹でも多く魔物との戦闘を経験したいのです。聞けばご領地の冒険者ギルドには塩漬けクエストと呼ばれる、誰もやりたがらない危険な討伐依頼があるとか。ぜひ俺に討伐させていただきたい」


「危険? どのような魔物だ?」


 うわー、やっぱり把握してねえ。

 村長俺に頼んで正解だよ。兵を出す出さないの前に知らねえんだもん。


「足跡などの痕跡からガイアルビーストのような大型の四足獣ではないかと推測されております。もちろん討伐後に詳細な報告を行い、死骸の引き渡しも行います。監視が必要なら手配していただければ安全は保証します」


 交渉用の材料は揃えた。後は子爵様の判断を待つばかりだ。


 へへへ、良いこと尽くしでこれを断るのは損しかないぜ。子爵様がニッコリ笑ったので交渉成立だぜヤッター。


「すまないがお引き取り願おう」


 うん、自分の表情が凍りついたのがわかるぜ。

 マジすか? その微笑み交渉成立じゃないんですか? うそー?


「失礼ながらお断りになられた理由をお尋ねしても?」

「あまりにも当然のことで思い当たらないのかな? 領内の治安維持は領主の仕事であり、他家の子息が口を出すことではない」


 いやいやその治安維持を放棄してるから頼まれたんですけどね。


「それはつまり―――」


 ご自身で兵を出して鎮圧する気はあるのか、と聞こうと思ったけど聞けるわけねえや。我ながらこのセリフ失礼を通りこしてやがる。


 勝手やらかして隣の領主と険悪になるのは親父殿に申し訳がない。引き時だ。


「つまり?」

「何でもありません。お忘れください」


「客人のお帰りだ」


 子爵様が手を叩くと室外で待機していた執事が丁重に屋敷の外まで送り出してくれた。尻を蹴飛ばして追い出されなかっただけマシともいえる。


 宮廷貴族か、やはり食えないおっさんだったぜ……





 リリウスの背中が屋敷から遠ざかっていく。


 十歳の子供のちいさな背中は丸まり、意気消沈といった様子だ。

 そんな彼を執務室のガラス窓から見下ろすフォルセ子爵は鼻を鳴らして執事へと振り返った。


 執事のマルローは主人に対して恭しく頭を下げながら、客人をお帰しした報告する。


「無礼なガキだ、ああいうガキが一番勘に障る。ズル賢さを誇り目上への敬意もなく、大人を馬鹿にしながらいいように操ろうとしてくるガキが一番腹が立つ」


 吐き捨てるような口調に執事は自らが叱責されたように身を震わせる。平静を装ってはいるようにも見える主人はその実ぶちキレているからだ。失言一つで怒りの矛先が執事にも向きかねないため、この場は相槌に徹するのが正しい。


「マクローエンの五男、どんな人物だ?」


「市井の噂によればお優しい気性で民の困りごとを見過ごせないとも、また血を好む悪魔であるとも語られておりますな。度々領地を留守にするマクローエン男爵の名代として領地の治安維持を一手に引き受けているという話です」


「あの年で部隊を統率しているのか」


「いえ、単独で動くようです。剣を手に野山を駆け回り魔物も山賊も切り伏せているとか。彼の影響でしょうか、最近マクローエンを目指す商人が増えております。治安の良さを売りにして開拓民を集めているとも聞きます」


「マクローエンの武は未だ健在か。ファウルといいラキウスといいあの家は武力に秀でた者が現れるな、羨ましいとは思わんがね」


「はい。所詮は剣を掲げるしか能のない一族、ご主人様がまともに相手をなさる必要はございません」


 子爵が我が意を得たりと大きくうなずき、話は終わりだとマルローを下がらせようとする。


 だが一応マルローは確認をしてみた。横柄な主に従うコツは、主の意を十全に理解して意のままに言動することだ。


「して件の村には兵を差し向けますかな?」

「放っておけ。そんなくだらん仕事は冒険者にでも任せておけばいい」

「承知しました」


 マルローは恭しく頭を下げ、主の言う通りにした。


 フォルセ子爵家はこのような些事には関わらない。人口二百人程度の寒村の運命などどうでもいいのだ。

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