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太陽の落ちる日①

 久しぶりに浴びた砂漠の風はのどに絡む砂の味がした。


 ジベールは首都イス・ファルカの壮麗な大門。行き交う砂船は、白亜の門に集う大仰な集まりに疑問を抱いて入出を繰り返す。

 十年ぶりに故郷の砂を踏んだ大魔女ベラトリックスは白亜の門で待つ貴人の姿を見た瞬間に涙でもう何も見えなくなった。


 膝から崩れ落ちた大魔女へと近寄り、膝をついて手を差し伸べる砂の王子イルドシャーンは躊躇いもなくベラトリックスを抱きしめる。


「よくぞ戻ってきてくれた」

「……はい」


 大魔女はそれだけしか言えなかった。

 長い旅の間に積もった郷愁と主への想いを表現するに言葉はあまりにも無力だ。ただ報われた気分だ。


 祖国から旅立った日はこうして帰国する時など夢想だにしなかった。

 長き放浪の旅を終えて彼の下に帰れたことが何よりも嬉しく、眼から零れ落ちるものが止まるものではなかった。


「旅立つそなたをここで見送ってからどれだけの月日が流れたであろう。あの頃の私は何のちからもない王子とは名ばかりの嫌われ者で、そなたに渡す路銀も僅かなものでしかなかった」

「殿下のくださった自由には何よりの価値がございました」


「そう言ってくれるか。だのに戻ってきてくれるか」

「わたくしの主はイルドシャーン殿下ただ一人です。何者にも屈さず矜持を抱き続けて来れたはこの胸に殿下の火を抱き続けて来れたからです」

「主としてこれ以上に嬉しい言葉はない。さあ立ってくれ、俺と共に往こう」


 イルドシャーンの手を支えに立ち上がれば英雄の兵団が揃っている。

 大闘技場の王者ダーパ。死の大司祭エレノア。悠久の時を生きる魔水晶の大魔法使いヘカテー。ジベールの者であれば誰もが知っている英雄達が主君と大魔女が歩むべき道を開いている。あの壮麗な王宮街へと続く王者の道だ。


「此度の功績をもって俺は砂の君主の座をたしかなものとする。ベラ、我が友よ、共に王道を歩もう」

「そ…そのお言葉は……」


 ふと祖母を見れば「勘違いすんじゃないよ!」って目つきをしていた。そういえば中々勘違いさせるお言葉をくださる方だったと思い直す。


 イルドシャーンほどの男にも欠点はある。欲しいと思った者には言葉と礼儀を尽くし、彼の身分から想像もつかないほど親しみをもってくださるという欠点だ。彼が人誑しと呼ばれる所以であり、これだけの英雄から慕われる理由でもある。

 彼らの想いはただ一つ。この御方を砂の王座へ。


 大魔女ベラトリックスは在るべき処へと帰還した。彼の歩む先にこそ栄光があるのだと信じて……



◇◇◇◇◇◇



 モンスターパレード兵器の実証は大成功と言っていい結果を出した。


 イルスローゼでは七ヵ所の暴走に成功し、太陽の悪竜ナルシスの妨害は入ったものの二ヵ所での成功を確認。これへの対処で太陽は総軍事力の二割を費やすことになる。


 ベイグラントでは八ヵ所の成功例。これは完全に成功し今や豊国に余裕なし。三つの地域が魔界に堕ち、第三段階解決か軍事力の空きができるのを待つのみ。太陽からの援軍が来なければ自然陥落を待つのみでもよい最上の結果が出た。


 トライブ七都市同盟でも八ヵ所という成功例が出た。だが結果的にはやや不本意な結果となった。暴走した迷宮が時を置かず沈静化したためだ。疑問の残る結果だ。腑に落ちないといった方が正しい。まさかアルテナ神率いる七星神とアルルカン王が総出で解決したなんてわかるはずがない。


 特にちからを入れたフェスタだがこちらは完璧に対処された。十の暴走迷宮が瞬く間に封鎖・沈静化された。無敗のライアードの名は健在。いや大魔女の報告にあったリリウス・マクローエンの存在か。


 善神の戦士として人界を守護する救世主とは本人の口から聞いた与太話だがまったく疑うべくもない結果を出されては素直に拍手を送るしかない。惜しむべきは過去であり、あの者は手元に置くべきだった。もう取り返しのつかない過去であるが。


 これらモンスターパレード兵器の実行者はムハンマドだ。弟の当初の計画ではこの砂の大地に埋もれる迷宮の暴走もあったが、途中で気が変わったらしい。

 ムハンマドはこれらMAP計画を持ち込み、こう言った。


「この計画を差し上げよう。この功績をもって砂の王座へと駆けあがるといい」

「どうして手柄を譲るつもりになった?」

「イルドシャーンこそが砂の君主にふさわしいと思うからだ」


 弟はそのように言う。

 だがイルドシャーンはそうは考えていなかった。


「ふさわしいのはお前だろ。……父上もお前こそが相応しいと考えているはずだ」


 説得はしたが弟は聞かなかった。

 昔から不思議な弟だと思ってきた。未来を言い当てるような発言をしたかと思えば思い通りにならない事が起きれば手を叩いて喜び、幸福よりも不幸をこそ尊んだ。……その性根にも今は納得している。


 鑑定奴隷のラケスに視せたところ疑問への答えとなる結果が出た。何も不思議なことはない。弟には実際に未来が視えていたというわけだ。


(ムハンマドが視た未来。相応しいという言葉。この道は砂の絶対君主へと続いている。まったく大きな借りを作ってしまったな)


 砂の君主アルトゥール・ドゥバンへと謁見を願い出たイルドシャーンは官僚と王族が揃い為した列を、臣下を率いて堂々と歩む。


 恨みがましげに睨みつけてくる兄弟がいる。不安そうに怯えながらも目を向ける姉がいる。恐ろしい怪物を見るような目を向ける有象無象の視線を跳ねのけて次代の君主が歩み続ける。


「迷宮暴走兵器とは何と恐ろしい。あの方には人の血が流れておらぬのだ……」

「よせ、滅多なことを言うものではない。ご主人様の居られる場であるぞ」

「だが……」

「いったいどれだけの無辜の民を殺した。悪魔だ、あの方は悪魔だ……」

(愚かな。元よりこの身は砂の悪魔を宿したザナルガンドの末裔。恐怖さえも虐げてこそ砂の君主ではないか)


 有象無象の声が耳を通り抜けていく。だが何者も王者の行進を阻めない。

 父アルトゥールから離れること25歩の位置に膝をつき、袖の広い砂の衣装で腕を組む。


「父上、イルドシャーンまかり越してございます」

「……」


 父からは何の応えもない。

 代わりに宦官がイルドシャーンを労う言葉を発し、その用を問う。


「本日は喜ばしき報をお持ちした。まずは―――」

「喜ばしき?」


 父が初めて発したのがこの問いであり、侮蔑に満ちた響きにイルドシャーンの表情が凍りつく。

 だがイルドシャーンとて砂の名将と謳われた武人。戸惑いを押し殺して武人めいた顔を作り直し、父の御言葉を待つ。


「喜ばしき…か。お前にはこれが喜ばしき出来事に見えるのだな」

「無論。イルドキアを失った我らが欲するは次なるザナルガンドが育つ時間でありましょう。此度の混乱から四国が再び立ち上がるには数年では利きますまい」


 しかし父の表情は晴れない。


「本命であるフェスタへのダメージが軽微であったことはお詫びのしようもない。弱り切った彼の国を併呑できたなら百年の繁栄が約束されたでしょうが……」


 どれだけの言葉を重ねても父の表情は晴れない。

 イルドシャーンは弁舌の限りを尽くした。MAP兵器のもたらした恩恵。今後四国がとるであろう方針と我が国の利益。イルドシャーンの計画はジベールに繁栄をもたらすと。


 だが父の表情は変わらない。何か恐ろしい怪物を見るような目つきだ。

 イルドシャーンの洪水のごとき弁舌が止まり、砂の君主が深いため息をつく。


「戦果は認めよう。ザナルガンド育成がための時間を作ったという弁にも頷ける。だがお前は理解できておらぬ。何故民草を狙った?」

「さ…最大のダメージとは国家の基盤、すなわち……」


「あぁよい。もうよい。お前はわかっていてやったのだと、遅ればせながら理解できた。……やはりお前は我が子ではない」

「ごしゅじ…父上……」

「お前の父は私ではない。前イルド太守アハマドとその娘ナディアの子よ。あの女の頼みであるから今日まで飼ってやったがやはり犬の子は犬か。人道を理解できぬ畜生よ」


 それは事実だ。幼いイルドシャーンを抱きしめながら「ごめんなさい」と繰り返した母の泣き顔。イルドキアを産み落としたと同時になぜか安堵した母の穏やかな顔。


 すべては過去が語っていた。イルドシャーンは父の子ではないと。

 だがまさかこのような場で突きつけられるとは……


「ようやく腹が決まった。これよりこのムハンマドを王太子に立てる。同時にこれなる犬を放逐する」

「ご主人様、どうして!?」


 ムハンマドが絶叫する。

 イルドシャーンはただ視線を落とし、屈辱に震えながら床を睨みつけるのみ。


「王は王の子でなくてはならぬ。砂の魔獣の末裔ではない者を君主に戴くことはできぬのだ。砂の君主として命じる、イルドシャーンよ去れ、もう二度とこの地を踏むことは許さぬ!」

「父上、ダメだ、イルドシャーンを追放するなんて!」


 喚くムハンマドとイルドシャーンの視線が重なる。

 今にも崩れ落ちそうなイルドシャーンは、だがその誇りが崩れ落ちるのを許さず、拳を握り締めて耐えていた。


「これがお前の視た未来か」

「ちがうッ!」

「よかったな、砂の君主はお前だムハンマド」

「ちがう! イルドシャーン、ちがうんだ、これは何かの間違いだ、ちがう、ボクはこんな結末なんて―――」


 もはやムハンマドの言い訳など聞く必要もないとイルドシャーンが立ち去っていく。

 その背へと手を伸ばしてもムハンマドの手は届かない。


「ちがう! ボクはただ、昔みたいに兄さんと―――」


 イルドシャーンは振り返らない。立ち止まらない。

 共に涙に曇った眼に映るのは曖昧な世界の輪郭のみ。


「兄さん! ちがう、ちがうんだぁぁああああああああ!」


 この日、砂の名将イルドシャーンはジベールを去った。

 その後彼は二度とこの地を踏むことなく、その行方さえも知らぬまま、歴史の闇に消えていった。

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