戦え、それが戦士の本懐なれば
世界が撓む。ルーデット公レイシスの背後で世界が変質していく。
世界が軋む。魔法力が物質であるならこの現象は原子偽装による巨大質量の出現である。笑いがこみ上げてくる。フェイは己の顔色が青ざめているのに気づきもせず、眼前の戦士の王を睨みつける。
戦士の王が嗤う。これから踏みつぶす虫けらの無意味な抵抗を嘲笑する。
「ルーデットと戦うのは初めてか?」
「いや……」
言いかけてフェイは口を閉ざす。本当に戦ったことがあると言えるだろうか?
訓練でならルーデット卿ともルキアーノとも戦ったこともある。だがあれは戦ったとは言えまい。盤上遊戯のように殺意の足りない組手でわかるのは、自らが足りないという実感だけだ。
眼前のルーデットを知ればわかる。これは超越者だ。人ではない怪物だ。
膨張し続ける青の魔力が津波のごとく押し寄せてくる。津波は強烈なジャミング波の塊であり、フェイは抗えもせずに魔法行使を封じられる。
形成された水のフィールド。水の魔法力に満たされた場では妙に息苦しい。まるで豪雨の中にいるようだ……
(呼吸を奪う…か。魔法を奪い、五感を奪い、圧倒的なちからで蹂躙する。似ているな……)
姿形こそちがえど似ている。
あらゆる飾りを剥ぎ取り一頭の怪物としてレイシスを見定めた時、彼の姿が聖銀狼シェーファと重なる。
怪物が笑う。虫けらを見つめる真竜のごとき眼で。
「組手か何かで知ったつもりになったか? その舐めた認識を正すために見せてやろう、太陽の王家に比肩されるルーデットの真のちからをな!」
「そいつはお節介ってやつだ」
レイシスから放たれる圧力は聖銀狼に近しい。
干渉結界に近い不可思議なフィールド形成で魔法を封じられた。
だがそれだけだ。この程度の要素で及び腰になるほどやわなバトルを積み上げてきたわけじゃない。
「お前のような怪物とは戦い慣れている。フェスタでの訓練の集大成だ、悪いが試金石にさせてもらうぞ!」
「よかろう。何者を相手に大口を叩いたか、冥府で後悔するがいい!」
超バトルが始まろうとしている最中にベルクスは考えた。
たった今切り落されかけた己の首を撫で回しながら思った。
(無理だ……こいつらについてくのは無理だ。隅で大人しくしとこう……)
最近調子こいてたベルクスにできるのは中腰でこそこそ避難するという、かなり情けない行動だけである。
しかし延命に関しては常に最善の行動が取れるこの男、やはり何かを持っているのかもしれない。
◇◇◇◇◇◇
レイシス・ルーデットの戦闘パターンは極めてシンプルだ。超絶と呼べるほどの強化を施した筋力から放つ両手武器の大鎌でなぎ倒す。
AGL8200、ATK12000、この圧倒的なパラメータによる攻撃は対人戦術を崩壊させる。
レイシスの攻撃は早く鋭い必殺の一撃。英雄と呼ばれる戦士でさえ掠っただけで殺せるデスサイスの使い手だ。
果敢にも先手を取ったフェイが崩し手を突き入れる。
アロンダイクの手甲超しに伝わる感触は重い。人体ではなく鋼鉄の塊を殴った手応えだ。アロンダイクの塊かもしれない。
レイシスは回避行動をとらなかった。被弾覚悟の特攻で、攻撃が意味を為さない超耐久力ゆえの適正戦術だ。
「僕に一撃を見舞うか。悪くない腕だ―――」
「よける気もねえ奴のセリフか!」
横薙ぎに振るわれる大鎌の斬撃を跳躍で回避する。振りは鋭く瞬時にひるがえり、空中のフェイへとめがけて一文字に走る。
フェイが空を蹴って回避する。距離を大きくとったのはレイシスの間合いを測り切れていないためだ。……直前まで空渡りを隠していたおかげで回避は成功した。見せたからには次はない。次は必ず対応されるという確信が冷や汗という形で現れる。
「ノンフィールドステップか。古銀の武装といい僕の前に立つ最低限の資格はあるようだ」
「本当に最低限なんだろうな。そいつは今のでよぉくわかった」
レイシスの超防御力にはアロンダイク武装でも通じない。今のままではだ。
殴りまくった末に減退した強化術式の綻びを突く必要がある。不可能かもしれない。
レイシスの魔法力は今なお膨張し続けている。限界の見えないちからを殺ぎ切るためにどれだけの殴打が必要かを論じるのは、果ての見えない道の終着点を夢想するようなものだ。
戦士の王が薄く笑う。もはや薄笑みに本心を隠す不気味さはない。闘争心のままに戦う狂戦士の顔だ。
「興が乗ってきた。降参なんてつれないマネはよしてくれよ」
退路はない。降参などレイシスの機嫌を損ねるだけだ。
攻撃が通じない。限界のない超人が無限にも等しい魔法力で強化を重ねたのだ。
(だが手が無いわけではない。対人戦術は意味がないとわかったのなら対竜戦術に切り替えるまでだ)
恐怖と無知は意味もなく敵を強大な存在に見せる。
だが英知の光で照らせば眼前の戦士の王とて生命体だ。呼吸をし、臓器が動き、心臓が脈打ち、血液が全身を回る生き物だ。
生き物なら殺せる。武術とは弱者が強者を打ち降すために作られた弱者の槍だ。
竜王流の理念は弱者本人による武術による自力救済。心優しき竜が二本しかない己の手の無力さを嘆いて生み出した万人を救世主にする仕組み。
フェイは戦いの場において笑わない。己の双肩に懸かった願いの重みを知っているからだ。
「降参する理由がない。お前を打倒する方法は整った」
「……」
「あとは僕に実践できるか、というだけだ。長いバトルになるが付き合ってもらうぞレイシス・ルーデット!」
「付き合おう! 男とはそうでなくてはな!」
英雄とは何かを成し遂げた男への賛美歌だ。
だが小石を拾って投げたとて英雄とは誰も呼ぶまい。何者にも為せぬ一大事を為し、誰もが己にはできぬことを認めたがゆえにそう呼ばれるのだ。
いま一人の少年が決して越えられぬ頂へと手を伸ばす。
◇◇◇◇◇◇
激闘の音は衝撃波となって辺りに散っていく。風のない室内に吹き荒れる衝撃の風と打撃音は鳴りやまず、戦い合う両者の姿も常人の眼では捉えきれない超速戦闘。
ネルとシシリーを連れてこの場にやってきたカトリさんは思った。
「なんでフェイ君?」
シシリーもネルも答えない。シシリーには誰が戦ってるのか高速戦闘すぎて見えないしネルに至ってはフェイって誰って感じだ。
もちろんカトリさんにもわからない。弟と彼氏の友達がガチの殴り合いをしているんだ。わけがわからない。
なので知ってそうな人に聞いてみることにする。用意されたテーブルでなぜか紅茶を出されている、完全武装のパンノア伯とアリオスにだ。
「やっほ」
「……アルトリウスはどういう躾をしてきたのだ」
パンノア伯が頭を抱え込む。未来のフェスタ皇妃様が気軽に手を挙げてヤッホだ。ヤッホではない! 馬鹿者が! って叫びたいのを堪えているようだ。
「なんで殴り合ってるのあの二人?」
「知らぬ!」
だそうな。
両者の激突は止まらない。加速と減速を繰り返してエネルギーを解放し、技は益々冴えわたっていく。もちろんシシリーには何も見えない。音だけ聞こえてる感じだ。
「止めないの?」
「止めたら後で怒られそう」
「怒られるんだ……」
シシリーには戦士の理屈はさっぱりだ。
隅っこで感動の再会してるアリオスとネルを見つめながら、吸血鬼の女中とフットマンが運んできたテーブルに着き、アイスティーを傾けるカトリのにまにま顔の理由もさっぱりだ。いやこっちはわかるわ。カトリさんは他人の恋愛事情も大好きなのだ。
「長くなりそうだしシシリーも座りなよ。ゆっくり見物しようぜ」
「どっちを?」
「両方♪」
お集りのクライスラー兵のみなさんとシシリーは戸惑いながらもこう思った。
やっぱりルーデット家って理解できないなあって。