新世紀救世主伝説リリウス⑧ キミのため
リリウスがラクスを追いかけて出ていく。その姿を見送るアビーはやや複雑な気持ちであり、まぁた女が増えたわねーと呆れている。
理解できないこともない。彼の孤独だった幼少期、構ってくれるのは二つ三つ年上の姉だけだったという事情を考えれば、彼が優しくなれるのも傍に置きたがるのも年上の女性なのだろう。最近交流のあるツルッパゲの先生はこれを精神の悪しき傷と呼ぶ。
彼は人間を恐れている。
彼が味方だと信じられるのは年上の女性だけ。これを聞いてなるほどと思った。複雑怪奇な人間の心も鑑定師にかかれば簡単なものだ。
先生が言うには年月が大人を作るのではない。心の傷が個性を生み出すのだ。
これに対する対処法も教えてくれた。戦うことしか知らない彼の心に平穏が訪れれば悪しき傷は自然と消え去るらしい。
リリウスに必要なのは親愛だ。魔竜にも等しい恐るべき魔法力の塊である彼を恐れず、敬意をもって接してくれる人が増えるだけでいい。……なのに彼は最も困難な英雄の道を選んだ。
だが当然なのかもしれない。彼はたしかに尋常の男ではない。運命の腕に背を押される魔戦士だ。
闘争の運命を与えられた魔戦士は英雄の道を選んだ。悪しき傷を乗り越えて完全なる自らへと至る道だ。
そして問題は一つだけだ。彼の浮気癖が落ち着く頃にはいったい何人の女が傍にいるかが問題で、その時自分が何番目の女になっているかだ。
(まったく英雄の女をやるのも大変ね。そこいらのしょうもない男で妥協するサ・トゥーリーの子達の気持ちもわかるわよ。見てくれしか興味ないもの)
英雄の女であろうと思えば相応の有用性が求められるとアビーは考えている。結婚がゴールだと考えているユイちゃんとはイイ女レベルがちがいすぎる。あれは男を腐らせるタイプの女だ。
アビーは自分の役割をきちんと決めている。何かと突っ走りがちなリリウスの情報支援システムだ。
「皇帝陛下、彼女に教えた苦い真実についてお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「構わん。ラクスヘルト、こちらのアビゲイル嬢に話してやってくれ」
ラクス……?
あちらもラクスでこちらもラクス。何とも奇妙な偶然だ。まぁ47なんて人間の名前ではない。物の呼び名だ。
金髪の侍女が進み出てくる。彼女がラクスヘルトなのだろう。ゴーレムだとは聞いたが……
「忌まわしき簒奪皇帝の時代の話です」
「叔母上の枕詞に忌まわしきはやめてくれ!」
どうやらヴァルキリーは簒奪皇帝ストレリアを嫌っているらしい。
愛する男の想い人となれば殺したくなる。そんな当たり前の感情のようだ。
「帝位簒奪の初期、ストレリアはクライスラー・ルーデットの血縁を血眼になって駆り立てたのです。先代ルーデット公は太陽への亡命。クライスラー家臣団をまとめるパンノア伯もルーデットを頼って落ち延びました。これを第一段階とした上でストレリアは掃討作戦を第二段階に移行したのです」
旗頭を失ったルーデット家とクライスラー家の残党は少ないがたしかに存在し、広大なイージス大陸の各地に潜んでいた。
これを狩り出すために囮人形が用意された。
市井の者をさらい、マインドハックで偽りの精神を植え付け、外科手術によって本物そっくりに姿形を整えたデコイを各地に放した。
それらデコイは時にルーデットの嫡子を名乗り、クライスラーの姫を名乗り、各地に潜伏する残党を引き寄せる誘蛾灯の役割を果たした。
彼女らのコードネームには数字が用意された。パターンを知る者ならば誰にでもわかる、偽物の証として……
「植えこまれた偽りの記憶がために自らを本物だと信じるデコイは大変な戦果を挙げ、帝位簒奪から三年で国内の残党を掃討。第二プランはその時点をもって破棄されたのです」
ラクスヘルトが眉根を寄せる。彼女が心持つ存在である証拠であり、残酷な作戦を嫌っている証だ。
「11年です。まさかまだ生き延びているデコイがいるとは……」
「第二プランを破棄した時に処置しなかったの?」
「あのストレリアめにそんな温情があるものですか。デコイの野垂れ死にを待てばよいと考えたのでしょう」
良家の子息の記憶を植え付けられたデコイだ。支援者からの保護を受ければ発信機で位地を特定して潰せる。支援者に巡り合えねば遠からず野垂れ死ぬ。そういう設計だ。……ストレリアが悪魔と呼ばれる由縁だ。
アビーは暗い顔で俯く。これはたしかに苦い真実だ。
「ひどい話を聞いてしまったわね。でもいいの、表に出してはいけない話でしょう?」
「トライデントでは誰もが知っている話です。当時を知る者であれば誰もが忘れられぬ悪夢として心に刻みつけているでしょう」
違和感がある。
ヴァルキリーはトライデントならと言った。ならばトライデントの重鎮であったパンノア伯がデコイについて知らないはずがない。
「じゃあパンノア伯はどうして彼女を大事なクライスラー公の妻にするなんて言い出したのかしら?」
「親心ではないでしょうか。アリオス殿の出自や実力を鑑みればどうしても権威が欲しい。例え偽物とわかっていても本家の姫の権威を欲した。すべては己亡き後のクライスラー公のお立場のために」
ようやくパンノア伯の真実に至った気がした。過保護さに反するような突き放した態度も、我が子のように想えばこその仕打ちであった。
愛すればこそ危険から遠ざけ。愛すればこそ我が子の栄達を願う。
互いにじつの親子のように愛し合いながら、すれちがいを重ねてきてしまった。
「なんて不器用な愛情。男って本当に馬鹿だわ」
「ゆえに子は女が育むのでありましょう」
男は戦うことしかできない。剣を取り守ることが愛だと信じているからだ。
例え我が子が気づいてくれずとも父は懸命に戦い続けるのだ。
◇◇◇◇◇◇
ラクスは皇族エリアのある大階段に座り込んでいた。投げやりな仕草で脚をぷらぷらしている彼女の姿は、帰るべき家をなくした猫のようだ。
とりあえず隣にドッコイショ。
「わたくしね、偽物かもしれないんだって」
「偽物ってなんだよ」
彼女の語りはとりとめもなく時系列もバラバラで、くだけそうな心を整理しようとして、諦めたみたいなものだ。
家臣の手を借りてアシュタルトから逃げ落ち、地方を転々とする日々も嘘。
トライデントに接触して逆に殺されそうになった事もあった。誰も信じられなくなってサーカスに交じってあちこちを転々とする日々も嘘。
あれもこれも嘘ばかりって笑うラクスはいつもの諦めたみたいな微笑みをしてる。
「あれもこれも全部嘘で、嘘の記憶を大切に抱え込んで生きてきた自分だって嘘。うそばっかり。もうさ、わけがわからないよ」
何を信じていいかわかんない。そんな感じだ。
背中を倒して寝転がったラクスの瞳が俺を見上げている。泣き出しそうな目だ。
「馬鹿みたい。パンノアも知っていたんだわ、どうせ名前だけ使おうって腹ね。あいつ顔怖いもん」
「政略の道具か。食えないじいさんだね」
「ほんとね。……どうして追ってきたの? 公女様じゃないんだよ? それどころかどこの誰かもわからない市井の子。ほら、優しくする必要なんてないじゃない」
潤んだ瞳でじぃっと俺を見上げる彼女の陽気を装った声音なんてSOSにしか聞こえない。
身分なんて言い出したら俺なんて叙爵されたばかりの田舎の男爵家の庶子なんだぞ。身分なんて関係ない。人が人を大切に思う時にそんなもの何の意味もないんだ。
床に落ちてる彼女の手を握る。
「でも俺と一緒にいてくれたのはピエロのラクス・リ・ラクスだろ。俺が苦しい時に傍にいてくれたのもキミだ、顔も知らないクライスラーの公女様じゃない」
「……どうして優しくしてくれるの?」
「キミが好きだから」
「出会ってまだそんな経ってないじゃん」
「時間なんて些細な問題さ。気になるならこれから何年でも積み上げていこうよ」
「なんでそんな簡単に言うの?」
「今この手を離すともう二度とキミと会えない気がするから」
嗚咽が聞こえてきた。
馬鹿だ。本当に馬鹿だ。偽物か本物かなんてどうでもいいのに……
ぐしゃぐしゃに泣き出したラクスの面影に重なるガレリアの少女の幻影を振り払う。いま俺を見上げているのはラクスだ。
「助けてって言ったら助けてくれるの?」
「誓うよ、何からでも全部からでもラクスを守る。だからさ、いなくなろうなんてしないでくれ」
雲海を探しに行く約束をした。ローゼンパームのレストランに連れていく約束もした。
行けたらいいねって諦めたみたいに笑うキミが大嫌いだった。
だから約束を誓いに変えてキスをする。今はもうくだらない意地みたいなもんだけど、こうなったら意地でもキミの笑顔が見たくなってきた。