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真実の苦み

 太陽王シュテルの戴冠によってようやく平穏の戻ってきた王都ローゼンパーム。爆発した冒険者ギルドは北区の空き店舗に居を移して細々と営業を再開していた。


 ギルドの名物であった酒場はスペースの関係で閉店。元々本部で活動していた冒険者は近隣の都市に拠点を移したし、新店舗とあって依頼人も多くない。がれきの山になったギルド本部に立札を建てて誘導しているとはいえ、しばらくは閑古鳥が鳴いていることだろう。


 冒険者ギルド上級職員のアビーはそんな退屈な日々を享受しつつ、カウンターに肘をついてアクビをしている。


「退屈ねえ」

「忙しい時は困ったものでしたけれど、依頼人さんがこうも来ないとなるとそれはそれで困るのですぅ」


 会話相手はもっぱらルーだ。隣の席だからだ。

 ルーは元々シシリー派閥だったけど派閥のトップが退職して困ってしまった。失敗の多いトラブルメイカーなので引き取ってくれる派閥がなかったのだ。一言多いところも原因かもしれない

 何かと失敗が多く困った子だけどアビーが引き取ってあげたのだ。


「困るってお財布的な話?」

「はいですぅ……」


 ルーはギルドの二階で暮らしていた。つまり彼女の財産もアルシェイスの乱の時に木っ端微塵に吹き飛んだわけだ。今はギルド本部から給与の前借りをして暮らしている。受付嬢の給与は基本給プラス出来高なので暇じゃ困るのだ。


「そんな悩みであれこれ言えるのも平和があってこそよね。ぼちぼち忙しくなるのだし今はこの平和を楽しみなさいよ」

「アビゲイルさん少し変わった気がするのです」


「そお? どんなふうに?」

「太々しいというか打たれ強くなったのですぅ」

「生意気な子ね」


 ほっぺを引っ張られちゃった。


 ギルドにはのんびりとした空気が流れている。緩やかで弛んだ平和な空気のギルドの入り口に、いつの間にか背の高い老人が立っている。


 アビゲイルの退屈を持て余して微睡む眼がみるみるうちに見開かれる。

 老人の姿は枯れ木のようだ。ひょろりと長い手足と細長い体つきのせいでそう見える。……肉体の震えが止まらない。

 老人の眼光は異様なまでに鋭い。赤い瞳は悲しみと怒りによって穿たれた暗黒を縁取る血の色だ。……逃げ出したい、今すぐ、ここから!


 冒険者の王レグルス・イースは入り口に立ったまま口を開く。


「アーバックス王カラムのご息女リヒトシュテイルじゃな?」


 アビーは刹那返答に悩んだが……


「自己紹介は必要ないかの?」

「ええ、お久しぶりですねレグルス・イース。てっきりお忘れになられていたものと」

「何を馬鹿な。友の娘を忘れるものか」


「友とまで仰ってくださいますか。ならば今頃何用でしょう? 利用価値のない小娘に何か価値を見出しましたの? まさか愛人にしてくださるというのかしら?」


「ぬしの怒りももっともじゃ。ワシはおぬしが一番つらいころに何の助力もしてやれんかった男じゃ」

「助力!? 黙殺の間違いではありませんか! イースはッ、貴方は国を失い身一つ従僕一人と逃れてきたわたくしを―――足蹴にしたのは貴方がたイースではありませんか!」


「ワシだとて辛かったのじゃ」

「辛い? 何がッ!? その痛みは明日の寝床にも困る女一人を見捨てて治る痛みなのかしら。貴方からすれば小指を動かすように些末な援助一つでよかったの。それだけで救われたの! 何をどう取り繕ったところで貴方はわたくしを見捨てたのよ!」


「すまぬ、あの頃のワシはどうかしておった」


 謝罪の言葉を引き出したところで鼻息の荒いアビーが渾身のガッツポーズ。勝ったとか思ってそう……


 すっきりしたアビーが書類にさらさらと書き込みを入れてルーに回す。


「この書類決済しておいて。急ぎでね」

「はっ、はいですぅ~~~~!」


 ルーが大急ぎで職員区画に逃げ出す。この緊張の空間に居たくないので全速力だ。

 アビーが冒険者の王を睨みつけ、その真意を問う。


「何の御用でした? 今更何をしに来たのですか?」

「真実を教えてやりにな。余人を交えずに話をしたい。さあ馬車へ」


 外には黒塗りの馬車がある。不思議とそれが墓場へと続く忌まわしい葬列車にしか見えなかった。

 枯れ木のごとき老人が手招きをする。


「さあおいで。真実を知りたいのじゃろう?」

「上等……! いいわ、乗ってあげます!」


 亡国の王女は真実を求めてきた。

 運命に弄ばれその身が流民に落ちたのだとしても祖国の誇りを忘れなかった。


 祖国滅亡の真実を前に、彼女が臆することはなかった。



◇◇◇◇◇◇



 暗く忌まわしいにおいの立ち込める地下室に老人の声がこだまする。

 このにおいは何だ?と思いながらも問いを発することさえ許されないピリついた雰囲気に飲まれたアビーは紅茶に手を伸ばし、やめた。

 紅茶から立ち上がる薔薇の芳香に混じった薬品めいた香りが不気味だ。


 老人が滔々としゃべり続ける。回顧録をつづるような嘆きの声音だ。


「ワシは不老不死の法を求めたのよ」

「荒唐無稽な話ね」


 茶々を入れると笑い出された。

 骸骨が笑っているような不気味さがアビーの正気を削る。彼はこんな男だっただろうか?


 幼い頃に父の背に隠れながら話をした冒険者の王はもっと大きな存在に思えていたのに、今はとても矮小な存在に見える。


「そうでもない、不老不死の術式自体は確立されている。神仙の祖鴇命真君に誓いを立てて昇仙を目指してもよい。冥府の王デスにすがり永遠の戦士になるもよし……」

「ならどうして誰もやらないの? 永遠の命が欲しい人なんて幾らでもいるのではなくて?」

「どれも自由と引き換えの御業よ。自由亡き生など無意味とは思わんか? そこでワシが目をつけたのは精霊種への進化よ。ワシはハイエルフのごとき天上の種になりたかった」


 世界という大きな謎のピースが一つはまった気がした。


「東方での建国、ハイエルフの女王スクルドへの助力はその目的を遂げるためと?」

「良い耳をしている。ギルド職員なら当然か? いかにも。あの者に手を貸したは見返りを求めてよ。じゃがハイエルフにも不老不死の法はなかった。……今になって思えば当然か、生まれつき不老不死の種族がそのような術を持つはずがない」


 いつだったかリリウスが言っていた言葉を思い出した。

 レグルス・イースは短絡的な馬鹿ジジイ。だがアビーは生にしがみつく妄執であると読み、話の流れに恐怖した。


「精霊種への進化は神々を其れ足らしめるちから神気を帯びて第一段階よ。ワシもここまではいけた。第二段階は神気を自らの体内で生み出せるようになること。トールマンという存在を超えて神々の領域へ至ること。……ワシはここでつまづいた」


 レグルス・イースは神気を集め続けた。財団の兵力を用いて遠征軍を出し、竜を、精霊を、迷宮を狩り続けた。

 だがどれだけのちからを吸い続けても神々の領域には至らない。おそらくは彼には精霊種への適性が無いのだ。冒険者の王と謳われた世界一の英雄なのに、それだけが足りなかったのだ。


 だが彼はあきらめなかった。


「神気の質の問題ではないかと考えたのじゃ。例えば深層迷宮のコアならば良質な神気を有しているのではないか、そう考えたのじゃ。そういえばアーバックスの複合迷宮は百層を超える巨大迷宮であったなと……」


「それが真実ですか。もしや我らが都を襲った賊徒も貴方の差し金でしたか?」

「違う! ワシはティトを探した。あの者に代わりの迷宮コアを用意させるはずじゃった!」

「ですが現実にわたくしどもの都は滅びた」

「見つからんかったのじゃ。あやつは普段はあちこちに出没するくせにどうしてかあの頃だけ見つからなんだ……」


 老人の懺悔を聞き終えたアビーは嘆息を一つつき、肺の中のよどんだ熱気をすべて出し尽くすかのように呼吸を繰り返す。


(なんてちっぽけな男。こんな奴憎んでやる価値すらない……)


 真実へと至ったのに心には響かなかった。あれほど焦がれた復讐の想いも今は熱もなく残滓もない。ただ苦みを放つ余韻だけが心に沁みる。


 なぜだろう?

 変わったのかもしれない。誰かを憎むことでしか己を慰められなかった愚かな小娘から、少しはマシな大人の女へと変われたから、彼を憐れみ蔑むことができる。


 以前までの自分だったなら差し違えてでも刃を向けたはずだ。でも今はそういう気分にもなれない。


「お話はもう済んだようですわね。思ったよりもくだらない話で驚きましたがまぁこんなものでしょう。他の方にお話になるときはもう少し驚愕のポイントや豆知識で興味を惹くがよろしいかと。次回の参考になさいませ」


「激高もせぬか。なぜだ、ワシはおぬしの父の仇も同然の男じゃぞ」

「怒れば父を返してくださいますか? 己の命一つ伸ばせぬちっぽけな貴方に何ができるというのです?」


「強いな、我がひ孫ではこうもゆくまい。……宛てが外れた、ワシはいつもそうじゃ」


 テーブルの下にあるレグルスの手が愛刀に手をやる。鯉口から僅かに離れた柄を握る手に宿るのは殺意だ。

 かちんときた。この男の矮小さには反吐が出る!


「復讐を望んだ女なら返り討ちにしても胸が痛みませんか! その程度の筋書きがために真実を打ち明けたのですか! そのちっぽけな自尊心を守るためにお父様の死を引き合いに出すとは―――恥を知りなさい!」


「今更何と罵られようが痛み腹一つよ。我が罪の芽、大過になりファラに返る前にここで摘ませてもらうぞ」


 抜刀がアビーの首へと放たれた。

 女の細首一つを打つだけの刃は歪曲した空間に触れた瞬間にレグルス自身の首を打ち―――


 鮮血が舞う。


 二つに別れた首と頭。首から吹き出す血の雨の中でアビーは背に寄り添う救世主の胸にもたれかかった。


「信じていたけど、ちょっと怖かったかな?」

「そう思うなら無茶はするなよ。ルーが間に合わなかったらどうなっていたか……」


 どうなっていたか?

 答えは目の前に転がっている。首を失ったまま微動だにしない冒険者の王の死体が答えだ。


「満足できたか?」

「ううん。だって何も返ってこないもの」


 失った故郷は返ってこない。両親も兄弟も、失われた幸福は何一つ取り返せない。

 そういうものだ。だから人はあんなにもがむしゃらになって失う前にあがくのだ。不老不死を求めた冒険者の王の末路もまた……


 リリウスが何かを思いついたふうに言う。


「一つ面白い思い付きがある。馬鹿ジジイの話を聞いてて思ったんだけど故郷だけは取り戻せるかもよ?」

「故郷だけって……あぁ、そういう。でも本当にできるの?」

「できるできる。いつになるかわからないけどさ、楽しみにしてろよ」

「ええ、楽しみにしとくわ」


 こうしてティトから迷宮コア貰って迷宮都市復活しちゃえよ大作戦が始まった。

 ハープエリンディアの山頂に美しい天空都市が蘇るのはもう少し先のお話である。

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