王都混沌③
古びた木の香りが威厳なのだとしたら、ここは威厳に溢れている。
厳格な大人達が囲む太陽の裁判場に厳格な木槌の音がこだまする。アルステルムの老議長が白髭に覆われた口を開く。
「此度の騒乱においてガランスウィードは果たすべき使命を果たさず、あまつさえ逆賊に与して太陽を揺るがした。その罪はあまりにも重い。事にクレイトス本家の当主代行ベルナルド・ガランスウィードの罪は大きい。ここにガランスウィード公爵家の取り潰しを言い渡す」
縄に繋がれたガランスウィードの大人達に沙汰が言い渡され、刑が確定した者ががっくりと項垂れる。
まるでこの世には死刑以外の刑罰が存在しないかのように老議長が死を言い渡す。名前と確定刑がこだまする。次々と言い渡される。幼いファトラは大人達の悪意の中でただただ震えている。
ここは戦争裁判の場。先の戦争の当事者を審問にかけ、殺すためにもっともらしい理由をつけるだけの場所。
「今回の騒乱に大きく寄与した罪によりヨナス・ガランスウィードを死刑とする。その妻イングリットも同罪である」
死刑を言い渡された父母は何の抗弁もできず、売られた羊のように騎士団に縄を引かれて裁判の場から退室する。……予め舌を切り落とされているのだ。何を言えるものか。
「四人の子も同罪である。長女アマーリエ・ガランスウィード死刑。長男ライナス・ガランスウィード死刑。次男コールウェイン・ガランスウィード死刑。三男ファトラ・ガランスウィード」
ファトラの名が呼ばれた瞬間だ。
アルステルム議長よりも上の席につく太陽王アルシェイスが軽い感じで手をあげる。ニヤニヤと緩んだ口元からはどことなく不吉なものを感じたが、議長が几帳面に問う。
「何か?」
「SSホルダーは残してもいいんじゃないか?」
アルシェイス王の発言に傍聴席からも追従が漏れる。
「たしかに」
「惜しいといえば惜しいが……」
「此度の地下迷宮の暴走でかなりの兵力を失った。補填の意味でも……」
「だがガランスウィードだぞ」
傍聴席の意見は賛成と反対が入り混じるものだ。議長もまた同感だ。殺すのは惜しいが生かすのは反対だ。
「将来に禍根を残しますぞ?」
「う~~~~ん、そこが問題だよなあ。なあファトラ、俺のために働いてくれるか?」
「……」
「あぁ舌を切り落としているんだったな! 俺に忠誠を誓うというのならお前一人くらい生かしておいてやってもいいぞ。どうする?」
幼いファトラには何をどうすればこの状況が覆るのかわからなかった。
父母兄弟の助命を請おうにもしゃべれない。思念を使おうにも魔法を封じられている。己一人の延命を請うだけなら頷くだけで済むが……
アルシェイスが王の席から降りてきて、膝を着くファトラの背中を踏んで床へと押し付ける。
「俺の犬になれよファトラ。服従を誓うなら靴を舐めろ。皆の前で証明してみせろ、僕はアルシェイス様の犬になりましたってなあ!」
ファトラの眼にじんわりと涙が溢れていく。
どうしてこんな事になった? どうしてこんなひどい事をする? たくさんのどうしてが積み重なっても答えは出ない。大人達の争いは大人達の間で行われ、彼は何も知らずに罪を問われようとしている。
もっとも、この者どもは何も知らぬ事を罪だと言っているのだが。
悪意の笑い声がこだまする場に、どでかい音が響き渡る。扉がものすごい勢いで蹴り開かれた。不審者だ。真っ赤になるまで泣き腫らしたファトラの目に映り込んだのは師と仰ぐ青年の姿。ドレイク・ルーターだ。
ルーター家は太陽の貴族といっても末席も末席。王宮で官吏をしているというだけの、本来ならこの場に入れるはずもない身分だ。かなりの無茶をして押し入ったのだろう。
ドレイクは飛び込んでくるなりファトラを足蹴にするアルシェイスへと打ちかかる。一瞬の攻防の後で剣を抜いたアルシェイスがさがり、彼の周りを騎士団が囲む。
防いだつもりのアルシェイスは掠めた嵐撃弾で左腕をズタズタに切り裂かれ、ドレイクも左肩を浅く裂かれている。だが彼は己の傷など一顧だにせず議長へと訴えかける。
「異議あり! この裁判はおかしい!」
「ドレイク殿、貴殿には口を出す資格がない」
老議長が厳格に注意する。だがドレイクは元より権威に怯む男ではない。
誰も彼もがドレイクの決意を見誤っている。彼は太陽のすべてを敵に回す覚悟でここに来た。
「資格だと!? じゃあお前達には人を裁く資格があるのか、何もできなかった連中が嵐が過ぎた後に罪だ何だとぐちゃぐちゃ言いやがって!」
「無礼な、何様のつもりだ!」
ドレイクを押さえにいった騎士が風圧に押し流されて裁判場の壁に叩きつけられる。
「ナルシス戦の時にお前達はどこにいた!? ディアンマ戦も迷宮が暴走した時もお前達の姿なんて俺は見ちゃいねえぞ! 俺達が必死こいて戦った結末をお前達が勝手に決めるな。俺達はこんな結末のために戦ったわけじゃない! 裁判のやり直しを要求する!」
「貴殿の活躍は聞いている。だが貴殿にはこの場に立つ資格がない」
「あくまで聞く耳は持たない。つまり俺とやろうってわけだ」
ドレイクとアルステルム議長が剣呑に睨み合う場に、遅れてもう一人やってきた。
血刀を振り払う大師ブラストがドレイクと同じ場に立つ。
「中世の吸血鬼狩りのような前時代的な茶番だな。太陽はいつから無法国家に成り下がった」
「ランセル伯爵、発言を取り消せ」
「如何なる理由を述べて取り消しを要求する。逃げた腰抜けどもが事後に集まり当事者をつるし上げるくだらん茶番の弁明が先ではないか?」
アルステルム議長が懊悩を貼り付けた顔を歪め、嘆息をつく。
此度の騒動を鎮めたのは救世の団だ。半年をかけて王都地下迷宮を鎮めた大手柄を、無視するわけにもいかないが……
アルシェイスがこの隙を突いて斬りかかる。ドレイクの対空壁と剣が相克を起こしてギリギリにせめぎ合う。
「俺を無視するなよ。なあドレイク、ここは退けよ友達だろ?」
「はっ、お前が友達だと? 冗談抜かせ、俺の友はこのファトラだけだ」
「悲しい奴だな」
「悲しいのはてめえだろ。せっかくの腕前もビビリ根性じゃあな、技が泣いてるぜ」
この二人では話にならない。
そう見抜いた大師ブラストが鍔迫り合いを続けるアルシェイスに話を持ち掛ける。
「太陽王陛下、冒険者ギルドは此度の騒乱を鎮めた報酬をまだ貰っていないのだが?」
「何が欲しい、ってのは聞くまでもないか」
「ファトラ・ガランスウィード、並びに彼の父母兄弟の身柄を貰い受けたい」
「父母の方は難しいな、示しってもんがある。それは譲れ」
大師ブラストの眼差しが一瞬だけ揺れる。
あの長い戦いの果てにようやく守り抜いたものがこれでは、死んでいった者どもも報われない。そういうやりきれなさが顔に出たのは一瞬だけだ。大師はすぐに感情を抑制した。
「わかった。子息四人で妥協しよう」
「わかっていると思うが騎士団でも使うぞ。SSホルダーは貴重なんだ」
「……承知した。そちらは後日詰めよう」
結果的に言って、三人の兄弟の確保には失敗した。
ファトラが兄弟と対面を果たしたのはこの数分後で、兄弟はすでに物言わぬ死体に成り果てていた。
舌を切り取られたファトラは兄弟の名も呼べずに、亡骸を抱いて声にもならぬ声で叫んだ。
◇◇◇◇◇◇
運河沿いの南の丘陵から王都を見下ろすファトラは感動に打ち震えている。
松明を掲げる人々が為した炎の道が壮麗な空中都市まで攻めあがる光景は、幼き日にも見た王都の騒乱によく似ている。
あの日あの時、彼はまだ小さな子供で、何のちからもなかった。
何もできなかった。大人達の謀略の前では、水面に揺れるこの葉のような存在だった。……悔しかった。
己の無力を嘆いたのはすべてが終わった後で、何も知らぬままにすべてを奪われた後だった。だからやり直しを願った。
(還ってきた! 最大の戦力を揃えてこの時に還ってこれた!)
もうしわけ程度に草の生えた岩場には彼の率いる戦力が勢ぞろいしている。
ハイエルフの女王ウルドとレスバ族。銀狼シェーファとその配下である真竜が二頭。冒険者という括りに中ではトップクラスのフェイとユイ。……ここに同士リリウスがいないのは残念だが、彼のような超存在を制御できるはずもなかった。
沸騰する王都を見下ろす彼らの下に、三人の仲間が寄ってくる。彼らこそが未来ファトラの切り札だ。
合流してきた彼らを見た瞬間、フェイとユイが変てこな顔になる。
何しろドレイクとドレイクそっくりな大人の男と、ちっちゃいファトラがいるんだ。
「は? そいつドレイクの兄貴か? 似すぎだろ」
「ほ…ほんとにそっくり……」
ドレイクの兄貴に間違われた未来ドレイクが笑ってる。
ファトラの計画の裏の部分で活動していた彼とこの面子が会うのは初めてのはずだが、彼の眼差しはユイに向いている。
「へえ、マジでクラウ先輩の女だな。こっちの方はまだお嬢ちゃんなんで可愛らしいじゃねえか」
「害はなさそうという意味なら首肯できますよ」
「だな」
未来組が微笑みを浮かべながらぼそっと小声で……
「真っ先に排除してやろうと思っていたがこの様子じゃ必要はなかったか」
「ええ」
どうやら彼らの暗殺リストにはユイも入っていたらしい。経緯を考えれば妥当だ。
ユイがビビってフェイの背中に隠れる。未来ドレイクから漏れ出した殺意の欠片と魔力の圧力は太陽の王家級のものだったから当然の危険回避かもしれない。
「天の岩戸は未だ開かず…か。イザールも存外使えない男だ」
「こっちから引きずり出すまでだ」
と言ったドレイクが、この場に集う戦力に資料を手渡していく。
ちっちゃいファトラ君もお手伝いしていて超かわいい。
「そろそろお待ちかねのディアンマ戦だ。女神さんの能力についてはこの資料に記載してある。こっちの把握できていない能力もあると思うがそこは臨機応変に対応してくれ」
資料を渡されたみんなの戸惑いは果てしない。みんな頭上に疑問符が浮かんでいる。
特にフェイ。
「詳しく聞き出したいところだが長話をする時間はなさそうだ。一つだけはっきりさせろ、リリウスはどこだ?」
「同士なら……」
「ファトラ、来たぞ」
空間振動が王都の空を駆け抜ける。
空間の揺れが断続的な風となって吹き荒れ、夜空の一か所が引き裂かれていく。一瞬の光の後で巨大な飛空艇が出現する。空間転移だ。
飛空艇の出現と同時に王都に凄まじい魔法力が吹き荒れる。身の毛もよだつほどに禍々しいのに、なぜか春の陽気みたいに温かいあいつの魔法力だ。
「あのお祭り男がこんな楽しそうな騒ぎに遅れるはずがねえ。リリウス・マクローエンってのはどんな時も事態の中心にいて、例え蹴りだされたとしてもすぐさま舞い戻ってくる奴なのさ」
「心配するだけ無駄か。あいつらしいな」
フェイが真理的な話で締めると小さな笑いが起きた。
リリウスってのはそういう奴だ。たぶん世界の果てに置き去りにしても普通に帰ってくる。
場の空気をよしと読んだファトラが宝槍を振り上げ、号令をかける。
「闘争の女神ディアンマを倒す! 往くぞ!」
帰還者の戦いが始まる。
失ったすべてを取り戻すために還ってきた彼の最後の戦いだ。