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愛の女神

 太陽宮の眼前で民衆を引き連れたシュテルと僭称王アルシェイスが軍を率いて対峙している時。

 ガランスウィード邸から逃げ落ちたテレサが王都地下迷宮を目指して飛翔している時。


 奇しくもこの瞬間、豊国は王の都アノンテン。石造りの都の高台にある高理宮の薔薇園で、二人の乙女が会話を楽しんでいる。


 片方は竜より怖いと噂のラスト王女。誰よりも民から慕われながらも、誰も近づいてこない不思議な乙女である。……いや別に不思議ではなかった。竜より怖い女に近づく馬鹿がいないだけだ。

 もう片方はウェルゲート海に悪名轟く魔性の女ファラ・イース。王都ジャーナル調べではすでに500人近い男を破滅させてきたと事実無根の噂の、ラスト姫に負けず劣らぬ怖い女だ。


 この世紀の女傑会談のそもそもの始まりは王宮での夜会の折りにラストさんが新しいドレスを作りたいと言い出し、ファラさんが「ではうちの生地をご覧になりません?」と言い出したせいだ。


 アノンテンとローゼンパームの時差は三時間だ。つまりアノンテンももう夜の十時なのに二人はこうしてドレスの生地を見ている。できる女は仕事も早いし、二人ともお互いに興味があるのだ。


 とはいえ初対面というわけではない。総帥就任以前にも何度かご挨拶はしていたし、お互い同じ加護デイアンマに悩まされてきた口だ。約三年に一度は会う程度の関係以上の親しみを抱いている。


 ファラさんはとびきりの澄ました微笑みで営業中だ。あれは絹でござい、あれは綿でござい、と大口取引なのでがんばっている。ラストさんは豊国でも有数の大富豪だ。ドレスを作ると言い出せば10や20着の注文がある。一度袖を通したドレスはよほど気にいらない限り再び袖を通すことはないらしい。


「これはリシドゥ産のパルキン絹です。染色も見事ながら夢のような触り心地なので、夜会用のドレスにぴったりなのです」

「ほんとぉ、手触りがいいのねえ」

「男性受けも特によい品でしてよ。あまりの触り心地のよさに、手を放したくなくなって寝所まで連れ帰ってしまうとか」


「素敵なエピソードね。もしかしてファラ様の実体験?」

「彼は衣類よりもわたくしの肌のほうに触れたがりますわね」

「素敵な話ねえ」


 ちなみにラストさんはファラの彼氏が誰なのかを知らない。まさか友達のリリウスだなんて夢のまた夢だ。

 つまり最近噂のアルシェイスのほうと勘違いしている。


「そういえば遅れてしまったのだけど、ご婚約おめでとうございます」

「へ……?」

「アルシェイス様とご婚約なされたとお聞きしました」


 ファラは愛想笑いで返す。噂はデタラメという態度なのでラストさんも愛想笑いだ。


「変なこと言っちゃったかしら? ごめんなさいね」

「いいえ、実際にそういうふうにしたい方々がいるのは間違いではないもの。うちの曾祖父なんですけど」


「……もしかして権力闘争?」

「ええ、お年を召した方ってどうして爪痕を残そうとしてしまうのかしら。振り回される方は迷惑なだけなのに」

「本当ねえ。東方では建国にまで手を出しているというし……あ、この話題っていいのかしら?」

「エルン共和国がイース海運のお得意様であることは事実ですわ。ですがそれ以上の邪推に関しては否定いたします」


「そうよねえ。わたくしも口が滑りました、謝罪を」

「いいのです。火のないところに煙は立たないという格言を否定できる良い機会でしたもの」


 微笑みと共に話題変更。今日は楽しいお買い物の夜だ。

 ラストさんはファラに興味がある。同じディアンマホルダーだというのに格別の親しみを抱いてきたから、これを機に仲良くなりたいのだ。


「この際だからきっぱり否定しておきましょう。わたくしとアルシェイスの間にその種の感情はございませんの。そりゃああいつとは幼馴染みだし多少ながらも親愛はあるつもりだけど、頼りない弟って感じですの」

「そお? けっこう腕の立つ方だと思いますけれど」


 このつっこみでラストが結婚できない理由を瞬時に察するファラであった。

 豊国の姫竜の好きな男性像に『強さ』が存在する限り、そりゃあ無理だろとしか言いようがない。なにしろATK8200の女だ。


「あいつとわたくしは遠い親戚でお友達。そういう認識って覆しにくいものでしてよ。それにわたくしまだあいつの口から一回も聞いていないんですの」


「何を?」

「プロポーズ。外堀は埋めてくるくせに肝心のわたくしには近寄ろうともしませんの。きっと断られるのがわかっているから何でしょうけど、そういうところって大事じゃありません?」

「そうねえ、例え断られそうでもきちんと向かい合ってくれない方では、この身を預けようなんて気にはなりませんもの。ところで本当に脈はないんですの?」


「ございません。ラスト様って運命とか信じるほうですか?」

「ロマンチックでステキだと思っていますわ。代用なんて存在しない定められた運命の相手ってステキな感じがしますもの」


 まだ結婚をあきらめてないラストさんであった。運命の相手どこにいるんだ。

 ここでラストさんが話の流れを察する。恋バナのにおいを嗅ぎつけたのだ。


「もしやファラ様は運命の相手をお見つけになられたと!?」

「ええ、まぁ逃げ回られておりますが」

「あらら」


 しょんぼりするラストさん。しかしその生温かい眼差しは同族へと労わりに満ちている。

 30までに結婚できなかったらお友達と一緒にシェアハウスする予定であり、今まさにファラがリストアップされたのだ。


「逃げちゃうんですの。いったいどうしてぇ?」

「ふふっ、まだ遊び足りないらしくて。もうしばらくは遊ばせておこうと思っておりますの」

「お心が広いのねえ」


 ラストさんは束縛系女子なので絶対に無理だ。何なら二日三日の出張にもついていくぞ。女性の友人なんて絶対に許さない。ましてや浮気なんて殺してしまうかもしれない。だから恐れられているのだ。


 この点ファラは余裕がある。歴戦の喪女とモテ女の歴然たる差がその精神性に現れているのだ。


「ラスト様、男という生き物は常に逃げ道を探しているのです。追い詰めれば必死に逃げ出すだけでしてよ」

「そういうものですの?」

「ええ、そういうものです。まず堀を作ってしまうのがよろしいかと」

「外堀を埋めるとは聞きますけど堀を作るのですか」


「男に必要なのは自由ですわ。自由に伸び伸びと走り回れる放牧地に放し、餌もたくさん与え、時にはメスをあてがってもよいでしょう。ここから逃げ出す必要がないと思わせることが肝要なのです。ストレスを与えなければ逃げ出そうなんて考えもしないもの。でもその牧場の周りには絶対に逃げられない大きな堀を作っておくのです」


「そ…そういうものですの」

「はい、そういうものです」


 家畜の飼い方みてえな話をされたラストさんはキョトンしているが、すぐにその有効性に気づいた。

 金と権力で好きな男を拘束する恐るべきやり方だがこれならラストにもマネできる。


 すごい。ファラ様すごい! ラストさんがファラをさすファラし始めた頃だ、澄ました顔で男の飼い方をレクチャーしたファラが紅茶を含み、諦観交じりの笑みをする。そう簡単にいけばいいんですけどねって感じだ。


「とはいえラスト様のお気持ちもわかります。わたくしどもディアンマの呪い持ちは愛を食べて生きている。ラスト様は極度の空腹状態だと表現してよいでしょうね」


 この例えにラストさんがお口をあんぐり。それが本当ならラストさんはとっくに飢え死にしている。


 ただ以前家庭教師をしていたコパ先生にも似たような注意を受けた。愛を貪るディアンマは愛がもたらされないと暴走する。暴力衝動が強くなる。抑制が利かなくなる。癇癪を起こして破壊してしまう。

 幼い頃のラストはまさにそういう子供だった。

 幻聴と魔法力の暴走に悩まされ、王女だというのに僻地の離宮に軟禁されて暮らす日々。そこにやってきた老教師を父のように慕っていたあの頃、彼の言葉はラストにとって希望だった。


 現在恐れられながらも人として暮らしていられるのは、アシェラ僧兵の鍛錬にある精神制御の法を身につけているからに他ならない。


 ファラがディアンマの呪いを語る。老いた鑑定師の見解とは異なる、だが呪い持ちだからこそ共感できる仮説だ。


「わたくしどもを蝕む心の病は愛を契機に発するパニック障害のようなものなのでしょうね。知っておりまして? ディアンマホルダーの多くは予想外の出来事に弱くて、何かあると安心できる場所に閉じこもってしまうんですって。きっと元になった女神の性根がそういうものなのでしょうね。まるで子供だわ」


 冷笑を浮かべるファラの微笑みは美しい。ラストでさえも心を打たれたのは、彼女の言葉に感じ入るものがあったからだ。


「誰も愛せないくせに愛してもらおうなんて子供のわがままよ。愛されなければ暴走するなんて駄々以外の何物でもないわ。愛の女神なんて名前負けだわ。だってディアンマは愛を知らない女神なんですもの」


「愛を知らない…ですの?」

「愛する喜びを知らないが正しいわね。愛は喜びだわ。愛するのは楽しいの。すべてを投げ出して全身全霊をかけて愛すること。想いが通じて愛情が返ってくること。これが喜びでなくて何だというのでしょう。……だから愛を知らないディアンマを哀れに思うわ」


「哀れとは思いませんわ。だってわたくしどもを苦しめる根源ではありませんの」

「お怒りは理解できますわ、ですがわたくしはもうこれは生まれつきの病気だと諦めておりますの。怒って治るなら別にそうしたっていいのですけど」


「そうね。病気に怒っても仕方ないわね。遥かに昔に存在した愛を知らない愛の女神を憎んだところで意味はございませんもの」

「せめて哀れんであげましょう。この胸の内を焦がす喜びを知らぬ者へ」


 どこか遠くへと視線を向けるファラの横顔に、愛の女神の面影を見た気がした。

 ラストは一枚の絵画に没頭するみたいに愛の女神の横顔を見つめながら、一つの納得を得た。


「全身全霊を懸けて愛する…か。ファラ様を求める殿方のお気持ちが理解できた想いです。その羨ましい誰かへと向けた崇高な愛を欲しいと、自分ではないと知りながら手を伸ばしてしまうのでしょうね」


 それを聞いたファラがくしゃりと嫌なそうな顔になる。


「はた迷惑な妨害ですねー」

「ほんとね」


 小難しい話はここまで。二人はドレスによさそうな生地選びに戻る。

 抽象的な話なんかより最新のカタログを眺めていた方がずっと楽しいからだ。

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