ガレリアの娘③
そいつは神殿の奥にいた。おぞましい邪神像の台座に腰掛けて、殺人ナイフを手で弄んでいる。
くせっ毛の金髪も傲慢そうな面構えも見覚えがある。
「イザール……」
「久しいな」
ガレリアの教祖が悪びれた様子もなく片手をあげて応じた。まるで長年のトモダチに対するような仕草なので腹が立つ。
何より腹が立つのはその隣にクラウの姿がある事だ。つるんでやがったのか。最初から!
「おや、気安いのは好みではないか。ではビジネスライクにいこう。この度は我らガレリアのキリングドール派遣サービスのご利用まことにありがとうございます。契約期間の終了のお知らせに参りました」
イザールが右手で己の左肩に触れる、古いイルスローゼふうに一礼をする。
伏せた顔から垣間見える蛇のような狂暴な眼が俺を見据えている。
「ついてはサービス料のお支払いを願いたい」
「何が望みだ」
「扉を一枚潜ってもらいたい」
俺をイルスローゼから排除する気か。
ティト神殿の転移門は便利だが一度潜れば丸一日の時間経過が発生する。国内の、例えばパラディーン市に通じる扉を通ったとしても俺がそこに着くのは24時間後だ。
イザールとクラウの背後には百人を超える数の殺人人形が整列している。誰も彼もがベティを同じ姿形をし、気絶するベルクスらを拘束している。
「要求はそれだけか?」
「殊勝な態度だ。だが悪くはない。君というイレギュラー性の塊をコントロールする労苦を思えば充分な見返りだと考えている。我らが契約者殿の望む未来にとって、君は最大の障害なのだ」
未来…か。
「要求がそれだけってのは承知した。受け入れよう。……ベルクスら三人の身柄にはどういう条件が付く?」
「自棄になるなよ、つまらないな。このどうでもいい三人については無償で返還する。どうせ大した価値はないんだろ?」
だろうな。こいつらの命が惜しければなんてダサいセリフに乗ってやるほどの情はない。
ベティとベルクスなら俺はベティを取る。三人まとめてでも答えは変わらない。
「契約期間の終了と支払いはこれで終わりだな?」
「うん? そうだな、支払いの履行をしてもらう必要はあるが」
「再契約は可能か?」
「この期に及んでなおベティを欲すると?」
「お前から提案があると聞いてここに来た。乗れば俺の望みを叶えるとも。俺の答えはもう決まっている。ベティは俺の仲間だ」
イザールが笑い出した。くつくつと低い声で、不穏さを残したまま噴火しない火山のように、おかしくて堪らないと笑っている。
「愚かだと思いたければ好きにしろ」
「愚かだ。だがその愚かしさは嫌いではない。……再契約については少し考えさせてくれ」
「ふざけるな!」
一度持ち帰って検討するとでも言うのか。俺の利用価値をじっくり考えようとでも言うのか。ふざけるな。ふざけるなよイザール!
「ベティを返せ、ベティと話をさせろ。イザァァァアル! これは最終通告だ、ベティをこの場に出せ。すぐにだ! でなければお前を殺す! できないとでも思っているのならすぐに思い知らせてやるぞ!」
イザールが肩をすくめてクラウのほうを見る。アメリカンホームコメディのような小馬鹿にした仕草だ。
「サファよ、これが人の愚かしさだ。じつに愛らしいだろう?」
「救いがありませんね。リリウス君、裏切りの刃を再び招く愚行はおやめなさい」
「うるさい! ベティはクラウお前とはちがう!」
冷めた目つきだ。怜悧と呼んでもいい。お前はそんな奴じゃなかっただろ!
さすバトの化身でマメ知識大王でユイを妹のように慈しみ、仲間を愛していたじゃないか。お前の事は! 嫌いではなかったんだぞ……
「イザール、頼む、ベティを返してくれ。もう一度会わせてくれるだけでもいいんだ……」
「私の子供達を愛してくれたことに関しては感謝するよ。そうだね、ではこうしよう、君にはどこぞに転移してもらうとして、この度の一件が終わった後に返答をしよう」
「わかった。逃げるなよ?」
「契約者は大歓迎なんだ。前向きな回答を期待してくれ」
今度はクラウを向き合う。
今すぐにでもぶち殺してやりたいが……
「クラウ、お前が閉じ込めているウルド達の身柄についてだが」
「無事に返しますよ。彼女達にはディアンマを倒してもらわねばなりません」
「お前の目的は何だ?」
「答える義務はありませんね。いずれわかります」
「いずれ殺し合う時にか?」
答えはなかった。義務がなければ口も利きたくないのか。
「お前の事は友だと思っていた。だが違ったな」
「……」
殺人人形からベルクスら三人を受け取り、襟首を掴んで引きずっていく。
転移門の指定はないらしい。一枚の転移門を選んでその前に立つ。
「最後にこれだけは教えろ。イザール、お前の契約者は誰だ?」
「契約者の情報開示は倫理コードに抵触するのだが、契約者自身からもう明かしてもよいと命じられている。我らガレリアの契約者はファトラ・ガランスウィードだ」
自らの奥歯が砕ける音が聞こえてきた。
彼の不審な行動を信頼で包んで前向きに肯定してきた結果がこれか。
たくさんの疑問を押し殺すように扉を潜る。真っ青な光と異界の空気を感じながら、転移する衝撃に身をゆだねる。
◇◇◇◇◇◇
一枚の扉の向こうからやってくる青の輝きが扉が閉まると同時に消え去る。
再びの静寂を得た神殿で、イザールがくつくつと笑っている。彼の耳にはまだリリウスの発した悲鳴が残っていた。
「返せ返せ返せか、愛とはそうでなくてはならない。彼は愚かだが人としてはひどく真っ当だ。壊してやりたくなるね」
そう思わないかと問いかけるようにサファへと振り返る。サファの冷たい態度はどうでもいい好きにしろだ。
「イザール。殺人教団ガレリアの教祖、それがあなたの名と本当の姿というわけですか。まさか太陽で魔導官をやっているとは思いませんでした」
「ルーザーという男はたしかに存在したよ」
「存在した?」
「彼は野心が強く、だが野心にそぐわぬ並みの能力しか持たない男だった。そんな彼がある日突然大きなちからを得て手柄を積み重ね、見事ローゼンパームへの栄転を果たした裏には我らガレリアの影があったのだ。そうだね、簡単に言えば彼もまたリリウスと同じ契約者だったのだ」
「……彼もまた殺人人形に裏切られたと」
「今回の仕事には彼の地位と名が有効でね」
イザールが腹をぽんと叩く。食ったと言わんばかりの態度で、実際にそうなのだろう。
そんなイザールは転移門を調べている。扉をぺたぺた触っている。
「実際に動作確認をしても術式の位置がわからない。しかし……フフッ、なんでトワイライトゾーン? なんでそんな物を経由しようと思ったのだろう。いやはや興味が尽きないね!」
「興味があるのですか?」
「そりゃあもう! 私は元々呪工技師でね、こういう不思議な技術には目がないんだ。新しい技術や着想はいつだって異なる技術との合流から閃くものさ。古き神々の技術なんてブレイクスルーの宝庫だよ」
嬉しそうに転移門を調べていたイザールが殺人人形の一体の名前を呼ぶ。
彼女の肩を抱くイザールはとても誇らしそうだ。
「今回の二番目の収穫はゲート・オブ・トワイライトの解明になるだろう。さあ開いてくれ」
「はい教祖さま」
愛らしい殺人人形がドアノブをがちゃりと回す。
壁が出てきた。扉は光もしなかった。イザールが大口を開けて唖然としている。
「ど…どういう事だ……」
「教祖さま、わたしには転移門のアカウントを譲渡されていません」
「なんだって!? じゃあなんで彼はベティ、君を豊国への伝令に使ったんだい!」
「……アカウントを渡していない事自体を忘れていたのかと」
イザールが唖然。
「わたしもあんまり自然に頼まれたのでアカウントを持っていない事に気づきませんでしたし」
「……運命を味方につける…か。神の戦士らしい凶悪な運命力だな」
イザールは背にサファの冷たい視線を感じていたが取り合わなかった。彼にも心があり、恥ずかしいという気持ちがある証明のような態度だ。……もっとも心の在り処については彼自身さえ疑問視している部分だが。
イザールが分見の眼を開く。王都に潜入する無数の殺人人形の視界は彼の眼と同義だ。
戦う者。逃げる者。大勢の想いが描いた一つの結末を、神のごとき眼に収めて嘲笑する。
「さあクライマックスだ。王都はすでに沸騰している。あとは結果が出るだけだ! ファトラ・ガランスウィードよ、その身に刻み込まれた憎悪を思う存分に吐き出すがいい!」
悪霊は笑う。
最後に実った果実をもぎとる役目は己にあると信じて疑わぬ、彼自身が嘲笑した愚者の笑いでだ。