ガランスウィードの屋敷で③
「ほら、早く着替えろ!」
「うううぅぅぅ……こんな屈辱生まれて初めてよ……」
目を離すとアホな事をしでかすテレサちゃんから目を離してはならない。
この条件を成立させるためにテレサちゃんの生着替えを見守るというシチュエーションが合法的に成立しているのがナウ。
「ほら、下着も脱げ」
「なんでよ!?」
下着ノーチェンジである。
さすがガランスウィード家当主の衣装部屋だ。衣装部屋という言葉では想像不可能な広さとドレス数だ。メイドさんの苦労が忍ばれるぜ……
このクソ広い部屋を日夜掃除しているメイドさんの苦しみを想うと涙が止まらねえ! みんなの仇は俺が取る! このッ、ツインツンツンの構えで!
「な…何よそのいかがわしい構えは……」
「気にするな」
「気になるわよ! なんで近づいてくるの! なんで!?」
「いいから構わず着替えていろよ。なぁに明日の日の出の頃には済むさ……」
「ちょ―――迷宮暴走させるわよ! いいの!?」
壁まで追い詰められたテレサちゃんがガタガタ震えている。
血の気がサァ―っと引いている。彼女ほんとに愛の女神?
「やるわよ! 本当に暴走させるわよ、いいのッ!?」
「やりたければやれよ」
「!?」
正直言ってなあ! 黒髪のグラマー美人の生着替え見せつけられてムラムラしてるんだ! なんて強力な誘惑の権能だ。まったく抗える気がしない!
「王都在住の百万の命? 知らねえ、そんなものは知らねえ! 男はなあ、一度こうなっちまったら世界よりも女を選ぶ生き物なんだよ!」
「世界を選びなさいよ!」
「うるせえ俺は愛に生きる!」
不思議なことに俺のほうが愛の神っぽい発言をしている。
テレサちゃんの影から小型のアビスナーガ四頭が飛び出してくる! 固有世界にモンスターを飼っていたようだ。
「≪連死想カラバ×四!!≫」
ミニ・アビスナーガ四頭を瞬殺する。事前に即死魔術の詠唱を終えておいたのだ。
ミニ・アビスナーガの屍を踏み越えてテレサちゃんに迫る。絶対に逃がさない。ガタガタ震えていたって情欲をそそるだけだ。
「う…嘘よね……」
「嘘じゃないさ。これが現実だ」
俺がルパンダイブをする寸前だった!
「な…なにしてるん?」
第三者の声に振り返ればベティが衣裳部屋の入り口に立っていた。相変わらず仕事の早いやつだ。我がクラン自慢のジェバンニ枠だ。
「見て分からないか?」
「わかるやつがこの世にいるとは思えない……」
闘争の女神を相手に高圧的に生着替えさせてるんだ。わかるわけがない。
「まな板ショーだ」
「女神に対して強すぎる。な…何がどうしてそうなったん……?」
「当初俺はハニトラを期待していた」
「警戒しろ」
「しかしハニトラは嫌だと駄々をこねられてしまったのだ」
「残念がられても困る」
「そう、困ってしまったので仕方なく生着替えで許している」
「今にも襲い掛かる寸前に見えるんだけど……」
「じつは誘惑の権能にやられてな、もう理性が限界なんだ……」
「すごい否定してるけど」
テレサちゃんが泣きそうな顔で首をブンブン振ってる。誘惑の権能にそんな効果はないと言いたそうだ。俺の世界だとあるんだよ。
「術者に襲い掛かる権能なんて常識的に考えてあるわけがない。それ普通にムラムラってるだけだよ」
「冷静な分析はやめたまへよ」
「愛のない営みは嫌いでしょ?」
「アルファベットの表記上ではHの後にはIがあるんだよ」
「……」
まいったな、ベティのじと目が不信感に満ちているぜ。
「……ゆさぶりをかけていただけだ。俺にはこいつがどうしてもディアンマに見えなかった」
「ちゃんとした理由があるなら先に出せばいいのに」
「うるせーな……」
胸に衝撃があった。
軽く突き飛ばされるような軽い衝撃と強烈な痛み。動揺の中で見下ろす俺の胸にはユノ・ザリッガーの歪んだN字形の刃が突き立っていた。
正確に俺の心臓を貫いた刃を見下ろしながら、俺には何が起きているのか判断できなかった。
「……ベティ?」
ベティがいつものクールロリ面でこっちを見ている。
表情からは何もわからない。こいつが何を考えているか見破れた試しがない。ただテレサとの間に立ち塞がる位置取りだけが、明確にこいつのスタンスを示している。
「ディアンマの側についたってのか。どうして?」
「テレサ、逃げて」
「え?」
背後でテレサちゃんが動揺している感じがするが今はベティから目を離せない。
ものすごい驚いた顔で俺とベティを見比べていると思う。
「あ…あなたたち仲間だったんじゃないの?」
「そのつもりだったんだけどな……」
「……逃げていい?」
俺に聞くな!
テレサが夜渡りでどこかへと逃げていった。出現先は空中都市の直下でまた跳んだ。まずい、見失った。
治療が必要だ。殺人ナイフを引き抜き、事前に口に含んでいた神の妙薬を呑み込む。
テレサを逃がしたのはまずいがベティが一番まずい。精神的な意味で。
「どうして裏切った?」
「どうしてまだ生きていられるの? ハゲの肉体強度はそこまでじゃないはず。とっくに死んでてもおかしくないはずなのに、なんで?」
質問が交差する。誰も答える気がない。
「教えてやったら裏切った理由をしゃべるか?」
「じゃあそれで」
ベティはいつもの様子でそう答えた。
今しがた俺を刺したばかりだってのに日常生活のワンシーンみたいな態度だ。まいったな、俺はベティの何を知ったつもりでいたんだ?
「俺が死なない理由は、お前ごときでは想像もつかない超戦士だからさ」
「まともに教えるつもりはないってことね」
ベティが殺人ナイフを構える。眼前にいるのに、たしかに存在するのに、次の瞬間には見失ってしまいそうな希薄さだ。
「リリウス、君ふうに言ってしまうなら私の回答はこうだ。いつからこの個体をベティだと錯覚していた?」
来る―――
と思ったらベティが亜音速のバックステップで後退。窓ガラスを割って屋敷の外へと出ていった!
「待て、逃げるな!」
ベティを追うために窓に足をかけた瞬間、背中を六度刺された。振り返りもせずに背後に向けてワンダリングブレードを五連打してから振り返る。
室内には六人の子供のアサシンがいた。どいつもこいつもベティと似た外見特徴だ。背の低い白人種で金髪。表情は鉄面皮のように動かない。ガレリアの殺人人形の特徴だ。……室内にあったはずの家具が何点か消えてる。擬態して潜んでいたってわけだ。
「ねえハゲ」
ベティとよく似た六体の殺人人形がベティと同じ声でクスクス笑ってる。
「いいの? ベティ逃げちゃうよ?」
「追った方がいいよ?」
「さあ背中を向けて」
「外へ出なよ」
どいつもこいつもベティと同じ声だ。まるで悪夢だ。
夢なら早く覚めろ。そう願いながら殺人人形へと駆け出す。