王都地下迷宮 深層③ 銀の狼の帰還
バルバネスの様子がおかしい、のは以前から気づいていたシェーファであるが、ライカン村に帰る段階になってからはさらにおかしくなった。
村の話題を振ると冷や汗出てくるし、開拓の調子を聞くと口笛吹いて誤魔化すし、こいつは何かあるなと睨んでいた。
フェニキアの王都ユーディーンでリリウスと別れてから、シェーファはこの問題に向き合う決意を固めた。
「開拓資金の使い込みか?」
「お前の世界は平和そのものだな」
使い込みを疑われたバルバネスは落胆の吐息である。
その様子を見るやシェーファはハッとし、もっと大きな問題であると気づいた。
「リリウスに買収されたか?」
「馬鹿もん、かねの話ではない!」
「金の話じゃないならさらっと言ってくれ。私はその種の問題以外には大らかで知られている男だぞ」
このやり取りを傍らで見ていたニーヴァちゃんは「馬鹿ばっか」とクールに呟き、フェニキアの高級果実水をくぴくぴ飲み始めた。
大砂海でもフェニキア地方に多く分布している歩くサボテン『デスゾーン』の種から獲れるサボテンシードオイルを用いた果実水だ。
フェニキアでは平民でも普通に飲み食いしているが、他国に持ち込むとうん十倍の金額になる品だ。
「……お前すっかり忘れてるだろ。件のディアンマだが今うちにいる」
「闘争の渦がどうのという女神か。……そんなの居たか? そっちで雇ったのか?」
「元々はお前が連れてきたんだがな」
ライカン村には大悪魔ディアンマとかいう雑用係がいる。
フェニキアでのS鑑定強奪行の後でシェーファが連れてきて、働きたいらしいから雑用でもやらせとけと言ってバルバネスに任せたきりだ。
当時のバルバネスはこんな危険なアトラクタエレメント持ってくんなと思ったものだ。
詳しく聞けばシェーファはこのやり取りを忘れていた。おかしいとは感じていた。何ヵ月も狭い村で暮らしていたのにあの娘の存在感は奇妙なまでに薄かった。名前でのやり取りはできなかった。アリスリートと言っても誰も覚えていないので『じゃがいもの姉ちゃん』で通っていた。
いま考えれば納得もいく。あれは隠れ名の呪いだ。
軽く説明しておいたがシェーファはいまいちわかっていない。神化状態ならまだしも通常時、それもちからを封じられた状態では呪いに抵抗できなかったのだ。
「ふ~~~む、そのアリスリートだが何をしている?」
「じゃがいも剥きを卒業して狩猟隊の隊長をやっていたはずだ。秋頃にイルスローゼに遊びに行くと書置きを残していなくなったが、さすがに戻っている頃だろう」
「なんて無害な悪魔なんだ」
「けっこうな働き者なんでお前の第二夫人にどうかという話も出ていた」
「第一夫人は誰なんだ」
「それは……」
バルバネスの視線がサリフをちらり。
サリフはそこらの屋台で買ったタレ付きの肉串をもしゃもしゃしていて話を聞いてねえ。それどころか手についたタレをぺろぺろしている有り様だ。人によって色っぽい仕草に見えるかもしれないがバルバネス的には下品なだけだ。
「なんだい?」
「いや、うまそうに食うものだと思ってな」
バルバネスのおいちゃんが「こいつの周りにはロクな女がおらぬな」とぼやいた瞬間だ。ロクでもない女二号がシェーファの袖を引く。暗黒竜ニーヴァだ。
「ねえ、金がなくなったんだけど」
「はあ!? さっき10ギルダも渡したばかりだろ。何に使った!?」
「飲食だけど」
「ここいらの物価で簡単に使いきれるものか。ちゃんと値切ったんだろうな!?」
「ねぎった…何ねぎったって? 何かの隠語?」
「サリフー! サリフー、この馬鹿女に金の大切さを教えてやってくれ!」
「よし、じゃあライカン式の値切り方ってもんを仕込んでやるよ。シェーファ、軍資金をおくれよ」
「……」
シェーファは黙り込んだ。
最近金儲けをしてないのに支出ばかり多くて、精神が疲弊しているせいだ。
「わっ」
「わ?」
「私のかねは私の物だ! 誰にもやらん!」
「あ、逃げた」
「追うよ。掴まえて飲食費を吐き出させるんだ!」
「任せて!」
逃げるシェーファを神狼化したサリフと暗黒竜が追う。
一人だけお父さんしてるバルバネスがため息。ちなみにニーヴァはバルバネスさんの実母である。
つまり母ちゃんが旅先ではしゃいでるのだ。いい歳こいた息子としては複雑な心境である。
「はぁ……真面目な話ができんのかあいつらは……」
「貴殿も苦労をしているな」
なぜか砂の大魔獣に肩ポンされ、手の掛からんのはこいつくらいだなと思って振り返ったバルバネスの目が驚愕にひん剥かれる。
砂のイルドキアは木箱一杯の酒瓶を担いでいたからだ。王族の金銭感覚は狂っている!
しかしこのサボテン酒もイルスローゼやジベールに持ち込めばかなりの金額で転売できる。輸送手段が海路しかないせいだ。
イルドキアには商才がありそうだが、それが発揮されるのはもう少し後になるだろう。
この後シェーファは無事逮捕され、腹パンされながら金を出せと恐喝されたが些細な問題であった。
その後バルバネスの背に乗って向かったライカン村での出来事はのんびりしたものだ。
森の開拓はそこそこ進んでいた。魔境の森から産出する魔物素材を買い取りに来るバザーもできていて大賑わいだ。長めの留守ではあったが問題はなかったらしい。
シェーファご一行は数日ほど村に逗留して長旅の疲労を癒した。
だが目当ての問題は解決しなかった。アリスリートがイルスローゼから帰ってこないせいで、ナバール族長はシェーファと愛娘の帰還にこじつけた酒宴の席で度々こう催促してくる。
「あのじゃがいも娘は貴重な戦力でなあ。俺も大事にしてえのよ」
「あの娘っこならシェーファに嫁がせてもいいと考えていたんだがな」
「バルバネスさんよぉ、そこんとこどう考えるよ?」
怒涛の三連撃だ。
「連れ帰ってこいと?」
「おおっ、行ってくれるか! さすがだ、頼りになる旦那だぜあんたはよお!」
こうしてシェーファ達の太陽行きが決定した。
だがその前にナバール族長の目がきらりと光る。その眼差しはお酌をするニーヴァちゃんに向かっていた。
「この子は第三夫人か?」
「血縁関係がややこしくなるから我が母はやめてくれ!」
後にも先にも、バルバネスがこれほど硬い拒絶を示したのは初めての事であった。
これが悲劇の引き金であった。
氷柱竜バルバネスと暗黒竜ニーヴァ、砂のザナルガンドとライカンの女剣士サリフ、これら超戦力を従える銀狼シェーファが転移した先は件のティト神殿である。
大罪教徒が占領しているティト神殿である。
◆◆◆◆◆◆
昏睡の魔法のもたらす眠りは深い。
夢さえも与えられない眠りは幸福だ。襲撃を受け、為すすべもなく虜囚となったリザにとっては特に。
薄暗い天幕の中で、混濁した意識の中で、最初に目に映り込んだのは銀狼団の長の美貌であった。鋭く鍛え込まれた宝剣のごとき美貌は瞬時にリザを蕩けさせた。彼の姿はまさしく夢に出てくる王子様のようで……
ほんの一時の事とはいえ、政略や取引の条件とはいえ、婚約者であった男の顔にどこか似ていた。
「王子さま?」
「私は王子ではない」
ものすごい嫌そうな顔をされた。
財布を落とした級の顔だ。
「サリフ、リリウスの姉君は任せる」
「はいよ。逃げる?」
「じっとしておけ。巻き込まれて死ぬなど悲惨だぞ」
シェーファの肉体が光を放ち、見た事もないほど美しい銀の巨狼へと変化して飛び去って行った。
リザは混乱している。
「あの…いったい何が?」
「それはあたしらのセリフなんだけどねえ。さあこれをお飲みよ、エルフの霊薬さ、あのドケチがこんなものを使うなんて中々言いやしないよ」
「……そんな貴重な物要らないわ。あたくしもアルテナの術法を修めているの、少し回復すれば自分で……」
「いいっていいって、どうせ義賊のツケにするんだから飲んどきなよ。自然回復する時間もないかもしれないしね」
そこまで言われれば飲むしかなかった。
森人の霊薬は等級にもよるが最上位の物は金で買えるものではない。神聖シャピロの王が戴冠する時にはハイエルフの王から五つの小瓶が贈られるという伝説もあるほどだ。
肺いっぱいに満ちていく森の香りと活力に、リザの意識は瞬時にしゃきっとした。
昏睡の魔法が解ければ思い出すのはさらわれる寸前の記憶だ。死者さえも蘇生する霊薬にはそれほどの効果がある。
「あれ…あー……そういや変なジジイにとっ捕まったんだったわ」
「そういうことね。安心おしよ、あんたを捕まえてた連中ならこの世で一番悲惨な死に方をしているところさ」
天幕の外はなるほど悲惨な戦場だ。
白銀に輝く超巨大竜と漆黒の暗黒竜がブレスを吐いているではないか。天を貫くほどの砂の巨人が暴れまわってもいる。天を踏む銀狼などは聖銀の槍を無数に吐き出すブレスを吐いている。
大怪獣どもからすれば砂粒一つサイズの人間どもが哀れにも逃げ惑っている。
これが銀狼シェーファのちからだ。復讐鬼が長き旅の果てに手に入れた最大のちからは、太陽の総戦力とさえ戦い抜けるほどに強大だ。
「神話の決戦か何かかしら……?」
「表現としては理解できるよ。でも安心しなよ、あいつらは味方さ。銀狼団の頼もしい新戦力さ」
「ひえー」
リザはそう悲鳴を発した。
それ以外の何も言えなかった。眼前の光景のあまりのリアリティの無さに、夢か何かだと思ったくらいだ。
こうして無敵の怪物どもが帰還した。