ローゼンパームの異変④
王都地下迷宮24層のセーフゾーンは大草原だ。どこまでも続く緑の大地と緩やかな丘陵、青空のかなたに浮く天までも続く高い塔……
なぜだか懐かしい。なぜだか魅入ってしまう。俺は…私は、ずっとここに帰りたかっただけなのに…どうして……?
「ハゲなんで泣いてるん?」
「なんでか分かったら豪華景品をプレゼントしてやるよ」
ベティがしばし悩み、回答する。
「お腹減ってる?」
「じつはけっこう減ってる。朝からずっと走り回って、散発的な戦闘行動も多かったしカロリーが足りてないわ」
「豪華景品ゲット?」
「残念だったなベティ、特殊効果『悔しい』の発動により豪華景品は破壊された」
「カウンターマジック『墓荒らし』を発動して墓地から豪華景品を奪取する」
「この世に存在しないカードで殴り合うのはおやめなさい」
伯爵が呆れたふうに肩をすくめる。
大草原の果てにある丘陵の裏手に、芝生柄の迷彩を施した蓋がある。これが何かっていうとマンホールだ。こいつを開けると秘密のアジトがあるのさ。
迷宮の、しかも24層とかいう深層にあるセーフゾーンの地下に穴掘って秘密基地作ってるとか……
「たかがセーフハウスにお金かけすぎでしょ。いくら掛けたんですか?」
「当家の口伝によれば代々コツコツやってきたようですので幾らかはわかりませんが、維持費だけでも中々の金食い虫ではありますね」
「どういう種類のランニングコストがあるんですか?」
「迷宮の復元力を中和する結界の維持費、これは魔石で年に300ユーベルほど。備蓄の食糧なども定期的に交換しなければなりませんし年間120ユーベルはかかっております」
年間420ユーベル。金持ちの金の使い方は狂ってますねえ。
マンホールから縦に長い穴を降りて、穴底を歩いてく。周りは全部コンクリで舗装されている。ただのコンクリじゃねえわこれ。
「あのぅ」
「ええ、ミスリルを混ぜたものです」
ランニングコストもおかしいけど建設費の方が絶対におかしい。狂ってるのはお金の使い方じゃない。アルステルム伯爵家の頭だ。
アジトまでは穴底から歩いて一分もかからない。この短い間にマジックトラップが山盛り仕掛けられている。
空間拡張に電撃に落とし穴。罠と聞いて想像可能なトップ100が全部盛り込まれている。
「殺意高すぎませんかね……」
「代々のアルステルムの男達が面白がって追加してきた結果です。この限られた空間の中にどれだけコンパクトで強力な罠を仕込めるかで技術を競い、判定をするのが後世のアルステルムですのでわたくしも手が抜けませんよ」
「判定?」
「当代は陳腐な罠だと判断したものを除去して新たな罠を仕掛けるのです。ですので後世の笑いものにされます」
子孫と技術力を競うな馬鹿。まさかこんな地底の底でアルステルム家による未来永劫続く技術マウント大会が行われているとは思わんかったわ。
伯爵の仕掛けた罠は聞かなかった。ぜってえ長くなるからだ。番外編でやるわ。
一分とかからず到着したアジトは俺の想像をはるかに超える大規模な施設であった。全部で地下四階。食糧庫に武器庫に兵隊の待機部屋はもちろんブリーフィングルームまであるのはまだいいよ。
「なんで酒場まで……」
「住める隠れ家がコンセプトですので。鍛冶場、共同浴場、生活に必要な施設はすべてあります。もちろんイース海運も!」
「秘密の隠れ家に商店を誘致したの!?」
「ございません。伯爵ジョークですよ、ハハハハ!」
酒場っつーか士官用のガンルーム兼バーって感じのオシャレな部屋で、麗しいレディーが一人ビリヤードをしている。目が合った。
楚々として大人しそうな見た目ながら高慢ちきなプライドを内包する銀髪のダージェイル系レディーだ。夜の営みは激しいと見た。
「コンラッド、そちらの方はどなた?」
おやおや名前呼びですか。
もしかして伯爵の婚約者かな?
「紹介します、こちらは姉のツェリーリア」
「あ、お姉さんでしたか。わたくしリリウス・マクローエンと申す独身の小金持ちであります」
小粋な冗談ふうアピールは全スルー。スカートの端を摘まんだ綺麗な礼で済まされてしまった。
どうも俺にさほどの興味もなさそうですね。
「危険を冒してまで連れてくる価値のある方には見えないのだけど?」
「敵か味方かよくわからない方よりは随分と役に立つ男ですよ。姉上の役立たずのフィアンセなどよりも遥かに有益です」
こらこら俺を置いて睨み合わないの。
お姉さんから引きはがして俺と伯爵でバーカウンターについたが背後からの視線が痛いぞ。
「ツェリーリアさんってフィアンセと何かあったんですか?」
「今回の事で捨てられたのです」
おう無情。
「いわゆる婚約破棄ってやつですか?」
「態度がはっきりしない分、より性質がわるい男でしたよ」
「何かあったんですか?」
「味方のふりをしてアルシェイス派にこちらの情報をリークする二重スパイ活動をやっていましてね。まったく困った方でしたよ」
お察し。常に過去形である件について。
コンラッド・アルステルムを相手に二重スパイとは勇気あんな。なんでこんな恐ろしい奴の危険度を軽く見られるのか理解に苦しむね。
願わくばそれが俺の末路でありませんように。合掌。
伯爵が極上のブランデーを惜しげもなくグラスに注ぎ、さあどうぞどうぞをしてくるのである。じつにこの後の展開が怖いな。
「ではお待ちかねの情報開示のお時間です」
「まだ協力要請の返事をしたわけではないつもりですよ?」
伯爵が笑い出す。爆笑って感じだ。
手のひらで踊る人形が滑稽な発言をした、そういう笑い方だ。
「聞けば必ず協力したくなる話ですよ」
「じゃあ聞くだけ聞きますけども」
「では第一の情報開示、お捜しのアシェルならバルジ監獄に収監されています」
「なんでそんなことに……。隷属国とはいえ一国の女王ですよ、いくら宗主国といったってそんな権利はありませんよね」
「S鑑定がシュテル派閥につくのはそれほどに許容できないのでしょう。アルシェイス派は王都で軟禁中セト前フェニキア王を擁立してアシェルと交換するつもりです」
「むちゃくちゃだ……」
誰だイルスローゼを自由の国とか言い出したやつ?
最低の治外法権じゃないか。外交に来た他国の王を捕まえるなんて地球なら国際社会からハブにされるぞ。
伯爵が続きを言う。
「第一の協力要請ですが監獄にはルルお嬢様も囚われております。救出の助力を願いたい」
「どんな面倒くせえ厄介ごとかと思えば伯爵さんあんた……」
優しい気持ちで肩をたたくと伯爵が珍しく戸惑いを見せた。
「俺が思ってたより良い人だったんですね」
「まったく、どういう反応ですか……」
「いえ、そういえば伯爵もまだ高二の少年だったんだなあって再認識しただけです」
伯爵は完璧な男だと思ってた。完璧な貴族で魔導師で冷血漢でっていう思い込みがあった。
でも、そういえば、ルルの前で見せる姿こそがこいつの本音だったのかもな。
彼は執事で彼女は主。学院を舞台に二人で馬鹿な研究ばっかりやってる時だけが、貴族家の当主なんていう重たい責務を下ろして素になれていたのかもしれない。
「……大変気に食わない想像をなされている気がするのですが?」
「でも好きだから助けに行くんでしょ?」
「責任があるのです。お嬢様が収監された理由はわたくしに対する人質、巻き込むまいと市内潜伏に連れ出さなかったわたくしの落ち度があればこそ―――」
「大切な女だから巻き込みたくなかった。ご自分だって危険な状況なのに救出に必要な俺を捜しに隠れ家を出た。ここまでしておいて素直になれないのは逆に格好わるいですよ」
「っち」
うんうん素直になれよー、って! 舌打ちぃ!?
「普段はのろ牛がごとく頭が悪いというのに嫌に鼻が利くものですね」
「大切な協力者に向かって鈍牛て」
照れ隠しだな。林檎みたいに真っ赤になってら。
「……人が普段からどれだけ押し殺して振舞っているかも知らずに無遠慮な。あなたのことは以前から嫌いだったのですよ、自由を気取り安楽に生きるをよしとする貴方が」
大切な協力者への罵詈雑言はやめろ。
「身分を捨て平民になった? 馬鹿を言ってもらっては困る。捨てられはしませんよ、そんなに簡単に捨てられるものか。連綿と連なる一族の血と伝統を個人の裁量で無に帰してしまえるものか!」
突然のぶちギレもやめろ。
「一族に仕える者達の想いを思いやった事はないだろ。だから捨てるなどと簡単に言えるのだ! 彼らは純粋なのだ。王の末裔たるアルステルムに仕えられることを喜びとし、いずくかの日に訪れる凱旋のため我らに尽くしてくれる。300年だ。積もり積もった臣下の想いを汲み取るちからがお前には無いんだ! 想像力の欠如から来る無責任! どうしてお前のような無能ばかりが良い目を見る……!」
胸ぐらを掴むな。やめろやめろ話せばわかる。一旦落ち着こう、冷静になれ、俺に透明化する隙を与えろ。
「卑怯だ、身勝手だ! お前が捨てたものを必死になって固守しなければならない者の気持ちを知らないだろ。アルステルム分王家なんてカビの生えた過去の栄光を背負わされたわたくしの気持ちなど……! ふざけるなッ、私には好いた女を選ぶ自由さえないのに!」
「熱いね」
皮肉を言ったつもりはない。でも伯爵はそう感じたようだ、冷水をぶっかけられたみたいなキョトンとした表情の後で冷静さを取り戻し、己の熱さを恥じる。
「恥じる事はないさ。俺も本音を言えばあんたのことは苦手だったぜ。いつも澄ました顔して何を考えてるのかわからないジェントル野郎ってな。だが今のはよかった」
「まさか。まさかわたくしの気持ちがわかるなどと言うつもりではないでしょうね?」
ふざけるな、お前なんぞにこの気持ちがわかるものか。そういう不満のようだ。
極上のブランデーの二杯目を手酌で傾ける俺の姿に、小馬鹿にされているとでも思ったのかねえ。
「俺に伝えてどうするよ。そいつはルルに伝えてやれ」
「……」
「あんたほどの男がルルの気持ちに気づいてねえわけじゃねえだろ。想いは伝えたいやつに伝えろ。ちからが足りねえってんならアシェル救出のついでに貸してやる。バジルだかバルジだか知らねえがたかが監獄一つチョチョイのチョイさ」
伯爵が立ち上がり背を向ける。
恥辱に震える背中と握りしめた拳。こいつにとっては自分をさらけ出すってのはそれだけ恥ずかしい行為だったんだ。
こいつは俺が思っていたより不完全な男だった。だが俺が思っていたよりもずっとマシな男で、心の奥に熱いもんを滾らせていた。
さっきの逆ギレは人によっちゃ怒り出す奴もいるかもしれねえが、俺は熱い野郎は大好きだぜ。
男に生まれたからには愛する女を求め、時に戦ってでも掻っ攫うもんだ。
「……貴方のことは嫌いだ。ですが能力だけは認めているつもりです」
「俺もあんたのことは嫌いだったよ。だがあんたほどの男から見込まれる栄誉の価値だけは知っているつもりだ。ルルとアシェルを取り戻すぞ」
男二人の魂のぶつかり合いを見つめるベティが、ぼそっと言う。
「ハゲなんか悪いもんでも食ったんか?」
黙れベティ。何も食ってないわい。
救出作戦の前にメシが必要だわ。
◇◇◇◇◇◇
バルジ監獄はローゼンパーム西の端に存在する湖上の監獄だ。帰らずの橋と呼ばれる大きな石橋はレインボーブリッジ級の大型建築で、監獄の出入口はこれ一つきり。
潜入も脱獄もこの橋さえ厳重に封鎖すれば防げるという極めて機能的な作りだ。
夕方を迎えた時刻。大橋の両脇に聳える壁がごとき大きな欄干に立つ俺ら三人組は、新たに収監される可哀想な連中を乗せた荷車を見下ろしている。
「仕事が増えてしまいましたね」
「だな」
騎士二個小隊によって移送されているのはバトラ兄貴とラトファとトキムネ君だ。
こんな時に仕事を増やしやがってと思わなくもないような、俺のとばっちりを受けた形のような……
「ま…まぁ仕方ないよ。こんな状況だし、伯爵の横やりのせいで間に合わなかっただけだしハゲのせいだけじゃないし!」
ベティがフォローしてくれてるけどすまんな、完全に忘れてたわ。
認識も甘かった。バトラ兄貴なら騎士団に囲まれても打ち破ってギルドに避難してくるなり何なり可能なはずだって思い込んでいた。……トキムネ君と書いて足手まといもいるし仕方ないか。
バルジ監獄の巨大正門が重々しい音を立てて開いていく。透明化した俺らも収監されるバトラたちと一緒に監獄内に入る。
救出作戦スタートってやつだ。