悪夢
昨年、死竜の迷宮―――
何もかもが溶解する灼熱のフィールドで死竜が天へと雄たけびを放つ。その姿は天を憎み天に焼かれる罪人の様。
何者も太陽には抗えない。焼かれて消し炭になるだけだ。
光輪をまとう太陽竜の御腕が拳の形に丸まる時、死竜は存在力の一切を失って消失した。
「死者の複製品…悪趣味な趣向だがそれだけだね」
「さすがはストラ様」
「この程度の輩では戦いにもなりませんね」
「当たり前だ。僕を誰だと思っている」
口々に褒めそやす侍女どもを率いて太陽竜が死竜の迷宮を突き進む。立ち塞がる者はすべて焼き滅ぼす。熱量への耐性などストラの前では無意味だ。太陽竜の権能は焼却、燃えぬ物でも燃やし尽くす耐性無視のちからを持つ。
燃やしてはまた扉を潜って次を燃やし……
やがて最奥の部屋にたどり着く。
御子を抱く聖母の壁画が四方に描かれた大伽藍。祈りの座と呼ぶに相応しい異教の祭壇の御許に、暗黒の乙女が膝を着いている。
自らの薄い胸に刃を突き立てる乙女の姿は……
記憶に残るありのままの姿をしていて……
「ひぃぃいいいあああああ!」
太陽竜は逃げ出した。この場に留まることさえできずに逃げ出してしまった。
あれから一年の月日が流れた。
あの日の悪夢から跳ね起きたストラは傍らで寝入る少女を抱きしめる。逆からもしれない。暗黒竜ニーヴァにすがりつくストラの身は恐怖に震えている。
「どうしたの?」
「いやな夢を見たんだ」
「どんな?」
「夢は夢さ、意味なんてないまぼろしだよ……」
(ならどうして怯えるの? 本当にまぼろしなら怯える必要なんてないのに……)
偽りの王母ニーヴァは己の想いをけっして口に出さない。
王には現実は辛すぎる。だから心を幼き日に戻して、こうして母の似姿をして人形にすがりついている。
ふと目をやるとストラがうつろな目で見つめていた。
「なあに?」
「ママは本当にママなんだよね? ママは本物の……いや、悪夢だ、あんな光景は夢幻だ……」
ストラに変化が起きつつある。
あの謎の穴に潜った日からノイズのように小さな変化が起きている。
(この変化は歓迎していい変化? それとも悪しき前兆? ストラ、あなたがすべてを思い出した時わたくしをなんて呼ぶの?)
真に恐るべきは変化か停滞か。ぬるま湯のような長い時を過ごした古代の町で、偽りの王母は答えを求めている。
答えを求めようとする情動こそが、勘違いしようもないほど明確な答えであるにも関わらず……
◇◇◇◇◇◇
泥の死竜に完勝したものの次の死竜にボロクソにやられた俺らは迷宮の外に座り込んでいる。空気がずどーんって感じだ。絶望感が半端ない。
レジェンダリードラゴン倒した後にレジェンダリードラゴン出てくるとかクソ展開すぎる。脚本家でてこい。
一戦目も二戦目も、てゆーかこれまで無傷を通している桁違いな怪物感を醸し出しているアルルカンが肩をすくめる。
「対策を講じて打ち破るという方法は賢明ではある。だがこの迷宮がどれほどの深さなのか見えぬ現状、この方法では時間がかかりすぎるのではないか?」
「言いたいことはわかるぜ。つまり地力が足りないって話だろ」
「そうだ。事前情報抜きでどんな竜が出てこようが粉砕できる実力が必要だ。短期間でそれだけの実力を手に入れる方法は少ないが、ちょうどいい物があるのもたしか」
おそらくこの瞬間俺らの思考はつながっている。
誰の脳内にも光り輝く金看板がどでーんとでっかく出てきたにちがいない。
「スキル・エクリプス」
「うむ。コッパゲ、貴様はこいつらに権能獲得法を仕込んでやれ。こいつは俺が鍛える」
アルルカンがクロノスをひょいと持ち上げる。
疲れてぐっすり寝ているクロノスは無抵抗である。
「アルルカンも薄々察してるかもしれないけどうちの息子は見た目どおりの子供じゃねえぞ。扱いきれるか?」
「むしろ私以外には無理だろうさ。同じ神聖存在である私以外にはな」
「お前ヴァンパイアロードじゃ……」
「そいつはおとぎ話が語るデタラメだ。魔導協会ふうに定義すれば冥府の王デスに従属する亜神となるのだろうな」
アルルカンがクロノスを連れて飛び去っていった。
息子よ強く生きてくれ。俺は青空に描いた息子の笑顔に敬礼する。……今まで疑問視しなかったけど地下都市のくせに青空の存在が謎すぎるぜ。
残された俺らの視線はハゲに向かう。いつも生真面目なコッパゲ先生だ。普段は老教師として俺らから一歩退いてる先生だが、改変眼の時に見せてくれた男気のおかげで俺らの中に信頼が芽生えている。
俺もフェイもユイも大人に虐げられ、大人と戦ってきた子供だ。だから大人には自然と警戒しちまうんだが、先生は信じてもいい。そう思えている。
「ではスキル・エクリプスの講義を始まる前にだ」
「「?」」
教材が必要なのかな?
「まずはアルテナ神にお願いして加護を頂戴しよう。……私も迷宮騒ぎですっかり忘れてたよ」
というわけで早速突撃アルテナ晩御飯だ。ちなみにまだ午前の……いやちょうど昼頃か。
お昼ご飯のご一緒ついでに加護を貰おう。
◇◇◇◇◇◇
クロノスの目覚めは放り投げられた衝撃によるものだ。
ここは聖地リーンスタップの上層区画、いわゆる竜の谷と呼ばれる、エルダードラゴンの巣窟となっている場所だ。
ゴツゴツした岩場をボールみたいに転がっていったクロノスが手を着いて立ち上がる。
問いかけるべきは眼前の魔性…亜神と呼ぶべきか。冥府のアルルカンは光輪をまとう光の形態となり、冷たい目でクロノスを見下ろしている。
「手荒いまねをするものだ。不浄の者がこの所業、高くつくぞ?」
「大口をたたくのは構わんが相手は弁えるのだな。私はリリウスほど優しくはない」
太陽神のちからを引き出したアルルカンは明らかに格上の存在。魔導士としても神としても、一人の生物として明らかにクロノスの上をいく。
彼の冷たい目をにらみ返すクロノスは初めての恐怖を知る。いつも背にいてくれた父の存在がいないことを、寂しいと思った。
「時の権能を持つ幼神だと? ぶくぶくと肥えた醜いお前にそんな大層な権能があるのか?」
「知らぬ。愚物が勝手に言うておるだけだ」
「ふん、では私の仕事は権能の覚醒からか」
アルルカンの深い血色の眼から魔の挑発が放たれる。この強烈な殺気を浴びた若い竜がタッタッと軽い足取りで近寄ってくる。
「ぬるま湯に浸りきったお前には荒療治が必要だ! 真のちからは戦いの中で覚醒する。まずはあれを倒してみせろ! 苦戦など許さん、弱音を吐こうものなら即時くびり殺してやる、殺せ! 千も万もの死骸を積み上げ、大量の死の上に立つ者をこそ神と呼ぶのだ!」
クロノスの特訓が始まる。