追放者たちの凱歌27
太陽の祭壇から発した戦いは瞬く間に市内へと広がる。
ミスリルの硬度と無間の再生能力を持つ聖銀竜の戦闘力は英雄の兵団の対応能力を上回り、戦線を維持するどころか一時撤退をよぎなくされた。
祭壇上の聖銀竜シェーファがブレスを吹き散らかす。冷気に混じったミスリルの大針があらゆるものを破壊する凶悪なブレスだ。
ブレスの進行方向にある都市部が消し飛んでいく。大針が一つ掠めただけで巨大な高層ビルディングが倒壊していくのを見れば、誰だとてあれを食らいたいとは思えない。即死は確実だ。
英雄の兵団が必死こいて市内に逃げ込む。その中にはダーパやエレノアの姿もある。闘技場チャンプとデスの大司祭であってもあのブレスから生き延びる自信はない。
「何だアレ何だアレ何だアレ!? 威力が高いってレベルじゃねえぞ!」
「高効率で殺しにきてるね。銀の坊やの戦闘経験が判断した最強のブレスってとこだ」
「ババア冷静だな! どうすりゃいい!?」
「……」
エレノア・アスコットが黙り込む。このタイミングでどうした? 不安になるだけだぞ?
「どうすりゃいいんだろうねえ……」
「ババアまじで役立たずだな」
「うっさいね。ババアに期待すんじゃないよ、あたしゃもう後進の育成が仕事なんだよ……」
一緒に逃げてるイルドシャーンが、腕に抱えている鑑定師アシェルに助言を請う。
「基本属性は冷気と見た。焦熱で攻めればよいだろうか?」
「あれは太陽神ストラの本物の末裔さ。熱属性は無効化されると考えな」
「ふむ、本物ときたか……」
であれば太陽の王家とは何だ。そう言いたげな眼差しを浴びるアシェルは口が滑ったと下唇を噛む。
彼女のその仕草でおおよそにも察するものがある。神殿の秘密に関わるものだ。
「いまさら出し惜しみをしてくれるな、と文句をつけたいが聞き方を間違えたな」
「知りたいのは弱点だろ。アルトドラゴンは古代文明の生み出した兵器さ。兵器にわざわざ弱点を付けてくれるほど生易しい文明じゃなくてねえ」
「弱点はない?」
「というほどの物は存在しないってだけさ。攻めるべきポイントは肉体じゃない、アトラクタエレメントと同じでアストラルボディを攻めるしかない」
「となるとアストラルバスターの系統か。エレノア」
「はいよ、詠唱にお時間をいただければ」
「アシェル、君はどうだ?」
「あたしもまだ死にたかないんでね、協力する」
イルドシャーンが思念を飛ばすと棘の賢者アンセムと四人の英雄が急行してきた。いずれも魔法能力に長じる賢者級魔導師だ。
「エレノアを根幹術者としてアストラルバスター用意。一撃で決める気で詠唱せよ。ダーパは俺と来い、陽動をやるぞ」
この命令にエレノアが軽度の反発をする。
「殿下の側が手薄すぎやしないかねぇ」
「俺の計算では問題ない。何よりあの程度の竜を相手にお前達を使い潰す気はない」
撤退から一転イルドシャーンが反撃に出る。
呪鋼の長剣を手に聖銀竜へと踊りかかるイルドシャーンとダーパは冷針のブレスを掻い潜り、聖銀竜の装甲へと武器を叩きつける!
攻撃の手応えは軟質で硬い。聖銀の装甲を覆う氷が、積層装甲の役割となり剣戟を防ぐのだ。
「高効率、なるほど戦闘に最適化した竜というわけか。……欲しいな」
「王子の悪い癖だ」
スカウト癖の自重しない上司に呆れる闘技場チャンプが崩技を放つ。三式竜王流が妙技『超重弾』である。オリハルコンの礫弾に八倍の加重を加え、チャンプの剛力でぶん投げる荒業だ。
これも聖銀竜の積層装甲を貫くには至らなかったが陽動は陽動だ。注目さえ惹ければいい。
イルドシャーンとダーパが前後に分かれて挟撃する。聖銀竜シェーファは小蠅を追い払うかのように剣爪をぶんぶんするが近接技量は砂の軍勢が遥かに勝る。AGL9800の敏捷性をもってしても当てられない。
身体強化術式を行使した両名の敏捷性でも、聖銀竜の速度を大きく下回る。しかし練達の武術はスピードとパワーの暴威だけでは崩せない。両者の回避感覚はそれほどに優れている。
「王子よ、殺すつもりでいかねば不覚をとりかねんぞ」
「さすがの俺も意識のない相手に語り掛ける言葉は持たぬよ。本能だけで戦っている状態だ、むしろ積極的な攻撃は控えて陽動に努めるぞ!」
イルドシャーンは判断を誤った。正気ではないながらに今の会話を聞いていた聖銀竜が後方で魔法詠唱している本隊に向けてブレスを放つ。砂の王子の口からしまったの『しま』まで出てきた。
氷針のブレスが町を一直線に破壊しながら本隊へと迫る。
このブレスにアシェルが立ち向かう―――
「≪森羅を包む静寂は夜 万象を写し取る鏡は夜 何者もこのおびただしい夜から逃れ得ない! 反転せよ 夜の鏡≫」
ブレスはアシェルを真正面から守る夜の鏡に吸い込まれ、聖銀竜の頭上に現れた別の鏡から氷針のブレスをそのまま吐き出す。……これが聖銀竜と砂の王子達を襲う。
「「うわああああああああ!」」
味方のほうがひどいダメージを受けている。総崩れだ。
イルドシャーンの優美なマントなんて穴だらけになってる。
「なんて女だ、ちくしょう、やるなら先に言えってんだ」
「い…いや、彼女の判断はけして悪くはなかった」
「王子よ、そこは素直になるといいぞ」
「……余裕があるではないか」
ダーパが鼻を鳴らせる。余裕のある顔つきではない。だが血沸き肉躍る闘争者の顔つきだ。
「あれは確かに強い。だが我はあれ以上の竜を知っている。背には頼もしい同僚もいる。何より王子と共に立つ戦場で負ける気はせんよ」
「当たり前だ」
穴だらけのマントをひるがえし、砂の王子が聖銀竜へと進み出る。その隣、その遥か後方には頼りがいのある部下どもがいる。
「元より必勝のつもりだ。問題はどう勝つかという段階にすぎない」
聖銀竜との戦いが続く。
明けない夜のように長い戦いの趨勢は、未だ詠唱中の大魔法が握っている。
◇◇◇◇◇◇
太陽の祭壇その直下で行われる死闘に終わりは見えない。
怪物になった少年を心配する者たちが、手出しのできぬ障壁の中に閉じ込められ、叫んでいる。
「ストラッ、ストラ! これはどういう仕儀だ、お前はあの子を殺したいのか!?」
「出せ、出しなよ! お願いだからこいつを解除しなってば!」
この大騒ぎの中で死闘を見下ろすクラリス様はちょこっと思った。聖銀竜はたしかに強い。でも想定ほど強くない。
この想定とは個人で一国の軍隊を壊滅できるという、夢見がちな想定だ。
足りない。このちからでは足りない。そう思えばこそ切なさが溢れ出す。
「ラ・チェンダ……あなたの怒りはこの程度だったの? それとも本当は復讐なんてしたくなかった? 憎いのはわたくし? あなたの怒りにつけこんだ悪い姉様じゃないとちからが出ない?」
返答はない。
言葉を重ねても意味はないのに止まらない。届かないと知りながら告白する卑怯な懺悔だ。
「わたくし達はあなたの才能に夢を見たわ。無限の可能性を持つ才気溢れる子に、自分には足りない物を求めてきた。……あなたの優しさを無視して。ひどい姉様よね、嫌われるのも当然だわ」
後悔は尽きない。他人なんて幾ら利用したって心は痛まないのに、愛した弟に嫌われるのは何よりも辛かった。でも学んだから許してなんて言えるわけがない。
街中から光の矢が飛来する。大仰な光を振り撒いて飛んできたアストラルバスターが聖銀竜を串刺しにしたが、聖銀竜は止まらない。
尽きえぬ戦意を雄たけびに込めて叫んでいる。
近接戦闘で陽動をかけているイルドシャーンも驚愕している。
「あれを耐え抜くか! 次の詠唱を始めろ、術選択はアシェル殿の判断に従え!」
眼下の戦闘は増々激しくなっていく。
狂ったように咆哮する竜が本当は誰も傷つけたくない優しい子供だったと言って誰が信じる?
誰も信じられはしない。彼から優しさを奪ったのはクラリスだ。
たくさんの不幸と悲しみが彼を捻じ曲げていった。この場の誰も彼の真実の姿など知るはずがない。
「すごいや、想像以上だ。この頑健さを破れるはずがない。これを七度倒し切れる奴なんているわけがない。無敵だよ無敵!」
太陽竜ストラはチンパンジーのオモチャみたいに手を叩いて大喜びだ。クラリス様もこのくらい不愉快な気持ちになったのは生まれて初めてだ。
だからこの想いを正確に伝えるために、先送りにしていたあの回答から入る。
「ストラ様、先ほどのご依頼ですがおことわりしようと思います」
「どうしてだい、君の弟はあんなにも頑張っているじゃないか。その頑張りを面倒や嫌だからと言っても無為にするのはよくないと―――」
「あなたが不愉快で嫌だからおことわりするのです」
ストラの上機嫌ぶりにヒビが入る。
クラリス様が優美にスカートの端を摘まんで微笑みかけながら、死ねと言わんばかりに中指を立てている。
「わたくしの大切な弟を手駒扱いする方に協力など、誰がするものか。それではご機嫌よう、さようなら」
「まさか本当に帰れると思っているのかい? 君に拒否権はない。それくらいわかっていると思ったけどね」
「……(無視)」
クラリス様が不可視の障壁の前に立ち、カーテンを引き裂くように破ってしまう。
これには障壁をこじ開けようと叩いていたバルバネスもサリフもポカーンとしている。もちろん破られたストラもだ。
「僕から土地の霊脈の支配権を強奪した? 嘘だ、ありえない、そんなのできるわけがない……」
「規格外な娘だ。ストラの権能を出し抜くなど真竜にもできる者はいないというのに」
「貴方は話の通じる方と見ました。あの子の鎮め方について何か知らない?」
「簡単に言うな。ストラが無茶を仕掛けたからな、医療ポッド内で除染処置をせねば治らん」
「そのイリョウポッドを使えばいいの? どこにあるの?」
「都市内の病院を当たれば幾らでもある。だが188×98シュタックのポッドにどうやってあれをぶちこむつもりだ? 大人しくさせるにしても致命傷を負わせては意味がない。名案があるなら俺とて足踏みはしていない」
「あの子を大人しくさせて自分から竜化を解除させればどうにかなる?」
「……理想的だ。できるのか?」
「さあ」
クラリス様が杞憂を笑い飛ばす。とびきり可憐で性悪な魔女の微笑みだ。
「でもわたくし困った事に一度もないの」
「何がだ?」
「不可能だと言われて本当にできなかったことなんて一度も」
可憐なウインクを一つ置き、クラリス様が祭壇から降りていく。
その頼もしい姿は救世の女神のようで、バルバネスもサリフも感心してい見ていた。だが……
「ラ・チェンダ、姉様よ、一緒に故郷に帰りましょう!」
「ゴアアアアアッッ!」
聖銀竜シェーファが砂の兵団を無視してクラリス様を強襲する。剣爪をがむしゃらに振るっての猛攻撃だ。完全に殺す気だ。
この光景を見下ろすサリフはあ然。
「なんか余計にひどく興奮してやしないかい?」
「そう見えるな。どういう事だ、まさかあの娘っこは嫌われているのか?」
「あわわわ! ちょっとラ・チェンダ!? わたくしよ、貴方の愛しいクラリス姉様よ、わからないの!?」
「コロ…ス!」
聖銀竜がしゃべった。
正気はなさそうなのに殺害宣告した。どれだけ憎んでいるのか。
「イツモ―――イツモだ。オ前達はイツモ私カラ奪ッテイク……」
「あれは相当憎まれているぞ。あの娘っこは何をしたのだ?」
「知らないけど相当やらかしてるね」
「人聞きの悪い! わたくしそこまではやらかしてないわよ! ……あの子の好きな子食べちゃっただけで」
「充分すぎるな……」
イルドシャーンまで呆れ返っている。
聖銀竜の狙いは完全にクラリス様だ。絶対にここで殺す気だ。
「私ガ孤児ダカラ奪ッテイク。私ガ弱イカラ奪ッテイク。ドウシテ イツモ 私カラ……」
「モウ何モ奪ワセナイ為ニ強さガ欲シカッタ! ……デモ守リタイ人ハモウイナイ」
「コノ強さニ何ノ意味ガアル。モウ帰ル所モ 待ッテイテクレル人モイナイノニ……」
「ラ・チェンダ……わたくしではダメ?」
慟哭する聖銀竜に竜王女が寄り添う。
聖銀竜の鼻先にふわりと降り立ち、竜の顔を抱くクラリス様も泣いている。
「貴方の辛さも、悲しみも知っている。ずっと傍で見てきたもの。いたらない姉様だけど貴方のことを大切に想う気持ちだけは誰にも負けないわ。ねえラ・チェンダお願いだから元の可愛い貴方に戻ってよ……」
この感動的な光景にみなさん困惑。
「おい、そもそもあいつが原因じゃないのか?」
「だと思うんだけどねえ……」
聖銀竜が鼻先をしゃくり上げる。
「え?」
ぽーんと宙に舞い上がったクラリス様が……
ぱくり! 空中で食われちゃった。聖銀竜がこれでもかと憎しみを込めて粉々にかみ砕いている。
「「あぁやっぱり……」」
みなさんの想像通りの結末になった。恋人を殺した憎い仇が鼻先にいる。これで竜がどう行動するか考えたらこうなるのは当たり前だ。
聖銀竜の頭上がピカリと発光する。クラリス様がまた出てきた。そしてぷんすか怒鳴り始める。
「いきなり食べるなんてどういうつもり!? 姉様は貴方を想って! 怖かったじゃない!」
ギャーギャー怒鳴るクラリス様をブレスが襲う。しかし飛翔魔法の達人クラリス様がひょいひょい避けていく。
この光景を見ていれば外野も納得。英明なイルドシャーンなどは考察までしている。
「……肉体の完全復元能力か。殺しても殺しても湧いて出てくる仇とは悪夢だな。あの調子で付きまとってきたのなら、あの殺意にも頷ける」
怒り狂った聖銀竜が大暴れだ。
仕方ないのでサリフが立ち上がる。
「シェーファ、あんたは一人じゃない。あんたの帰りはあたしが待ってる!」
って叫んだ瞬間にブレスが飛んできた。バルバネスが首根っこ掴んで引き倒さなかったら直撃していた。……バルバネスが本気で頭痛に苦しんでいる。
「お前は何をした?」
「……あたしは別に…その、シェーファの仲間を殺したことがある…けどさ」
「あいつの周りにはロクな女がいないな! なんでどいつもこいつも恨みを買っているんだ。それでよく説得できる自信があったな!?」
苛立ちのあまり突き飛ばされたサリフの懐から革袋を落下していく。
空中で中身を撒いて落ちていった小銭袋の中身が……
ちゃりんちゃりんちゃりーん!
聖銀竜の動きが止まる。
あれほどに暴れていた聖銀竜が動きを止め、六つの眼で、ピカピカ光る銅貨や銀貨を見つめている。
「小銭……私ノ小銭……」
イルドシャーンがハッとする。
「皆コインをばら撒け!」
「は? 王子よ、いったい何に気づいたのだ?」
「事は急を要する。総員ただちに硬貨を投げろ、聖銀竜に向けてだ! 早く!」
小銭の雨が降り注ぐ。
様々な国家の様々なコインがちゃりんちゃりんと降り注ぐ。その光景のあまりの美しさに聖銀竜は動きを止め、幸せの雨を見上げ続ける。
「小銭…小銭ガ一杯……」
聖銀竜がこんもり積もった小銭の山に剣爪を差し出す。しかし鋭い爪では小銭を拾うことは適わず、小銭の山を崩すだけだった。
聖銀竜がしょんぼりしてる。
誰も状況を理解しないまま時が流れ、やがて……
「私の小銭、こんなにたくさん……」
聖銀竜が竜化を解き、元の少年の姿に戻って小銭を抱いて眠り始めた。
すぅすぅと寝息を立てるあどけない少年の寝顔をおそるおそる覗き込んでいる時に、頭上から聴こえてきた……
「え、わたくし小銭に負けたの?」
という呟きはこの場の全員を失笑させ、その微かな笑い声はいつまでも止む事がなかった。