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番外編 追放者たちの凱歌22

 シェーファに敗れた真竜バルバネスは海中を沈み往く。

 目蓋に焼き付いた在りし日の幻影の鮮明さが彼を蝕んでいた。

『ねえバルバネス……』

『聞いてる? どうせ聞いてなかったよね。あなたってそういう人、いつも自分の思索ばっかりが大事なの』

『もういい! どうせ聞かないくせに気遣ったふりしちゃってさ!』


 儚いまぼろしが水面に揺れる。海中に沈みゆく氷竜の王がまぼろしの少女に手を伸ばしても届かない。

 まぼろしは所詮まぼろしで、彼の爪も牙も思い出の中までは届かない。


 鮮やかな思い出の少女を想って海中を沈みゆく……


(レスカ……俺の半身よ、あの時お前は何を言ったんだ? どうして俺を置いて出ていったんだ……?)


 思い出の少女は答えない。あの日と同じ微笑みを浮かべ続けるだけだ。

 恨んだこともあった。憎みもした。でもいつかは帰ってきてくれるものだと信じていた。……クリストファーという小僧と戦いわかった。レスカはもういない。


(……外の世界などどうでもいい、俺にはお前だけが在ればよかった。お前も同じ気持ちでいてくれるのだと思っていた)


 後悔に意味はなかった。幸せだった時を夢見てまどろむ日々の空虚さも何百年もかけて思い知ってきた。

 竜の生は長けれど多くは眠りの時だ。竜を最も苦しめるのは夢で突きつけられる過去の過ち。


 薄らぼんやりと悔恨に浸っていたが……


(トドメを刺しに来ないな……)


 シェーファが全然来ない。魔力反応はむしろ遠ざかっていく。まさか?


(あの粗忽者め、まさか己にできることが俺にできんと思い込んでいるのか? 真竜が頭蓋割られた程度で死ぬものか!)


 人化肉体を再構築して海面に浮上する。シェーファは陸地のほうへと向かっている。……あの馬鹿者めという激情が湧いてくる。


 お前ごとき半端者に俺が殺れるか。遊んでやってたら調子こいて本気出しやがって。お前ごとき俺が本気を出せば秒で仕留めていたわ。……苦虫を嚙み潰した表情で激情を抑えつける。


 バルバネスの超常の視力が捉える遠い陸地では交戦が行われている。楽園を守護する生体ドローンどもが楽園に近づいた者どもの迎撃に出ているのだ。


 バルバネスのような真竜こそいないものの戦術竜三体が動員されている。あれらは真竜と比べれば魔法能力こそ劣るが、物理性能においては精強無比。三体もいれば万全といえる。


 竜の背翼で飛翔するシェーファが戦術竜へと向かっている。その姿はよくいえば若々しく。悪くいえば血気盛ん。バルバネス戦のあとに戦術竜三体に喧嘩を売るなど自殺行為としか思えない。

 それが勝利しか見えていないのなら狂気の沙汰だ。 


「忙しいやつだ。若いにも程があるだろうに……」


 一時は怒りのあまり振り上げていた、シェーファの置いていったオリハルコンの長剣をおろしたバルバネスが呆れたふうに鼻を鳴らす。


 勇猛な真竜の戦士からしても彼の行動は無謀に映る。無茶だと制止する言葉はあれど、死地から死地へと飛び回る苛烈な姿が、在りし日の自分たちの姿に見えて眩しかった。


 

◆◆◆◆◆◆ 



 軍律の崩壊した軍隊は羊の群れに等しい。

 竜の谷の入り口からだいぶ北に逃れた山林を大勢の兵隊が逃げ惑っている。巨大なエルダードラゴンの大顎から放たれたファイヤーブレスが地形ごと百人の兵を吹き飛ばし、臆病者どもが焼死体を踏み越えて逃げていく。


 峻厳なヌーレリック連山の山道を北へ北へと逃げていく攻略軍の残党はすでに半数もいない。


 バラバラに逃げ惑う残党だが、上空から見ればまだ指揮系統の生きている軍もある。特に目立つのは狭い山道でエルダー級を食い止めている連中だ。青の賢者サルマンと砂の王子ムハンマドが根幹術者となり行使する魔光呪符でエルダードラゴンの肉体を縛り上げ、頭部にしがみつく豊国のラスト王女が素手で頭蓋を殴りつけている。……一見神化しているふうには見えないな。まさか素でドラゴン相手に肉弾戦やってるのか?

 彼女との殴り合いは絶対によそう。あれはもう人間ではないぞ……


 竜の背翼で山岳地帯を飛んでいると知人を見つけた。白狼団だ。顔なじみのライカンスロープどもは族長ナバールと共に若い竜数体と対峙している。逃げ損ねたというふうだ。見捨てるのもな。ドルガンには以前酒をおごってもらったしな。


 チャージストックを終えていた三つの神話級魔法を一斉に放って四体の竜を氷漬けにする。突然空から神蛇リューエルが降ってきたのでライカンどもが慌てている。


「なんだぁ!? ってシェーファてめえか!」

「ドルガン、助けられておいてその言い種か」


 苦笑が込み上げてくる。傷つき疲れ果てていてもドルガンはいつでもドルガンだ。荒々しくも太々しい一流の戦士のままだ。私も戦士だ。強者には敬意を払う。ドルガンは敬意を払うに相応しい男だ。酒をおごってくれるしな。


 白狼団は総勢87名が健在。谷に来た時とほぼ変わらない。相変わらずしぶとい連中だ。


「すげえ威力だな、竜どもが一発とはさすがシェーファだ!」

「いつもこんなもん俺らに向けてぶっぱなしてたのか……」

「えげつねえ事実だな……」

「その事実は置いて今は素直に喜ぼうぜ」

「だな!」


 口々に喜んでいるライカンどもへと水を差しておく。


「喜んでいるところ悪いが竜は倒せていないぞ」

「「え!?」」


 氷漬けにした四体のドラゴンは永続凍結に抵抗して事象干渉力を高めている最中だ。あと数分で破られる。

 そういう説明をするとライカンどもが蔑んだ目つきになった。助けて損したな。


「仕方ないだろ、凍結系の魔法は竜種との相性が悪いんだ」

「他の使え馬鹿」

「他のは使えないんだ」


 ゴミ魔導師を見る目はやめろ。無理をすれば使えないこともないが魔力消費と魔法領域のコスパが悪すぎて余力がないと使い物にならないのだ。


 状況を理解したナバール族長が命じる。


「呑気に話し込んでる場合じゃねえな。後退すんぞ」


 ヌーレリックの尾根歩きをする。ナバールが潜伏魔法を張ったが気休め程度の意味しかない。本当にただの気休めだ。興奮した竜に潜伏魔法は意味がない。だが張らずにいれられるほど人の心は強くない。


 道中の会話で嫌な事実が発覚した。サリフが私を探して竜の谷へと潜ったらしい。戸惑いが強い。あいつとは敵対ばかりしてきたのにどうして……?


「入れ違いか……報われない子だな」

「それだけか? お前の娘だろうが」


「俺がただの男親なら死んでも助け出すがな。族長の身でそいつはできねえ。族長ってのは群れのもん全員の親だろうが」

「それでもお前はサリフの親父だろ……」


 割り切ろうと思ったつもりでも呑み込めないものがある。親を知らぬ私だから親に対して理想を抱いてしまうのかもしれない。貧民窟に捨てられた子供を見てきたはずなのに、無償の愛を信じたくなる。

 実際は母に拒絶され、父には疑いの目を向けられた事しかないのにな。


「俺だって助けに行けるもんなら行きてえよ」

「行けばいいだろ」


 私は足を止める。ナバールが振り返る。白狼団の連中が私を見ている。……敗残兵のようにショボ暮れた顔ばかりだ。


 ライカンどもの住処は遥か南のダージェイル大陸中部のケラウノスウッドの森だ。こいつらは住処を追われて流浪の民族に成り下がった。サリフは仲間を失うことを折り合いをつけると表現したが私に言わせれば負けグセが付いただけだ。


 大人らしく諦めようなんて覇気を失くしただけだ。牙を剝き吠え立てねば何も守れはしない。人の歴史は戦いと共にあった。戦わねば生きていけないからだろうが!


「ナバール、お前はライカンの偉大な族長で最高の戦士だ。そんなお前にも一つだけ欠点がある。父親としてはクソだ」


 ライカンどもが戸惑っている。だが戸惑い方がおかしい。


「……あいつ何か言い出したぞ」

「下げて上げるつもりでは?」

「この流れ……サリフを助けに行こうってやつか! あの冷血小僧にも人の心があったんだな!」

「愛のちからってやつさ」


 ドルガンが愛とか言い出した。みんなシーンとなる。


 …………

 ……

 木枯らしの吹く五秒後、ライカンどもが沸騰する。


「愛だ!」

「我らは愛のために戦う!」

「愛の戦士シェーファが邪悪の竜を打ち倒し、囚われのサリフ姫を助けにいくぞ!」

「二人の愛のために! 真実の愛のため!」

「竜の谷へ!」


 なんだこの流れ? たしかに挑発してサリフ救出を手伝わせようとしたが……

 なんだこの流れ?


 ドルガンとナバールが背中を叩いたり肩を組んだりとうざい。


「ガハハ! サリフにいい婿が見つかったな!」

「今日から義兄弟だな。よろしく頼むぜ!」


「……お前らとはこの後じっくり語り合う必要がありそうだ」

「おう、結納金の話だな」


 ちがう。

 だが流れは間違っちゃいない。サリフは嫌な女だ。あんな奴のために命を張るのはごめんだ。だが貸しを作ったまま逝かれては溜まらない。


「竜の谷へ! ざいほっ―――サリフのために!」


 ナバールから借りた聖銀の剣を掲げて宣言する。

 正直な話をするとだ。谷に置いてきたバルバネスの財宝が気になる。再び谷に戻る理由ができてよかったという想いもなくはない。


 よし、サリフを助けるついでにお宝を確保しよう。

 待ってろよお宝!



◇◇◇◇◇◇



 竜の谷攻略軍はもはや逃げ惑う羊の群れでしかない。そう思われていた。

 恐ろしい竜のいななきを背に浴びながら仲間を囮に我先にと逃げるだけ。高潔な者ほど早く死んだ。庇ってくれた友が、皆を鼓舞するため立ち上がった将が、先に死んだ。


 逃げ惑う山林は穏やかだ。小動物は木の実をかじり、鳥どもは愛の歌をさえずる。

 魔境の風景はあまりにも平穏だ。なのに背後から三頭のエルダードラゴンがやってくる。


 平穏が憎かった。隠すもののない青天が憎かった。この理不尽がただただ憎くて、ちくしょうと何度も繰り返した。


 どこからか聴こえてくる悲鳴の絶えぬ逃亡中に信じられぬ光景を見た。


 精悍な戦士の一団が竜の谷へと向けて進軍する光景だ。

 精悍な銀の剣士に率いられる半獣人の隊列は、この世のものではないようにも見える。


「あれはどこの軍だ?」

「谷へ向かっているのか……」

「馬鹿な、無駄死にするだけだ」


 恐怖に支配される彼らには行軍の理由が理解できなかった。

 そりゃそうだ。


 その内こころある者が彼らに進言する。


「ホテル王さん、この先は危険です! 僕らと逃げましょう!」

「逆に……君らは手ぶらで帰るつもりか?」

「え?」

「タダ働きでいいのかと聞いている」


 銀のホテル王が何か言い出した。

 このまま国に帰れば逃げ帰った汚名を得るだけだ。騎士階級でも閑職回されるかもしれない。命を拾ったとしても過酷な日々が待っている。そういう話を切々と語り出した。


「……ですが。命あっての物種といいますし」

「そのセリフを吐く奴は大抵雲上の暮らしを知らぬ者だ。君は最上級の暮らしを知っているのか?」


 ホテル王の語る雲上の暮らしは魅力にあふれている。完璧に教育された使用人の便利さ。何一つ欠ける物のない豊かな暮らし。あくせく働かずとも良い穏やかな日々。趣味に走ることの許される時間。眠りたければ好きなだけ眠ればいい。


「雲上の暮らしを知っている者なら間違っても命さえあればいいなどと言わない。あの暮らしを維持するために全力で抗うのだ」


 すごい説得力だ。さすがホテル王だ。


「君達の故郷にはどんな暮らしが待っている? 不名誉を負う日陰者の暮らしか? それは本当に生きていると言えるのか。それは本当に君達が望んだ未来なのか?」


 兵隊が必死に首を振る。彼は英雄になるために志願したのだ。

 国家の思惑はどうあれ男児ならば竜の谷に夢を描く。竜を倒して英雄になる夢に憧れてきた。……逃げ帰るために来たのではない。

 英雄になるために来た。うしろ指をさされ臆病者と蔑まれるために来たんじゃない。


 兵隊の引き結んだ唇から悔しさを察したホテル王が彼の肩に触れる。


「竜の谷には栄光を掴みに来た。そうだろ?」

「はい……! そうです、俺はっ、俺達は雑兵になるためにここに来たんじゃない。男児一生の夢を掴み取るために来たんです!」

「ありがとう、私も同じだ、握手をしよう」


 兵隊さんとホテル王が握手。感激でむせび泣く兵隊さんの号泣が次の一言で凍りつく。


「私も妻を娶りにきた」

「は?」

「え?」

「妻を……竜の谷で捜す? え、竜を娶ろうって話ですか?」


「私の祖先は竜の谷で伴侶となる竜を娶った。私もそれに倣おうと考えている」

「冗談ですよね?」

「本気だが」


 そして兵隊さん達が円陣を組む。


「やべーよ、ホテル王さんの家相当やべーよ」

「魔導の名門はだいたいぶっ飛んだエピソードを抱えてるがあれはやべーな。竜婚譚っつーのはさすがに聞き覚えがない」

「あの若さでホテル王まで成り上がった男を排出した家だ。相当やべーのはわかりきってたろ」

「死霊術の権威が可愛く見えてきたな……」

「我が家をディスるのはやめてくれ」


 さらにホテル王が語り出す。どうやら説得が足りないと考えたらしい。


「竜の谷に眠る財宝を掴み取れば君達の望みは惜しみなく叶う。後悔を抱えて一生を生き続けるか? 財宝は掴まねばならない。そうだろう?」

「しかし竜が財宝を貯め込むというのはおとぎ話で……」


「竜の谷の奥地でうず高く積まれた財宝の山を見たぞ。王竜バルバネスと戦い敗れた過去の英雄どもの装備だ。オリハルコンやアロンダイクの山だ」

「山……失礼ですが山とはどの程度を?」

「千や万という話をしている」


 オリハルコン装備なら最低でも金貨3000枚になる。買取価格でだ。根気よく交渉すれば倍額にも届く。アロンダイクとなれば欲しい者で行列ができる。競売にかければ世界中から集まってきた大富豪が聞いたこともないような金額をつけるはずだ。それが千個万個もあるらしい。


 聞き入る人々は逃げる足も止め、ごくりとのどを鳴らしている。


「王竜バルバネスはすでに倒した。あとは無人の住処を荒らすだけだ」

「しかし竜がまだっ、三体も!」

「エルダー級がどうした。私が倒した王竜は500m超級のレジェンダリーだぞ」


 誰もが絶句した。だって彼らが逃げているのは60m級のエルダードラゴン三体なんだ。……この男がいれば勝てるかもしれない。兵隊の皆さんはそう思った。


 ホテル王が唆すふうに大声を張る。


「勝ち戦に乗らせてやる! よく働いた者には分け前をくれてやる。お前達の見たこともないような黄金を積み上げた部屋で馬車一杯の金塊をくばってやる。財宝だ、財宝を取りに行くぞ!」


「財宝の谷へ……」

 誰かがそう呟いた。


 呟きが連鎖する。恐怖に支配されていた彼らの心に勇気ぶつよくが灯る。声高に叫び始めた。もう止まらなかった。


「財宝の谷へ!」

「財宝が我らを待っている!」

「行こう! お宝を手に入れに!」


 欲望の行進が逃げ惑う者どもを吸収して竜の谷へと進軍する。


 未だしぶとく交戦する攻略軍主力も呑み込んで行進は止まらない。二頭になったエルダー級でさえも彼らの進軍を前に踏み散らかされた。


 この二時間後、お宝回収軍は再び竜の谷入り口まで戦線を押し戻した。

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