番外編 追放者たちの凱歌21
竜の谷から帰らないシェーファを想うサリフはどうにも落ち着かない様子だ。
考えることは彼のことばかり。ため息ばかりが増えていく。
―――サリフはこの想いの意味をずっと考えていた。
竜の谷への攻撃命令が出た。作戦開始は翌日の正午。起床と同時にこの命令を、シェーファの行方不明と一緒に聞かされたサリフはずっと悩んでいた。
どれだけ待ってもシェーファは戻ってこない。
彼の安否を思えば気もそぞろで、アシェルの護衛にも身が入らない。
「ちっとは落ち着いちゃあどうだい。あんたがそんな様子じゃこっちまで尻の座りが悪くなるよ」
「だって……」
「ライカンの勇猛な女戦士がだってときたもんだ。恋なんざするもんじゃないねえ」
アシェルが面白半分に茶化しにくる。嫉妬や羨望によるものだ。
心の読める鑑定師にとって恋愛は縁遠い感情だ。無邪気に人を愛することのできる者どもを蔑視しながらも、心のどこかでそういう無垢に憧れを抱いている。
ただアシェルの嫉妬まじりの一言がサリフの心を強く揺さぶっていた。
(恋? これが恋……?)
恋とは何だろうか。
獲物を獲ってくるのが得意な従兄を好きだった頃もある。暗く影のあるタイプの鬱々とした青年で、罠の仕掛け方を自慢する時だけ饒舌な男性だった。
あの頃のサリフは彼にべったり張り付いていて、森に入って罠ばかり仕掛けていた。そんな少女時代の終わりは彼の死と敵討ちであった。
好ましい。頼りがいのある。一緒に居て心が弾むのが恋なのだと思っていた。
でもシェーファに感じるのは強烈な禍々しさだ。……彼と最初に会った時の想いは今でも覚えている。
こいつはここで殺さなきゃいけない!
山間の古戦場、雨天の残党狩りで出遭ったのはおびただしい死を纏う少年傭兵だった。殺らなければ殺られると反射的に感じたサリフはシェーファへと襲い掛かった。その報復のように30人の同胞が死殺呪術で殺された。父や兄のフォローがなければ自分も殺されていた。
あれから戦場を変え、雇い主を変えても幾度かやり合ってきた。彼はいつも敵の側だった。いつだって独りだった。
時を巻き戻したいと考えたことはない。だがあの日の交戦は過ちだった。孤独に戦う彼の姿を見る度にそう思ってきた。だからハッキリと言える。これは恋ではない。
サリフはただ……
物思いに沈んでいるとアシェルが笑いながらこう言う。
「死んだ男のこたぁ早く忘れるんだね」
「不吉なことお言いでないよ!」
怒鳴り返すとアシェルがなぜか胸を押さえて苦しみ出した。謎だ。
「ピュアすぎて心が痛いねえ……」
「自爆しちゃうくらいなら言わなきゃいいのですぅ」
「お黙り」
アシェルがルーの頬をつねり出した。まったく馬鹿みたいに明るい連中なので一緒に居ると退屈しない。
でもサリフは考えた。自分がここに居る意味と、本当は何をしたいか。
それをずっと考え続けた。
深夜を迎え、こっそりと天幕を出ようとしたらアシェルから声をかけられる。
「行くのかい?」
「待ってたって帰ってきそうもないからね」
「銀の坊やはとびきりの手練れさ、あれが死ぬような場所じゃあんただって帰ってこれやしないよ。なんでそこまでするんだい?」
アシェルが理由を尋ねてきた。危険を冒す理由。シェーファの傍にいる理由。
サリフはこれをずっと考えてきた。でも頭を働かせるのは苦手だから、アシェルを納得させられるような理由は思いつかない。だから正直に言うことにした。
「あたしはさ、まだ謝ってないんだ」
彼の仲間を斬った。だから仲間を殺された。幾度もの戦いが溝を作り、普段なら言えるはずの謝罪がどうしても言えなかった。言えずにここまで来てしまった。
(あたしはまだあいつにごめんねって言えてないんだ。このままお別れなんて嫌なのさ)
「もう死んでるかもしれないよ?」
「シェーファがそう簡単にくたばるもんか。あいつのしぶとさは戦ってきたあたしが一番よく知っているんだ。……意外に寂しがり屋だってのもね」
考えても考えてもどうしても出てこなかった想いがオマケのように出てきた。
口に出して言葉にしてようやく出てきた真実の想いは一度飛び出すと止まらない。
「群れからはぐれた迷子の子狼はほっとけないよ。それだけさ!」
恋の意味さえ知らずライカンの娘が走り出す。
恋をちからに変えて、想いで足を突き動かして、竜の谷へと向かっていった。
その背を見送るアシェルは煙管を吹かすだけ。毛布をかぶってタヌキ寝入りしてたルーがおずおずと言い出す。
「止めなくていいのですぅ?」
「いいのさ」
ライカンスロープは単純な連中だけど家族想いだ。仲間を愛し、友を愛し、それらのために死ねることを最上の美徳とする。そういう在り方だけは好ましい。
好いた男のために死にに行く女戦士なんて止めたって止まるはずがない。だからアシェルはいいんだって繰り返す。
「あたしも一回くらいあのくらい情熱的に愛してみたいもんだよ」
「……アシェル様には無理だと思うのですぅ…イタ!?」
失礼なルーの頭に強烈なゲンコツが落ちた。
◆◆◆◆◆◆
攻略軍による竜の谷への総攻撃が始まる。
神輿に担ぎ上げられた術者による干渉結界の守りを置きながら、整列する軍団が粛々と行進する。
テリトリーへの侵入者を見つけたワイバーンの群れが世界樹の巣からやってきて頭上からブレスを吐くが、対竜用に構築した干渉結界を破るほどではなかった。
兵隊どもが投げ放った投槍に撃ち抜かれてワイバーンの群れが射落とされていく。
亜竜科の属するワイバーンは強力な魔物だ。魔導兵を置かぬ騎士小隊では勝敗が賭けになるほど手強い。しかし百を超える大きな群れでも攻略軍二万の足はとまらない。
完全に機能した軍隊戦術の鉄壁さはワイバーン如きに打ち破れるものではなかった。
先陣を買って出た豊国の精強さもあり攻略軍は竜の谷の入り口まで到達。備蓄のおよそ半数にもなるマジックマインを入り口に設置してデコイウェーブを放つ。
無機質な悪意の空気振動を浴びた谷の竜どもが入り口から飛び出してくる。運悪くマジックマインを踏んだ竜が周囲を巻き込みながら吹き飛んでいく。強い再生力を持つ竜だが特別に調合された竜殺しの毒液を浴びたため、再生能力を大幅に減じている。
さしもの最強種の頂点ドラゴンといえどこの状態では、魔導兵団が放つ増幅神話級魔法の連打には抗い切れずに谷底に沈んでいく。
入り口に陣取っての待ち伏せ作戦は、百歳級の若い竜12頭という大戦果となった。
攻略軍はこの戦果に大喜びだ。楽勝だ。いけるぞ。浮かれた空気の中で軍が動き始める。
初戦を苦もなく退けたフェスタ軍が一旦下がり、交代にイルスローゼ軍が前線に上がる。この移動を前にイルスローゼ兵がアシェルを呼びに来た。
「フィノン閣下率いる戦術魔導兵団が前線にあがります。巫女にも御助力をいただきたく」
「金はたっぷり貰ってるんだ。ただし撤退時期はこちらで判断させてもらうよ」
「ご心配なく、シュテル殿下からはサフィーノ殿下と巫女の両名だけは必ず連れ帰るようにと命じられております」
前線に出たアシェルはフィノン一等魔導官と共に其々300人の魔導兵を受け持ち、戦術魔法の根幹術者として谷から出てくる竜を仕留める任務に従事する。豊国の赤薔薇騎士団と円盾騎士団6000を盾とする後衛火力に徹する。
根幹術者の役割は極大魔法の制御装置だ。部下300名の魔法力を勝手に使って魔法をぶっぱなす、と言えば簡単に聴こえるが賢者級の制御力が必要となる。そして鑑定師の本領でもある。
鑑定眼を用いれば必要な事象干渉力、必要な魔法力を適切に揃えて弱点を突ける。魔導兵団の根幹術者となった鑑定師こそが最強の魔導師であるのだ。
幾度目かの襲来を撃退した頃、最前線で剣を振るっていたラスト団長がアシェルへと近寄ってきた。口調は親しげだが世間話ではなく戦術の相談だ。
「アシェル様、この戦をどう思われます?」
「順調だと思うよ」
「アシェル様がそう見られるのなら問題ないのね」
「懸念かい?」
「何だかうまくいきすぎている気がするの。竜側の動きに知性が感じられないというか、本能のままに襲ってきているような……」
ラストはいやな予感に過敏になっているふうだ。
だからこういう答えになる。
「あんたが物心ついたのはいつ頃だい?」
「四つか五つくらいじゃないかしら」
「まぁそのくらいだろうねえ。知恵がついてきて好奇心を満たす方法を理解し、あちこち走り回る時期だ。竜にとって百歳前後ってのはちょうどそういう時期だよ」
「乳母が見張りについていそうなものだけど?」
「連中は放任主義でねぇ。産んだらそのままらしいんさ」
会話の最中にもアシェルの鑑定眼は谷の奥から動かない。その仕草は谷の奥に住む何者かを警戒しているふうにも見える。
いや、うまく事の運ばない世の中ってやつに嫌気が差しているのかもしれない。
疲労を理由に戦術魔導兵団から下がる。人目を避けて森の奥へ。
切り立った崖の下に怪しげな小男がいる。卑しい小悪党といった風体の男だが鑑定を使えばわかる。一流の暗殺者だ。毒物に精通し、超級の潜伏魔法を操る凄腕の暗殺者。コードネームをヴェノムという。
一緒についてきたルーが怯えている。暗殺者の纏う濃密な死臭に気づいたようだ。
「いひひひ、高名なアシェル・アル・シェラドを運ぶ機会があるとは……。そちらのお嬢さんも?」
「あ…アシェル様?」
「あんたは残ったっていいんだよ」
ルーが根性を出していきますと言った。根性の使いどころを間違えているだろと思ったが口には出さない。……おそらくはこちらの方が生存率が高いのも理由だ。
ヴェノムの地隠形で地面に潜る。流れるように過ぎ去っていく地中の光景は海中を経由し、海中の隠し通路から竜の谷へと入る。
ここは遥かな昔は潜水艇の桟橋だったようだ。金属でできた無駄のない軍港には先客がいる。イルドシャーン率いる英雄の兵団とサフィーノ王女付きの魔導官小隊だ。
竜の谷の入り口で今も激戦が繰り広げられているというのに彼らはここにいる。……あの大軍を囮にしたという見方もできる行為だ。
「アシェル様…あの、この方々は……?」
ルーは無視する。
「待たせたかい?」
「気にするな、待つだけの価値のある援軍だ」
イルドシャーンが王者の歓待のように言い、秀麗な面を引き締める。王者から将軍の顔になった彼が宣言する。
「雑兵は無視する。本丸を攻め落とすぞ」
背を向けて歩き出したイルドシャーンの向かう先に竜の楽園がある。物見遊山気分のサフィーノも後に続く。
アシェルは怯える幼い従者を冷たい瞳で見下ろしながら、あれだけの英雄どもを従えるイルドシャーンと己の格のちがいに嘆息をつく。
「諦めてもらうつもりが逆に野心を焚きつけちまったかねえ。イルドシャーンの目は国内に向いている。手柄を欲するのは父から認められたいだけ。……読み違いだったね」
アシェルはイルドシャーンという男を読み違えた。
砂の王子イルドシャーンは出生のコンプレックスから父王から無き者として扱われ、その反動で父の愛を求めている。彼の最終目標は砂の君主の地位。
そういう記号のような情報だけで彼を操ろうとして失敗した。
現実のイルドシャーンは王者と英雄の資質を備えた武人だった。王者としての彼を慕って大勢の英雄たちが御旗の下に集い。従えた英雄たちと肩を並べるだけの英雄性も備えている。
そういう人物に竜の谷の真実を与えればどう考えるか、これを読み違えた。
彼が本当に内向的な幼児性を抱え込んだ小賢しいだけの男ならアシェルにも勝機はあっただろう。だが現実のイルドシャーンはそうではなかった。
イルドシャーンの英雄性は竜の谷を併呑し、竜族を従えるつもりでいる。
楽園の主を弑し、それを為そうとしている。
砂の王子の野望が竜の谷を血で染め上げようとしている。




